12 毒見は大切です
私や公爵様の指示の元、ロワイヤムードラーの巨体があっという間に解体されていく。
内臓を慎重に取り除いた後、公爵様は桶に入れられた臓物を「グレッシェルドラゴンに食べさせる」と告げて厩舎に入っていった。なんでも、公爵様が狩った魔物は、ドラゴンや他の肉食の騎獣たちの餌にしているということだ。素晴らしい。魔物を余すことなく利用するというその精神。私も大賛成だ。
内臓を処理した後は、流水をかけて血を綺麗に洗い流す行程だ。私は、先ほど魔力を吸い取らせたばかりの曇水晶を、水を浄化する装置に設置した。浄化装置は、雨水をろ過した水をさらに綺麗にするために、私が魔法陣を構築して自作したものだ。この研究棟がある場所は、過去の大干ばつのせいで水脈の場所が変わってしまっていた。掘っても十分な水は得られないので、必要な分はすべて貯水槽の雨水で賄っているのだ。
私はかつて噴水だった場所に水を流し込むと、ロワイヤムードラーを吊し器ごと移動させ、肉に残った血を念入りに除去していく。この作業を怠ると、臭みが残って台無しになってしまうのだ。私が冷たい水にも負けず肉を洗っていると、マーシャルレイドの騎士長クロードがやってきた。
「メルフィエラ様、少しよろしいですか?」
「何かしら。大事な作業中だから、このまま聞いてもいい?」
「伯爵様より狩猟許可状を預かって参りました」
「まあ、ありがとう! これでドラゴンたちも一安心ね」
私は一旦手を洗い、騎士長から許可状を受け取る。バルトッシュ山は雪に覆われておらず、餌となる魔物もまだ冬眠していない。ドラゴンの腹を満たせるだけの魔物を狩ることができるだろう。
さっそく公爵様に渡すため、厩舎に向かおうとした私を騎士長が呼び止める。
「メルフィエラ様」
「何かしら」
「……何故あの者たちをここに連れて来たのです。自分は、亡き奥方様とメルフィエラ様の研究のすべてを、彼らに見せるのは反対です」
「クロード騎士長、それはどうして? 公爵様は、私に偏見を持ったりなんかしていないわ」
私は目だけを動かしてクロード騎士長を見る。騎士長は首を横に振り、声を潜めた。
「婚約の申し込みなど建前です。メルフィエラ様の魔物食が物珍しいだけであれば、まだなんとかなりましょう。しかし、ここでの研究を利用するための口実だとしたら、私は断固抗議いたします」
肉を洗い終えたことを確認した私は、肉を各部位ごとにわけるようマーシャルレイドの騎士たちに頼んでから、クロード騎士長に向き直った。
「何故いけないの? 研究を利用するためという理由だって立派な理由よ。それに、私は公爵様から婚約の申し込みの理由をお聞きしていません。邪推してはいけないわ」
「メルフィエラ様、お聞きください。ガルブレイス公爵家は、代々、エルゼニエ大森林の魔物を屠ることを生業にする者たちです。魔物を掃討するために貴女様に目をつけ、研究を利用しようとしているとは考えられませんか?」
騎士長にそう言われて、私は「そういえば」と思い出した。ガルブレイス公爵家は特殊な任務を担っていると聞いたことがある。ガルブレイスという姓と爵位は、その任務を遂行できる力量のある者が受け継ぐものだと。事実、公爵様は養子であられるらしい。だけれど、それがなんだというのだろう。もし仮に魔物を掃討するために私の研究を利用したいというのであれば、私は喜んで協力する。
「私は母の研究を完成させたいの。それに、魔物食の有益性を皆に証明したいと思っているわ」
「あの『狂血公爵』が、貴女様の研究を正しく使うとは限らないのですよ⁈」
騎士長は尚も言い募る。心配してくれているのはわかるのだけれど、流石に言い過ぎだと思う。それに、公爵様は噂されるような恐ろしい人ではない。
「それ以上は控えなさい、クロード騎士長。公爵様をそう呼ぶのであれば、私は『悪食令嬢』ですね」
「ち、違います! メルフィエラ様は」
「噂に踊らされてはなりません。少なくとも私は、公爵様のことをもっと知りたいと思いました。それに、私の研究が役に立つのであれば……」
私はそれ以上は言わず、騎士長から視線を外す。騎士長もそれ以上は何も言わず、私に一礼をしてから踵を返した。
(いきなり求婚だなんて、特別な理由があるに決まっているもの……)
私はむくむくと湧き上がる不安を振り切り、厩舎から戻って来た公爵様の元へ向かう。私に向かって軽く手を挙げた公爵様は、やっぱり凛々しく、そして優しい目をしていた。
「公爵様、狩猟許可状が届きました! これでドラゴンたちもお腹を満たすことができます」
「ありがたい。ロワイヤムードラーの臓物だけでは足りぬと文句を言われてな」
「ドラゴンが文句を? それはとっても怖そうですね」
「私の騎竜は食い意地が張っていてな」
そんな話をしていたら、なんだか急にお腹が空いてきてしまった。私は空腹を訴え始めたお腹に手を当てると、切り分けられたばかりのロワイヤムードラーの肉を見る。
「公爵様、お腹が空いてきませんか?」
すると、公爵様も自分のお腹に手を当てて、私と同じように肉の塊を見た。
「ああ、かつてないほど空腹を覚えているな」
駄目だ。考えれば考えるほど、我慢ができなくなってきた。私は湧き出してきた唾液を飲み込むと、内緒話をするような囁き声を出す。
「あそこに、とっても美味しそうなお土産がありますね」
「ああ、一級品だぞ。早く食べてもらいたいものだな」
「熟成させた肉もいいですけれど」
「新鮮な肉は今しか食べられない」
私が公爵様を見上げて微笑むと、公爵様も私を見下ろしてにやりと笑う。私は一番柔らかく、赤身の間に脂が綺麗に入っている部位を指差した。
「あそこの身を少しだけ切りとって、軽く炙っていただいてみたくありませんか?」
「これだけの肉があるんだ。もう少し希少部位でもよくはないか?」
「それは素晴らしい考えですね」
「メルフィエラ、お前も悪いな」
「いえいえ、公爵様ほどでは」
私と公爵様は無言で頷くと、すぐさま行動に移す。公爵様がガルブレイスの騎士たちが持ってきた皮袋を開け、何やらゴソゴソと漁り始める。私は作業をしている騎士の間を通り抜け、何食わぬ顔で一番柔らかそうな肉を切り取った。物置小屋の隣には、野外調理場がある。私は迷わずそこに向かうと、薪の準備を始めた。
「メルフィエラ、これを使うといい」
色々と道具を持ってきた公爵様が、何かの粉末が入った小瓶を手渡してくる。蓋を開けると、益々お腹が空くような香りがした。
「これは……香辛料ですね」
「料理長のところからくすねてきた。様々な香辛料を混ぜて砕いたものでな」
「ああ、食欲がそそられます。たまりませんね」
私は野外調理場のかまどに薪を入れ、小さな魔法陣の上に魔力の詰まった曇水晶を置いて火をおこす。本当は炭があればいいのだけれど、あいにくここにはない。
「公爵様、これは毒見です」
「ああ、毒見だな」
「決して、つまみ食いなどではありません」
「無論だとも」
まずは、ひと口大に切った肉を串に刺し、満遍なく香辛料を振りかける。もうこれだけで口の中が唾液でいっぱいになる。香辛料には塩も入っているようで、舐めると少しピリッとして、爽やかな香りがした。
薪の火が十分に燃え上がり、私は期待を込めて串肉を炙り始める。パチパチと薪が爆ぜる音がして、極上の肉がジュウジュウと脂を燃やす。
「念のために、最初はしっかりと中に火を通しましょう」
「……焼けるまで待てと⁈ これは耐えがたい拷問だな」
「公爵様、すべては美味しくいただくための必要な行程です」
「もう焼けただろう?」
「まだです。ひっくり返してもう一度焼きます」
私は串肉をくるっとひっくり返す。少し焦げ目がついた肉に、私と公爵様は同時に唾液を飲み込む。ジュウジュウパチパチ、肉と香辛料の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、私はまだかまだかと焼けるのを待った。
「……閣下、メルフィエラ様。つまみ食いですか?」
突然、背後からケイオスさんの声がして、私はびっくりして飛び上がる。肉に集中していて背後の気配に気づかなかった。それは公爵様も同じだったようで、公爵様は毒見用の肉をケイオスさんの視線から隠すように立ちはだかった。
「突然背後に立つな! 何でもない」
「何でもないって、そんないい匂いをさせておきながら」
「そうだ許可状。ほら、ケイオス。狩猟許可状だ。騎竜たちに餌を食べさせてやれ」
「メルフィエラ様、ありがとうございます。では閣下もご一緒に」
「わ、私はメルフィエラとだな」
「閣下の騎竜はお腹を空かせて文句を言っているというのに、自分だけつまみ食い」
ケイオスさんが半眼で公爵様を見る。ぐっと言葉を詰まらせた公爵様が項垂れ、いい具合に焼けた串肉を見る。
「……わかった。お前にもひと口やる」
「ひと口」
「ええい、くそっ! ひと串やる」
「ありがとうございます。どうせならひと串と言わず、皆にも。メルフィエラ様、うちの騎士たちはこれまで酷い魔物肉しか食べたことがないのです。皆、メルフィエラ様の下処理法を見て感心しきっております。どうか、つまみ食い……毒見役の栄誉をお与えください」
にっこりと笑ったケイオスさんの背後には、匂いに釣られて様子を見に来たガルブレイスの騎士たちが、もじもじとしながら待っていた。確かに毒見は大切だけれど、これってもう毒見でもつまみ食いでもないのでは⁈
マーシャルレイドの騎士たちまでやって来てしまったので、結局、試食と称した串肉をたくさん作ることになってしまった。公爵様は心なしか残念そうにしている。がっかりなさらないで、公爵様。一番いい肉は、きちんと公爵様に差し上げますね。