30 魔力入り曇水晶の使い道
公爵様から頭を低くしているように言われたので、私は鞍と一体化するような気持ちでドラゴンの背に張り付く。背後からは時々閃光と、何かが爆ぜる音が聞こえる。背後を見る余裕がなくなったので、どうなっているのか確認できないけれど、騎士たちが何かの魔法を使ってベルゲニオンを撃退しようとしているのだろう。
『くそっ、こうも速いと命中率が』
『いくらなんでもここまでしつこく来るか?』
『奴らの様子、絶対変ですよ!』
『閣下、近くの砦に降りて迎撃しましょう!』
ゼフさんたちの切羽詰まったような声がして、公爵様が唸る。
「砦では埒があかん、行くなら防衛線までだ!」
でも、迎撃するつもりはないみたいだ。それは多分、私がいるからで、本当は公爵様も逃げるだけじゃなくて攻撃をしかけたいはずだ。ドラゴンには私と私の荷物がある。何か役に立つどころか、文字通りお荷物になってしまっている自分に、心は焦るばかりだ。
(そうだ、私の荷物を捨ててもらうのは)
荷物より人の命だ。研究は私の頭の中に入っているから、この際研究資料はなくてもいい。それに、無理矢理開けようとしたら爆発する封印がしてあるから、ベルゲニオンに向けて投下したらどうだろう。残念ながら私は、ベルゲニオンという魔鳥の習性を知らない。でも、いきなり前から荷物が降ってきたら、うまくいけばベルゲニオンたちが荷物を攻撃してくれるかもしれない。公爵様から「喋ると舌を噛む」と言われたばかりだけど、私はできる限り身体に力を入れると、手短に用件を伝えた。
「荷物を捨ててください!」
「それは駄目だ!」
「封印で、攻撃を」
「封印⁈ それは、しかし……いや、駄目だ」
公爵様の中で、気持ちが揺れている。もう一押ししたらいけるかも。
「それが駄目なら、私だけどこかに降ろして」
「無理だ、それではお前を守れない」
「ですが、このままでは」
『加速』の魔法は、公爵様の魔力を使って発動している。いくら魔力量が多い公爵様でも、ずっと使い続けることは難しいはずだ。公爵様が、私の身体をギュッと抱きしめてくる。思わず振り返った私は、防風眼鏡越しに金色に輝く公爵様の目を見た。
「このまま防衛線まで行けば騎士たちが待機している。あと少し、我慢していてくれ」
こんな時にまで、優しい笑みを浮かべて私を安心させようとしてくれる公爵様に、私はなんとしても力になりたかった。ベルゲニオンの魔力を吸い出すのは難しい。対象物が動き回っているから、紙に描いた魔法陣を貼ることもできない。曇水晶がなくても、お母様のように直接魔力を吸い出す方法もあることにはあるけれど、それだって魔法陣は必要だ。
(私は攻撃系の魔法なんてあまり知らないし……何か、他の何かを……)
自分の魔法器具に使えるものはないか。色々と考えを巡らせて、腰につけた鞄の中を漁っていた私の指先が、曇水晶に触れた。もう、なんとかしてベルゲニオンの魔力を吸い出すしかない。そう考えた私は、咄嗟に掴んで取り出す。しかしそれは空の方ではなく、ザナスの青い血と魔力が詰まった曇水晶だった。
(そういえば、公爵様は……)
私がロワイヤムードラーの魔力を吸い出して見せた時だ。吸い出した魔力は、火や明かりを灯す以外に使い道がないと言った私に、公爵様はこう仰っていた。
『それに溜まっている魔力は、使い方によっては国を滅ぼすほどの武器になる』
他に使い道があるなんて考えたことがなかった私には、公爵様の言葉は衝撃的だった。私は青い曇水晶を見つめ、これがどう武器になるのか考えてみる。
(武器、武器、投げる……だけでは小石と同じだし、当たっても大した威力にはならない)
それなら、公爵様が見せくれた白い炎の魔法はどうだろうか。ザナスの魔力を使うようにすれば、公爵様自身の魔力は温存できる。加速を止めることなくベルゲニオンを撃退できるかもしれない。
私は、火を灯す時に使う要領で、曇水晶に魔法陣を描くことにした。再び鞄の中を漁り、何度か違うものを取り出しながら、ようやくお目当ての染料を探り当てる。こんな状況では筆なんか使えないので、染料の蓋を開けると直接指を突っ込んだ。
(か、描きにくい……えっと、火と熱? 火じゃなくて、炎、もっとすごいの……猛火、灼熱、なんかこう、爆発するみたいな)
爪先につけた染料で、おもいつく限りの古代魔法語の単語を入れていく。それをうまくまとめ、公爵様の名前も入れ込もうとして、ふと我にかえる。公爵様のお名前、アリスティード、アリスティード……ああっ、こんな時に思い出せない!
「公爵様、お名前を教えてください!」
「な、名前?」
「アリスティード、の次です!」
「あ、アリスティード・ロジェ・ド・ガルブレイスだが。何故こんな時に名前など……」
公爵様は、不思議そうな声を出す。今は説明する時間が惜しいので、私はその疑問には答えず、知りたいことを質問した。
「魔法を使う時は、アリスティード・ロジェですかっ?」
「その通りだが、メルフィ、何を」
「できました! あとは、公爵様の血がほしいところですが、舐めるだけでも十分です。さあ、公爵様。ここをペロッと舐めてください!」
公爵様の名前を書き加えた私は、半分だけ後ろを振り返ると、即席の魔法陣を描いた曇水晶を公爵様に差し出した。魔法陣をうまく発動させるには、術者の血や体液があれば精度が上がる。血はさすがにあれだし、今は緊急事態なので、唾液だけでもいい。
「メルフィ、これは……あのザナスの魔力か?」
「はい、それに魔法陣を描きました! 火とか炎とか、爆発とか思いつく限りたくさん。公爵様のお名前を入れましたから、これを投げて発動させてください!」
公爵様は曇水晶を受け取ると、魔法陣を見て驚いた顔をした。それから何故か笑い始める。
「火に炎、火炎……閃光、猛火、灼熱、暴風、爆発、噴火だと? くっ、くくっ、はははっ、メルフィ、お前はまた、何という」
公爵様は、即席で描いた汚い魔法陣を、きちんと読み解いてくださった。深慮して構成した古代魔法語ではないので、効果はどれくらいあるのかわからないけれど。公爵様はひとしきり笑い(何が面白かったのかわからないのだけれど、私の文字が震えていたから?)、革手袋を外して素手になる。何をするのだろうとその様子を見ていた私の前で、公爵様が革帯から小刀を抜き出すと、自分の手の甲を斬りつけた。
「公爵様っ、何ということを!」
「手のひらや指先を切ると武器が握れなくなるからな」
「舐めるだけで、大丈夫でしたのに」
「心配するな、メルフィ。薄皮一枚だ。この曇水晶、ありがたく使わせてもらうぞ?」
公爵様が、手の甲に滲んだ血を曇水晶につける。公爵様の血と魔力に反応した魔法陣が、金色に輝き始めた。ザナスの青い魔力と金色の光が混ざり、公爵様の手の中で、えも言われぬほどに美しい光が生まれる。
「これは今思いついたのか?」
「公爵様が、武器になると仰っておられたことを思い出しまして……」
いけなかっただろうかと俯いた私に、公爵様が私に触れようとして、その手を引っ込める。薄皮一枚と言っていたのに、その手の甲からは結構な量の血が流れ出ていた。
「こ、これは手が滑ったのだ」
「……公爵様、後で私に治療をさせてください」
「わかった。すぐに片付ける」
曇水晶を握った公爵様は、表情を引き締めると、全員に指示を出す。
「進行方向は上空、一気に上がるぞ! 先頭はアンブリー、左翼にゼフ、右翼にアンリ! それ以外は中央に固まり加速を重ねがけせよ! 合図と共に頭から上昇、いいな!」
『『『『了解!』』』』
「ああ、ミュラン、お前は俺に付き合って囮になれ」
『はっ、了解です!』
すぐさま隊列が組み替わり、皆のドラゴンが私たちのドラゴンを追い越していく。囮に任命されたミュランさんが、私たちのすぐ隣に並んだ。
『閣下、一体何を』
「あの鳥を丸焼きにするだけだ。お前は加速をかけたままあいつらの中を一番下まで突っ切れ」
『もとよりその覚悟です!』
「バカが。そこで死んでどうする。生きて突っ切れ」
『はははいっ! ですが、それでは』
「お前に気を取られて集団が乱れたところでこれを使う。突っ切ったら、すぐに離脱して離れた場所から上昇しろ」
公爵様はミュランさんの方に曇水晶を掲げて見せる。ミュランさんの緊張が伝わってきて、私もつられて緊張し、ごくりと喉を鳴らした。
「全員上昇、そのまま加速!」
先頭になったアンブリーさんが、ドラゴンの頭を上に向けて一気に上昇を始める。逃げるものを追うという肉食系の魔物によくある習性のせいか、ベルゲニオンの集団も同じようにして追いかけてきた。公爵様の魔力が薄まり、他の騎士たちが加速の重ねがけを始めたところで、公爵様とミュランさんが一番後方の位置まで退がって列から離れる。
「さて、反撃の時間だ。よくも我らの騎竜を疲弊させ、我が最愛の婚約者を怖がらせてくれたな、この鳥風情が!」
公爵様が怒りもあらわに叫ぶ。「最愛の」と聞こえたけれど、きっと気のせいに違いない。公爵様も、気が昂っておられるのだ。
本隊が十分に上昇しきったところで、公爵様とミュランさんがドラゴンを反転させる。下には、もはや正気ではなさそうな魔鳥ベルゲニオンの集団が、大きな口を開けて迫ってきている。距離は、五百フォルンもない。
「行け、ミュラン!」
ギリギリのところで、加速をかけたミュランさんが、ドラゴンと共に垂直降下した。追っていた獲物がいきなり向かってきたので、先頭にいたベルゲニオンたちがパッと横に広がる。そのまま上昇していたベルゲニオンとお互いの翼がぶつかって、集団が一気に乱れた。ミュランさんの姿が、黒い魔鳥の影で覆われて見えなくなる。
「よくやった、ミュラン!」
すかさず、公爵様が曇水晶を投下する。それは青と金の光を放ちながら、正確にベルゲニオンの集団の真ん中に落ちていった。公爵様の金色の目が、尋常でないくらいに輝く。その濃い魔力の高まりに、私はぶるりと身震いした。公爵様の怒りが、まるで魔力にそのまま反映されているみたいだ。
『ワ・ソ・シエルモ・ヤ・キーセ・ヤ・ホスェ・オ・ドナ・バルカッサ・バ・フォア・バルクィンド・ルエ・リット』
集団の中に落ちた曇水晶を、餌と間違えたのか。ある巨大な一匹のベルゲニオンが、パクリと飲み込んでしまう。
(あっ……⁈)
失敗したと思って、思わず身を乗り出した私の耳元で、公爵様が最後の詠唱を終えた。
『ボナ・ド・アリスティード・ロジェ・イース・ラ・ヴォルケニュード!』
目の前に、青と金の輝きが広がったかと思うと、それは一瞬、収束した。次の瞬間、ベルゲニオンの集団の中から目を焼くような白い炎が放たれ、公爵様が慌ててドラゴンを上昇させる。防風眼鏡がなかったら、危なかったかもしれない。それくらい強烈な光と共に、今度は熱風が押し寄せてきた。
「な、なんですか、この魔法⁈」
「大丈夫だ、問題ない。これからお前が魔法陣に描いた全てが発動するだけだからな」
「え、嘘ですよね……嘘だと仰ってください!」
「ははっ、豪快だな、メルフィ! さすがは我が婚約者。喜べ、ガルブレイスで十分にやっていけるぞ!」
「私、ただ、魔法陣を描いただけですから!」
「普通はこんな状況で魔法陣など構築できぬものだ。メルフィ、これは、お前と俺の秘密だからな」
嬉しそうな公爵様に、私は呆然としてしまった。私が描いた魔法陣の全てが発動する? 何という規格外! そんなことを簡単に行えるって、普通じゃないですから。大丈夫じゃないですし、大問題です! 私の脳裏に、「問題ありまくりです!」と叫んでいたケイオスさんの姿が蘇ってくる。
「どうやら群れの頭を失ったようだな。もう追っては来まい」
眼下では、哀れなベルゲニオンの集団が次々と丸焼きになっていく。そして最後に、盛大に爆発した。ああ……火加減過多だから、きっと丸焦げだ。その遥か下の方には、ミュランさんらしきドラゴンの無事な姿が確認できる。私は急に押し寄せてきた安堵に、ぐったりと身体の力を抜いた。