21 携帯糧食を美味しく食べる方法[食材:ロワイヤムードラー]
リッテルドは王領の砦なので、ここを守る騎士たちは国王陛下直属の騎士だそうだ。飾り羽根がついた兜を被った背の高い騎士が、公爵様に向かって最上級の騎士の礼をする。公爵様はそれに片手を上げて鷹揚に応えると、ミュランさんを差し向けた。私も挨拶をしようかと思ったけれど、公爵様が私を外套で覆って騎士たちからさりげなく隠してしまったので、皆の様子が見えなくなってしまった。それでも声だけは聞こえてくる。
「ドラゴンで夜間飛行とはオツなもんだな。今月何度目だ、ミュラン」
「やあ、ベイガード。今日はお前が宿直だったか。度々迷惑をかけてすまないな」
「度々すぎやしないか? まあいい、この前と同じ場所で大丈夫だな?」
「それなんだが、閣下の客人もご一緒なんだ」
「おい、どう見てもその客人は女性じゃないか⁈ なんで街に行かないんだ? まさかここに泊まっていくとかじゃないよな?」
「そのまさかだよ。砦の西翼は全部借りるから、配慮を頼む」
「んなこと言っても、ここに洒落たものなんて何もないぞ!」
洒落たものなんて何もいらないのだけれど、なんだか気を遣わせてしまったみたい。ミュランさんが砦の騎士たちに挨拶をしている間、公爵様は残りの騎士たちにドラゴンを預け、先に降ろしていた私の荷物の荷解きを手伝ってくれた。全部を出すわけじゃないので、着替えとちょっとした器具などを手頃な大きさの袋に詰め直す。実はマーシャルレイドからは使用人を連れて来ていないから、自分のことは自分でやらなければならなかったりする。お母様の研究を継いでから自分のことは自分でするようになったけれど、ちゃんとしたドレスは一人では着られない。明日のドレスはどうしよう。旅装なら一人でもなんとか着替えられるかも。
(まあ、なんとかなるでしょう。そんなことより、忘れずに塩漬け肉も出しておかなくちゃ)
荷物を漁りながら、私は油紙に包んでいた塩漬け肉を取り出した。この肉はロワイヤムードラーのもも肉を塩漬けにしたものだ。十日の間乾燥させていたおかげで、いい具合に半生状態になっている。いそいそと準備をしている私に、ドレスとその他の細々とした日用品が入った袋を持った公爵様が話しかけてきた。
「メルフィエラ。やはり、今からでも街の方に行こう。考えるまでもなく、こんな領境の砦に女性を寝泊りさせようとしていた俺がどうかしていた」
公爵様は何故かしょんぼりしているようなご様子だけれど、何かあったのだろうか。
「私はまったく気にしてません。この砦の雰囲気はどことなく研究棟に似ていますし、それに……公爵様がいてくださるのですから、怖いことなんてありません」
もし魔物が襲ってきても、公爵様とガルブレイスの騎士たちがいてくれるなら安心だ。国王陛下直属の騎士もいるし。公爵様の強さを間近で見ていた私にはよくわかる。騎士とは名ばかりの貴族騎士たちとはまったく違う。
私が信頼を込めて公爵様を見上げると、公爵様は視線をうろうろと彷徨わせた。
「そ、そこまで信用してくれているのは嬉しいが……いくら平和とはいえ、砦は女性が快適に過ごせる場所じゃない」
「私なら本当に大丈夫です。床の上で寝落ちするのが普通ですから」
私が胸を張って答えると、公爵様が「それは普通ではないのでは?」とボソリと呟いたのが聞こえた。そんなにおかしなことだったかしら。夢中になるとついつい自室に戻る時間が惜しくなるのだけれど、それは駄目なことだったらしい。
「閣下、ご準備が整いました!」
「ああ、今行く」
その時、ガルブレイスの騎士が呼びに来たので、私と公爵様は、呼びに来た騎士に荷物を預けて西翼の砦に向かった。石積みの壁は飾り気がなく、とても強固な造りになっている。
「砦の中って意外と広いのですね、公爵様。それに、壁がこんなに分厚い」
「篭城戦に耐えられるようになっているからな」
「魔物の襲撃にも耐えられそうですね」
私は騎士に案内された部屋の中に入る。そこには既に、色々と宿泊の準備を進めていたガルブレイスの騎士たちがいた。半数くらいが既に装備を解いていて、奥の方から何かの食べ物のような香りがしている。そういえば、お腹が空いてきたような。
すぐに駆け寄ってきた騎士が、公爵様の前で直立して現状を報告する。
「閣下、これより二班に分かれます」
「アンブリー班は早寝か」
「はっ! 既に調理を開始しておりますので、軽食を取った後に先に休ませていただきます」
「わかった。何かあれば直ぐに報告せよ……ああ待て、そうだった。リッテルドの騎士に『ザナス』を獲っておくように伝えてくれ」
「ザナスって、魔魚のザナスですか?」
騎士は疑問に思ったのだろう。どうせ獲ってもシメて捨てるだけの魔魚を、一体何故? というような顔をしてしいる。
「そのザナスだ。時期的に遡上していかないように罠を張っているはずだ。一匹くらい譲ってくれるだろう」
「はあ、了解しました」
首を捻りながらも敬礼した騎士は、リッテルドの騎士に公爵様の伝言を届けるためか、部屋から出て行った。公爵様はそれを見届けると、私の側に近寄ってきて私の外套を脱がせてくれた。
「メルフィエラ、疲れているだろう」
「いいえ、公爵様の魔法のお陰で空の旅は快適でした」
「明日も同じくらい飛ぶから休んでいろ。すぐに軽食を持ってくる。ゆっくり座っているといい。足湯を持たせよう」
気を遣ってくださった公爵様には悪いけれど、私は自分の疲れよりも軽食のことが気になった。この部屋に充満する、なんとも粉臭い匂い。何を作っているのだろう。
「あの、私、足湯よりも気になることが」
「何だ? 湯浴みでも大丈夫だぞ。遠慮なく言ってくれ」
公爵様が柔らかく微笑んで、私のほつれ毛に指を絡ませてくる。湯浴みはしなくて大丈夫だけれど、髪は綺麗にしておくべきだろうか。公爵様はふわふわが好きだって仰っておられたし、何を使えば髪をふわふわに……いえ、そんなことに時間を使うのはもったいない。せっかく公爵様が遠慮なくと言ってくださったので、私は遠慮なく言ってみた。
「奥の調理場に入ってもよろしいですか? 私、調理を手伝ってきます。ここに少しだけ持ってきているものがあるんです」
「マーシャルレイドの領地からか?」
「皆で分けられるだけの分量はありますから。公爵様、よろしいでしょうか」
私は袋の中から油紙に包んだ肉を取り出してみせる。すると、公爵様の顔がパッと明るくなったような気がした。
「わかった。だが、決して無理はするな」
「はい、公爵様。それでは少し手伝ってきますね」
公爵様の了解も得たので、私はいそいそと調理場を覗いてみる。そこにはお湯を沸かす騎士と、木でできた大きな器に何やら粉を入れている騎士がいた。お湯を沸かしている騎士はミュランさんだ。私はそっと近づくと、大きな器相手に四苦八苦している騎士の横に立つ。
「あのぅ、それって穀物粥ですか?」
「こ、これはマーシャルレイド伯爵令嬢様。こんなところに入ってはなりません」
「公爵様の許可は得ています。それより、その穀物粥ではお腹が空いてしまいそうですよね」
色々な種類の穀物を粉にしたものに、熱いお湯をかけて練り上げる穀物粥は、栄養価は高いけれど味気ない。いわゆる病人食で、夜中に起き出して夜番につく騎士たちの英気は養えないと思う。携帯糧食としては申し分ないのだけれど、どうせならもう少し美味しくいただきたい。不思議そうな顔で見てきた騎士に、私は例のアレを掲げてみせた。
「えっと、これなんかどうでしょう?」
私がロワイヤムードラーの塩漬け肉を取り出すと、あの時一緒に串肉の味見をしたミュランさんが「あっ!」と嬉しそうな声を上げる。
「よろしいのですか、伯爵令嬢様」
「是非メルフィと呼んでください。この塩漬け肉はとてもうまくできましたから、穀物粥に混ぜたらきっと美味しいと思います」
「それはすごくいいお考えだと思います!」
ミュランさんが両手を上げて喜びを露わにした。もう一人の、今回はじめましての騎士は、はしゃいだ声を上げるミュランさんに怪訝そうな顔になる。彼は絶品、ロワイヤムードラーの串肉を食べていないので、私が持っている肉の美味しさを知らなかった。むむっ、これはまず、この騎士に塩漬け肉の美味しさを味わってもらうべきか。
「そんな顔をするなよ、ゼフ。これは伯爵令嬢様……あっと、メルフィ様のとっておきなんだぞ?」
「おい、それって、あの金毛の肉か? ケイオス補佐といい、アンブリーといい、お前といい……大丈夫か?」
「大丈夫に決まっているだろう! お前も食べればわかる。食え、今すぐ食って跪け」
ミュランさんと、ゼフ?さんが何やら揉めはじめた。魔物食のことを初めて聞いた人は皆ゼフさんのような反応だから、これはもう食べて納得していただくしかない。いくら口で言っても、こればかりは伝わらないのだから。
私は勝手に刃物を拝借して、塩漬け肉を薄く切る。それから木串に肉を刺して、軽く炙り始めた。本当は塩抜きしておいた方がいいのだけれど、薄切りだからそれほど塩辛くはないだろう。細かい脂が炎に炙られて溶けていき、すぐに香ばしい匂いが立ちのぼる。炙られた肉が縮んできて、肉の端に少しだけ焦げ目が入ったところで、私は木串ごと肉をゼフさんに差し出した。
「公爵様が私のために狩ってくださったロワイヤムードラーの塩漬け肉です。魔力はすっかり抜けていますから、安全に食べられますよ?」
「メルフィ様、私が先にいただきたいです!」
「では、ミュランさんにもお味見を」
もう何枚か肉を薄切りにすると、ミュランさんは自分で肉を炙り始めた。脂が小さく弾け、パチパチといい音がする。
「お、おい。本当に食べるのか?」
「当たり前だろう。食わず嫌いしていたら人生損だ。それに、メルフィ様が魔力を抜いてくださった魔物なら、腹を壊したりしない」
戸惑うゼフさんを尻目に、ミュランさんが薄切り肉を一気に口の中に入れる。目が糸のように細くなり、ミュランさんは至福の顔で咀嚼して飲み込んだ。よかった、ミュランさんはロワイヤムードラーの肉を気に入ってくれているようだ。
「この塩加減、疲れた身体に染みます! 最高です、メルフィ様。新鮮な肉も美味しかったですが、熟成されたこちらもまた捨てがたい味です!」
「ほう、そうか。それはよかったな、ミュラン」
突然、調理場の出入口から地を這うような低い声が聞こえてきて、私たちは一斉にそちらを見る。
「私にもひと口食べさせてはくれないか、メルフィ?」
そこには、とても悔しそうな顔をした公爵様が、背後に真っ黒な魔力を背負って立っていた。