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40 天狼は魔物が食べたい

 モコモコと動く毛玉が、いきなりパカッと口を開けて大きなあくびをする。その大きさは、人の頭よりも小さい。


「これが天狼。ふわふわ……可愛い」


 パチリと開いた赤い目は、とてもつぶらで可愛らしい。「くぁっ」と声を出してもう一度あくびをした天狼が、公爵様の服の中でぐぐっと伸びをする。牙はまだ小さくて、『天狼』という名前の由来となった足首の(はね)もまだ頼りなかった。


「この仔はどうしたのですか?」


 ガルブレイスにとって天狼は特別な魔物だ。もしかしたら飼育しているのだろうか。公爵様が天狼を服の中から出して腕に抱えると、天狼が小さくくしゃみをした。


「こいつは狂化したベルゲニオンに襲われていたのだ」

「そんなっ」

「だが、こんなに小さくても天狼は天狼だからな。『天翔(てんしょう)』の魔法を駆使して逃げていたこいつを、討伐の最中に偶然見つけて一時的に保護してきたというわけだ」

「親はどうしたのでしょう」


 天狼の成獣は、ロワイヤムードラーほどに大きくなる。もちろん魔獣なので魔法も使うし、魔鳥たちに襲われることなどそうそうないと思いたい。すると、公爵様は難しい顔になった。


「俺たちも随分探したが、どこを探しても見つからなかった。帰りが遅くなったのはそのせいでな。今も防衛線の砦の奴らに探させてはいるが……」

「そうだったんですね」


 この天狼の親は、ベルゲニオンの餌食になってしまったのかもしれない。でも、はぐれてしまっただけで、広過ぎて見つからなかったかもしれないし。公爵様は「一時的に保護」と仰ったので、この天狼の赤ちゃんはいずれエルゼニエ大森林に放すのだろう。それまでに、親が見つかればいいのだけれど。


「この仔はガルブレイスの守り神でもあるのですよね?」

「ああ。初代ガルブレイス公爵が、一頭の天狼と共にこの地を治めたという言い伝えがあってな。それ以来、天狼はガルブレイス公爵家の象徴になっているのだ」


 天狼が、公爵様の腕を甘噛みして遊び始める。プリっとしたお尻から伸びる尻尾が忙しなく動いて、私はその可愛さに思わず笑顔になる。


「この仔は何を食べるのですか?」

「とりあえず、細かくした牛の肉と山羊の乳を与えてみた。まあ、山羊の乳は飲んでいたが、肉はあまり食べはしなかったな。天狼の赤ん坊など育てたことはないからな。それが正解なのかわからん」

「天狼ちゃん、あなたはもうお肉を食べるの?」

「小さくても歯は生えそろっている。多分、親が噛み砕いた肉は食べていたはずだ」


 私が喉をくすぐると、天狼の赤ちゃんは気持ちよさそうに、私の手に頭を擦りつけてきた。


「くぅ?」

「育ち盛りだから、お腹が空いているでしょう?」

「きゃう!」


 まだ鳴き声に元気があるので、今のうちにこの仔の食べられそうなものを探してきてあげなければ。牛の肉が駄目なら、乳と同じ山羊の肉? それとも、野生で育ってきたので魔物の肉しか食べないとか。


「公爵様、山羊の乳と、魔物の肉をこの仔にあげたらいけませんか?」

「魔物の肉? なるほど、エルゼニエ大森林の魔物か」

「はい。普通は魔物の生肉を食べているはずですから、ドラゴンと同じように、魔力を抜き出していないそのままを与えてみては」

「そうだな、騎竜たちの餌を与えてみるか。ブランシュ、竜舎から生肉をもらってきてくれ。あと、山羊の乳だ。それと、ケイオスが起きていたら呼んでくれ」


 公爵様が、待機していたブランシュ隊長たちに指示を出す。ビシッと敬礼したブランシュ隊長が、「了解いたしました」と言うが早いか、何故かリリアンさんを引っ張るように連れて行ってしまった。ナタリーさんも、「ケイオス補佐を叩き起こしてきます!」と言って退出する。去り際の、「もう少し見ていたかったのにー」と言うリリアンさんの言葉の意味は、一体なんだったのだろう。もしかして、リリアンさんも天狼の赤ちゃんに触りたかったとか?


「何か不都合なことはなかったか?」

「いいえ。皆さんにはとてもよくしていただきました」

「来たばかりで放置してすまないな」

「書庫にいても落ち着かなくて。えっと、お勤めご苦労様でございました」

「ああ、今回は少々くたびれた」


 公爵様は、片腕で天狼を抱えたまま、私の手を引いて長椅子に腰を落ち着ける。私も手を引かれるままに隣に座り、おとなしく丸まっている天狼を覗き込んだ。


「よしよし、怖くないよ。あなたのことは食べたりしないからね?」

「う、うむ。他にももっと美味しそうな魔物があふれているからな」

「食べるなら草食系の魔獣からですね。肉食系はどうしても匂いがするから下準備も大変ですし」


 天狼は肉食系なので、もし食べるとしたら臭み消しの香草がかかせないと思う。守り神だから食べないけれど。

 それにしても、このふわふわの毛玉はずっと撫でていられそうだ。嫌がってはいなさそうなので、私はひとしきり天狼の毛並みを楽しむ。そういえば公爵様は「ふわふわした小さな獣が好き」なのだった。確かにわかる。この天狼は、小さくて温かくて、ふわふわの毛並で仕草も鳴き声も最高に可愛い。

 でも、公爵様は何故か天狼ではなく私の髪をいじり始めた。私が天狼を構っているから、遠慮なされているのだろうか。


「公爵様、この仔の方が触り心地がいいですよ?」

「俺はこっちの方がいい。お前の髪を触っていると癒される」

「そ、そうですか」


 公爵様がそう感じておられるのであれば、私としても問題はない。ガルブレイス公爵夫人の務めは、公爵様を癒し労うことなのだ。少し恥ずかしいけれど、存分に堪能してもらわなければ。私は公爵様を見上げ、その顔色を確認する。昨夜遅くに戻って来られた時には、目の下が真っ黒で顔色が青ざめていた。今は目の下の色も薄くなり、顔色もそこそこ良さそうな感じに見える。そういえば、着ているものは寝衣のようだし、お腹が空いて起きたと仰っていたような。


「そうです、公爵様。スクリムウーウッドの果実の下処理が無事に終わりました。ブランシュ隊長たちと先ほど毒見をしまして、とっても美味しかったので公爵様もいかがですか?」

「この豊潤な香りがスクリムウーウッドのものとはな。向こうの部屋にまで漂ってきていたぞ」

「赤い方は酷い匂いで、まだ外に置いたままなんです。きっと黒い方が熟しているものだと思います」


 私は長椅子から立ち上がると、公爵様に果実をお出しするために手を洗った。石鹸は匂いがないものと香草入りのものがあるので、迷わず匂いがないものにする。

 この部屋に置いてあるものは、すべてにおいて一流品だ。とても賑やかな三人のご婦人が持ってきてくれたもので、ミッドレーグで作られたものだと説明を受けた。例えば石鹸は、エルゼニエ大森林で採れた珍しい香草を混ぜてあった。食物に匂いがうつるから今は使えないけれど、手に染み付いた酷い匂いを取るときなんかは良さそうだ。魔草かどうか聞くのを忘れていたので、今度三婦人のどなたかが来た時に聞いておかなければ。


「公爵様は、甘いものは大丈夫なのですよね?」

「ああ、好きだぞ。腹が減って目が覚めたのは本当だ……スクリムウーウッドにはいい思い出はないが、期待はできる匂いだな」

「ふふふ、びっくりされますよ。私もひと口食べてびっくりしましたから。ミュランさんがネクタールより美味しかったと言われた意味がよくわかりました」


 公爵様用に取って置いた半分の果実から、保存用の木の板を取りのぞく。食べやすいようにひと口大に掬ってから、少し大きめの皿に盛り付けた。


「はい、公爵様」

「果肉の色が濃いな」

「ナタリーさんもそう言ってました。自分が食べたものは黄緑色だったって」

「ふむ……赤く色づいているものでも熟れていないとは、植物といえどやはり魔物だな」


 公爵様が、木杓子に果肉を載せて恐る恐る口の中に入れる。その様子を天狼がじっと見ていたけれど、甘い果実には興味はないようだ。ちょうど目の前にあった寝衣の腰帯の端を見つけ、引っ張って遊び始める。


「どうですか?」

「……疲れた身体にしみる味がする」


 公爵様はそう言うと、果肉を次々と口の中に放り込み始めた。あっというまになくなりそうだったので、私は追加分を準備しようとして、そのまま半分の果実をお出しすることにした。公爵様なら全部食べそうだ。


「少しお行儀がよくないかもしれませんけど。皮も分厚く器の代わりもなりますから、そのままどうぞ」

「空きっ腹に最高だな! ほら、メルフィ『あーん』だ」


 公爵様から木杓子を差し出されて、私は反射的に口を開ける。スクリムウーウッドの甘さが口いっぱいに広がり、鼻から抜けていく香りを楽しんだ。


「はあ、幸せな甘さです……」

「これは魔力を抜き出したから熟したとかではないよな?」

「公爵様からいただいた時からよい香りでしたし、抜き出した魔力も最初からあんな感じでした」


 私が橙色の曇水晶を指差すと、公爵様は考え込むような顔になる。そう言われると、その可能性は考えていなかった。含有魔力で酷い目に遭うことがわかっているので、魔力を抜いてからしか食べていなかったけれど、研究を極めるためにはあえてそのまま食べてみるべきだろうか。


「メルフィ、なにもそのまま食べてみる必要はないからな?」

「な、何故わかったのです⁈」

「顔に出ていた」


 そんなにわかりやすかっただろうか。私が思わず両手で頬を覆うと、公爵様は楽しそうな笑い声を漏らした。


「研究熱心なのはいいが、身体を壊すようなことは駄目だぞ」

「……はい」

「ほら、まだ入るだろう? ケイオスが来る前に腹に収めておけ。あいつは見た目によらずよく食べる。お前が最初にくれたスカッツビットの干し肉は、結局ほとんどあいつひとりで食べてしまったんだぞ」


 ガルブレイスにスカッツビットはいないけれど、他の魔物で干し肉を作ってあげよう。ベルベルの実を使った香辛料ならマーシャルレイドから持ってきているから、しばらくは材料がなくなる心配もないし。

 公爵様から『あーん』をしてもらいながら、私たちは黙々と食べ進めていく。甘ったるさとか全然なくて、いくらでも入るのが恐ろしい。


「くー……きゃうっ、きゃう!」


 食べることにあまりに集中していたせいか、腰帯と戯れることに飽きた天狼が抗議の鳴き声をあげる。試しにスクリムウーウッドの果実を差し出してみたけれど、果実には用はないらしい。


「こらこら、お前の分は別にある。もう少し待ってくれよ」


 公爵様が天狼の背中を撫でると、「ぎゃう」と不満そうに鳴いてその指をカプっと噛んだ。公爵様は優しくたしなめながら、天狼に語りかける。寝起きの美丈夫がふわふわの小さな獣と戯れる姿に、私はこっそりときめいてしまったのは内緒だ。これは、非常に絵になる……いい。すごくいい。




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― 新着の感想 ―
[一言] 普段から魔法を使って生きている天狼だから、魔力を食物から摂取する必要があるのかもしれないとか、では食べられる魔物が持ってる魔力って一番最初はどこから生じるんだろうとかちょこっと考えちゃいまし…
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