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35 少女騎士は魔物が食べたい

 どうしようか迷っているのか目を泳がせたブランシュ隊長に、私はずいっと詰め寄った。


「お願いします、ブランシュ隊長」

「わ、私の一存では」

「では、鍛治職人のお名前だけでも」

「う……は、はい、あの」


 もう少しのところで扉を叩く音がして、私の荷物が届いてしまった。ブランシュ隊長がホッとしたような顔になったけれど、私はまだ諦めていない。でもここは一旦保留にして、私は運ばれてきた荷物の開封にあたることにする。私物の方にも封印がしてあるものがあり、私以外の人がうっかり開けてしまったら爆発して大惨事になるのだ。ドレスなどの服は、荷物を運んできてくれた男性使用人たちが衣装棚に納めてくれた。下着類などは、ナタリーさんが気を利かせてくれて奥の部屋の方へ持って行ってくれる。私の研究資料についてはここには運ばれて来ていないようで、荷解きはすぐに終わってしまった。

 程なくして届いたお湯に、リリアンさんが良い香りがする精製水を垂らしてくれる。湯気と共にふわりと漂う果物のような香りに、私はホッとひと息をついて顔を洗うことにした。


「姫様、このままではお(ぐし)の方に櫛が通りそうにありませんので、香油を使って解きほぐしてよろしいですか?」


 ボサボサになった私の髪を、ブランシュ隊長が難しい顔で見ている。どうやらところどころで絡まっているようだ。ブランシュ隊長が試しに一房櫛で梳いてくれたけれど、途中で引っかかってしまった。用意されていた香油は、爽やかな香りで清々しい。でも、香油を使うと髪がしっとりしてまとまりがよくなるのはいいのだけれど。


「できればふわふわに仕上げたいのです」

「ふわふわ?」

「あの……公爵様が、わ、私のふわふわの髪を、気に入ってくださったみたいで」

「結い上げたりはしないのですか?」

「それは、その……下ろしていてほしいと、こ、公爵様が」


 私は、「髪はできるだけ下ろしていてほしい」という公爵様のご要望にお応えしようと思い、お願いしてみることにした。私のふわふわな髪を触ることで、公爵様はすごく癒されているらしい。髪をいじる公爵様の手つきはとても優しい。だから私も、髪に触れられることは少しも嫌ではなかった。


「なんと、閣下が……これは重要な任務ですね!」

「じゅ、重要な任務」

「はい、完遂すべき重要事項です。了解しました。香油で解きほぐした後に、きれいにすすいでふわふわにしましょう」

「ブランシュ隊長は騎士なのに、こんなことをさせてしまってごめんなさい」

「お気になさることはありません。私の娘が小さな頃は、こうしていつも髪を梳いてあげておりましたので、結構得意なのです」


 私は、喉まで出かかった「そうなのですね」という無難な言葉を飲み込んだ。ブランシュ隊長の娘さん……ブランシュ隊長は、結婚していたの⁈ 娘が小さな頃と言っているので、今の娘さんはもう小さくないということだ。とてもそんな大きな子供がいるようには見えない。


「お子さんがいるのですか?」

「ええ。娘と息子の二人います。娘が私にそっくりでして、騎士になるのだと言って父親を嘆かせているんです」

「女性騎士って素敵だと思います。仕事は大変かもしれませんけれど、皆さん騎士であることを誇りに思っているというか、そこら辺の貴族騎士なんか足元にも及ばないくらい頼もしく感じます」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 ブランシュ隊長が、手際よく髪に香油を染み込ませていく。聞けば「娘がおてんばをした時にも同じことをしていた」のだそうだ。今はブランシュ隊長のように髪を短くしており、ミッドレーグの騎士学校に通っているのだという。


「私はもちろん、ガルブレイスの騎士であることを誇りに思っています。それと同時に、ここの騎士であることの厳しさも知っています。娘が騎士学校を無事に卒業できたら、剣を造ってやると約束しておりまして……姫様は、剣……刃物を持たれるのですか?」


 ブランシュ隊長が静かに聞いてくる。


「はい、魔物を捌く必要がありますから」

「それは……食べるために、ですか?」

「もちろん、食べるために、です。このご縁は、公爵様が是非食べてみたいと仰ってくださったことから始まりました。お土産にいただいたロワイヤムードラーは、きちんと下処理をして、捌いてから振る舞いました」

「あ、あのロワイヤムードラーを、姫様がお捌きになられたのですか⁈」

「ええ。あまりに大きくて、公爵様や騎士の皆さんに手伝っていただきましたけど。お借りした刃物のおかげで作業が捗ったので、是非にと思いまして」


 マーシャルレイドでは、大型の魔物を捌くことはほとんどなかった。でも、ここガルブレイスにはたくさんの大型の魔物が棲息している。これから様々な魔物を捌いていかなければならないので、私はこれぞと思う道具は揃えておきたいと思っていた。


「ナタリーさん。そこの荷物の中に、私の作業道具が入っています。封印は解いていますから、開けてもらっていいですか?」

「は、はい! この荷物ですね」


 研究資料とは別に、器具などを入れていた皮袋をナタリーさんが運んできてくれる。その中から私がずっと使用している刃物を三本、取り出してもらった。


「これは、随分と使い込まれていますね」

「本来の刃よりひと回りもふた回りも小さく削れているのでは。何度も何度も砥いで使用しているようです」


 ブランシュ隊長とナタリーさんが、私の刃物をまるで見分するように見る。骨を断ったり、肉を削いだりするための刃物なので、普通のものより頑丈で、大きさもそれなりに大きいし長さもある。


「手に馴染んだものが一番使いやすいので、その柄は自分で削りました」

「姫様がご自分で⁈」


 絶句してしまったブランシュ隊長とナタリーさんに代わり、興味津々という様子で私を見ていたリリアンさんが、おずおずと手を挙げる。


「はい、リリアンさん。何か?」

「あ、あの……姫様は、本当に魔物をお食べになられるのですか?」

「ばか、そんな風に聞いたら失礼だろう!」

「申し訳ありません、リリアンがとんだ失礼を」


 咄嗟にナタリーさんがリリアンさんの口を塞き、ブランシュ隊長が謝罪する。でも、率直に聞いてくれた方がこちらも気を遣わなくていいし、答えやすい。


「大丈夫です。ふふっ、魔物を食べるなんて、すごく気になりますよね?」


 私はリリアンさんに優しく問いかける。すると、口を塞がれたままのリリアンさんが、こくこくと頷いた。


「私が生まれ育ったマーシャルレイド領は、とても寒くてあまり豊かな土地ではありません。十七年前の大干ばつと大飢饉で、領民は飢えと乾きにより大変な苦労を強いられました。私の亡き母は、領民のために魔物を安全な食物に変える方法を研究開発し、今は私がそれを受け継いでいるのです」


 私が魔物を食べるようになった経緯を簡単に説明すると、リリアンさんがもがいてナタリーさんの手から逃れ、「ぷはっ」と息をつく。


「ケイオス補佐が仰っていたことは本当だったんですね! 魔物を食べてもお腹を壊さない方法とか、色々秘密があるんですよね⁈」

「そうですね。公爵様が許可をくだされば、ロワイヤムードラーとザナスをお出しすることもできるのですが」

「そ、それって本当に美味しいですか? 皆は、食べると酷い目に遭うからって、私には食べさせてくれないんです。まだ早いって遠征はいつも留守番で、隊長や副隊長はもう少ししたらって言うばかりだし」


 ナタリーさんが、「こら、リリアン」と嗜めたけれど、リリアンさんの口は止まらなかった。


「この間、姫様のところから帰って来た騎士が言っていました。閣下の婚約者様がとても美味しい魔物料理を振る舞ってくださったって。姫様。魔物って、本当は美味しいんですよね?」


 なるほど。どうやらリリアンさんは、魔物を食べなければならないほど過酷な討伐には参加していないらしい。ブランシュ隊長とナタリーさんの反応からは、二人は食べたことがあるとわかった。


「本当に申し訳ありません。リリアン、これ以上は姫様のご迷惑になる。お前は退がりなさい」

「でも」

「リリアン!」


 ブランシュ隊長に厳しい声で名前を呼ばれたリリアンさんが、膨れっ面になって視線を下に落とす。先ほどもミュランさんがリリアンさんを庇っているようだったし、本人の見た目もかなり若い。私はリリアンさんを退出させようとするナタリーさんを制し、リリアンさんの疑問に答えることにした。


「リリアンさん、お年はいくつですか?」

「今年で十五になりました。騎士としても認めてもらったから、もう立派な大人です!」

「ガルブレイスでは十五歳で成人するのですか?」

「十七で大人になります。でも姫様、私は訓練生ではなくて騎士です」


 とても難しいお年頃のようだ。本人を傷つけないように、うまく納得させるにはどうすればいいのだろう。私の経験からすると、社交界にデビューする前の私も、今考えると色々と気負い込んでいた節があった。それは今の私にも言えることだけれど、社交界に揉まれて三年が過ぎたので少しは賢くなったつもりだ。


「リリアンさん。私も最初の頃は、魔物をうまく捌けなかったり、下処理が十分にできなかったりで、色々と酷い目に遭って来ました」


 研究には失敗がつきものだ。私の場合はお腹を壊すというよりは、魔力酔いで寝込むことが多かったような気がする。そんな失敗を繰り返して今の私がある。

 リリアンさんの剣は、皆と同じ鍛治工房で造られたもののようだ。でも、ブランシュ隊長やナタリーさんの剣に比べて、まだ新しいように見えた。きっとリリアンさんは、まだ騎士になったばかりなのかもしれない。なんとなく、経験が足りないということがわかるけれど、頭ごなしに言うよりは、やんわりと伝えた方がいいように思えた。


「リリアンさん」

「はい、姫様」

「魔物が本当に美味しいかどうか、私と一緒に捌いて食べてみませんか?」


 私の提案に、リリアンさんが目をまん丸にする。ブランシュ隊長は何か言いたそうにしていた。それはそうだろう。いきなり魔物を食べるだなんて、止めるのが当たり前なのだから。でも、これはいい機会なのかもしれない。私がこれからどんなことをするのか、自分の目で確かめてもらえれば。


「私は、この刃物がまだ新品の時から、ずっと魔物と向き合って来ました。残念ながら、私には公爵様のように魔物を一太刀で仕留めることはできませんが、下処理であれば誰にも負けない自信はあります」


 魔物を食べることに賛成はしてもらえなくても、ブランシュ隊長たちであれば、私の研究に対する姿勢を正しく評価してくれるだろうという期待を込めて。公爵様も、きっと許可をくださるだろう。


「ブランシュ隊長もナタリーさんもご一緒にいかがでしょう。既にロワイヤムードラーとザナスのお肉はありますが、何か食べてみたい魔物はいますか? 魔獣でも魔魚でも魔樹でも。変わり種で魔蟲でもいいですよ?」


 咄嗟に返事ができないブランシュ隊長とナタリーさんだったけれど、リリアンさんは違った。固まる二人の騎士を尻目に、リリアンさんが勢いよく挙手をする。


「私は、スクリムウーウッドの果実を食べてみたいんです! ブランシュ隊長や閣下はすごく渋かったって仰いましたけど、ミュラン隊長が「とても豊潤で、甘くて瑞々しかった」って。その後隊長は腹痛と発熱で寝込んでしまいましたけど、あの高級果実のネクタールよりも美味しかったとうわ言で言っていました!」


 なるほど、リリアンさんは若さゆえに好奇心が旺盛なようだ。スクリムウーウッドの果実……ネクタールより美味しいのが本当なら、私だって食べてみたい。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 若いときは新しい料理にも興味が先に立って挑戦できるものですよね…!!自分にもそんな時期あったなぁ~と思い出しました。若けりゃパクチーもコリアンダーも駝鳥も鰐も食べようって気持ちになりますも…
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