28 ガルブレイスの名を継ぐ者(公爵視点)
「だからといって、お前を危険に晒すわけにはいかない。お前のことは俺が必ず守る」
「私も守りたいんです!」
そう言い切ったメルフィエラは、どこまでも真っ直ぐな目をしていた。
「アリスティード様とはやり方が違いますけど、私だって皆を、貴方様を守りたい」
「メルフィ……」
「無理だと言わないでください。私は私らしくできることをやります。『ガルブレイス公爵夫人の一番の務めは、夫である公爵を労い、癒すこと』だと、昨日そう仰ってくださったではないですか」
「だが俺は、お前が傷つくのは嫌だ」
そう答えるしかなかった俺に、メルフィエラは緑の宝石のような目を潤ませた。彼女は今にも泣きそうな顔になり、俺の手に頬を寄せる。ガルブレイスの領地で共に生きていくと考えてくれたのは素直に嬉しい。しかし俺には、「一緒に生きることを考える」という言葉を、どうやって受け入れていいのかわからなかった。
「泣かないでくれ、メルフィ」
「私は泣いてませんっ」
「すまない。お前を悲しませたくはないのだが、俺はずっとそれを当たり前だと思っていたのだ」
「死んでも仕方がないと、それを当たり前だなんて」
俺がこんな風に考えるようになったのは、俺の特殊な生い立ちが関係している。それを今ここで、メルフィエラに説明してもいいのだろうか。俺は彼女を外套ですっぽりと包み込んで抱き寄せる。冷気は魔法で遮断しているはずなのに、その小さな身体は小刻みに震えていた。俺は彼女の目を見ないようにして、できるだけ優しく語りかける。
「メルフィ。ただの昔話だが、聞きたいか?」
「……どんな小さなことだっていいのです。アリスティード様のこと、聞かせてください」
本当は、メルフィエラにどう思われるのか、気になって気になって仕方がない。婚約したばかりだが、「失望されたくない」という気持ちが強く湧き上がってくる。情けない自分を知られたくないという思いと、すべてを知ってほしいという相反する思いが、俺の中でせめぎ合う。
「今さら変えられない過去だが、お前には、俺のことを知っていてほしい」
震える身体を寄せてきたメルフィエラは、小さくこくりと頷いた。ああ、お前がこうして寄り添ってくれるというのであれば、俺はその思いに応えたい。
「俺は、前ラングディアス国王陛下の次男としてこの世に生を受けた。兄は現国王陛下だ。今はもう、兄とは呼べぬがな」
現国王陛下マクシムは俺より六つ年上で、ラングディアスの血を色濃く受け継いでいる。濃い金髪に深い紫色の目は、第七代国王にして賢者マクシマス陛下と同じ色ということで、賢者の再来と言われていた。事実、陛下はとても聡明であり、在位八年目にして諸外国からも一目置かれているのだ。十七年前の大干ばつと大飢饉により衰えてしまった国力を、当時王太子だった陛下が立て直したのは有名な話だ。
「アリスティード様が、王子様?」
「ははっ、今は臣下に降っているから王子ではないぞ」
メルフィエラのふわふわした髪を撫でながら、俺は話を続ける。彼女の髪は、つい手が伸びてしまうくらいに手触りがいい。嫌がる素振りはないので、もう少し堪能させてもらうことにする。
「マクシム陛下は英明なお方だ。そんな優秀な陛下とは違い、俺は不器用であまり褒められた王子ではなかった。魔力が強すぎて制御できず、小さな頃はよく魔法を暴発させては王城を破壊していた」
生まれてからしばらくは、俺は身体が弱かったのだという。目に魔力が宿る『魔眼』持ちであることがわかった時には、王城は大変な騒ぎになったと聞いている。大体において、『魔眼』を持つ者は魔力が強い。俺も御多聞に洩れず魔力が強く、内包する魔力量も、王城の魔法師たちを遥かに超えていた。父王は、そんな俺に優秀な魔法師たちをつけてくれたのだが、その魔法師たちが次々と音を上げていくぐらい不器用だったらしい。よく覚えていないのは、過剰な魔力により、身体の不調で療養を余儀なくされたからだ。
「体調もよく崩してな。魔力が安定しないことが原因で、高熱を出しては死にそうな目に遭ってきた……と乳母が言っていた」
「魔力が凝ってしまったのですか⁈ 魔毒は、大丈夫だったのですよね?」
「幸い、王城の魔法師たちがいたからな。朦朧とした意識の中、なんでもいいから魔法を放てと言われ続けていたのは覚えている。まあ、それによって何度も城が壊れてしまったのだが」
「貴方様がご無事でよかった。『魔力の暴走』は本当に危険なのです。異常発熱が続けば、命を落としてしまうことだって」
メルフィエラの固い声に、俺は何かを悟った。昨日、俺の魔力の制御が効かなくなった時も、彼女は同じような声を出していた。メルフィ……お前はそれで誰か近しい者を亡くしたのだろう? 多分、運命を受け入れたようにして亡くなったという母親は、『魔力の暴走』が原因で亡くなったのだろう。彼女が自分から話してくれるまで、俺は待つ方がいいのか迷うところだ。
「俺の魔力発散方法は、ひたすら魔法を使うことだ。火力が強い魔法をただ無闇に撃ちまくるのはもったいないからな。魔物を屠るのはちょうどいいのだ」
メルフィエラを安心させるために、俺は彼女の小さな手を繋いで握る。彼女も握り返してくれたことに、俺の方が安心してしまった。
「魔法は王城の魔法師たちというより、王国騎士団で習ったからか、少々荒っぽいのが玉に瑕と言われたりするがな」
俺が七歳になる頃、ようやく魔力に耐え得る体力がつき始めた時には、俺の居場所は王城から騎士団の詰所になっていた。理由は簡単、騎士団の演習場でしか魔法の練習ができなかったからだ。毎日のように魔法を暴発させ、魔法師たちだけではなく、王城勤めの文官たちや使用人から恐れられるようになっていた俺は、そこでケイオスに出会うことになった。ケイオスは前国王騎士団東方隊長の息子だ。生意気盛りの俺たちは、最初の頃は喧嘩ばかりしていた記憶がある。
「ケイオスさんとはそんなに小さな頃からの付き合いだったのですね。私、お二方の間に強い絆を感じたんです」
「そうか? あいつは俺より二歳年上だからといって、すぐに兄貴風を吹かせてくるのだぞ?」
「ふふふ、そうなのですね。私にはそんな関係の人がいないので、少し羨ましいです」
確かに、ケイオスは口煩いが、俺に忠誠を誓ってくれた初めての騎士だ。父親の跡を継いで王国騎士団に入ることもできたというのに、ガルブレイスまでついてきてくれた信頼のおける相方だった。俺が十歳、あいつが十二歳の時だから、俺はあいつの決断力には今でも感服している。
「寒くはないか?」
「いいえ、とても暖かいです」
「そうか……まだ、聞きたいか? ここからの話は、あまりいい話でもない」
「十七年前のことですね。聞かせていただきたくはありますが、その話は、国の秘密のようなものではないのですか?」
メルフィエラは心配そうに俺を見上げてきた。その目にはもう涙は溜まっていないが、それでも不安げな顔はそのままだ。
「お前であれば大丈夫だ。メルフィ、お前への求婚は、きちんと貴族のしきたりに則って行われている。陛下もご存知の上で、この婚約は成立した」
「短期間の間にそこまで……アリスティード様、私は果報者でございます」
「俺自身も驚いているのだ。誰かと婚姻を結ぶつもりなどなかったはずが、お前と出会った途端に覆ってしまったのだからな」
本当に不思議なものだ。俺は今まで婚約など申し入れたことはなく、普通の貴族たちがどうやって婚姻に至っているのか知らないが、他の者たちも同じような境地に直面しているのだろうか。わからない。わからないが、メルフィエラとの婚約は、自分にとって正しいことだという気持ちの方が大きかった。
俺の話は続いていく。十七年前の厄災のこと。前ガルブレイス公爵が重傷を負い、命が長くないと言われたこと。内乱が勃発しないように、前国王陛下と当時の宰相とガルブレイスの間である取り決めがなされたこと。
メルフィエラは、淡々と語る俺を時に優しく、時に慰めるかのように抱きしめてくれた。魔力が強く地位もある俺を次期ガルブレイス公爵にして俺が兄の臣下に降ることで、継承者問題に発展させないように牽制する形を取ったことを知った彼女は、自分のことのように憤慨してくれた。
全体を襲った大干ばつによる大飢饉で国は弱体化していたから、下手すると暴走しそうな貴族たちを抑えるには他に方法がなかったのだ。正直、国には魔物の狂化により大被害を被ったガルブレイス領に割く人員はなかった。それは何もガルブレイス領だけの話ではなく、メルフィエラの故郷マーシャルレイド領も、その他の領地も、すべてが疲弊していた。
貴族の中には、俺を利用して他国を攻めるという究極論を提唱する者まで出てきた。魔眼持ちの王子である俺を立太子させ、旗頭にして戦争を仕掛けて領土を増やすというものだ。平時であれば血迷いごとと一蹴される暴論も、この時ばかりは支持された。現に、戦争提唱派と穏健派の間では、内紛が勃発していたのだから。それくらい、皆が極限の状態にあった。長い間平和だったラングディアス王国は、平和であったが故に、有事に対する耐性を失っていた。
「そんな時、ケイオスの父親が領地同士のいざこざで命を落とした。いざこざの理由が、水と食糧の奪い合いだ。俺は即兄の元に行ったさ。『自分がガルブレイス公爵の名を継ぐから、兄さんは国王になって二度とこんな悲劇を起こさないでくれ』と無理難題を振りかざしてな」
「アリスティード様はまだ子供でいらっしゃったのに、そんなことを言わせるだなんて」
「陛下にも同じことを言われたな。それでも、俺が選んだ道だ。陛下と色々考えて、『ガルブレイス公爵』が担う役目も明文化したのだぞ?」
ガルブレイス公爵の役目は何も魔物を討伐することだけではない。騎士たちのためにきちんとした保証制度も作り上げた。ガルブレイス公爵家に仕える騎士たちは、五年間勤め上げると王国騎士団に入る資格を得られるようになっている。特に功績のあった騎士には、推薦状を出すことになっていた。これは国の戦力の拡充を図る目的もあり、すでに多くのガルブレイス出身の騎士たちが王国騎士団に在籍している。ちなみに、リッテルド砦の騎士ベイガードもガルブレイス出身だ。奴はミュランと同期で、ガルブレイスに残ったミュランに対し、ベイガードは王国騎士の道を選んだというわけだ。
それに、魔物から得た資源は国に高額で買い取ってもらえ(何せエルゼニエ大森林の魔物は希少な資源をたんまり持っているからな)、その売り上げでガルブレイス領のすべてを賄うことが可能になった。陛下と俺が実の兄弟という間柄だからこそ実現したのかもしれないが、前公爵時代までの『名誉』だけで食べていけるならば、最初から争いなど起きない。人の世は世知辛いのだ。
メルフィエラには少々難しい話かと思っていたが、彼女は俺の話を正しく受け止めてくれたようだ。「ガルブレイス領だからこその仕組みですね。マーシャルレイド領ではとてもできそうにはありません」という感想だった。確かにガルブレイス領は特殊な環境なので、他領に適用できるかと言われたら難しいだろう。
「だから、我々は魔物を狩り続けるのだ。それが国を守ることに繋がる。そして、万が一にでも再び厄災にみまわれることになろうものならば」
「それを受け入れて命を賭けるのではなく、厄災そのものをなんとかする道を考えましょう」
メルフィエラは、俺の話を遮ってはっきりと告げた。俺は不意打ちを受けて言葉に詰まる。厄災そのものを、なんとかする?
「魔物はどんどん増えます。狩り続けることにも限りがあります」
「だが、誰かがやらねば」
「アリスティード様を犠牲にしてですか? 私は嫌です。そんなこと、却下です」
メルフィエラが、自分の革手袋を外す。それから、俺の革手袋も同じように外して素手にすると、労わるように優しく撫でた。俺の傷だらけの手を、とても愛おしいもののように。よく見ると、メルフィエラの白い手にも小さな傷が幾つもついている。
「私の新しい研究です。狂化した魔物の魔毒を吸い出す方法が確立したら、命を賭けることはしなくてもいいですよね?」
理想論だと喉まで出かかった。だが、メルフィエラの透き通った目を見ていると、それが実現するような気になってくるから不思議だ。付け加えるように「それに、魔毒を吸い出せたら、狂化した魔物だって美味しくいただけるかもしれませんし」と続けた彼女だったが、俺にはそれが照れ隠しのように思えて、思わず彼女の額に口付けをしてしまったのは悪くないと思いたい。
「ああああっ、アリスティード様っ⁈」
「お前からこんなにも熱い想いをもらったのだ。抑えられるわけがないだろう?」
「も、もうっ、私は真面目に」
「俺も真面目に考えるさ……メルフィエラ、お前と一緒に生きる意味を」
顔を真っ赤にして俯いてしまったメルフィエラのつむじが見える。「揶揄わないでください!」と怒ったような声を出しているが、耳が赤くなっていて台無しだ。俺の婚約者殿はどうしてこう、反応が可愛いのか。
隊列を組んだ騎竜たちが、帰巣本能に従ってガルブレイス領を目指す。もうすぐ、秋真っ盛りの領地が見えてくるはずだ。俺たちが、エルゼニエ大森林の魔物たちの歓迎を受けるまで、あと少し。