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46 早朝の訪問者

「処分だなんてそんな物騒なことはしませんから。お酒を外に()()しやすくするだけです」

「お、お手柔らかにお願いします……」

「ええ、なるべく優しくしますね」


 何かを観念したようなケイオスさんが、ギュッと目を瞑る。そんなに身構えなくても大丈夫なのに、と思いながら、私はケイオスさんの額とお腹に手を当てた。お酒は魔力とは違い、生命力と密接に結び付いてはいない。体内では異物にあたるため、理論的には身体を傷つけることなく排出させることができるはずだ。


「ひ、額が、熱い」

「駄目ですよ、ケイオスさん。じっとしていてくださいね」


 私は、ケイオスさんの額に貼り付けた魔法陣を指先でなぞる。魔法陣に魔力を込めた瞬間、ピクリと身体を動かしたケイオスさんだったけれど、私が呪文を唱え始めるとおとなしくなった。


『ルエ・リッテール・キアンセラ・オ・ドルテ・バルミルエ・アムーリタ・イード・デルニーン・オ・ドルテ・バルミルエ・アムーリタ……』


 私は額に当てた指先に意識を集中させる。それから、体内のお酒成分を()()()()に集めるために、ケイオスさんの腹部を優しく撫でた。


「メルフィ、それは何をやっているんだ?」


 公爵様が不思議そうに尋ねてきたので、私は詠唱を止めて手短に答える。


「血に溶けたお酒の成分を、ケイオスさんのお腹のここら辺に集めているんです」

「なるほどな。それなら確かに自然なやり方ではあるか」


 さすがに血液と一緒にお酒の成分を体外に出すわけにはいかない。だから私は、腹部……膀胱のあたりにお酒成分を集めることにしたのだ。自然の摂理ではあるけれど、魔法で強引に促しているので、ケイオスさんの様子を確認しながらゆっくりと慎重を期す。身体の中を巡る血管を思い浮かべ、血液の流れにのせてお酒成分を腹部の一箇所に送り込む。


『イード・デルニーン・オ・ドルテ・バルミルエ・アムーリタ……』


 私が詠唱を始めてから数分。ケイオスさんが、急にがばっと身体を起こした。具合が悪くなったのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。ケイオスさんは私の手を掴むと、とても真面目な顔で首を横に振る。


「メルフィエラ様、その……」


 言いにくそうにしているケイオスさんは、グッと腹部に力を込めている。その目元は赤くなっていて、血の気のなかった青白い顔色ではなくなっていた。


「きました?」

「きました。ええ、かなり」

「気分はいかがですか?」

「気分……えっ、と、小水が漏れそ……し、失礼しますっ!」


 つい先ほどまでぐったりとしていたケイオスさんが、「すぐに戻ります!」とだけ答えて、ものすごい速さで部屋を出て行った。あまりに慌てていたためか、ケイオスさんの額から剥がれた魔法陣の紙がヒラヒラと舞って床に落ちる。


「まだ途中ですけど、だ、大丈夫でしょうか」

「……まあ、子供ではないからな。あの分であれば間に合うだろう」


 私と公爵様は顔を見合わせて少し笑った。きっと部屋に戻って来る頃には、ケイオスさんも()()()()()()()()ことだろう。どうやら、私の魔法陣がうまく作用したようだ。公爵様が、床に落ちた魔法陣の紙を拾い上げる。


「これは生きた個体にも作用するのだな」

「はい。魔法理論上は、この魔法陣を応用すれば、生きた個体から魔毒を抽出できるはずなのです」

「やはり、死骸から抽出するのは難しいか?」

「はい、血が固まってしまうと難しいですね」


 公爵様は、ベルゲニオンが置かれている魔法陣を覗き込む。丸一日経ったにしてはさほど溜まっていない魔毒に、公爵様も考え込むようにして顎に手を当てた。


「魔法陣としては問題はないように思えるが」

「私は『魔毒』を表す古代魔法語を知らないので、『マギクス(魔力)』と『ヴェネーノ()』という言葉を使っています。でも、魔毒の本質を言い表すものではないようで、いまいちなのです」

「魔毒の古代魔法語か。精霊(やつら)はやけに詩的な表現が好きだからな。案外、神代の時代の詩集や物語に遺されているかもしれんぞ?」

「詩集や物語……そこには思い至りませんでした! 詩集であれば、ここの書庫でもたくさん見かけました」


 公爵様がベルゲニオンの討伐に出ている間に何度か出入りした書庫の奥の方に、詩集や物語の書物があることは把握していた。きっと、いつかの時代のガルブレイス公爵が集めたものだろうそれは、誰にも読まれることはなかったようで埃かぶっていたけれど。もしかしたら、そこに求めていた答えがあるのかもしれない。はやる気持ちが外に出ていたのか、公爵様が私を見てくっと喉を鳴らす。


「も、申し訳ありません」

「いいのだ。生き生きとしているお前の顔は見ていて飽きない。早起きした甲斐がある」


 そう言われて、私は壁に掛かっている刻標(ときしるべ)を見る。その針はちょうど六刻を指していて、私は自分の部屋で見た刻標の時間との差に首を捻った。確か、起きたのは六刻で、部屋を出たのは六刻半だったはずなのに。


「公爵様、今は六刻で合っていますか?」

「うん? ああ、今の時期の陽の出は六刻半くらいだからな。空も白み始めているからそれくらいだろ……あ」


 刻標を見た公爵様が、しまったという顔になる。


「私の部屋の刻標……」

「す、すまない、メルフィ。お前にゆっくり休んでいてほしかったのだ。真面目なお前のことだ。辛くても時間通りに起床するだろうと思ってな。一刻遅くずらして」

「えっと、お気遣いは嬉しいのですけど……あの、一刻早くなっていました」

「は?」

「私が目覚めた時は、六刻になっていまして」


 公爵様が、ピタリと動きを止めた。


「すまない、本当にすまないっ、一刻遅くしたつもりだったのだ!」

「でも、無理矢理起こされたわけではありませんから」

「だが、五刻だぞ?!」

「大丈夫です、五刻は普通です。マーシャルレイドでは陽が落ちるのが早いので、自然と早起きになるんです」

「は、早起きだな、マーシャルレイド」


 公爵様からものすごい勢いで謝り倒され、私はガルブレイスとマーシャルレイドの習慣について見直そうと思った。私に構うなと言ったとしても、公爵様の婚約者である私を放置できるわけがない。あまり使用人に迷惑をかけてはいけないから、ここでの習慣をきちんと把握しておかないと。


「ありがとうございます、メルフィエラ様。まさしく昨日のお酒の匂いがするあれには驚きましたけれど、お陰で気分がよくなりました」


 ちょうど、やけにすっきりとした顔のケイオスさんが帰ってきた。あんなにぐったりしていたのが嘘のように、いつものケイオスさんになっている。


「ほかに痛みとか、身体の不調はありませんか?」

「頭痛もないですし、これといった症状も感じませんが」


 ケイオスさんが、手足を動かしたり、首を回したりして異常がないか確認する。その大丈夫そうな様子に、私はこっそりと胸を撫で下ろした。


「ケイオスさん、その、しょ、小水……」


 その時、私の目の端に何か白いものが横切った。窓は閉まっているので、この部屋の中に何かが入ってくることはない。でも、何度も窓の外を行ったり来たりしているその白いものの正体が気になった私は、窓の外を覗いてみることにする。


「どうした、メルフィ?」

「窓の外に何かがいるみたいです。白くて小さな生き物のようですが……」

「白くて小さい生き物?」

「閣下、ご用心を」


 ケイオスさんが、スッと手をかざして指先に魔力の光を灯す。公爵様も、私を背中に庇うようにして立ち、ケイオスさんに合図を送った。


「開けます」


 ケイオスさんが、ゆっくりと窓を開く。すると空の向こうから、ものすごい速さで白くて小さな物体が飛び込んできた。それはケイオスさんの顔にぶつかるようにして飛びついてきたかと思うと、手を伸ばしたケイオスさんを躱す。


「わっぷっ! こらっ」

「まあ、あなたは天狼ちゃん?」


 白くて小さなものの正体は、三日前に保護したばかりの天狼の赤ちゃんであった。追いかけるケイオスさんと遊んでいるかのように、天狼が縦横無尽に部屋の中を飛び回る。その足首には虹色の魔法の翼を生やしていた。これが天狼の魔法『天翔』に違いない。それにしても随分とすばしっこい仔だ。


「お前どうしたの? 飼育舎の方にいるんじゃなかったの?」


 私はケイオスさんを手伝って、ふわふわと浮かんでいる天狼に手を伸ばす。すると天狼が私の手の匂いをくんくんと嗅ぎ、ぽすんと懐に飛び込んできた。見たところ毛並みもふかふかだし、具合も悪そうではない。小さな天狼は、どうやら私の腕の中を気に入ってくれたらしい。もぞもぞと身体を動かして、ペロリと頬を舐めてきた。


「公爵様、この仔はお散歩中なのでしょうか?」

「散歩中のはずがない。多分自力で逃げ出してきたのだろう。おいお前、勝手に出てきたら駄目だろう?」


 公爵様は優しく天狼に話しかけると、その喉を指でくすぐる。天狼はくんくん鳴くと真っ赤な目を閉じた。やはり獣の扱いに慣れているのか、公爵様に撫でられた天狼はとても気持ちよさそうだ。目を瞑ったまま、公爵様の指に頬をスリスリと寄せている。


「ふふふ、気持ちが良さそうですね」

「こらっ、メルフィエラ様から離れなさい」


 憮然とした顔のケイオスさんが手を伸ばすと、天狼は「ガフッ」と小さく吠えて唸り始めた。


「怖がらせるな。こいつはまだ赤ん坊なのだぞ」

「閣下、赤ん坊の前に野生の魔物ですから、それ」

「し、しかしだな……」

「可愛いのはわかりますけれど、母親が見つかれば還すのですからね」


 天狼を庇う公爵様に、ケイオスさんがズバリと指摘する。そうだった。この仔の母親を見つけ次第、エルゼニエ大森林に還すのだった。あまり懐いたりしないように、人の匂いがつかないようにと飼育舎に預けていたことをすっかり忘れていた。

 私は一旦研究を打ち切り、天狼の赤ちゃんを飼育舎に戻すことにした。ちょうど夜も明けてきたようで、空が薄く橙色に輝いている。


「仕方ない。食堂が開くまで時間がある。メルフィ、少しだけ外に散歩に行くか?」

「それは素敵です! 公爵様が討伐に出ておられる間、ずっとお部屋にいましたから。外に出るのは嬉しいです」

「では、一度着替えに戻るとしよう」


 公爵様の言葉に、天狼が「きゃう!」と元気よく鳴き声をあげる。そういえば、公爵様もケイオスさんも、寝起きのまま駆けつけて来てくださったのだった。私は天狼を公爵様に手渡すと、急いで研究資料を片付けた。



 

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― 新着の感想 ―
血液操作できるなら拷問にも使えそうやな
[一言] ちゃんと排泄されたかどうかを確認するためにも尿検査はしたいですよね~科学者ですもんね。 北国の人ほど早起きするのあるあるですね…動かす下準備が一手間増えるからかもしれないですが。 更新ありが…
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