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23 リッテルド砦の夜

 公爵様たちが外へ行ってしまってしばらくすると、ミュランさんが私が泊まる部屋に案内してくれた。部屋の中は簡素な作りで、寝台と机に椅子、服を入れておく衣装棚があるだけだ。ミュランさんが運んできてくれた荷物を前にしても、荷解きする気にすらならない。居ても立ってもいられず、私は部屋の中をグルグルと歩き回った。


(公爵様の魔力がお強いことは感じていたけれど、あんな風に制御できなくなるのはよくあることなの?)


 公爵様のように、魔力が溜まりすぎて制御できなくなることを、『魔力の暴走』と呼ぶ。溜まりすぎた魔力は放出するしかない。もし何らかの原因で魔力を放出できない時は、身体が火のように熱くなり、異常発熱によって命を落とすこともあるのだ。

「人は魔物と違って、その身体はか弱く、そして脆いものなの」

 私はそんなことを言っていたお母様を思い出す。お母様も魔力が強い人で、度々魔力の暴走により身体を壊していた。


(私では、助けてあげられないの?)


 お母様が発熱によりきつそうにしていても、幼かった私はひたすら祈るしかなかった。これでも、魔物から魔力を抜き取る研究を始め、定期的に魔法を使うようになってから随分と体調は良くなったらしい。より安全に、より簡単に、誰もが使える魔法陣を研究していたお母様の魔法は、とても美しかったことを覚えている。私は何度か、お母様が魔法陣を発動させる姿を見せてもらったことがあるのだ。


(とても綺麗だった……炎のように輝く髪と、煌めく宝石のような瞳。お母様の周りに星の煌めきのような魔力が渦巻いていて、まるで御伽話の精霊様のように美しかった)


 でも、お母様は亡くなってしまった。まだ七歳だった私は詳しいことは教えてもらえなかったけれど、魔法陣の暴発事故だと聞かされた。本当の原因は、そうじゃなかったのに。

 お父様や治療を担当した医術師たちは、お母様の魔力が暴走してしまったと思っている。お母様をよく知らない者たちは、お母様が魔物を食べて魔物になったのだと噂した。


(そんなことあるわけない。お母様の魔法陣は不完全だった。吸い取った魔物の魔力が、自分の身体に蓄積されて、分解できずに魔毒と化したのよ)


 魔物より脆弱な人は、魔毒に耐えられない。狂化する前に身体が持たずに死ぬ。膨大な研究資料と、私が新たに始めた曇水晶を媒体にした魔法陣の研究によりそれがわかったのは、ちょうどシーリア様が後妻として迎えられた頃だ。私はシーリア様を刺激しないようにしていたし、お父様は国にあてがわれた後妻をようやく受け入れたばかりだった。ここでお母様の話を蒸し返して、せっかく立ち直り始めたマーシャルレイド家を壊してしまうわけにはいかない。立証しろと言われても証拠はなく、今の私ではうまく説明ができない。だから私は、お母様の死の真相を、誰にも言わずに心にしまっている。


(公爵様は魔物の魔力を吸い取ったりしないから、きっと大丈夫よね?)


 単なる魔力の暴走であれば、きちんと対処する方法がある。公爵様は大丈夫。でも、もし――ぐるぐるぐるぐると、私の思考が悪い方に悪い方に回っていく。


(とてもお辛そうなお顔だった……こんな時に、私の魔法陣が役に立ったら……)


 私の魔法陣は、生きているものから魔力を抜き出すことができない。魔力は生命力と密接に繋がっているから、魔力を持った生き物は、魔力が枯渇してしまうと死んでしまうのだ。


(公爵様、私、頑張ります……研究を、完成……)


 そんなことを考えていると、ふと、夜明け鳥の鋭い鳴き声が聞こえてきた。夜明け鳥は、夜明けが近づくと活動を始める鳥だ。私はいつのまにか、自分が横たわっていたことに気づく。しかも寒いはずなのに、全然寒さを感じない。身体が温かな何かに包まれていて、ふわりと香るとてもいい匂いに微睡(まどろみ)そうになった。

 横になっているけど、固くないから床じゃない。ということは、自室に戻ってる? でも、寝台に入った覚えはないのに。


(ここは……研究室ではない? どこ?)


 薄目を開けると、見慣れた研究室でも自室でもなかった。どうやら私は、いつのまにか眠っていたらしい。部屋の四隅には、薄く魔法灯が灯されている。


(嘘……私、眠ってしまったの⁈)


 昨晩の公爵様のご様子を思い出した私は、慌てて飛び起きる。ここはリッテルドの砦で、私はガルブレイス公爵領に行く途中だった。寝台から降りようとした私は、きちんと毛布を被って寝ていたことに首を捻る。


(いつのまにこんな物を?)


 どう思い出そうとしても、公爵様のことを心配しながら歩き回っていたところまでしか記憶にない。私の身体にかかっていた温かな何かは、ゴワゴワの毛布と滑らかな手触りの毛皮だ。毛布の方は最初から備え付けられているもののようだけれど、毛皮の方になんだか見覚えがある。毛皮を持ち上げて広げてみる。黒くて大きくて高級そうなそれは、なんと公爵様の外套だった。


「ど、どうしてここにあるの⁈」


 私は思わず声に出して呟いた。この外套があるということは、公爵様が私の様子を見に来てくださったのかもしれない。具合の方は大丈夫なのだろうか。というよりも、公爵様に自分が床に寝ているところを見られてしまった? 私、公爵様に床で寝落ちするのは当たり前とか言っていたけれど、正直これは恥ずかしい。慌てて床を確認した私は、そこに涎染みがないことにホッとする。


(って、こんなことをしている場合ではないわ!)


 自分の姿を確認する暇すら惜しくて、私は外套を抱えると急いで部屋を出た。廊下には、多分昨日の内に用意されていたであろう、足湯(すっかり冷めて水になっている)の木桶が置いてあった。今さら洗っている暇などなく、私はそのまま昨日の大部屋へ向かう。

 砦の窓から見える空はまだ暗く、遠くがほのかに白んでいる。夜明けまではもう少し時間があるというのに、大部屋には数名の騎士と公爵様がおられた。駆け込んできた私に、公爵様が椅子から立ち上がる。


「メルフィ、もう起きたのか?」

「公爵様っ、お身体の具合は……」

「心配をかけたな。この通り、大事ないぞ」


 私は公爵様の全身にくまなく目を凝らす。髪は、少し濡れている? 顔は赤くないし、琥珀色の瞳だって澄んでいる。どうやら湯浴みをして服を着替えられたようだ。私は外套をギュッと抱きしめる。


「心配、いたしました」

「お前には言っていなかったから驚いただろう。子供の頃からよく魔力を制御できないことがあったのだ。ちょうどガルブレイス家に養子に入ることになって、その回数もめっきり減ったがな」

「魔力が、(こご)ったりしていませんか?」


 私の質問に、キョトンとした顔をした公爵様がその意味に気づいて、私の方へと大股で近づいてきた。背の高い公爵様を見上げた私を、公爵様が見下ろして……何故か私はその広い胸の中に抱き寄せられる。


「俺は大丈夫だ、メルフィ」

「本当ですか?」

「本当だとも。ほら、熱はないだろう?」


 公爵様がゆっくりと腰をかがめ、私の顔に顔を近づけてくる。相変わらずまつ毛が長くて素敵な目だ。濡れた前髪が額に垂れていて、ドキドキするくらい格好いい。

 私の額に、公爵様の額がコツンと当たる。じわじわと伝わってくるその熱は平熱くらい……というかなんだか冷たいような。むしろ、冷えている。


「公爵様、まるで氷のようです」

「そうか? まあ、散々川の水を浴びてしまったからな」

「川の水?」


 そういえば公爵様は、魔力を放出するのにちょうどいいからザナスを獲ってくると仰っていた。この冷える秋の夜に。私は公爵様の冷え切った頬に片手を伸ばす。外套の効果もあって私の身体は温かく、手の先まで火照っている。公爵様は私の手のひらに頬をすり寄せると、「うむ、温かいな」と呟いた。


「べ、別の意味で大丈夫ですか⁈ こんなに冷たくして、風邪を引いてしまいます!」

「お前がこうしてくれているだけでも十分に温かいぞ」

「そうです、外套! 公爵様、外套をありがとうございました。どうぞ、羽織られてください」


 私は、私と公爵様の間に挟まっていた外套を引っ張り出す。これはとてもいい毛皮がついているので、私の手よりも暖が取れるはずだ。


「そうだ。お前のお眼鏡にかなうものが獲れたのだが、今からでも確認に行くか?」

「ザナスよりも公爵様です!」

「せっかくお前が喜ぶと思って張り切ってきたのだぞ? 中々にいい手ごたえだったな。四十六匹のうち、一番色艶が良くイキのいい個体を選んできたつもりなんだが」


 私から外套を受け取った公爵様が、素早い動きでそれを羽織ると、再び私を懐の中に抱き込む。あ、温かい……けれど、騎士の皆さんもいるから恥ずかしい!

 騎士の皆さんは、私と公爵様の方を見ないようにしているようで、しっかりと見ていた。何故か「よしっ、合格」とか「閣下にしてはやりますね」だとか聞こえるけれど、何だか既視感がする。公爵様はこの体勢を楽しまれているようで、すごくいい笑顔(この笑顔の時の公爵様は少し意地悪だ)で私を見ている。


「ざ、ザナスは、まだ締めてはいないのですか?」

「金属製の網の中で悠々と泳いでいるぞ」

「どうせもうすぐ夜明けで眠れませんので、ザナスの調理を始めたいのですが」

「よし、そうするか」

「公爵様は少しでも寝ていてください」

「すこぶる体調はいいぞ? お前がこうしてくれていると癒されるからな……髪もふわふわで、実にいい」


 公爵様からそう言われて、私は自分の姿を思い出す。鏡は見ていないけれど、昨日の旅装のままだし、寝ている間に髪がすっかり解けてしまっているらしい。


「公爵様、私、汚れたままです!」

「俺の方が汚れている。気にするな、お前はいい匂いだからな」

「こ、公爵様!」


 私が少し怒ったような声を出して呼ぶと、公爵様はにやりと笑って顔を寄せてきた。


「違うぞメルフィ。ティード、だろう?」

「し、知りません」

「俺たちは婚約者同士だ。そうだろう、メルフィ」


 どうしても公爵様、名前を呼んでほしいようだ。でも、昨日の今日だし、抱きしめられている恥ずかしさもあって、私は囁き声よりもさらに小さな声で「アリスティード様」と呼んだのだけれど……公爵様の琥珀色の目が金色に輝いたので、しばらくは名前を呼ぶのをやめようと思う。




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[気になる点] 後妻が王様が奨めた女性なのだとしたら、娘を追い出そうとしていたのは全て演技で実は王様と父親と後妻の3人で娘を守ろうとしていたのかな?と思いました。 後妻のポンコツな感じも演技の可能性が…
[一言] あまぁ〜い! 読んでてニヤニヤしちゃうから人前で読めない(ノ∀`)
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