4 類は友を呼ぶ
その後、釈然としない顔をしたケイオスさんと、声を上げて笑い始めたガルブレイス公爵様を残し、私は侍女たちから天幕の奥に連れて行かれた。
「さあ、まずはお髪を整えましょう。それからドレスは……それとそれと、あともう少し細身のものを」
ケイオスさんが持ってきてくれたドレスを、侍女たちが選んでいく。
「あの、そのドレスは」
「お気になさらずお召し替えください。王妃様より申しつかっております」
どうやら、遊宴会に参加した女性たちが不測の事態に陥ってしまった時用に、王妃様がご準備なされていたものらしい。同じく王妃様が連れて来ていたらしい侍女たちは、血がついた私の髪をお湯で洗い、香油を使って綺麗にしていく。さらにとても上品な深緑色のドレスを選んでくれ、私は申し訳ない気持ちになった。本来であれば、彼女たちが私のような令嬢の世話をすることなどないはずで、王妃様も王家に近しい公爵様の頼みを聞いてくれただけなのだろう。公爵様と王妃様のお気遣いにより救われた私は、手伝ってくれた侍女たちにお礼を言う。
「助かりました。ありがとうございます」
「とんでもございません。私共の仕事にございます」
「領地に戻ったら、王妃様にお礼状をしたためたいのですが、私ごときの手紙など、王妃様はお受け取りくださるでしょうか」
「高価なお品物でなければようございます」
「わかりました」
決して嫌な顔をせず淡々と仕事をこなす侍女たちは、私の支度が整うと直ぐに天幕から退出していった。残された私は、血で汚れたドレスを内側にひっくり返して布の端を結ぶ。ここに置いていくわけにもいかないので、持って帰るしかない。
「あら、タルボット夫人」
「め、メルフィエラお嬢様」
丸めたドレスを持って天幕の奥から出た私は、困り果てたような顔で待っていた付添人を見つけた。一応私は未婚の令嬢なので、一人では遊宴会に出席できず、マーシャルレイド家所有の街屋敷で雇われている年配の女性を連れて来ていたのだ。
「きょ、狂血公……い、いえ、が、ガルブレイス公爵家の騎士と名乗る者が、わ、私をここに連れて来たのです」
どうやら公爵様は、私の付添人を探して来てくれたようだ。その細やかな心遣いに、私の心が温かくなる。狂血公爵だなんて物騒で不名誉な二つ名など、優しい公爵様には全然似合っていない。
タルボット夫人は天幕の中をキョロキョロと見回し、小積み上げられている武器の箱に目を止めた。ここは普通の貴族の天幕ではないので、本当にガルブレイス公爵家の天幕なのか半信半疑らしい。その気持ちは少しだけわかる。完全に狩猟用の天幕だもの。
「お嬢様、あの」
夫人が不安そうに両手を胸元で握りしめ、私の顔を見てくる。
「ええ、ここはガルブレイス公爵様の天幕で間違いありません。公爵様は、私を魔獣から救ってくださいましたの」
「そ、そうでございましたか……お嬢様、それで、そのドレスは、ここでお召し替えに?」
「そうなのよ。着ていたドレスが魔獣の血に塗れてしまって」
私は、足元に置いたドレスだったものを指差す。すると、「ひぇっ!」と悲鳴を上げたタルボット夫人が、私と足元のドレスから距離を取った。別に危なくもないのだけれど、これは何か、嫌な予感がする。
「タルボット夫人。これは別に――」
「お、お嬢様、このような場所で、ま、魔物を食らうなんて!」
別に私は魔物を捌いて血に塗れたわけじゃないから……と言おうとしたけれど、タルボット夫人は見事に誤解してしまっていた。魔獣の血と説明してしまったのは私の失態だ。ここは、少し汚れた、とか、お茶をこぼした、とか言うべきだった。
タルボット夫人は、私が魔物を捌いて食べてしまったと思っているようだ。夫人の目の前で魔物を捌いたことはないけれど、例の噂で聞いたのだろう。恐怖に目を見開き、ジリジリと後退る夫人の背後には、公爵様が脱ぎ捨てたであろう血塗れの服が放置してあった。
「あ、夫人、後ろに気をつけて」
このままだと大惨事になると思った私の制止も虚しく、夫人は公爵様の脱ぎ捨てた服の端を踏み付けてしまう。グジュっと湿った音がして、服に染み込んでいた血が滲み出てきた。そのまま体重がかかり、天幕の床に赤黒い染みが広がっていく。当然、タルボット夫人の靴にも血がついた。
「ひ……」
やっちゃった、という顔になった私と夫人の目が合う。顔を真っ青にして恐々と足元を見た夫人は、天を仰いで盛大な金切り声を上げた。
「ひぃぃぃやぁぁぁぁぁぁっ‼︎」
「どうした⁈」
天幕の外にいたらしいガルブレイス公爵様が、その悲鳴を聞いて天幕の布を引き千切らんばかりの勢いで中に入ってくる。公爵様のまだ乾いていない濡れた髪はかき上げられ、魔力により煌々と輝く金色の目が私を見た。
「メルフィ……」
公爵様が私の名前を呼ぼうとした時、操り人形のようにぎこちなく首を動かして公爵様を見たタルボット夫人が、今度はまるでこの世の終わりを見たかのような絶叫を放つ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼︎」
「おいっ!」
恐怖に顔を痙攣らせたタルボット夫人を助けるべく、公爵様が駆け寄ろうとして……結果、夫人は卒倒しそうになった。それでもすんでのところで持ち直し、ヘナヘナと器用に足からくず折れていく。そしてあろうことか、公爵様の汚れた服の上で完全に伸びてしまった。
「メルフィエラ、何があった?」
「何があったじゃありませんよ。閣下、それは外に置いてきてください」
私とタルボット夫人を交互に見る公爵様の後ろから、やれやれと溜め息をつきながらケイオスさんが入ってくる。公爵様を放置して、倒れたタルボット夫人の側に屈み込んだケイオスさんは、手首を持ち上げて脈を取り始めた。それから、あきれたような目で公爵様を見る。
「閣下」
「何故だ、これの首は既に事切れているぞ」
公爵様はあのバックホーンの首を片手に抱えていた。しかも、もう片方の手には血に塗れた鋭い剣が握られている。その姿があまりに様になっていて、私はこっそりときめいた。私もこんな風に魔物を狩ることができたら、どんなに素敵なことか。でも、ケイオスさんの感想は違ったらしい。
「死んでいようがそうでなかろうが、そんな物騒なものを引っ提げて突入されたら、どんなご婦人でも卒倒しますよ」
「む……メルフィエラは大丈夫そうだぞ?」
公爵様が拗ねたように口を尖らせる。私は公爵様に同意して、「見慣れているので問題ありません」と答えた。しかし、それはケイオスさん的には駄目な答えだったようだ。
「問題ありまくりです!」
何故かキッと目を吊り上げたケイオスさんに叱られてしまった。私と公爵様は目を見合わせて、とりあえず口を閉ざす。
「いいですか。普通は、ご婦人の前に、魔獣の首を持ってきたり、血のついたままの剣を見せたりしないものです! それに、マーシャルレイド伯爵令嬢様」
「は、はいっ!」
ケイオスさんの矛先が私に向いたので、私はシャキッと背筋を伸ばした。
「閣下のこの姿を見て、そんなに目をキラキラとさせないでください! 閣下がつけ上がります‼︎」
ぜいぜいと息を切らしたケイオスさんが、タルボット夫人を使用人に引き渡す。小さく呻き声が聞こえたので、夫人はどうやら無事のようだ。公爵様の汚れた服の上で倒れたので、ドレスは無事じゃない様子だけれど。
それにしても、私はそんなに目をキラキラさせていただろうか。公爵様ははっきり言って格好がいいので、多少は舞い上がってしまったとしてもそれは許してほしいところだ。
「まさか、閣下とご同類の方がおられるとは」
憮然とする公爵様から剣を取り上げたケイオスさんが、ぶつぶつと文句じみた言葉を呟きながら、使用人に手渡した。さらに、公爵様からバックホーンの首も受け取ろうと手を伸ばす。
「こ、これは駄目だ」
「それも廃棄です!」
ケイオスさんの剣幕に渋々ながら首を差し出した公爵様は、かなり名残惜しそうだ。それには私も同意する。本当に見事な斬り口で、他に傷らしい傷がない。飾りとしても高値で売れそうな首だったのに、廃棄処分とはもったいない。
「まったく、閣下もいい歳こいて何をはしゃいでいるのやら。おとなしくご令嬢を王都までお送りすればいいものを」
「言われなくとも送っていく。メルフィエラ、すまない。ケイオスはいつも口煩くてな」
ポリポリと頬を掻いてバツの悪そうな顔をする公爵様に、私は気にしていないという意味を込めて微笑み返す。すると、公爵様が勢いよく下を向いた。
「やれやれ、うちの閣下の遅い春ですかね」
ケイオスさんがバックホーンの首をくるくると回しながら呟いた。私や公爵様のことをどうこう言うケイオスさんも、多分側から見れば同類に見えると思う。普通の人は、ひと抱えもある魔獣の首をくるくる回したりなんてしない。
(そういえば、バックホーンの頭は食べたことなかったわね。美味しいのかしら)
つくづく、狂化していることが残念でならない。私が物欲しそうな顔をしていたからだろうか。視線に気づいたケイオスさんが、私からバックホーンの首を隠すようにして天幕から運び出してしまった。むう、残念。