41 ついに判明、ガルブレイスの鍛治工房
ほどなくして、ドラゴンの餌を天狼用に見繕ってきたブランシュ隊長とリリアンさんが戻ってきた。ブランシュ隊長が手にした木桶の中には、細かくして叩き潰したような何かの生肉が入っている。一方リリアンさんは、小さな硝子瓶に山羊の乳を搾ってもらってきていた。
「閣下。騎竜たちの餌にベルゲニオンを持って来られたのですか」
ブランシュ隊長が、少し嫌そうに木桶の中を見る。木桶の中の生肉は、なんとあのベルゲニオンのようだ。そういえば、狩った魔物から皮や牙などを採取すると仰っておられたような。ベルゲニオンは魔鳥なので羽毛が採れそうだ。質についてはわからないけれど。
「かなり大規模の群れだったのだ。魔鳥とはいえ、単に燃やして肥料にするのはもったいないではないか」
「それでですか。狂化している個体が何匹か紛れ込んでいたようです。ミュランが血相を変えて排除していました」
「やれやれ、選別はしたつもりだったのだが、まだ残っていたか。わかった。後から廃棄処分しておく」
魔毒は加熱しても分解されることはない。自然と魔毒が分解されていくまでにしばらく時間がかかる。だから狂化したベルゲニオンは、廃棄処分にするしかないのだろう。私もベルゲニオンを食べてみたかったものの、既に事切れて時間が経ってしまっているから、今さら魔法陣で魔力を抽出することは難しい。魔力が自然と抜けていくまで塩漬けにして保存しておくこともできるけれど、ここにそのための施設があるのかわからない。狂化した魔物を実食するのはもう少し準備を整えた時に、と今は我慢する。
(でも、狂化した個体はほしいかも。魔毒を抜き出す魔法陣はまだまだ完成していないし、実験にはちょうどいいものね)
生きた狂化個体はとても危険だ。どんなに小型の魔物でも凶暴性が増していて、あたり構わず襲ってくる。死んでしまった個体なら、魔毒の取り扱いさえ注意していれば大丈夫だ。後から公爵様に頼んで、一匹取り置いてもらっておこう。
「さて、お前のご飯の時間だよ。天狼と犬っころを同じにしたら、お前は気を悪くするかい?」
ブランシュ隊長が、まだ赤ちゃんとも呼べそうに小さな天狼のために、ベルゲニオンの肉と山羊の乳を混ぜていく。それを見ていた天狼が、公爵様の膝の上で立ち上がり、クルクルと回っては鼻をクンクンさせ始めた。
「手際がいいですね、ブランシュ隊長」
「家で犬を数匹飼っておりまして、仔犬の頃に離乳食も作ってやっていたんです」
「まあ、子育て上手なのですね!」
「やんちゃで手のかかる仔犬たちでしたよ。さあ、できた。山羊の乳を多く入れておいたから、お前が気に入ってくれるといいんだけどね」
ブランシュ隊長が、混ぜ終った離乳食を平たい木の皿についでいく。公爵様が長椅子から立ち上がり、天狼をそっと床に置くと、天狼はすぐにブランシュ隊長のところに駆けて行った。かと思うと、勢いがつき過ぎてコロコロと転げてしまい、白い毛玉がプルプルと身体を震わせる。
「「可愛いっ!」」
私とリリアンさんの声が重なった。その一部始終を見ていたリリアンさんは、思わずというように拳を握りしめて相好を崩している。きっと私も同じような顔をしてしていることだろう。公爵様は何も言わなかったけれど、とびきり優しい顔をしていた。
「この仔はまだ赤ちゃんですけれど、どれくらいで成獣になるのですか?」
「一年後には独り立ちするからな。それでだいたい羊くらいの大きさだ。成獣になるには、そこから四、五年はかかると思うぞ」
そう言われても、こんなに小さな天狼が、やがてロワイヤムードラーくらいに大きくなるのはにわかに信じられない。すると、リリアンさんが騎士服の左腕を見せてくれた。
「この天狼の紋章は、私たちの誇りなんです。姫様は天狼の成獣をご覧になったことはありますか?」
「図鑑でしか知らないの。きっと、とても神々しい姿なのでしょうね」
「夏になると、夜空を『天翔』の魔法で駆ける姿が見られます。姫様にも是非見ていただきたいです!」
三人が三人とも、ふわふわな天狼にすっかり夢中になっている中、ブランシュ隊長は淡々と天狼の世話をする。
「さあ、お食べ」
「きゃうっ、きゃうっ」
「ほら、一気に食べると吐き戻してしまうよ。ゆっくり、そう、ゆっくり食べなさい」
ブランシュ隊長が、頭を皿に突っ込んで貪るようにして餌を食べる天狼から皿を取り上げる。顔中を餌でベタベタにした天狼が、不満そうに「ぎゃう」と鳴くと、ブランシュ隊長が別の皿に小分けして差し出した。食べ終えたことを確認しては、餌を少しずつ追加していく。
「うわー、手馴れてますね、隊長」
リリアンさんが、感心したように呟く。
「お前が幼年学校の頃に、騎士になりたいと言ってブランシュの後をついて回っていた時もあんな感じだったぞ」
「か、閣下、それは、その、ついて回っていたのではなく」
公爵様が揶揄すると、リリアンさんが顔を赤めて抗議した。リリアンさんは、いつから騎士を目指していたのだろう。幼年学校は五歳から九歳までの子供たちが通う学校だ。騎士学校は普通二年から三年だし。十五歳で騎士として認められたリリアンさんは、たくさん努力したに違いない。
「お前がルセーブル工房で剣を造ってもらってから半年だったか……ブランシュが許可を出せば、短期遠征くらいは連れて行ってやろうか?」
「ほ、本当ですか、閣下!」
公爵様の言葉に、リリアンさんが飛び上がって喜んだ。なるほど。リリアンさんは、騎士になる際に『ルセーブル工房』という鍛治工房で剣を造ってもらったらしい。公爵様の剣の柄に刻印してある屋号と、ブランシュ隊長やリリアンさんの剣の屋号は同じだ。ブランシュ隊長からはなかなか聞き出すことができなかったので、私はここぞとばかりに聞いてみた。
「公爵様、ルセーブル工房とは、公爵様の剣をお造りになった鍛治師がいる工房ですか?」
公爵様は私の刃物捌きをご存知なので、きちんとお願いしたら工房に話をしてくれそうだ。すると公爵様は意外だというような声を出した。
「なんだ、まだ知らなかったのか?」
「何をでしょう?」
「ルセーブル工房はブランシュの夫の工房だぞ。鍛治師頭のガレオがブランシュの夫だ」
「ルセーブルって、確かにブランシュ隊長の姓ですけど……そうだったのですか!?」
「なんだ、ブランシュ。メルフィに話していなかったのか?」
公爵様に問われ、ブランシュ隊長が気まずそうに咳払いをする。夢中で餌を食べていた天狼が、咳に驚いて尻尾をピンと立てた。
「姫様は私共の剣に大層ご興味がおありのようでしたが、私の一存で決めていいのかわかりませんでしたので」
「それもそうだな。それで、どうだ? お前から見たメルフィは」
「姫様の刃物はとても丁寧に扱われているのがわかりますし、よく使いこなしておられます。きっとこれなら、ガレオも認めてくれるのではないかと……思ってはいるのですが。あのガレオですから、頑固者で申し訳ありません」
なるほど。ブランシュ隊長の旦那様は鍛治工房の頭で、話からすると自分が認めた者にしか、その腕を振るってはくれないらしい。
「あれだけの腕の職人だ。そのこだわりがガルブレイスの騎士たちを支えてくれていると思えば。俺から話を通すとしても、メルフィに会わせろと言いそうだが」
「多分、避けては通れないかと」
公爵様とブランシュ隊長が、そろって私の方を見る。ガレオさんがどういう人なのかわからないけれど、こだわりある職人ならマーシャルレイドにもいた。認めてもらうには、私の技量を確かめないとならないのであれば……魔物を捌くところを実際に見てもらうとか?
「姫様、夫ガレオは大変口が悪く気難しくて、もしお会いすることになれば……」
「きゃう、くわぅ!」
「こ、こら、少しおとなしくしていなさい」
「くぅ」
お腹がいっぱいになった天狼が、クンクンと鼻を鳴らして床を掘る仕草をし始めた。何かを察したブランシュ隊長が、慌てて天狼を掬い上げる。キョロキョロと辺りを見回すと、両開きの大きな硝子戸から外の露台に出る。
「リリアン、捨ててもいい箱とかボロ切れはない?」
「ボロ切れって、えっと、えっと」
「粗相をしそうなんだ、早く!」
すると、公爵様が私の寝室に駆け込んでいき、何やら平たく四角い木箱を持って出てきた。リリアンさんが素早く受け取ると、ブランシュ隊長と天狼が待つ露台に出て行く。
「たくさん食べると、安心してもよおしてしまいますよね」
「まだ乳離れができていないようだ。やれやれ、このまま母親が見つからなければ、困ったことになるな」
公爵様と一緒に露台を覗くと、ブランシュ隊長が天狼のお尻を刺激して排尿を促していた。
「いつまで保護するおつもりですか?」
「自分で餌を獲れるようになれば野生に還すつもりだったが……こんな風に手をかけてしまえばそれも難しいかもしれん」
「人に慣れすぎるとそうなりますよね。ドラゴンたちのように、騎獣にすることができればいいのですが。初代公爵様は、天狼を手懐けられたのでしょう?」
可愛がるのはいいけれど、野生に還すとなればあまり人が関わるべきではない。でも、天狼はガルブレイスの象徴だ。ドラゴンの飼育が可能であれば、天狼もそれができそうな気はする。私は魔物を食べる専門で育てたりはしないから、それが可能かどうかは見当もつかないけれど。
「とりあえず、ベルゲニオンの肉と山羊の乳は気に入ったようだ。飼育舎の方に頼んで世話をしてもらおう」
「ただの仔犬ではありませんものね。母親が無事なことを祈りましょう」
「うむ……それにしても匂うな。なんだ、この強烈な臭さは」
公爵様が鼻を手で押さえるくらいに、露台の方から刺激的な臭いがしてくる。私も鼻を押さえて天狼の様子を見るものの、別に大をしている風ではない。では何が……と考えて、ハタと気づく。
「こ、公爵様。終わるまで閉めておきましょう。露台にスクリムウーウッドの赤い方を置いていたことをすっかり忘れていました!」
ブランシュ隊長たちがいる反対側の端に、厳重に蓋をしたはずの木箱があった。そこには酷い臭いのスクリムウーウッドを入れていたのだけれど。目が滲みるくらいの刺激臭に、私と公爵様で窓を閉め、甘い香りを放つ方のスクリムウーウッドの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「あ、あれも廃棄するか?」
「黒く熟すまで置いておこうかと考えていたのですが……これでは窓を開けられませんね」
私はこもってしまった臭いをなんとかしようと、何かないか部屋を見回す。香草の石鹸はあるけれど、それだけでは心許ない。そこに目に入ってきた橙色の曇水晶を見つけ、私はこれだと思って駆け寄った。
「それで何をするのだ?」
「ほら、公爵様。ここに溜まっている魔力はすごくいい香りでしょう? ここに魔法陣を描いて、芳香剤にしてみようと思いまして」
我ながらいい考えだ。さっそく魔法陣を描くために、私は寝室の金庫に入れている道具(私の研究資料や道具は、鍵のかかる金庫で保管するように公爵様に言われた)を取りに行った。