2 悪食令嬢の婚活事情
そもそも、私が秋の遊宴会に来たのには訳がある。私のことを良く思っていないお父様の後妻から、「あと一年以内に婚約者を見つけなければ、修道院に行ってもらう!」と言われたからだ。なんでも、気味の悪い趣味を持つ『売れ残り』がいると、義弟の結婚にも悪影響があるのだとか。
義弟の結婚といっても、義弟は三歳になったばかりの可愛い盛りだ。婚約するまで最短でも十年はあるだろうし、その頃には私も確実に家から出て行っているだろう。結婚はできなくても、領地の隅っこで細々と暮らしていける自信はあった。
でも、修道院となれば話は別だ。修道院に入ることになれば、魔物を食べたりなんてできなくなってしまう。日々精霊に祈りながらそれはそれは質素に生きていかなければならず、食肉なんてもってのほかだった。私としてはなんとしても避けたい事態だ。しかし頼みの綱のお父様は、義弟のことを持ち出されてしまい、渋々ながら了承してしまったようだ。お父様は、跡継ぎになる義弟を産んでくれた後妻には弱い。今さら言っても仕方ないのだけれど、私が長女として次期伯爵となる夫を捕まえられなかったことが最大の原因だ。それでも、一年の猶予を設けてくれたことに感謝するしかなく、私は大慌てで秋の遊宴会に出席することにした。
(私がやることに口を出さない人なら誰でもいいわ)
自分で言うのも何だけど、私は特段器量が悪いわけではなく、結構愛嬌のある顔をしていると思う。マーシャルレイド伯爵家といえばそこそこの地位もあるので、政略結婚相手としては人気物件の部類だろう。しかし内々の話すらなく、お父様が必死になってばら撒いてくれた釣り書にも反応がないのは、私の噂に尾ひれがついてひとり歩きしているからだと理解はできた。
『魔物の生肉をむさぼり食べている』
『果実酒の代りに生き血をすすっている』
『魔毒に侵されまともではなくなった』
などなど。私に関する噂は、だいたいこんなものだ。酷いものでは、『生まれてくる子は魔物になる』というものもある。私は生肉なんて食べない(お腹を壊すから)し、生き血をすすったりなんかしない(お腹を壊すから)。食べる魔物は、きちんと魔毒を抜き、下処理をしてから食べている(そうでないと、流石の私でもお腹を壊すから)。
でも、私のことを不憫に思ったお父様から、「この際そこら辺の一般騎士でもいい。人としてきちんとした男なら、私は喜んで結婚を許可するよ」とすら言われてしまったのでは、仕方なくでも見つけてくるしかない。それを聞いた後妻は、目くじらを立ててお父様に詰め寄っていたけれど。一般騎士は貴族ではないので、マーシャルレイド伯爵家には相応しくないそうだ。
会場に着いた私は、たくさんの警護騎士たちの壁を擦り抜け、いそいそと壁の花……もとい、森のキノコに徹した。遊宴会は独身貴族たちの品定め的な意味もある。マーシャルレイド伯爵家の娘である私も、彼らに混じって品定めをするのだ。社交界デビューから三年を経てなお婚約者がいない駄目令嬢の自覚はあるので、ひっそりこっそり目を向けた。
貴族では話にならないから、探すのは会場中をウロウロしている騎士だ。しかし、会場内にいる騎士たちは貴族騎士なのか、腰に履いた剣が宝飾品でゴテゴテしている。一般騎士たちは会場の外に配置されているらしい。しばらくすると、私のことをチラチラ見てくる貴族たちが現れた。
「おい、あれ」
「見ろよあの赤毛……あれって魔物を食らうって噂の」
「悪食令嬢だろ。マーシャルレイド家の」
「あんな顔して生肉を食べるのか?」
「お前、声をかけてみろよ」
「やめてくれよ。襲われたらどうするんだ」
「そういえば、伯爵の先妻を襲ったとか……」
そんな話が聞こえてきて、私はそこから足早に立ち去る。それは事実無根の、一番たちが悪く聞きたくない噂だった。
(お母様を襲ったりなんてしてないわ!)
やはり貴族から結婚相手を見つけるのは無理だと判断した私は、とりあえず秋の味覚に舌鼓を打ちつつ、気ままにすごす。もう少し会場の端に移動して、一般騎士を探そう。そんなことを考えていたところで、私は突然押し寄せてきた群衆に、状況がよくわからないまま押しやられてしまったというわけだ。
◇
血塗れの二人が連れ立って歩けば、群衆が割れて自然と道ができる。
私よりはるかに背の高いガルブレイス公爵様は、その一歩も幅が広い。私はちょこちょこと小走りで着いて行きながら、面白いくらいに飛び退いていく人々の中を進んで行った。
「あの、公爵様。どこに行くのですか?」
「天幕に行けば着替えくらいあるだろう。女物ではないが、それよりはマシだ」
「私、そんなに酷いでしょうか。どのみち帰路に就くだけですので、王都まで戻れば大丈夫です」
天幕とは公爵家が設置した遊宴会用の天幕なのだろう。そんなところまで行かなくとも、付添人を見つければ公爵様の手を煩わせなくてすむ。そう考えた私は、公爵様の袖を少しだけ引っ張った。指に濡れた感触がして、白い指先が赤くなる。既に乾き始めてはいるけれど、相当たっぷり血を吸っているようだ。
「……メルフィエラ」
「ははいっ」
「汚れるぞ」
公爵様から再び不意打ちのように名を呼ばれ、返事の声が裏返ってしまった。見上げると、公爵様がこちらを見下ろしている。つい先程まで魔力を帯びて輝いていた金眼は落ち着き、今は琥珀のような色味になっていた。眼が合った私はどきりとして歩みを止めてしまい、必然的に公爵様も一緒に立ち止まる。
「お前は、血で穢れることを厭わないのか?」
公爵様が、袖を掴んでいる私の指に手を置き、やんわりと力を込めてきた。思わず指を開いた私は、公爵様が手袋を外して素手になっていることに気づく。まさか素手と素手が触れ合うなんて! 不可抗力なのだけれど、何かもの凄く恥ずかしいことのような気が……し、心臓が、バクバクして、ああっ!
「つ、つい、一週間前も捌きましたので!」
「さばく?」
これ以上直視できず、私は明後日の方向に視線を逸らした。すると公爵様が再び歩き始めたので、私は引っ張られるようについて行く。手は掴まれたままなので、私の心臓は鳴りっぱなしだ。仕方がない。公爵様の手を振り払うなんて、しがない伯爵家の娘である私にできるわけがないのだから。
それよりも、きちんとした返事をすることに集中しよう、と私は会話の内容を思い返した。公爵様は、どこまでご興味を示されているのだろう。ただの社交辞令的なものであれば、詳しく説明するのも野暮だ。
「はい、私は慣れておりますから! 魔物をいただく際に、解体とか、調理とかもいたしますので」
「そ、そういう意味か……肝が据わっているのだな」
よかった、きちんと意味は通じたらしい。公爵様はどこか感心するような声を出した。もちろん、我が家のできる使用人たちが手伝ってくれるので、なんでも一人でやっているわけではない。本当は、使用人たちに気味悪がられているのが現状だった。魔物とは一般的にそういう認識なのだから仕方がない。
魔力を持つ人以外の生き物のことを、総称して魔物という。獣も、魚も、昆虫も、魔力を有していれば皆魔物と呼んでいた。そして人々は、魔物を食したりはしない。古くは、呪われるだとか、穢れるだとか、様々な理由をつけてはいたけれど、魔力を有するが故に食用には向かなかったからだ。その理由は、魔力や魔毒によってお腹を壊すから。
そんな魔物をわざわざ食べたいと言う私は、相当な変わり者で、マーシャルレイド家の厄介者なのである。お父様だって、本当は私のこの趣味をやめさせたいに違いない。
公爵様の興味も逸れたことだし、これ以上会話は続かないだろう、と踏んでいた私は、次の質問に一瞬言葉が詰まってしまった。
「それで、美味いのか?」
「え?」
「魔物だ。美味いのか? 先程のバックホーンも、お前は当然食べたことがあるのだろう?」
「いえ、その、あの」
「あるのだな?」
「…………はい」
「で?」
「あ……う」
当然、公爵様はそんな返事では納得しなかった。目を合わせていないというのに、なんだかこちらにビシバシと視線を感じる。私はどう答えてよいかわからず、観念して正直に説明した。
「バックホーン種は牛に似た肉質で、非常に美味でした。野生のものなので、肉叩きを念入りにして、あとは炙り焼きや煮込みなどを少々」
「ほう、やはりあれは牛に似ているのか。それで、狂化さえしていなければ、魔力を帯びた肉で腹を壊したりはしないのか?」
それは、私が今まで言われてきた質問とは少しばかり違っていた。思わず公爵様の顔を見上げると、本気で知りたそうな顔をしている。今まで、下手物趣味だと蔑まれることはあっても、本当に興味を持って聞いてくれる人はいなかった。唯一、私の趣味を理解してくれているお父様も、私の身体の心配ばかりだったのに。
「魔物の有する魔力は、血抜きの時に一緒に抜けば案外簡単に抽出できるのです。普通に食したとしても、魔力酔いのような症状が出るだけですし。それを間違えなければ、立派な食材になり得ます」
「……既に体験済みというわけか」
「あ、あまり褒められたことではありませんが、実証済みのものは、資料化しておりますので」
そこまで言って、私は「もし、興味がおありでしたら、閲覧されますか?」という言葉を飲み込んだ。公爵様はきっと、魔物を好んで食べる私が物珍しいだけだ。こんな私にも気遣ってくれる優しい公爵様だもの。場を繋ぐだけの、世間話に違いない。調子に乗ってベラベラと喋っていたことが恥ずかしくなった私は、掴まれた手を引き抜こうとする。しかしそれは叶わず、むしろ公爵様は手に力を込めてきた。
「あー……メルフィエラ。初対面で言うのもなんだが」
「は、はい。申し訳ありません。お恥ずかしい話を」
「恥ずかしい? よくわからんが、その、なんだ」
言葉を選んでいるのか、少し言い淀んだ公爵様が、チラリと私を見下ろしてきた。
「こ、今度、その魔物を、私も食べてみたいのだが」