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45 魔法陣の使い道

 ガレオさんとの飲み比べの翌日。

 秋の清々しい空気に、私はすっきりとした気分で目が覚めた。昨日はあれほど飲んで食べたにもかかわらず、胃もたれひとつない。壁掛けの刻標(ときしるべ)は、朝六刻を指していて、夜明けもまだのようだ。起きるにはまだ早い時間だけれど、目が冴えてしまって二度寝はできそうもない。確か、食堂は七刻くらいから開くと言っていたので、私は大きく伸びをすると、身支度を整えることにした。


(それにしても、キルスティルネイクがあんな良質なお酒になるなんて)


 最初は香草の独特な匂いが気になったけれど、一杯目を飲み干した後は、その匂いがすっかりやみつきになってしまった。ガレオさんの生まれ故郷シドレムでは、キルスティルネイクのお酒を、疲労時や悪寒が走った時に薬として飲むのだという。あのお酒が滋養強壮効果の高い薬膳酒というのは、確かに納得できる。あんなに飲んだのに、後に残らないのはすごい。


(でも、蛇は……あえて食べなくてもいい種類よね)


 蛇は魔物に限らず、あまり食用には向かない生物だ。キルスティルネイクは食べたことはなかったけれど、マーシャルレイドではダンダル蛇という普通の蛇の肉をそぼろ状にして、甘辛いタレで炒めたものをパンに挟んで食べる地域がある。その身に独特の匂いがあるので、味を濃くしないと食べにくいのだ。


(騎士の皆さんもあまりお好きではなかったみたいだし、お酒にして普及させるのは難しいかも)


 私に付き合って少しだけお酒を嗜まれた公爵様と、「メルフィエラ様の分は私が!」と言って結構飲んでいたケイオスさんは大丈夫だろうか。私は寝室の隅にある、公爵様の部屋へと繋がる扉を振り返る。昨晩の公爵様は、私の様子をものすごく心配していたから、大丈夫だったことを報告すべきだろうか。

 私が七杯目を飲み干した後、ガレオさんは公爵様に止められるまで頑張って飲んでいた。空腹の状態で飲むと身体に悪いので、私はさりげなくロワイヤムードラーの煮込みとザナスの餡かけを提供してみたのだけれど、最初は難色を示していたガレオさんは結局ものも言わずに食べてくれた。最後、しかめ面で「悪くない」という感想をくれたガレオさんは、どうやらピリッと辛い餡かけの方が好みだったみたいだ。ケイオスさんによれば、騎士や鍛治師は汗をいっぱいかくから塩味の効いたものや辛いものが人気なのだそうだ。

 結局、四本あった酒瓶が二本になったところで、正体不明になりかけたガレオさんをブランシュ隊長が迎えに来た。騎士たちの誰かから呼ばれて来たみたいで、ブランシュ隊長が、「わざわざ納品に行くとか怪しいと思ったんだ! 閣下、姫様、しばらく反省させてきます!」とガレオさんの頭を叩いて平謝りしながら引きずって帰ってしまったから、飲み比べの勝敗はうやむやになってしまったけれど。あの強面なガレオさんが、ブランシュ隊長に叱られてしょんぼりしている姿は可愛かった。

 一応、ガレオさんは去り際に「今度使っている包丁を持って工房に来い」という意味の言葉を残してくれた。現在受注している武具の納期が終われば、私の方に取りかかってくれるらしい。無事約束を取り付けることができたので、これからの研究にも力が入るというものだ。


 顔を洗い終えた私は、マーシャルレイドから持ってきた赤茶色のドレスに着替えることにした。白の縁取りのレースが縫い付けられたドレスは、上下が分かれているからひとりでも着ることができる。


(でももし朝から盛装とかだったらどうしよう。できる限り動きやすい方がいいのだけど……)


 上下にわかれたドレスは重宝しているけれど、地味で作業着みたいな感じになるのは否めない。着替えるかどうかは、もうすぐ私を起こしにやってくるはずの三婦人か、ブランシュ隊の誰かに聞いてみよう。

 六刻も半分以上を過ぎたところで、他にすることがなくなってしまった。部屋に引き上げる前に、公爵様からは、「明日はゆっくり寝てても大丈夫だ。むしろ寝ていてくれ」と言われているので、すっかり手持ち無沙汰になった私は、少しだけ部屋を出ることにする。書き置きをしていけば、三婦人もブランシュ隊の皆も安心だろう。


 できるだけ静かに扉を開けた私は、足音をたてないようにゆっくりと歩く。目指すは、西翼の三階にある部屋だ。実は昨日、公爵様に頼んで狂化したベルゲニオンの死骸を分けてもらっていて、魔毒を抽出する実験の真っ最中だった。与えられた自室ではそんな研究はできないので、私は公爵様から西翼にある一室を借りていた。そこは研究室としておあつらえ向きな頑丈な造りになっていて、壁が異様に分厚く、少々の魔法でも傷ひとつつかないように強固に補強されているのだ。


「こ、これは姫様、どちらまで?」

「おはようございます。これから西翼の三階のお部屋に行ってきます」

「かしこまりました。すぐにお伝えしてきます!」

「あっ、一応書き置きを……」


 最初に会ったのは、巡回中の騎士だ。さらに、既に起きていた何人かの使用人とすれ違いながら、私は南翼から西に伸びる回廊を歩いていく。西翼三階の目的地にたどり着くと、魔法錠がかけられた重厚な扉の前に立つ。公爵様から教わった呪文を唱え、手をかざして解錠して中に入った。

 実はこの部屋は、公爵様がガルブレイスへ養子として迎えられた当初、魔力の暴走を起こした時用に改築したらしい。公爵様から「魔法制御できるようになった今は物置になっているから自由に使っていいぞ」という許可を得たので、ここを仮の研究室にして荷物を運び入れてもらったのだ。屋外の施設でもよかったのだけれど、ここなら城内なのでたくさんの護衛の必要はない。所在も明確にしているから、私は心おきなく、ひとりで研究に打ち込むことができるというわけだ。


「さあ、ベルゲニオンはどんなふうになっているかしら?」


 私は公爵様に言われた通りに内鍵をかけると、わくわくしながら部屋の真ん中に描いた小さめの魔法陣に歩み寄る。もらったベルゲニオンは、毛を毟って捌き、きちんと臓物を抜き出してある。右脚を蒸留酒に浸し、左脚を塩でまぶして、魔毒を抜き出すために構築した魔法陣の上に置いていた。もちろん、魔法陣を持続させるための魔力入り曇水晶と、魔毒を抜き出すための曇水晶も設置している。


「うーん…… 血液が凝固してしまうと、やっぱり効率が悪いみたいね」


 魔毒を抜き出すための曇水晶の中には、黒々とした魔毒が少しだけ溜まっていた。このベルゲニオンの個体の大きさから計算すると、酒に浸けた方も塩にまぶした方も、量的にまだまだ全然足りない。

 ベルゲニオンの様子を確認した私は、角が丸く削られた可愛らしい造りの机に向かうと、研究資料にその経過と思いついた仮説を書き記すことにする。


(若干蒸留酒の方が魔毒の量は多いけど、腐ってしまったら意味はないか……後四、五日はかかりそうだし、これだけしかない肉量を処理するのにそこまで時間はかけられない。実用化は難しい気がする)


 まだ血液が凝固する前に魔法陣で処理をできれば、バックホーンほどの巨体でも、二週間ほどあれば魔毒が抜けてしまうことは実証済みだ。完全な死骸になってしまうと、魔毒だけを抽出するには私の魔法陣では時間がかかりすぎる。


(やっぱり『魔毒』の古代魔法語を探すしかないのかも)


 私の魔法陣は、事象そのものの本質を言い表す『古代魔法語』を使用している。古代魔法語は、今よりずっとずっと昔に、精霊が人に教えた魔法の言葉だ。本当のところは知らないけれど、現在に至るまでに伝えられてきた古代魔法語は、様々な方法で後世に残されている。私はそれをお母様の書物から学んだけれど、このミッドレーグ城の書庫にも古代魔法語の古い書物が置いてあるから、地道に調べていくしかないのかもしれない。

 とりあえずは魔法陣の効力を強化するために、詠唱を重ねがけしようと思い立つ。魔法陣に手を当てて、いざ呪文を唱えようとした時、内鍵をかけたはずの扉が勝手に開いた。


「メルフィ、大丈夫か! 頭が痛いとか、身体はなんともないのかっ?!」

「まあ、公爵様? ずいぶんと早起き……」

「早起きはお前だ。まだ五刻半だぞ? 気分が悪くなったわけではないのか?」


 厚手の部屋着を雑に羽織った公爵様が、慌てたように私の全身を撫でさする。髪があちこち跳ねていて、寝起きのままここに駆けつけてきたようだ。多分、最初にすれ違った騎士が公爵様にお伝えしたのだろう。やっぱり公爵様が起きるのを待っていた方がよかったみたいで、なんだか申し訳なくなる。


「おはようございます、公爵様。とても状態は良いです。ガレオさんのお酒のおかげでしょうか」

「そうか……ならばいいが」


 公爵様が屈み込み、私の額に自分の額をこつんとあてる。だ、大丈夫なのにっ、熱もないのにっ?! 公爵様の長いまつ毛を間近に見てしまった私は、心拍数が上がってドキドキしてしまった。


「おはよう、ございます……爽やかな朝ですね……メルフィエラ様は、お疲れではございませんか」


 公爵様から遅れて入ってきたケイオスさんが、全然爽やかではない朝の挨拶をしてきた。どう見てもケイオスさんの方が疲れているように見える。ケイオスさんはそのままフラフラと歩いてくると、長椅子の前で膝をついてぐったりともたれかかった。


「無理をするなケイオス。今日一日休んでおけ」

「閣下、しかしそういうわけにも……」

「まだ酒が残っているのだろう? 弱いくせに飲むからだ」


 どうやら具合が悪いのはケイオスさんの方らしい。私はマーシャルレイドから持ってきた薬草などの保管箱の中から、二日酔いに効きそうなものを取り出す。


「これはマーシャルレイドから持ってきました。ソラニルの味がするので、幾分すっきりしますよ」


 ソラニルという乾燥させた柑橘系の果実と、酔い止め、鎮痛薬を粉にしたものだ。私は水差しの水をグラスに注いで、粉薬を水に溶かす。ぐったりしているケイオスさんに手渡すと、一気にそれをあおったケイオスさんがふーっと長い溜め息をついた。私が公爵様にも粉薬を溶かした水を渡すと、公爵様もグッと飲み干す。


「まさかお前があんなにいける方だとは思わなかったな」

「マーシャルレイドは寒いですから。子供の頃から果実酒に香辛料を入れて温めたものを飲む習慣があるんです。お酒の成分を飛ばしてはいますけれど、それで強くなるのかもしれませんね」

「やれやれ、情けないですね。まだお酒が残ってる気がします」


 ケイオスさんが、さらにぐったりとする。そこでふと、私は思いつく。ケイオスさんの体内に残っているお酒を、私の魔法陣で抜き出せたりはしないだろうか。古代魔法語でお酒は『アムーリタ』だ。ケイオスさんさえよければ、挑戦してみたい。

 私は上質な紙に、魔力を抜き出すための魔法陣を応用したものを描いていく。まさか血と一緒に抽出するわけにもいかないので、私の集中力と魔力が試される時だ。


「ほう。それはいかにも効きそうな魔法陣だな」

「ふふふ、さすがは公爵様。この魔法陣の意味を瞬時に読み解くなんて」

「ケイオスが拒否しても俺が許す。あいつを早く楽にしてやってくれ」

「はい、なるべく血が出ないように頑張ります!」


 私は紙に描いた魔法陣をケイオスさんの額に貼り付けると、ケイオスさんが「お、お二方共、な、何をっ、私はまだ使いものになりますからっ、ご処分だけはご勘弁をっ!」と訳の分からないことを言い始めた。うん、やっぱりまだ二日酔いみたいなので、早く楽になってもらうことにしよう。




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マッドすぎるww
[気になる点] 哀れなケイオス……強く生きろ!
[良い点] 「はい、なるべく血が出ないように頑張ります!」 大酒飲んだ翌朝、元気に早起きした令嬢がこう来るとは!二日酔いケイオス哀れ~(笑) 研究熱心な彼女に、自分と同じオタクの血を感じますねえ。 […
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