19 出発の挨拶は火柱で
バルトッシュ山や北の山脈の方に厚い雪雲がかかり始めているので、もう間もなく屋敷周辺にも雪が積もるのだろう。グレッシェルドラゴンが寒さでやられてしまわないように、マーシャルレイドの騎士たちが、別棟の周りに設置してある雪除けの魔法陣を展開させてくれた。幾分寒さが和らいだところで、ドラゴンたちが体勢を崩さないよう、荷物の重さを調整していく。いよいよ出発の準備が整った時にはすっかり昼を回っていた。
最後の確認をしていると、お父様と話を終えた公爵様がやってきた。お父様から少し離れたところに、いつのまにか本邸にいたはずのシーリア様まで来ている。側にはシーリア様の侍女たちも控えていた。一応、マーシャルレイド伯爵家にとっておめでたい日だから、渋々でも見送りに出てきてくれたのかもしれない。現伯爵夫人が公爵様と一度も顔を合わせないのも不自然だものね。その他にも見送りに出て来てくれたマーシャルレイドの騎士や使用人たちの姿もあり、私は少しほろりときてしまった。
「メルフィエラ、忘れ物はないな」
「はい! ミュランさんが指揮を取ってくれて、研究資料や道具は全部箱詰めできました」
「封印がある箱すべてがそうなのか?」
「ええ。持っていくものと廃棄ものの選別に時間がかかりましたけど、なんとか」
「廃棄の箱はあれか。結構多いな」
「きちんと資料にまとめ終えたものとか、走り書きとか。紙が手に入らない時は、木の板に書いたりしてましたから」
「よし。ミュラン、その廃棄の箱をこちらに持って来てくれ」
公爵様は、隅に置かれていた廃棄ものが入った箱を、騎士たちに言って真ん中の方に運ばせる。それは二人で抱えなければならないほどの大きな木箱に四箱分もあって、いい機会だから火を起こす時の材料にしてもらおうかと考えていたものだ。捨てるだけなのに、公爵様は一体何をするのだろう。
「あれは燃やしても大丈夫か?」
「はい、まあ、捨てるものですから」
「よし」
何がよしなのかわからないけれど、公爵様は私の肩に手を置き、お父様たちがいる方を向いた。それからガルブレイスの騎士たちに合図を送ると、騎士たちをドラゴンに騎乗させる。
「マーシャルレイド伯爵、そろそろ出発したい」
私は公爵様に連れられてドラゴンの横に立った。この前のように、ドラゴンは乗りやすいように身体をかがめてくれる。私は先に乗った公爵様から手を引いてもらいその背に乗ると、落ちないように帯革で腰を縛られた。公爵様が背後から私をすっぽりと包み込むように座り、腰に腕を回して私の身体を支えてくれるから安心だ。でも、今日の公爵様は鎧を着ておられるから、背中に当たる感触が少し硬い気がする。
「公爵閣下! 本当に休んでいかれなくてもよろしいのですか?」
余り近寄ると危ないので、ドラゴンから離れた場所に立つお父様が声を張り上げて聞いてきた。
「私も頻繁に領地を空にするわけにもいかない。ガルブレイス領は秋の真っ盛りだからな。魔物が掃いて捨てるほど沸いてくるのだ」
「そうでした。そちらはまだ秋でございましたね」
秋は魔物の活動も活発になる季節だから、公爵様も忙しいというのに。わざわざ私を迎えに来てくださって申し訳ないと思うのだけれど、とても嬉しかった。
「では、メルフィエラ。また春に」
「はい、また春に。私、しっかり頑張ってまいります!」
私はドラゴンの上からお父様に挨拶をする。次々と上空へと舞い上がっていくドラゴンを、お父様はやはり羨ましそうに見ていた。公爵様が手綱を引いて掛け声をかけると、私たちが乗ったドラゴンもゆっくりと羽を広げて離陸体勢を取る。公爵様が私の腰に回した左腕に力を込めてきて、私は万が一でも落ちないように、その腕を掴んだ。
「お義父上。すまないが、春に戻せぬかもしれん。その時は秋の婚姻の時までこちらで預かっておこう」
「閣下……結婚には準備も必要です。公爵家に嫁ぐにふさわしいものを揃えるには、最低でも半年はかかります」
「よい。メルフィエラにふさわしいものは、すべてこちらで用意する」
公爵様とお父様の謎の会話に、私は首を捻る。私は一度、春になったらマーシャルレイドに戻ってくることになっていた。冬の間の約五カ月の間を留守にするだけで、その後は自分の領地で結婚の準備を進める予定なのだ。公爵様とお父様の間で交わされた誓約によると、婚約期間は約一年。それまでの間に、私はガルブレイス公爵夫人としての勉強と結婚の準備を並行して行われなければならない。
「さて、話はここまでだ」
「公爵閣下!」
まだ何か話したいことがあるようなお父様を遮り、公爵様がドラゴンを羽ばたかせてゆっくりと離陸させる。飛空魔法の風が巻き起こり、土埃が舞った。お父様や騎士たちは、目を細めてこちらを見ていたけれど、風によってドレスが巻き上がったのか、シーリア様とその侍女たちの甲高い悲鳴が聞こえる。
「お義父上よ、心配は無用だ。メルフィエラは私が守る。私にはそれだけの地位も力もあるのだ」
そう言うと、公爵様は呪文を唱えて右手の示指に小さな火を灯す。ドラゴンの位置をずらし、公爵様が下を覗いて何かを確認した。
「ところで、メルフィエラ曰くそこの箱は廃棄するものらしいが、ひとつひとつ燃やすのも面倒ではないか? 今日の私は気分がいい……片付けてやろう」
その瞬間、置かれていた木箱が白い火柱をあげた。公爵様の魔法によって、廃棄箱が燃えていく。燃えていくというよりも、灰になっていく。眩しいくらいの炎に私は顔の前に手をかざした。それにしても凄いくらいの威力だ。下を見ると、一番炎に近い位置でマーシャルレイドの騎士長クロードが魔法による防御壁を展開していた。他の騎士たちは、お父様やシーリア様を守るようにして炎の前に立ちはだかっている。
さすがにいきなりだったからか、お父様の目が驚愕に見開かれている。シーリア様の方は、多分、腰を抜かしてしまったみたいだ。侍女たちと一緒に近くにいた騎士にすがりついているけれど、その顔は恐怖に引き攣っている。
「それは対象を燃やし尽くせば自然と消える。そうそう、メルフィエラの自室や研究棟にも同じような魔法の封印を施してある……燃やし尽くされたくなくば、うっかり封印を破らないことだ」
「ガルブレイス公爵閣下! これはさすがにやり過ぎです! 我が領主に何かあったらいかがなさるのですか!」
騎士長クロードが、公爵様を見上げて叱責した。しかし、白い炎に照らされた公爵様は、悠然と微笑みを浮かべている。その瞳は魔力を帯びて金色に輝いていて、私と目を合わせると自信満々の笑みをたたえた。悪戯が成功したような無邪気な笑いもいいけれど、少し悪そうな雰囲気の笑みも素敵。
「私がそのようなヘマをおかすとでも? クロードといったか……お前はやはり見込みがある。ガルブレイスに来い、席は空けておくぞ」
「だ、誰が!」
「ははっ、冗談だ。お前の忠誠心は見上げたものだな……公国の情勢に気をつけておけ。こちらも何か気づいたことがあれば伝えてやる」
クロードがハッとしたような顔になり、警戒を解いて騎士の礼をした。公国とは、隣のティールブリンク公国のことだろうか。マーシャルレイドではお父様の代になってからこちら、公国といざこざがあったとは聞いてないけれど。私が問いかけるように公爵様を見上げると、公爵様は「婚約者の領地を気遣うのは当たり前だからな」と仰ってくださった。もしかしたら私が知らないだけで、山脈の向こう側にある公国とラングディアス王国には、何か事情があるのかもしれない。
「よし、今度こそ行くぞ」
公爵様がグレッシェルドラゴンを操って、高度をぐんぐんと上昇させていく。白い火柱はまだ燃え盛っていたけれど、箱はすっかり燃え尽きていたから、いずれ自然と消えてしまうのだろう。私を見上げていた人たちの顔が見えなくなり、その姿が豆粒のようになると、私はようやく顔を上げた。
「寂しいか」
「少しだけ……でも、これからの生活のことで頭がいっぱいです」
「お前は今まで通りにお前らしくあればいい。ガルブレイス公爵夫人の一番の務めは、夫である公爵を労い、癒すことだ」
「労い、癒す……私にそんなことができるのでしょうか?」
正直、貴族の令嬢らしいことを何ひとつとしてできる自信がない。歌や楽器ができるわけでもなく、見て目の保養ができる美人でもない。その一番の務めが、一番難しいのでは。私の不安が、顔にも現れてしまったようだ。公爵様は私の結われた髪に触れ、少しほつれていた髪をくるくると指に巻き付けた。
「今でも十分に癒されている。お前から魔物の話を聞くのも楽しい。髪は……できるだけ下ろしていてくれ」
「私の髪、油断するとすぐに爆発してしまうんです」
「それがいいんだ。触るとふわふわで、最高に癒される」
先に出発したドラゴンたちが、上空で待機していた。そのドラゴン一頭一頭が、薄い魔力の膜のようなもので覆われているから、あれが冷気を遮断する魔法のようだ。私も全然寒さを感じていないから、公爵様が魔法を使ってくれているのだろう。隊列を組んだドラゴンたちが、悠々と空を行く。
「あの、公爵様。こちらの方向は……」
ここから行けば、ガルブレイス公爵領は真っ直ぐ南の方にあるはずだった。しかし公爵様がドラゴンの頭を向けたのは、バルトッシュ山がある北の方角だ。何故北に向かうのだろう。
ふと下を見ると、干上がった湖のほとりにある研究棟が見えた。空から見たのは二回目だけれど、どこか違和感を覚える。なんだろう、何か足りないような。
(あっ、石畳がない⁈)
研究棟の中庭にあったはずの白っぽい石畳がなくなっていて、茶色の土が見えていた。三日前までは確かにあったはずなのに。あの石畳には魔法陣も描いてあったから、もしかして剥がして持って行ったとかだろうか。
「事後報告になってすまない。お前の許可を得ていなかったのだがな」
「公爵様、魔法陣を描いた石畳は」
「すまない、メルフィエラ。放置しておくと悪用されかねないと思い、石畳ごと破壊してしまったのだ。だが、あの魔法陣は丸ごと描き写してある」
「余計なお気を遣わせてしまってごめんなさい。あの魔法陣は、私だけにしか反応しないようになっているのです。染料に私の血を混ぜて描きましたから」
そう説明すると、公爵様は「むう」と唸ると、私の頭をポンと撫でてきた。どうやら公爵様は、研究棟の様子を見せに来てくれたらしい。公爵様は律儀な人だと思う。研究棟そのものに封印までしてくださったことといい、最初の印象の通り、お気遣いの人だ。
「それも、お前の母親の研究か?」
「あの魔法陣は、お母様の魔法理論をもとに私が完成させました。何度も失敗した結果、曇水晶を代用することで落ち着きましたけれど、まだまだ改良の余地はあるかと」
「ガルブレイスで好きなだけ研究に打ち込むといい。魔物は私が狩ってきてやる。ロワイヤムードラーの肉を食べた者たちが、他の騎士たちに言いふらしてな。皆、他の魔物でも試して欲しいとうずうずしながら待っているぞ」
ガルブレイス公爵領の騎士たちに、まずは何を振る舞えるだろうか。先に持ち運ばせたロワイヤムードラーの肉でもいいし、何か新しい魔物でもいい。
公爵様の言葉に期待に胸を膨らませた私は、段々と遠ざかっていくマーシャルレイドの領地に、暫しの別れを告げた。