16 狂血公爵の婚活事情(公爵視点)
『違うんだ、メルフィエラ。俺は……お前が俺をどう感じているのか知りたい。お前は、『狂血公爵』と呼ばれる俺が怖くないのか? 魔物を屠り続け、血に塗れ、公爵とは名ばかりの無作法な男のことを、どう思っている?』
あの時、俺の言葉を聞いたメルフィエラは、緑の瞳を丸く見開いていた。さぞかし驚いたことだろう。俺とて平静を装いつつも、答えを聞くまでその内心は戦々恐々としていたのだからな。
(怖くないか、だと。笑わせる)
俺のような地位のものからそんなことを言われても、正直に答えられるはずがない。そんな予想を裏切り、メルフィエラは実に正直に答えてくれた。「格好いい」などと言われ、柄にもなく動揺してしまったが。俺の容姿はともかく、魔眼のことも大丈夫そうだとわかり、かなりホッとした。俺は目が金色に光るくらいに魔力が強く、視線に魔力を乗せることができる『魔眼』を持っている。出会った時も魔眼が発動していたのだが、メルフィエラは「ドキドキしてしまう」と可愛らしいことを言ってくれた。多分、俺自身を受け入れてくれていると思う……思うだけで自信はないが。
また、メルフィエラは自分が役に立てるのかを気にしているようで、それは彼女が人から認められたいと思っている現れでもあった。俺に関していえば、そんなことを気にしなくてもいいのだがな。彼女が彼女らしくあってくれれば、今のままで十分だ。
本当は、こんなに早く婚約をとりつけるはずではなかった。しかし、お節介な身内は容赦なく俺をせっついてくる。陛下からマーシャルレイド伯爵家の調査報告書を手渡されたのは遊宴会から二日後。ご丁寧に、どこかの貴族宛に送られたメルフィエラの釣り書まであったのは何の嫌がらせなのだろう。俺のところには送られてきていなかったというのに。肖像画の彼女は可愛いが、どこかとりすました顔をしており、髪も複雑に結われていた。俺は魔物を前に生き生きとした顔になる彼女の方が好みだ。あの綺麗な赤い髪も、ふわふわしている方がいい。そういえば、彼女の手は小さくてすべすべしていたな。研究室でずっと触れていたことを今さらのように思い出した俺は、まだ残っている感触を思い出すべく手を握ったり開いたりしてみる。
(肖像画だけを見れば、婚約の話も普通に舞い込んでくるだろうにな)
報告書によると、彼女が『悪食令嬢』と噂になった原因――魔物食を好み、怪しげな研究をしていることについては、十七年前に国を襲った厄災と亡きマーシャルレイド伯爵夫人が関係していることが明らかであった。実際に噂になり始めたのは、マーシャルレイド伯爵が後妻を迎えてからだ。その後妻は、どうやらメルフィエラを嫌っているらしい。そういえば、後妻は現在病気療養中だということだ。
「だ、だいたいのところ、閣下のお考えはわかりました」
「そうか、ならば誓約書に署名をしてくれ」
「ですが、ガルブレイス公爵ともあろうお方が、あまり褒められた話のない私の娘を婚約者に選ばれるなど、未だに信じられないのです」
マーシャルレイド伯爵が、言いにくそうに答える。俺は今、婚約話を詰めるためにマーシャルレイド伯爵の本邸の応接間にいた。目の前にはメルフィエラの父親であるマーシャルレイド伯爵が座っている。白髪まじりの茶色の髪に、一見柔和そうに見える人当たりの良い顔立ちの男だ。頬が日に焼けているので、よく外出をしているらしい。
(それにしても父親と全く似ていないな。メルフィエラは母親似なのか)
伯爵はメルフィエラのように赤い髪でもなく目の色も違う。顔立ちも、愛らしい彼女のかけらもない。きっと彼女は母親似に違いない。そうだ、母親の墓前に報告しておかねばなるまい。二日ほど滞在する予定なので、時間を見て案内してもらわねばな。
俺は急に、メルフィエラのことが気になってきた。彼女は今ごろ何を考えているのだろうか。実はあの研究室で返事をしようとした矢先に、マーシャルレイドの騎士長が俺たちを呼びにやってきてしまったのだ。そのまま、彼女への返事はうやむやになっている。間の悪い騎士長が、「屋敷で迎え入れる準備ができた」と報告に来たのだが、あれは絶対に俺たちの話を聞いていたはずだ。あのクロードとかいう騎士長、騎士として実によくできる人材だ。怪しげな申し出をした俺に対する警戒心はビリビリと感じているが、それも任務に忠実な証拠の現れだからな。まあ……何かと邪魔をされるのは勘弁願いたいが。
「公爵閣下。そちらの申し入れを私どもが断る理由はございませんが……本当に、本当に、娘でよろしいのでしょうか?」
「『で』いいのではなく、『が』いいのだ。あの類稀なる娘を得られるならば、ガルブレイス家として光栄だ」
「そ、そこまで言っていただき、父親として嬉しい限りでございます」
マーシャルレイド伯爵が、深々と頭を下げる。だいぶ自分を取り戻したようだ。応接間に入ってすぐ、俺が秋の遊宴会の出会いから、手紙をしたためるまでの経緯を話したところ、伯爵は口をあんぐりと開けてほうけてしまったのだ。スカッツビットの干し肉について絶賛したら、伯爵の顔が真っ青になった。「初対面の人に勧めるなと、あれほど!」と叫んでいたので、メルフィエラは後から叱られるかもしれない。すまない、メルフィエラ。
暑くもないのに汗を拭う仕草をした伯爵が、応接机の上に置かれた婚約誓約書に目を向ける。ガルブレイス公爵家の紋章入りの上質な魔法紙には、既に俺の署名が入っていた。後は、伯爵が署名するだけで、俺とメルフィエラの婚約が整う。何度も羽根筆を握ったり置いたりを繰り返しているので、伯爵はまだ迷っているようだ。
「それで、その、公爵様。私の娘を気に入ってくださったことはありがたいのですが」
「気に入ったなどという言葉は的確ではないな。私は、あの娘がほしい。彼女にはこちらの事情を話している。後は伯爵、貴方の許可を得るだけでいい」
「そ、そうは言われましても、あの娘が、ガルブレイス公爵家に受け入れられるのか心配なのです」
伯爵の心配はもっともだ。メルフィエラと違い、伯爵はこちらの事情を当然知っている。ガルブレイス公爵家当主は、別に妻を迎える必要性がない。養子で成り立つ家系が、何故婚約者を迎え入れようとしているのか。腹を割って話す必要があると考えた俺は、まずメルフィエラのいいところを述べることにした。
「私がまず気に入ったのは、その度量だ。私を『狂血公爵』と知っていてなお、彼女は物怖じすることはなかった。噂に踊らされず、私自身を見てくれていたことに、私は心惹かれたのだ」
「そうだったのですか……あの娘も苦労をしておりますので、何か感じるものがあったのかもしれません」
「それと、魔物に動じない度胸。顔やドレスが血塗れになっても「洗えば落ちる」とそれだけだ。魔物に慣れているガルブレイス領の娘でもそうそういないぞ」
「ま、まあ、娘は常に何かしらの魔物を捌いておりますので、はい」
「魔物の話になると生き生きとするのだ。今日も、なんとも癒される可愛らしい笑みで、嬉しそうにロワイヤムードラーを捌いていたぞ」
「あれが癒される? 可愛らしい? 我が娘ながら、血のついた巨大な刃物を手に微笑む姿はどうかと思うのですが。閣下……閣下も大概ですね」
伯爵は乾いた笑いを漏らすと、もう一度羽根筆を握る。それから、あんなに悩んでいたのが嘘のようにすらすらと署名をすると、刻印の入った指輪を外して署名の後ろに魔法印を押した。
「公爵閣下。あの娘は、マーシャルレイドの土地では肩身の狭い暮らししかできません。精霊信仰と領民の生活は、切っても切れない関係です」
「精霊信教、だったか。ここには修道院もあるのだったな」
「はい。いずれ娘はその修道院に入る予定でした。娘のことを思えば反対したい……ですが、私には伯爵としての責務があります。情けないことに、父親としてあの娘を守ってやれないのです」
「わかっている。ガルブレイス公爵家に来るからには、彼女のことは私が守る」
俺は誓約書を確認すると、自分の署名に手を置く。伯爵も手を置き、魔法印を発動させた。手のひらにチリチリとした痛みを感じ、お互いの刻印が手の甲に浮かび上がる。これは魔法による誓約の証で、誓約書に書いてあることが破られると、手が弾け飛ぶという物騒なものだ。
「後のことは安心して私に任せるがいい」
「閣下がこの誓約書を出してこられた時から覚悟はしておりました。娘のことは本気なのですね」
「当たり前だ。研究も含め、今後はガルブレイス公爵家が後ろ盾となる。精霊信教などに手出しはさせん」
「はい、よろしくお願い申し上げます」
生活に根差した信仰を、今さらどうこうできない。マーシャルレイド伯爵は、娘を守るために俺に全てを託したのだ。
「やはり、貴族というものはしたたかだな」
「どうなさいましたか、公爵閣下」
柔和な顔で俺を見た伯爵の目は、抜け目なく光っていた。伯爵が垂らした餌に、俺は見事に引っかかってしまったというべきか。それとも、たまたま得た俺という魚を、伯爵が逃がさないようにしただけなのか。
「伯爵……いや、お義父上。今後は、『悪食令嬢』の噂を広めることを控えていただきたい」
「はて、何のことでしょう?」
「メルフィエラを守るために噂を流したのは貴方だろう」
伯爵は俺の質問に答えず、ただその目を細めて笑った。
(領地では箝口令を敷き、貴族の間に悪い噂を意図的に流してメルフィエラの婚約を潰し、研究を、彼女を守っていた……そうなのだろう?)
思えば、違和感はあったのだ。マーシャルレイドの騎士たちは、メルフィエラに協力的だった。クロード騎士長は、やけに俺たちを警戒していた。まるでメルフィエラに害をなす者を監視するかのように。
してやられた感はあるものの、伯爵が婚約の申し入れを受け入れたということは、そのお眼鏡に適ったということだ。まだまだ自分が未熟であったことが悔しい反面、彼女を守るに相応しい男だと認められてよかったと、俺は心底安堵した。