24 今が旬、魔魚の衣揚げ[食材:ザナス]
公爵様は私を離してくれず、騎士たちはこちらを見ないようにしている。途方に暮れてしまった私は、ちょうどいいところで起きてきた騎士たちに助けを求めた。
「い、いいところに来てくださいました。ゼフさん、おはようございます!」
「メルフィエラ様、おはよう……ござい、ま……す」
こちらに気づいたゼフさんが、ギョッとしたような顔をして私……ではなく公爵様を見て目を逸らす。ゼフさんのおかしな様子に私が顔を上げて公爵様を見ると、その目が仄かな金色に輝いていて、とてもいい笑顔だった。確か魔眼だと仰っておられたので、ゼフさんに何かなさったとか?
「もう、公爵様。お元気なことはよくわかりましたから!」
「お前の反応が可愛くてついな。許せ」
「許すとか許さないとかではありません! 冗談はお酒を召した時だけになさってください」
私はわざと膨れっ面をして、上目遣いで公爵様を見上げる。すると公爵様は、「そういうところが可愛いのだが」と呟いて、抱擁を解いてくれた。
「皆さんも起きてこられたことですし、ザナスの調理に入ってもよろしいでしょうか」
「ああ、そうだな。ちょうど小腹も空いたことだ。寒くないように外套を着てくるといい。別に俺の外套でもいいが」
「すぐに支度をして来ます! あっ、それと、油と穀物粉の調達をお願いしてよろしいですか?」
「油と穀物粉?」
「はい、ザナスを衣揚げにしようと思いまして」
ザナスの形状から、身の味が淡白な魚に近いと思われる。香辛料を混ぜた穀物粉の衣をつけて揚げたら、きっと美味しいはずだ。揚げ物なら手で摘めるし(お行儀は悪いけれど)、パンに挟んで食べてもいい。すると、私の話を聞いていた騎士たちから歓声が上がった。特にゼフさんはとても期待した顔をして、油と穀物粉の調達を買って出てくれた。
「自分が準備します!」
「まあ、ゼフさん。それでは頼んでもいいですか?」
「もちろんです、メルフィエラ様」
ゼフさんが嬉しそうに片手を胸に当てて騎士の敬礼をしてくれた。よかった。昨日は魔物食にあまり賛成ではなかったようだったけれど、ロワイヤムードラーの塩漬け肉が功を奏したみたいだ。よし、皆さんの期待に応えるために、頑張らないと。
私はゼフさんに調理場の準備を頼むと、公爵様にザナスを仕留めるために必要なものを伝えて、急いで部屋に戻った。荷物の中から魔魚や魔樹用の魔法陣を描いた油紙を取り出す。それから、少し小さめの携帯用曇水晶も。魔魚は身体が濡れているので、油紙の魔法陣がないと魔力を吸い出せないのだ。私は他にも必要になりそうなものを漁り、小さな革袋に詰め込んで、自分の外套を羽織った。
「公爵様、お待たせいたしました」
「こちらも準備完了だ」
大部屋に戻ると、ミュランさんまで起き出して来ていた。もちろんザナスの下処理を手伝ってくれるということで、私と公爵様、そしてミュランさんを筆頭に騎士たちと一緒に、ザナスが入った網が沈めてある船着場へと向かう。外は風が冷たかったけれど、マーシャルレイドの風よりはマシだ。公爵様達と一緒に船着場まで来ると、私は油紙に描いた魔法陣を取り出して広げた。
「どうやって魔力を吸い出すかと思えば。なるほどな、直接ザナスの身体に貼り付けるのか」
「はい。地面に描いたのでは消えてしまいますから、この油紙の上に置いて使います。ザナスはとても大きな魔魚ですから、貼り付けるしかないみたいです」
何の事は無い、油紙に魔法陣を描いているだけだから、特別な何かはない。ザナスを締めた後に身体に直接貼る方が簡単だった。
「よし、お前たち。網を引き上げてくれ」
公爵様の指示で、騎士たちが船着場の杭に繋いであった太い鎖を引き上げ始める。縄ではなく鎖ということからも、ザナスがとても危険な魔物だということがわかった。網はかなり重いのか、二人がかりで引き上げられていく。
「たかが魚、されど魔魚。イキのいいザナスの尾ひれの一撃は危険だぞ。当たり所が悪いと骨が折れてしまうからな」
「そんなに危険な魔魚を、四十六匹も仕留められたのですか⁈」
「魔力が満ち溢れていたからな。いい運動になったぞ」
事もなげにそう言って笑った公爵様だけれど、それは普通の人であれば無理だと思う。ザナスの尾ひれの一撃は少し怖いので、私は被害が及ばなさそうな場所まで退がることにした。
ジャラジャラと金属がこすれる音がして、網が浮上してくる。ミュランさんが魔法の明かりを水面に近づけると、ばしゃんと水が跳ねる音が聞こえた。
「気を抜くなよ!」
「了解です!」
ようやく現れた網の中では、巨大なザナスが激しい水しぶきを上げて抵抗していた。大きな口にぼってりとした身体。目はギョロリとして大きく、鮮やかな青色だ。色は沼地のような汚れた緑色だけれど、ヒゲや背びれ、それに尾ひれが青白く発光していた。これがザナス。資料ではわからなかったけれど、私よりも大きいかもしれない。
「すごい! こんなに立派だったなんて。歯が鋭くてこれぞ魔魚、という貫禄がありますね!」
「これは七、八年位は生きているやつだからな。今が旬というか、繁殖期で攻撃性が高い」
公爵様はザナスから守るように、私の前に立ってその手に何かの魔法の光を灯した。ザナスの幾重にも重なっているギザギザの鋭い歯に噛まれたら、私の手足なんて簡単に引きちぎられそうだ。餌となる生き物を誘う立派なヒゲも、元気よくうねうねと動いていた。
「メルフィ、このまま首をはねるのか?」
「いいえ。魚ですから、先に締めます」
私は公爵様に頼んで用意してもらっていた細身の剣を持つ。ガルブレイス公爵家のお抱え鍛冶屋謹製の剣を鞘から抜き、暴れるザナスを見た。剣は私でもなんとか扱える重さだけれど、これはちょっと、私の力では締めることが難しいかもしれない。騎士たちが三人がかりで取り押さえているザナスの鱗や骨は、見るからに硬そうだ。
「なんだ、メルフィ。自分でやるつもりだったのか?」
「魚なのでなんとかできるかと思っていましたけど、やっぱり無理みたいです」
「そう落ち込むな。荒事は俺に任せておけと言っただろう?」
その言葉は確か、秋の遊宴会で出会ったばかりの時に聞いた言葉だ。そういえば、私が「『首落とし』を自分でもできないか」と聞いた時に、公爵様は「私に任せておけ」と、そう仰ってくださった。
「かといって、討伐はできるが締めるのは俺も初めてだ。どうやればいい?」
公爵様が私の手から剣を取り、にやりと笑った。さすがガルブレイス公爵様というか、頼もしい。ザナスを締める役目を受けてくださるということなので、私はそのままお願いすることにした。あの剣を使えば私でもと思っていたけれど、公爵様の言う通り、それを使いこなせるだけの力も技もない。今度、公爵様にお頼みしてコツとやらを教えてもらわないと。
「ミュラン、始めるぞ!」
公爵様の声に、騎士たちが暴れるザナスを数人がかりで押さえつける。ザナスは尾ひれの力が非常に強い。バッタンバッタンと地面を打ち鳴らしながらかなりの抵抗をみせるけれど、騎士たちも負けてはいない。
ザナスが動けなくなったところで、私はザナスの頭の方からそっと近づくと、ザナスのギョロリとした大きな目の上に濡れた布を置いた。魚は視界を隠すことで動かなくなるのだ。それは魔魚であるザナスにも有効だったようで、嘘のように動かなくなった。私は準備万端で待つ公爵様を見て頷く。
「公爵様。目の後ろ、ちょうどエラの切れ目の上あたりを一気に刺して、グリっと刃を捻ってください」
「グリっとか?」
「ええ、グリっと、こう」
私は剣を持つ仕草をして、グリっと手首を捻ってみせる。どうやらきちんと伝わったようで、公爵様は剣を両手で持って下に突き刺す真似をすると、私と同じように手首を捻って剣を回してみせた。
「これでいいのか?」
「はい、刺すだけでは締まりませんが、何度か回せば大丈夫です。うまく締まると目の色が一瞬にして変化します」
「ほう、目の色が変わるのか」
「公爵様ならきっと一発で締められます。では、よろしくお願いします!」
「ああ、任せておけ!」
公爵様が細身の鋭い刃を真っ直ぐに下ろす。それは正確にザナスの脳がある位置を貫き、その衝撃でザナスが激しく暴れ出した。押さえつけていた騎士たちが、歯を食いしばって必死に力を入れる。
「耐えろ、ミュラン!」
「か、閣下、これはきつい!」
「公爵様。私が目の布を取ったら、すぐに刃をグリっと回してください!」
「わかった! くっ、硬いな」
私がザナスの目を覆っていた布を外した次の瞬間、公爵様が力任せに刃をぐいっと回す。ザナスの硬い骨が軋む音がしたけれど、公爵様の気合いと共に刃が綺麗に入った。さすがはガルブレイス家お抱え鍛冶屋謹製。ほしい、私もその素敵に頑丈でよく切れる刃がほしい。
「これで、どうだっ!」
公爵様が留めの一撃とばかりにもう一度剣を回すと、ザナスのエラから大量の血が溢れ出してきた。その血の色は青い。一呼吸置いた後、ザナスの青色の目がスーッと灰色に変わったのがわかった。
「公爵様、お見事です! ザナスが綺麗に締まりました。皆さんもお疲れ様です」
私は油紙を手に近寄ると、大きな口を開けて絶命したザナスの身体に貼り付ける。そして、曇水晶をザナスに向けて掲げた。
「次は私の出番ですね。皆さん、ザナスから離れてください。今から魔力を吸い出します!」