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3 公爵様は魔物が食べたい

 私は自分の耳を疑った。


「失礼ですが、公爵様。ま、魔物を、食されたいのですか?」


 聞き間違いかと思って尋ねた私に、ガルブレイス公爵様はこくりと頷いた。聞き間違いじゃなかった。見ると、公爵様の耳が赤くなっている。魔獣の乾いた血のせいで顔が汚れていて、頬は赤くなっているのかよくわからないけれど。きっと多分……公爵様は照れていた。照れる要素なんて何もないはずなのに。


「あの……先ほどの狂化したバックホーンでしたら、魔毒を抜かなければならないので、少し時間がかかりますが」

「そういえば、お前はさっきもそう言っていたな」

「はい、早くても二週間です。それに、塩漬けにして熟成させるので、新鮮味には欠けるかと」

「二週間か」


 私の説明に公爵様は何かを考えるように眉根を寄せた。そんなに魔物を食べてみたくなったのだろうか。公爵家だけに、公爵様は日頃からありとあらゆる美食を食べているに違いない。もしや、美食では満足できず、珍味に手を出してしまうというそっち系の趣味がおありになられるのだろうか。

 私は自分のことを棚に上げて、少し心配になってしまった。珍味を求めるがあまり、下手物(ゲテモノ)に走る貴族が私の噂を聞きつけて、魔物食を所望してくることがあるからだ。そういった人は、安全な魔物ではなく、変わり種――例えば、毒系や狂化系を求めてくる。


(どうしよう……今すぐにとか無理だし)


 魔毒に侵され狂化した魔物は、その下処理に時間がかかる。お金を出せば何とかなると思っている貴族や富豪は、待ちきれず勝手に食べてしまい、体調不良になったりお腹を壊したりする人がかなりいるのだ。


「公爵様は、胃腸はお強い方でいらっしゃいますか?」


 私がそう確認すると、ガルブレイス公爵様がキョトンとした顔になる。


「特に異常はないが。何故だ?」

「狂化した魔物は、魔毒を含んでいます。万が一あたってしまえば、激しい腹痛や発熱などにみまわれるのです」

「ふむ……あれは初心者には向かないのか。ならば、狂化していないものであれば?」

「普通の肉と同じように、新鮮な厚切り肉から、串焼き、煮込み、腸詰めなど、様々な楽しみ方ができます」


 すると公爵様は、血塗れの顔でドキッとするようなとても素敵な笑顔(周りにいた人たちは何故か悲鳴をあげたり今にも卒倒しそうになっていた)になり、私の手を引いてズンズンと歩き始めた。な、なんでだろう。何故か公爵様はとっても嬉しそうだ。


「メルフィエラ、伯爵は一緒ではないのか?」

「父はひと足先に領地に戻りました」

「そうか。マーシャルレイド領はもうすぐ冬になるのだったな」

「はい、厳しい寒さですから。冬支度には時間がかかるのです」


 さすがは公爵様、領地の場所を把握なされておられるとは。マーシャルレイド領は、王国の北の山脈に近い場所にある。どこよりも早く冬を迎える土地で春も遅くやってくる。それ故に、あまり長く社交界にいることができないのだ。ラングディアス王国では、冬の間、貴族たちは自分の領地に帰り、春になると社交界のため王都ですごすのが一般的だった。この秋の遊宴会が終われば、今年の社交界も終了となる。だから私は、なんとしてでも婚約者を探さなければならなかったのだけれど。


「閣下、お召し替えの準備は整えており……おや、お連れ様がいらっしゃったとは」


 そうこうしているうちに、公爵家の旗がはためく立派な天幕にたどり着いた私は、そこで待ち受けていた黒髪の若い男性から怪訝な目で見られる羽目になった。穏やかそうな顔をしているけれど、この男性、目が笑っていない。


「マーシャルレイド伯の娘だ」

「彼女のその髪、まさかお怪我を⁈」


 公爵様が簡単に私の紹介をすると、途端に男性が慌て始める。私のドレスに血が着いているので、怪我をしているかもと誤解されても仕方ない。でも多分、髪は関係ないと思う。多少血を被っているかもしれないけれど、この赤い髪は私の自前だし。


()がいて怪我などさせるものか。魔獣の血を被っただけだ。ケイオス、彼女にも着替えを」

「はっ、かしこまりました」


 黒髪の男性――ケイオスさんは、優雅にお辞儀をして天幕の中の使用人たちに指示を出し始めた。きっとケイオスさんは、公爵家の家令かそれに近い人なのだろう。

 公爵様に連れられて、私も天幕の中に入る。そこには大きな水桶があり、ほかほかと湯気を立てるお湯が入っていた。そのすぐ横には布の山と着替えが置いてある。その周りには、何やら武器と木箱が小積み上げられていて、野外炊飯用の道具もあった。有りがちなふかふかの絨毯とか、優雅な茶器などは一切見当たらない。


(遊宴会用の天幕というよりは、狩猟用の天幕みたい)


 確かに、遊宴会では獣狩りも行われているけれど、それはあくまでも遊びの範疇だ。こんな風に、何日も山に篭って狩りをするような装備は必要ない。


「メルフィエラ、着替えが届く前に顔と手を洗っておくといい」

「私はそれほど汚れておりません。公爵様が先に――」


 私の次の言葉は、続かなかった。

 何故なら、公爵様は既に服を脱いでいたからだ。上半身だけだったけれど、いきなり目の前に裸の身体があって、私は驚きのあまり声が出なかった。


(は、裸!)


 領地の騎士や猟師たちが外で身を清める姿なら見たことある。それもたまに遠目で見かけるくらいだったので、当然私に耐性はない。でも、何故か目が離せず、晒された公爵様の裸の身体に、私は声もなく見入ってしまった。


「どうした、メルフィエラ?」

「公爵様は、凄く、いい質の筋肉でいらっしゃいます」

「はっ⁈ あ、ああ、まあ、それなりに鍛えているからな」

「あの鮮やかな斬り口は、その腕から生み出されるのですね」

「斬り口? ああ『首落とし』のことか。あれは少しばかりのコツも必要だぞ」


 公爵様が小さな桶にお湯をくんで手渡してくれる。私はボーッとしながらそれを受け取ると、半裸の公爵様の隣にしゃがみ込んだ。公爵様が手際よく血を落としていくので、私もそれに(なら)うことにした。


「私にもできますか?」


 暴れるバックホーンの首を、たった一閃で斬り落とすコツを、私にも教えてはくれないだろうか。もし会得できたら、魔物を(さば)く時に、使用人たちの手を煩わせなくてもすむのに。お湯に浸した私の指先から、赤い色が解けて消えていく。乾いてこびりついた血は、少し擦れば綺麗になった。


「コツさえ掴めば……だが、その腕では肝心の剣を振り回せまい。荒事は私に任せておけ」

「公爵様に、ですか?」


 顔を洗おうとお湯を手にすくい、私は隣の公爵様を見上げた。公爵様もこちらを見ていて、バチっと目が合う。


「ま、魔物の討伐なら慣れているからな!」

「それは頼もしいですね」

「頼もしいかどうか知らんがな。そうだ、何か食べたい魔物はないか? 近々、魔物を狩ってきてやる。その時、私にも食べさせてくれ」

「まあ、それはガルブレイス公爵領の魔物ですか⁈」


 ガルブレイス公爵領には、ここパライヴァン森林公園よりも広大な大森林がある。魔物の聖地とも言える場所の、珍しい魔物でもいいのだろうか。私は、公爵様の申し出に、勢い込んで飛びついた。


「あの、あのっ、エルゼニエ大森林の魔物でも、だ、大丈夫でしょうか?」

「エルゼニエ大森林は私の庭のようなものだ。そうだな、今の季節、アンダーブリックやグレッシェルドラゴンモドキが獲れるぞ」

「アンダーブリックにグレッシェルドラゴンモドキ! そんな、贅沢です!」


 アンダーブリックは、六本脚の獣だ。硬い鎧のような皮を持つ大型魔獣で、マーシャルレイド領では見かけない種類だった。グレッシェルドラゴンモドキは、大蛇の様に長い身体に羽と脚がついたドラゴンに似た大トカゲで、それも滅多にお目にかかれない珍種である。

 興奮のあまり、思わず大きな声を出してしまった私を、公爵様が優しい目で見てくる。


「メルフィエラ」


 公爵様の濡れた指が、私の頬に触れる。何度か撫でられたかと思うと、柔らかい布で丁寧に(ぬぐ)われた。どうやら顔に飛び散った血を綺麗にしてくれたらしい。とても優しい手つきで何箇所か拭われた後、公爵様は満足げな顔になった。


「よし、これでいい」

「ありがとうございます。公爵様も」


 私もお返しにと、公爵様の額に手を伸ばし、こびりついた血を丁寧に拭う。公爵様も嫌ではないようで、届きやすいように身を屈めてくれた。目の縁や、小鼻についた血も、念入りに落とす。公爵様が目を閉じ、その琥珀色の瞳が隠れてしまった。髪色よりも濃い色のまつ毛が、羨ましいほどふさふさと生えている。うん、血も滴るいい男が、水も滴るいい男になった。格好いい、眼福。


「あの……閣下。入っても、いいですかね?」


 ふと聞こえてきた第三者の声に、私と公爵様は同時に天幕の出入口を見た。そこには、色とりどりの華やかな布を抱えた黒髪の男性――ケイオスさんが立っていて、その後ろには、何人かの侍女らしき女性が並んでいる。公爵様は溜め息をついて身を起こすと、不機嫌そうな声を出した。


「何だケイオス」

「何だって閣下、貴方に指示されたものを用意したのですが。あと閣下、何がどうして、淑女の前で裸におなりに?」


 なんでだろう。ケイオスさんの声が冷たい。それに、後ろで待機している侍女たちは、オロオロとして皆顔を背けている。


「全裸ではないぞ、上半身だけだ!」

「全裸だろうが上半身だろうが、未婚の伯爵家のご令嬢に見せるものではありません!」


 ケイオスさんの言うことは、紳士として正しいことだ。ケイオスさんに怒鳴られた公爵様もそれに気づき、慌ててそこら辺に置いてあった布で裸の上半身を隠す。公爵様の頬のあたりがほんのりと赤く染まっていた。


「す、すまないメルフィエラ。普段は魔獣狩りに女性が来ることがないもので、ついうっかりしていた」

「いえ、公爵様。お気になさることはありません。食肉には向かない筋肉でしたが、公爵様は戦闘に特化したしなやかな筋肉をお持ちですね」

「しょ、食肉⁈」


 私はついうっかり『食肉』と口にしてしまい、それに反応したケイオスさんが、ギョッと目を剥いた。ああ、いけない。公爵様とお話ししているうちに、自分の異常性を忘れていた。公爵様が気になさらないからといって、ケイオスさんもそうとは限らない。


「あの、ご心配なく。私、魔物専門なので。人肉は食べませんから」


 ケイオスさんが益々面白いくらいに驚愕した顔になる。またもや私は、何か変なことを言ってしまったらしい。困り果てた私は公爵様を仰ぎ見る。すると何故か、公爵様は肩を振るわせて笑いを堪えていた。




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― 新着の感想 ―
こういうタイプのヒロイン(女主人公)で清楚系の淑女って珍しいなぁ…って思ってたら、順応が結構早かった。
[一言] 「今の季節、アンダーブリックやグレッシェルドラゴンモドキが獲れるぞ」 獲れるって既に討伐対象じゃなくて狩猟対象になってて草
[良い点] 二人で一緒にどんな魔物を食べるのかとか色々たのしくなってまいりましたね。
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