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36 食い物の恨みは(公爵視点)

 メルフィエラがシエルの間に入ったことを見届け、俺はミュランと共に自室であるテールの間に引き上げた。テールの間とシエルの間は隣り合わせになっていて、寝室で繋がっているという、いわゆる『夫婦』の部屋になっている。まだ婚約したばかりだが、俺はメルフィエラ以外にこの部屋を使う者はいないと思っていた。寝室には扉がついている。しかし今は鍵をかけているので他意はない。

 俺は腰の革帯を解くと、剣を外して執務机の上に置く。胸当も外そうとして、しばらくは着けたままにしておくことにした。ケイオスが現場に置いて来た炎鷲部隊が、何か見つけてくるかもしれない。運良く逃げた魔鳥たちを殲滅しておかなければ、厄介なことになりそうだ。


「ミュラン、あの鳥共を率いていた頭を見たか?」


 いくら群れで狩りをする魔鳥だとしても、あんなに異常に執着されたことなど初めてだった。俺は、群れの中に突っ込んで行ったミュランなら何か異変に気付いたかもしれない、と思い聞いてみた。


「あの一番大きなベルゲニオンが頭でしょう。すれ違う時、あいつだけは私を避けませんでしたから」

「グレッシェルドラゴンを恐れぬ個体か。どうだ、あれは狂化していたと思うか?」

「おそらくは。私が下まで降りて上を見た時には、既に爆発四散していましたから、今さら確認のしようがありませんけど」


 騎竜部隊の隊長であるミュランがそういうのであれば、間違いなく狂化していたのだろう。あれほど強い魔力を放つ曇水晶を、警戒もせずに飲み込んだ一番大きな魔鳥。あいつが魔毒の蓄積により狂化して、群れを率いたまま暴走した、と考えると色々と合点がいく。


「それにしても、閣下。いつあんなにえげつない魔法を開発なされたのですか?」


 ミュランが、「おかげで本当に死ぬかと思いました」と皮肉を込めてわざとらしく笑いを漏らす。あの魔法は俺が発動させただけで、考えたのはメルフィエラだ。メルフィエラが一生懸命に考えた魔法陣が「えげつない」とは何事だ。国を揺るがす武器になり得る副産物を精製するのは確かだが、使い方次第なので彼女は悪くない。


(メルフィの魔法陣を発動させるにも技量が必要だ。それだけの知識と技量を持つ者がどれだけいる?)


 多分、この国の魔法師の中でもそうそうはいないはずだ。だが俺は、メルフィエラを護るためには信頼できる者の協力が必要不可欠だと思い直す。例えば、このミュランのように忠実な騎士は絶対に必要になる。実際、ミュランは騎竜部隊をよくまとめていると思う。実力は十分で、付き合いも長い、さらに裏表のないミュランであれば大丈夫だ。俺がメルフィエラの能力と曇水晶について、ミュランに話そうとしたところ……。


「私も是非とも知りたいところですね、閣下。常々底なしの魔力をお持ちだとは思っていましたが、なんですかあれは。エルゼニエ大森林が好きすぎて森の一部にでも成り果てましたか? 『狂血公爵』改め『歩く火山』とか『魔力製造器』とでも呼びますか?」

「何奴⁈」


 ガコンという音がして、隠し扉からいきなりケイオスが現れた。油断していた俺も悪い。しかし、普段は緊急事態にしか使われない自室の隠し扉が開き、思わず机に置いたばかりの剣を抜いてしまった俺は悪くない……と思いたい。首すれすれの位置で剣を留めた俺を、ケイオスが極寒の冬のように冷たい視線で見てくる。


「なんですか、閣下。この剣は」

「お、驚かせるな。何だケイオス、緊急事態か?」

「ええ、閣下の頭が緊急事態ですよ。なんで既にメルフィエラ様をシエルの間に案内しているのです? せっかく私が『加速』を使って必死に戻ってきて、正面の大扉の前で待機していたんですけどね」

「す、すまない。先にメルフィエラの支度を整えねばならんと思ってな」

「当たり前です。私はそのために侍女を急募して、なんとか合格した者を準備していたのですよ? で、メルフィエラ様をシエルの間にひとりで放置しているわけではありませんよね、浮かれ閣下」


 ジトっとした目でこちらを見てくるケイオスに、俺の頬がひくりと痙攣った。ケイオスの後ろに、募集して合格したのであろう三人の婦人がいる。まずい、これは完全に俺が悪い。いざ緊急事態、戦闘となれば頭が回る俺も、こういったことには滅法弱い。浮かれ閣下とは酷い言いぐさだが、事実浮かれている部分は少なからずあるので、何も言い返すことはできない。


「とりあえずブランシュ隊を呼んでいる。ああ見えてブランシュは面倒見がいい。あいつらはどの道メルフィの護衛騎士だ。早いうちに顔合わせしておいて悪いことはないだろう」

「ブランシュ隊長ですか。まあ、最近の閣下にしては及第点ですね」


 ケイオスが、くるりと後ろを振り返って、それはそれは優しい声で三人の婦人に謝罪する。


「呼びつけておきながら申し訳ありません。ラフォルグ夫人、ジョルダン夫人、セロー夫人。メルフィエラ様はブランシュ隊の面々と顔合わせ中だそうです。しばらく時間をおいてから、こちらが準備したドレスなどを部屋に運んでください」

「あらあら、ケイオス。謝る必要などありませんよ」

「そうですよ、ケイオス様。閣下はほんのすこーしばかり浮かれておられるだけです」

「でも、閣下がこれほどまでに大切にされているお嬢様ですから、私たちも早くお会いしたいわね」


 三人の婦人たちが、にんまりと笑いながら退出していく。その内のひとり、ラフォルグ夫人はケイオスの母親だ。まだ子供だった俺の世話をしてくれた彼女は、ケイオスの父親が他界した後のラフォルグ家を切り盛りする女傑でもある。


「お前な。普通、実母を侍女につけるか?」

「もっとも信頼のおける人ですからね。メルフィエラ様をお守りするには最適です」

「あのー……ケイオス補佐。何故うちの姉までいるんですかね。姉はただのパン屋ですよ? おかしくないですか?」

「間に合わせですから、今の間だけですよ。今後きちんとした手順を踏んでから、改めて侍女を選別します」


 呆気にとられたミュランが、婦人たちが出て行った扉を呆然と見つめている。セロー夫人はミュランの実姉だ。ミュランが騎士になり、パン屋を継ぐ者がいなかったので、婿を取ってパン屋を継いだ肝っ玉姉貴である。もうひとり、ジョルダン夫人もガルブレイスの騎士の妻だ。ケイオスの人選に文句があるわけではないが、用意周到すぎて恐ろしくもある。

 ケイオスが、扉がきちんと閉まっていることを確認して、会議中の魔法陣を発動させた。これは外部に話し声などが漏れないようにするものだ。雰囲気をガラリと変え、ケイオスが真面目な顔をする。


「さて、閣下。あの魔法について洗いざらい話していただきましょうか」

「わざわざ話さなくともわかっているだろうが。お前は他にも気付いている者がいると思うか?」

「どうでしょうか。騎竜部隊に古代魔法を熟知している者はおりませんからね。ミュラン、貴方はどうですか?」


 話を振られたミュランだが、どうもよくわかっていないようだ。曇水晶に描いた魔法陣が発動するところを直接見たわけではないので、これは知らなくても仕方がないだろう。


「あの、仰る意味がよくわかりません」

「あのですね、ミュラン。ベルゲニオンを丸焼きにしてさらに木っ端微塵にした魔法は、メルフィエラ様が構築されたのですよ。閣下はその魔法陣を忠実に発動させただけです。そうですよね、閣下」

「はいっ⁈ メルフィエラ様が、あのえげつな……えっと、ものすごい爆発を起こされたと」


 俺が睨むと、ミュランは慌てて言い換える。メルフィエラは悪くない。俺を助けるために一生懸命だっただけだ。


「俺の魔力ではなく、ザナスの魔力を使ったのだ。お前も曇水晶に溜まった魔力の塊を見ただろう? あれにメルフィが思いつく限りの魔法陣を描いて、発動させろと俺に手渡してきた」

「いやいやいやいや、そんなこと……メルフィエラ様は天才ですかね」


 信じられないというように、ミュランが頭を横に振る。ミュランは騎竜の扱いは誰にも負けない技量を持っているが、古代魔法についてはそれほど明るくない。それはミュランだけではなく、現代の大半の者がそうであった。

 そもそも現代における魔法は、呪文の詠唱を簡略化させ、より合理化したものが主流である。例えば『押し流せ、濁流』や『焼き尽くせ、業火』など、より短い詠唱で魔法を発動させるのが一般的だ。さらに簡単なものになると、『火よ』、『水よ』、『風よ』などになり、最終的には無詠唱で発動させることが可能だ。明かりなどの生活魔法がそれにあたる。

 では、古代魔法とは。神代の時代に、精霊が人に与えた叡智だという言い伝えが残っているくらいで、ごく一部の者が研究を続けているのみという、いわゆる『廃れた魔法』である。その発動には、古代魔法語による詠唱が必要だ。メルフィエラのように、古代魔法語で魔法陣を描く方法もあるが、その構築と発動にはとんでもなく時間がかかる。さらに、古代魔法語を熟知していなければならない。俺は王城の禁書庫で、魔法師たちから習っていたが、メルフィエラはどうやって習得したのだろうか。即席とはいえ、あの短時間で魔法陣を描くことができるメルフィエラは、ミュランの言う通り『天才』に違いなかった。


「ケイオス、メルフィの研究資料はきちんと保管したな?」

「はい、厳重に保管させております。ロワイヤムードラーの魔力が詰まった曇水晶は、特に念入りに封印を施しました」

「今はそれでいい。平和的な使い道は山ほどある。環境が整うまでは他言は無用だぞ、ミュラン」

「は、はいっ! し、しかし、何故それを私に」

「俺はメルフィの研究を止めることはしない。ガルブレイス公爵としても、彼女の研究は有益だと考えている。彼女の研究により、魔物を安全に食せるようになれば、ガルブレイスも良い方向に変わるだろう。それでだ」


 俺はミュランを見る。何を言われるのだろう、と緊張しながら待っているミュランに、俺は頷いてみせる。


「ミュラン、お前はブランシュ隊と一緒にメルフィの護衛に就いてくれ。騎竜部隊長としての任務はそのままだが、たまにメルフィが狩りに出る時の護衛をしてほしいのだ」

「え……メルフィエラ様も狩りに行かれるのですか?」

「ここで研究するには、少し人目が多すぎる。エルゼニエ大森林の中であれば、入る者も限られてくるからな。魔物から魔力を吸い出す魔法陣は、ザナスの時のように油紙に描いて使用してもらおうと思っている」

「なるほど。準備が整うまでの間ですね」

「そういうことだ」


 ミュランが、「お任せください」と胸を張って敬礼する。後は、メルフィエラが魔法陣を使うところを見たことがある騎士で周りを固めておけば大丈夫だろう。それと、彼女ともその辺の話を詰めておく必要がある。無闇にあの魔法陣を他人に見せてはならない。彼女は善良な人種なので、自分の研究を悪いことに使おうとする輩がいるということを、いまいち理解していない可能性がある。


「ところで閣下」


 俺とミュランの間の話が済んだところで、黙って見ていたケイオスが口を挟んできた。


「なんだ」

「ザナスとは、どういうことでしょう」


 俺は、自分の失態に今さらながら気づいた。くそっ、これだから浮かれ閣下などと言われるのだ! ケイオスの視線が再び冷たくなる。全体的に穏やかそうな見た目だが、笑っていない目が痛かった。


「閣下」

「だからなんだ」

「食べたのですね?」

「うっ」

「そこのミュランも」

「は、はい」

「私を差し置いて、食べたのですね……今が旬の、ザナスを」


 とても古い物語で『食べ物の恨みは恐ろしい』という格言を読んだことがあるが、確かにそうだと、静かに怒るケイオスを見て俺は思った。





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― 新着の感想 ―
思うんだけど……魔魚に旬とかの基準を一応使うんだね。
[一言] ただただ面白いぞ!と読み進ませていただきつつ、 ケイオスの「浮かれ閣下」にツボを突かれました。 浮かれ閣下…。 いいです。すごく。
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