15 魔物を食べる理由2
公爵様は緊張しているのか、手に力が入っている。口を引き結んで私をじっと見つめてくるので、私の方まで緊張してきてしまった。
「こ、怖いだなんて失礼な言い方です。公爵様は、とても凛々しく、格好いい……と思います」
「か、格好いい」
途端に、公爵様のお顔が真っ赤になる。私だって顔が熱い。どうしよう、公爵様がお聞きしたかったことって、こういうことじゃなかったの⁈
「本当にそう思うか?」
「はい、私もですが、十人が十人に聞いても間違いなく全員がそう思うかと」
何故か公爵様が、悔しそうというか微妙な顔をした。
「その、月明かりのような髪の色も素敵ですし」
「月明かり……いや、ただの色褪せた灰色なんだが」
「琥珀色の瞳が魔力を帯びて金色になるのはドキドキしてしまいます」
「これは魔眼だぞ。気持ち悪くないか?」
「いいえっ! バックホーンの首を落とされた時の公爵様の素晴らしい金眼は、私の脳裏にしっかりと焼きついています」
「それは魔眼に当てられたのでは」
「違います。一度見たら忘れられない迫力でした」
「そう、か。お前が問題ないなら」
何故かお互い目を逸らすことができず、私は恥ずかしさのあまりに早口でそのまま続ける。
「魔物を屠ることだって、誰かがやらなければならないことです。公爵様はお役目を全うなされているだけで、何故皆、それを『怖い』で片付けてしまうのでしょうか。魔物相手に戦うのですから、武器だって必要です。血で汚れることも当たり前じゃないですか」
「気の利いたことも、洗練されたこともひとつもできないのだが、気にならないのか?」
「貴族は領民を守る義務があります。公爵様はガルブレイスの領民だけではなく、国民の安寧を担われているのです。贅沢をしたり遊びに興じたりすることに力を注ぎ、噂話を面白おかしく広めたりする貴族たちとは訳が違いますわ」
やはり公爵様も心ない噂により傷ついておられたのだ。まだ手を握ったままだった公爵様が、私の指をふにふにといじり始めた。冷たかったはずの私の手はすっかり火照ってしまい、今は熱くて仕方がない。
「婚約者としては、どうだろうか」
公爵様らしくない、自信のなさそうな小さな声だ。そこでふと、私は公爵様のことを自分が考えていた婚約者の条件に当てはめてみた。婚約してくれるのであれば本当は一般騎士でもよかったので、そこは申し分ないほどだし、むしろ公爵様と伯爵家の私との身分差が問題なくらいだ。それから、公爵様はかなりの美貌をお持ちで、こんなに素敵で格好いい人と毎日顔を合わせられるなんて素晴らしいと思う。私の方は普通に見られる顔だと思うけれど、公爵様と並ぶと見劣りしてしまうかもしれない。これまであまり美容やお洒落に気を使っていなかったツケのせいだし、今さら誤魔化しようもない。私の研究については、口を挟まないでいてくれるならそれでよかったから、公爵様が私の探究心を満たしてくださるのであれば何も問題はない。
(こ、これは……お父様がお許しくださるなら、私にとって楽園のような日々が得られるということ⁈)
俗物的かつ打算的ではあるけれど、修道院に行くことを考えると、私にとっては飛びつきたくなる美味しい話だ。でも、と良識ある私が待てをかける。でもそれなら、公爵様は私の研究を得る他に、私自身のことをどう思われているのだろう。私が公爵夫人として務めを果たせるとは思えない。勉強して頑張ったところで、どこまで立派になれるのか。不安しかない。考えれば考えるほど気になってきた。
「質問を質問で返すことをお許しください。公爵様であれば婚約者選びなど引く手数多ではないですか? 何故、私なのです。いずれ結婚に至ったとして、気味の悪い噂を持つ妻を領民の方々が受け入れてくださる訳がありません」
領民の命を救ったはずのお母様ですら、亡くなった後に話題にすらのぼらなくなったのだ。マーシャルレイドの領地は、精霊信仰が盛んなティールブリンク公国と隣接しているため、その信仰は領民の生活に根差していた。ガルブレイスの領地はここよりも南に位置していて、精霊信仰もここほどに盛んではないとはいえ、忌避される魔物を食する令嬢なんて嫌だろう。
「領民たちはお前を歓迎すると思うぞ。俺は騎士たちと共に日々魔物を狩るだけだ。魔物など、その皮革と牙や角などの素材にしかなり得ないものだと思っていた」
公爵の目が、私の目を通してどこか遠くを見る。公爵様は(多分無意識に)私の手をにぎにぎしながら、疲れたように話し始めた。
「毎日毎日、魔物の山。魔物が蔓延ると相乗効果なのか魔力が溜まりやすくなり、やがてそれが魔毒になって魔物が狂化する。ガルブレイス公爵の名を継ぐ者は、それを阻止する役目があるのだ。狩るのも人であれば、その死骸を処理するのも人だ。魔物を燃やして埋める作業にも膨大な費用がかかる。グレッシェルドラゴンや炎鷲、その他騎獣にしている魔物たちの餌にするにも限度があるからな。それでも俺は狩り続けねばならず、魔物は容赦なく沸いてくる」
エルゼニエ大森林は魔物の聖地。そんな風に考えていた私にとって、公爵様の語る事実は衝撃だった。確かに、魔物が体内に有する魔力は、溜まりすぎると魔力が凝って魔毒になる。魔物が増えることで狂化に繋がるとは知らなかった。
(だから、ガルブレイス公爵家は養子を取るのね)
日々魔物と戦う騎士たちをまとめる度量と、魔物を屠るための屈強な身体と技量。加えて(私は言われるまでわからなかったけれど)公爵様は魔眼をお持ちで、その魔力量は普通の人とは比べ物にならないくらいに多いはずだ。まさにガルブレイス公爵となるために生まれてきたお方と言っても過言ではない。でもそれは、公爵様が本当に望んでそうなられたのかわからない。私には、公爵様が「そうあらねば」と自分に枷をかけているようにも思えた。
目をつむり、長い溜め息をついた公爵様が前髪をかき上げる。そして再び目を開けると、少しだけ微笑みを浮かべた。
「お前が楽しそうに魔物食について語り、実際にロワイヤムードラーを調理しているのを見て、俺は衝撃を受けたぞ。こんな考え方もあるのだと。俺たちも魔物を食べることはあるが、あんなに完璧に魔力を抜く方法などないと思っていたからな」
「それしか取り柄がなくてお恥ずかしい限りです」
「何を言う。俺はお前こそ素晴らしいと思うぞ」
「では、私の研究は公爵様のお役に立てますか?」
私は、お荷物的な存在にならなくて済むのだろうか。そうなれば、お父様やシーリア様に迷惑はかからない。マーシャルレイドの『悪食令嬢』だって、誰かの役に立てるのであれば、お母様や私の研究が日の目を見ることができるかもしれない。もちろん、公爵様には絶対に絶対に迷惑になるようなことをしては駄目だから、慎重にしなければ。
「お前の母親がやり始めた研究だというが、お前も立派にそれを受け継いでいるではないか。メルフィエラ、俺がいればお前に不自由はさせない。あらゆる悪意からお前を守る。だから、十七年前の大飢饉から領民を救ったその知識で、ガルブレイスの領民たちを助けてほしい」
そんなことを言われて、私は信じられない気持ちと、期待で頭の中がいっぱいになる。これはきっと、私と公爵様の間の契約だ。物語のように甘酸っぱい愛だの恋だの、私たちの間にそんなものはない。もちろん公爵様は美丈夫だけど、それはそれ、これはこれ。でも、公爵様とであればうまくいくような、そんな気になってきた。
隣り合わせに座ったままだけれど、私は居住まいを正して公爵様を見上げた。
「私の身に余る申し出をしていただき、とても嬉しく思います。公爵様はまるで救世主です。私などにはもったいないくらい、素晴らしいお方です」
「メルフィエラ。俺は回りくどい言い方は苦手なのだ。断るならば端的にお願いしたい」
公爵様の目が再び憂いを帯び、その声が硬くなる。違う、そういう意味じゃない。断るだなんて、そんなこと――
「是非ともよろしくお願い申し上げます!」
もどかしくなって突然声を張り上げた私に、公爵様が目をぱちくりさせた。私は逆に公爵様の手を握ると、ギュッと力を込める。お父様と話を詰める前に、是非とも私の気持ちを知っていただきたい。
「私はこの通り、誰にも見向きもされてきませんでしたけれど、研究にしか興味がなく、貴族の令嬢らしいことなんて全くできませんけれど! 公爵様が魔物を狩ることがお役目ならば、私はそれを無駄にせず美味しくいただけるように協力します。魔力を溜めた曇水晶も公爵様に差し上げますから、遠慮なく使ってください」
私はこれ以上ないくらい、はしたなくも自分を売り込んだ。うまくいけば、結婚までいくのかもしれない。そうでなくても、研究者として暮らしていくのはどうだろう。ガルブレイス公爵家は跡継ぎを養子から選んでもかまわない特殊な貴族だ。「魔物を食べた者の子は魔物になる」だと反対されても、養子でいいなら解決できる。それはちょっと……かなり悲しいけど、公爵様に迷惑をおかけしないことを第一に考えなければ。婚約期間はいわばお試し期間だし、と都合よく解釈した私は、公爵様に向かって深々と頭を下げた。
「私にはそれくらいしかできませんけれど、それでいいと仰ってくださるのであれば、どうぞ貰ってやってください!」