25 今が旬、魔魚の衣揚げ2[食材:ザナス]
私は大きく息を吸い込むと、いつものように祈る。
「私は決して命を粗末にしたりはいたしません。その尊い命を最後まで大切にいただきます」
ザナスはとても大きいので、食べきれない分は凍らせてから持ってきたい。それができそうになければ、グレッシェルドラゴンに食べてもらおう。ドラゴンが魚を食べるのかわからないけれど。
『ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス』
曇水晶のなかに魔力を吸い込む呪文を唱えると、ザナスの青い血が空中に浮き上がる。魔力の輝きにより宝石のように煌くその血が、どんどん曇水晶の中に吸い込まれていった。それと共に私の髪も赤く光り始める。魔力に反応しているだけとはいえ、まだ薄暗いからとんでもなく目立つ。私も公爵様のように目が光ればよかったのに。あれは格好いいし、あまり目立たないもの。
(血の量は少ないけれど、含まれる魔力がすごく濃い)
魔魚とはいえザナスも魚だ。血の量がない分、魔力が凝縮されているようだった。小振りの曇水晶が青い光で満たされたところで、私は呪文を唱えることをやめてひと息つく。
「公爵様、曇水晶を預かっていただけますか?」
「わかった」
曇水晶を受け取ってくれた公爵様の目が、少しだけ金色になっていた。それに指先に何かの魔法の名残りの光がある。ザナスを締める前にも指先が光っていたけれど、公爵様は一体何の魔法を使ったのだろう。
「どうした、メルフィ?」
「いえ、なんでもありません。魔力を測定したら、ここで頭と内臓、それに鱗を落としたかったのですが……」
「ザナスの鱗は密集しているうえにそこら辺の刃を通さないからな。首落としの要領で、骨断ちして頭を落とすのは可能だぞ」
「では、頭だけ落としていただいて、鱗は皮ごと剥ぎましょう」
私はザナスのエラを開けて、その色を確認する。鮮やかな青色だったエラも、すっかり白けて薄灰色になっている。公爵様が剣を刺した穴から魔力測定器を差し込むと、魔力はほぼ抜けていた。騎士たちがザナスの巨体を持ち上げて、どこかから持ってきた魚を入れる木箱を下に敷くと、後は公爵様の出番だ。すっかり頼りにしてしまっているけれど、本当にこれでいいのか心配になってきた。公爵様は公爵だし、こんな風に色々頼み事をしていいような御身分ではないような気がする。
「公爵様。毎回お任せするのもなんですので、私に『首落とし』 のコツを教えていただけませんか?」
「遠慮などするな、メルフィ。俺は数えきれないくらいに魔獣の首を落としてきたが、これほど率先してやりたかったことなどないぞ。お前とこうして魔物を調理する時が一番楽しい」
公爵様の屈託のない笑みに、私も嬉しくなる。
「わかりました。私も、こうして公爵様や皆さんと調理するのは楽しいです」
マーシャルレイドでの研究や調理は、基本的にひとりでやっていた。解体を手伝ってくれる猟師や騎士たちとも、こんな風にわいわいしながら作業をしたことはない。そうこうしている内に、東の方から眩しい光が降り注いできた。
「よし、夜も明けたことだ。急いで下処理を完了させるぞ。ミュラン、剣を持て!」
「はっ、ただいま!」
バックホーンやロワイヤムードラーの首を落とした時に使っていた剣を手にした公爵様が、キリリと顔を引き締める。この瞬間が、ゾクゾクするほどに格好よく、私はついつい見惚れてしまうのだ。ケイオスさんがここにいたら、確実に「閣下がつけ上がるので目をキラキラさせるのは禁止です!」と言われてしまいそうだけれど。
「先ほど刺した場所の少し後ろ……えっと、エラから胸びれの後ろにかけて斜めにお願いします」
「なかなかに難しい角度だな」
公爵様が静かに剣を上げ、斬る角度を目測で測っていく。難しいと言っていたはずなのに。もう一度剣を振り上げて、気合いと共に振り下ろした時には、ザナスの頭の部分がスッパリと落とされていた。私の注文通りに、エラと胸びれのところから切られている。
「何度見ても鮮やかな技ですよね。この切り口を見てください、ミュランさん。ザナスの身が崩れもせずこんなに綺麗に」
「わかりますわかります。メルフィエラ様も閣下の剣に魅了されてしまったのですね」
「はい。それはもう、すっかり」
「閣下のあれは男の私から見ても惚れ惚れしますから」
私がミュランさんと盛り上がっていると、公爵様がいつのまにか背後に立っていた。
「一体何の話だ?」
「私とミュランさんが公爵様の剣技に魅了されてしまったというお話です」
私は正直に打ち明けたのに、公爵様は目を泳がせて咳払いを何度も繰り返す。こんな風に照れる姿も最高に可愛らしい。これはきっと、正直に言ったら拗ねてしまうから、私の心の中に大事にしまっておこう。
私はザナスの状態を確認して、切り落とした頭と青い内臓を廃棄することに決めた。問題は、そこら辺に捨ててはいけないということだ。
「公爵様、頭と内臓はどうやっても食べられそうにないので……」
「ああ、わかっている。これだろう?」
聡い公爵様は、本当によく、私の思考を読んでいると思う。短い呪文と共に公爵様の指先に白い火が灯り、私の廃棄資料を燃やしてくださった時の魔法を見せてくれた。
「はい、よろしくお願いします。すぐに取り掛かりますね」
「メルフィエラ様、ここからは我々にも手伝わせてください」
騎士たちが率先して申し出てくれたので、ありがたく思いながら、私は指示をする方に徹した。
まず、切り落とした場所から腹の下に刃を入れて開いていく。皮も硬く分厚いので、最初だけ手本を見せて、途中からミュランさんに代わってもらった。本当は全行程をすべて自分でできればいいのだけれど、これほど大きな魔物は無理だ。こんな時は非力な自分がうらめしい。ガルブレイス領に着いたら、騎士たちに混じって体力作りを始めようかな。
少し臭いがきつい内臓を抜き取り終わると、頭と一緒に公爵様に燃やしていただいた。あの鮮烈な白い炎の魔法は、公爵様が開発したのだそうだ。ガルブレイス領で討伐した大量の魔物を、たくさんの人が苦労して廃棄している姿を見た公爵様が、なんとか手を掛けずに処理できないかとお考えになったらしい。炎を操っている公爵様の後ろ姿を見ていた私に、ミュランさんがこっそり教えてくれた。
(だから公爵様は、魔法陣に使っている古代魔法語を簡単に解読なさったのね)
魔法陣をスラスラとお読みになっていた公爵様を思い出した私は、私が今開発中の新しい魔法陣を見ていただきたいと思った。
◇
「メルフィエラ様、こちらです!」
ザナスの下処理を終えた私たちが砦に戻ってくると、調理場の準備を任せていたゼフさんが砦の出入口で待っていた。何故か両手で抱えるくらいの大きさの丸底鍋を持っている。
「閣下、メルフィエラ様、お帰りなさい」
「ゼフさん、外は寒いでしょう」
「いえ、つい先ほどまで走り回っていましたから。実は、中の調理場ではこいつが使えなくて。申し訳ありません、屋外に準備しました」
「まあ! すごく大きな鍋ですね。油料理は後片付けが大変ですから、きっと外で正解です。ゼフさん、ありがとうございました」
「いえ、自分はこれくらいしかできませんので」
ゼフさんが案内してくれたのは、武器や防具などを洗う場所だった。近くにはほぼ使われた形跡のない簡素な屋外調理場がある。寝ていたはずの騎士の皆さん全員が起きて来ていて、薪に火を起こしたり調理器具を並べたりと準備は万端だった。
「閣下、おはようございます」
「メルフィエラ様、早朝からお疲れ様でした」
私たちに気づいた騎士たちが、挨拶をしながらわらわらと集まってくる。皆、気になるのはザナスのようだ。興味津々の顔で、ザナスの巨体を眺めている。
「あの、この中で魚を捌いたことがある人はいますか? ザナスの皮を剥ぎたいのです。少し試してみたのですが、獣と違って身が柔らかいので、皮と身の間に刃物を入れて身を切り離したいのですが……」
すると騎士たちが顔を見合わせて話し合い、そしてひとりの騎士が進み出てきた。
「アンブリー・シャールです。繊細な毛皮を剥ぐような作業ならやっています」
アンブリーさんは、身体も手も足も、とてもがっしりとしていて、筋肉の塊のような騎士だった。もちろん指先も太い。
「そういう繊細な作業はアンブリー班長が一番得意かと」
「獣の毛皮を剥ぐ作業もお手のものなので」
「是非班長にその役目をお与えください」
アンブリーさんの班員らしい騎士たちが、口々に売り込んでくる。人は見かけによらないのだから、ここまで皆さんに信頼されている人なら大丈夫だろう。それに、私の趣味の延長にある魔物食に協力してくれる貴重な人だ。ありがたい、本当にありがたい。
「アンブリーさん、よろしくお願いします」
「美味い飯のためですからね」
やはりアンブリーさんも、ガルブレイス公爵家お抱え鍛冶屋の刃物を持っていた。アンブリーさんは、ザナスの中骨のあたりに刃を入れると、骨にそわせるようにして腹の方の身を骨から外した。それから背中の骨の身もなんなく切り離してザナスを半身にする。次に、もう反対側の身も骨から外したかと思うと、身と皮の間に差し込んだ刃物を魔法のようにスルスルと引いていった。
「ざっとこんなものですかね」
アンブリーさんの手により、ザナスがあっという間におろされてしまった。皮の方にはまったく身がついていない。手際がいいとかそういう問題ではなかった。きっとこれは、アンブリーさんが持つガルブレイスの騎士の技に違いない。恐るべし、ガルブレイスの騎士!
「骨と鱗はとんでもなく硬そうですが、身までは鋼のようにはなりませんからね」
「ありがとうございます! こんなに大きな魚の切り身をぶつ切りにしてしまうのがもったいないような気がします」
「いいと思いますよ、衣揚げ。がっつり食べて英気を養いたいところでしたから」
騎士たちも公爵様もうんうんと頷いてくれたので、私は張り切って衣揚げを作る過程に入る。
まずは丸底鍋を二つ用意してもらい、ひとつは低温、もうひとつは高温にして、二段構えで揚げていく。公爵様がどうしても揚げてみたいと仰ったので、高温の鍋の方を担当してもらうことにした。
調味料を混ぜた穀物粉を冷水で溶いてもらい、私は適当な大きさにぶつ切りしたザナスをくぐらせてから油の中に投入する。ジュワジュワと揚っていくザナスは、こうやって見ていると普通の魚と同じだ。薄く色がついたところで木杓子を使って一旦引き上げ、少し放置して公爵様に渡した。
「こんがり色付くまで揚げたら出来上がりです。あまり大量に投入するとザナスがくっついてしまうので、適度に十個ずつくらいにしてくださいね」
「むう。いざ自分がやるとなると、難しいものだな」
「閣下、ほら、そちらのザナスがこんがりどころか焦げていますよ!」
「なんだと⁈ ミュラン、早く引き揚げろ!」
本当ならば、調理場にお立ちになるような御身分ではないというのに、公爵様は騎士たちと同じように雑務をやってくれる。ガルブレイス領とは、こんな風に温かいところなのだろうか。私の研究が少しでも受け入れられたら。そう期待してしまう気持ちは、どんどんと膨らむばかりだった。