32 要塞都市ミッドレーグ
ベルゲニオンを撃退してからドラゴンで約半刻ほど。騎士たちに取り囲まれるようにしてやってきた平野の真ん中に、その建造物はあった。
「公爵様、あれがお屋敷……ですか?」
「ああ、中央に見えるあれが本邸だ。無駄に広いのが難点なのだが、好きな部屋を使うといい」
公爵様が言うところの『本邸』を指し示す。さすがガルブレイス公爵家の本邸だけあって、何百人もの使用人がいそうなくらいに立派な建物だ。ただし、屋敷ではなく城だけれど。
ガルブレイス公爵家の屋敷は、屋敷というよりもまるで城塞のような造りになっていた。まず、塀がものすごく高い。そしてその塀の幅も、ドラゴン一頭分ほどに分厚い。塀の中の敷地は無駄に広いというか、広すぎて街が幾つか入りそうなくらい広大だ。城を中心として、円形状に高く分厚い塀が取り囲んでいる。中央の大きな門の側には騎士たちが待機していて、塀の上には灯台のようなものが光を放ち、幾つもの投石機と大きな筒状の何かが設置してあった。
(屋敷って、屋敷って仰いましたよね⁈)
公爵様のいう屋敷とは、この城塞のことを指していたのだろうか。マーシャルレイド家の本邸は、「これぞ貴族の邸宅の見本」というような、田舎の領地にありがちな建物だった。寒い地方特有の尖った屋根以外に特徴もなく、間違っても城になど見えない貴族然とした建物。私は屋敷とはそういうものだろうと思っていた。
「屋敷というよりは城塞ではありませんか? どこかの国の王城と言われても納得できます」
やはり、どう考えても他領の屋敷とはその規模がまるで違う。中央にある質実剛健な城の周りには、石造りの建物や煉瓦造りの建物がたくさんひしめき合っていた。王都も城の周りに城下町が発展した都市だけれど、ここは王都ほどに優雅さはなく、全体的に物々しい雰囲気に思えた。
「さすがだな、メルフィ。ここが俺たちの本拠地、ミッドレーグだ。要塞都市ミッドレーグとも呼ぶ。その昔、何代も前のガルブレイス公爵が、対魔物用の城塞として建設したものが広がってできた街なのだ」
「要塞都市ミッドレーグ……対魔物用とは、エルゼニエ大森林の魔物がこんなところまでやって来るのですか?」
マーシャルレイドでは、小高い丘の上に屋敷があった。田舎ならではの広い庭と、騎獣の飼育場も併設されていた。低い垣根や風除けの樹木が植えられているくらいで、これほどまでに立派な塀などない。少し離れたところには、使用人たちが住む別棟があり、本邸から一番近い街は、馬車で行かなければならない場所にあった。
そんな長閑で牧歌的なマーシャルレイドでも、魔物による被害は少なからずあった。でもそれは、森や山に近い場所だったり、手付かずの自然がある場所に隣接する町や村に集中していたし、こんなに警戒しなくても大丈夫だったはずだ。
「たまにな。草原を棲み家にする魔物や、交易路を往来する荷馬車を狙う魔物もいる」
「それにしては、ものすごく強固な造りの街です」
「俺が防衛線を引く前までは、エルゼニエ大森林はもう少し近い場所にあったからな。歴代公爵たちがここを拠点としていたから、自然と人が集まってきたのだ。それに加えて、厄災から生き残った領民をここに住まわせるようになってから、魔物の襲撃を恐れた領民たちがより強固な建物を建て始めたというわけだ」
防衛線とは、人と魔物の住む場所を分断した境界線のことだ。私も先ほど上空から見てきたからわかる。エルゼニエ大森林の際は、不自然な野っ原になっていた。普通、森の入り口は、木がまばらに生えて林になり、やがて深い森になっていくものだけれど、エルゼニエ大森林は野っ原からいきなり森が始まるのだ。エルゼニエ大森林から一番近い砦までの距離は約二千フォルン。ずっと遠くの方まで森との境に帯状に続く幅二千フォルンの野っ原を、公爵様たちは『防衛線』と呼んでいた。
ところどころ焼け焦げた地面が見えるその防衛線を、誰が造ったのか聞かなくてもわかる。公爵様のことをこっそりと教えてくれたミュランさんが言っていたけれど、公爵様は領民のために魔法を開発し、それを惜しみなく使っているのだという。だからきっと、防衛線もそうやって造り上げたものなのだろう。
「今はそれほどでもないから心配は無用だ。まあ、今日のベルゲニオンのように空からやって来る魔物もたまにいるが、ここには迎撃隊が昼夜問わず待機しているからな」
公爵様が視線を向けたその先には、塀……いや、城壁の上を巡回する騎士たちがいた。その他にも、至るところに騎士たちの姿がある。王都の貴族騎士たちとは違って、本当に頼もしい限りだ。
先頭を行く私たちのドラゴンが、騎士たちが待機するその一角に向けて降下し始める。ケイオスさんたち炎鷲に乗った騎士は、ドラゴンとは一緒の場所には降りないようだ。城壁の反対方向に進路を変えて降りていく。すぐに、淡く光る共鳴石からケイオスさんの声が聞こえてきた。
『では閣下、私は本邸の方でお待ちしております』
「荷は直接本邸に入れる。仕分けは任せたぞ、ケイオス」
『了解いたしました。ではまた後ほど』
マーシャルレイド領から遥々帰ってきたドラゴンたちが、クルルクルルと喉を鳴らし始める。再び共鳴石が光り、今度はケイオスさんとは違う声が聞こえてきた。
『閣下、ご無事でしたか』
「ああ、大事ない。今から七番と八番の間を通過して着陸する」
『了解です。障壁解除、閣下がご帰還なされた!』
城壁に等間隔で並んでいた、灯台のような光を放つ尖塔がふたつ。その先に灯された光を消して沈黙する。公爵様はその間を目掛けてドラゴンを操り、私たちは静かに城壁内に入った。
「驚きました。あれは魔法障壁なのですね」
灯台のような尖塔は、魔法による防護障壁を構築するもののようだ。さすがは要塞都市。騎士たちだけではなく、色々と対魔物用の仕掛けが至るところに施されているらしい。
「魔力の消費量が大きく、常に展開できるものではないがな。どうやらベルゲニオンの大群の報告が届いているようだ」
「また襲ってくる可能性があるのですか?」
「わからんが、今日は警戒しておく方が無難だろう」
ドラゴンが城壁を越え、ミッドレーグの街の上を滑空していく。遠くから見ると、ひとつの大きな城塞に見えたけれど、こうして近くから見るときちんとした街になっていることが窺えた。
石造りの家々には、人の営みの証拠がきちんとある。それは小さな花壇だったり、干された洗濯物だったり。居住地の細い道を往来する人々もいて、ドラゴンに気づいた子供たちがこちらに向かって手を振っていた。
「まあ、城塞の中に畑が」
「屋敷の裏側にはさらに大きな農場があるぞ。それに、家畜の飼育場も。外にも農場があることにはあるが、厄災を知る農夫たちは、皆外に出ることを恐れていてな。ミッドレーグだけでなく、他の町村も人口が増えて自給率が低下傾向にあるのだ」
「ガルブレイスでは、あの……精霊信仰は盛んなのですか?」
マーシャルレイドでは生活に密着していた精霊信仰だけれど、私はガルブレイスの騎士たちの反応からはそうでもないように感じていた。ケイオスさんやゼフさんのように、最初は警戒していた人もいるけれど。彼らも、魔物の美味しさを知れば次からは抵抗もなくなっていたので、他の人たちも受け入れてくれると思いたい。でも、十七年前の厄災による被害を受けた領民たちは、難しいような気がする。
「ガルブレイスでは精霊信仰自体はあまり盛んではないな。ここには教会もない。だが、魔物食は精霊信仰に関係なく、昔から忌避されてきた経緯はある」
「やはり、魔物を食べるのは抵抗がありますよね」
「なに、騎士たちから広めていけばいい。ガルブレイスの騎士たちは、ほとんどの者が魔物を食べたことがあるからな。ただ、不味かった記憶が鮮烈すぎて、最初は色々抵抗するかもしれん奴らもいるにはいるが」
「えっと、公爵様が挑戦されたのは、ベルヴェアに、スクリムウーウッドに、ガルガンテュスでしたね」
マーシャルレイド領のヤクールのように、絶対に食用に向かない魔物もいるけれど、不味かったものが実は美味しかったのだとわかったら食べてくれるようになるのだろうか。それとも、ロワイヤムードラーのように、極上の魔物を振る舞ったらいいのだろうか。
「ガルガンテュスは、あれは駄目だ。絶対に食べ物にはなり得ん。食べたことを忘れるくらいに衝撃が強かった」
背後で、公爵様がビクリと身体を震わせた。公爵様が身震いするようなガルガンテュス……私も食べてみたいような、みたくないような。でも、自分で実感してみないとわからないこともある。機会があれば、公爵様にお願いしてみたい。
色々考えていると、どうやらドラゴンの厩舎に着いてしまったようだ。ゆっくりと羽ばたいて着陸したドラゴンが、クゥーと大きくひと鳴きする。厩舎の中から出てきた飼育員が、ドラゴンの首を撫でて労いの言葉をかけていった。
「お帰りなさいませ、閣下!」
「うむ。道中、かなり『加速』を使用している。騎竜たちをしばらく休ませておいてくれ」
「了解いたしました。よしよし、ご苦労さん。美味いものをたっぷり食わせてやるからな」
ドラゴンから下ろしてもらった私は、マーシャルレイドから持ってきた荷物の数を確認することにした。あれだけ激しく上下に飛び回っていたのに、箱はぴったり同じ個数だ。中身はどうだろう。壊れるものは、ほぼ何もなかったはずだけれど。封印をしたのは私なので、私が開けても爆発したりはしない。開けようかどうか悩んでいると、私はこちらを窺い見るような視線を感じた。
(ドラゴン? 見られているのは、私?)
私を見ているというよりは、あるひとつの箱に、公爵様のドラゴンの視線が集中しているみたいだ。その箱に何かあるのだろうかと思い、私は箱に貼ってある品名を確認して納得した。
「ロワイヤムードラー……そう、あなたはこれを食べたいのね」
箱の中には、食べきれなかったロワイヤムードラーを凍らせたものが入っている。ドラゴンは鼻がいい。マーシャルレイドにある私の研究棟で、ロワイヤムードラーの臓物を喜んで食べていた公爵様のドラゴンは、きっとその美味しい匂いを覚えていたのだろう。
「公爵様、お願いがあります」
「どうした、メルフィ」
大変言いにくいけれど、ドラゴンは功労者なので、きちんと労ってあげたい。
「公爵様のドラゴンが、ロワイヤムードラーを所望しているみたいです……あげたら駄目でしょうか?」
公爵様は、目をつむってしばらくの間悩んでいたけれど、ドラゴンの甘えるような鳴き声に陥落して、ロワイヤムードラーを譲ることに決めたようだ。それを見ていたミュランさんが、残念そうな声で「あの騎竜、閣下に似て食いしん坊なんですよね」とポツリと呟いた。