99 夕暮れ色の果実を糖酒で軽く炙って2[食材:ラポッソス]
『ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・マギクス・ルン・ヴェネーノ・ウ・ピラーズス・バルミルエ・スティリス』
私の魔力と呪文に反応した魔法陣が光り出す。
「すごいな。アリスティード以外に古代魔法語を使いこなす人がいるなんて……」
国王陛下が立ち上がって光る魔法陣を凝視する。ラポッセスの果実は水分量が少ないらしく、私は集中して果実に含まれた魔力に働きかけた。
『イード・デルニア・オ・ドナ・マギクス・ルン・ヴェネーノ・ウ・ピラーズス・バルミルエ・スティリス・ルエ・リット・アルニエール……』
魔樹や魔草は生きた状態で魔力を吸い出さなければならない。枯れるとか腐らせるとか、とにかく明確な『死』の状態にすると魔力が細部まで分散してしまい、うまく吸い出せないのだ(試しに火を通してみたこともあるけれど、魔力を完全に取り除くことができず失敗に終わった)。さらに植物系の魔物は、実ができると種に魔力が集中するものが多く、このラポッソスもそうだった。種に触れると魔力が放出されたり、その種特有のなにかが分泌されたりと『魔物』らしい反応を見せるものもあるけれど、ラポッソスはそうではなさそうだ。
(どんな味がするのかしら)
海のないマーシャルレイドではラポッソスは棲息できないため、食べたことはなかった。ふわりふわりと浮かび上がってくる魔力の色は、橙色と紫色の二色あってとても綺麗だ。でも、スクリムウーウッドのように甘い匂いはしないから、どのような味なのか想像がつかない。
「魔力ってこんなに美しく輝くのね。まるで宝石みたい」
王妃陛下が魔力の輝きにうっとりと目を細める。
「クラハの魔力も澄んだ空の色で美しいよ」
「あらそう?」
「いつになったら信じてくれるのかなぁ」
「そうね、貴方が隠居する頃かしら」
国王陛下と王妃陛下はとても仲がよろしいご様子だ。国王陛下の揶揄うような顔はアリスティード様にそっくりだけれど、王妃陛下は流れるように軽く受け流しながらも嬉しそうだ。王妃陛下は当時まだ立太子したばかりだった国王陛下を支え、西国グラムベルクの侵攻を阻止するために戦場に立った女傑でもあるそうだ。王妃陛下の武勇伝を題材にした歌劇は人気があり、特にお二人の馴れ初めは社交界に出ずに領地に引きこもっていた私ですら知っているくらいに有名な話だった。確か劇中では、渋る王妃陛下を国王陛下があの手この手を使って説得してようやく婚姻したとなっているけれど、本当のところはどうなのだろう。私には、時折視線を交わして微笑み合う姿が、お互いを想いやる心が溢れているように見えて少し羨ましく思えた。
(私も、いつか、アリスティード様とこんな風に)
アリスティード様の様子が気になってずらした目の端に、毛先がほんのり赤く光る自分の髪が入ってくる。魔眼とは違うけれど、アリスティード様やオディロンさんが、私が魔法を使う補助的な役割を果たしているのではないかと言う髪。魔獣よりも魔力量が少ないのでさほど魔力を使っていないのだけれど、やっぱり反応してしまうのは何故なのだろう。
(ん、そろそろ魔力が少なくなってきたみたい)
吸い込まれていく魔力は曇水晶の中でも混ざり合わず、橙色と紫色が分離したようになっている。魔力の質が違うのかもしれないし、成分が違うのかも。研究者として、これは後から突き詰めたい。
『ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・マギクス・ルン・ヴェネーノ・ウ・ピラーズス・ウムト・ラ・イェンブリヨール!』
ラポッソスから最後に浮かんできた魔力が無事に曇水晶の中におさめられ、私は吸い口に栓をする。ちょっと振ってみたけれど、中の魔力は混ざることはないようだ。
「うむ、さすがはメルフィ。残留魔力もその他の有害成分も残っておらぬな」
アリスティード様が満足げな顔で測定器で確かめてくださって、そこでふと私は思った。もしかして--
「アリスティード様、この二色の魔力が混ざらないのは痺れ毒が混ざっているからなのでしょうか」
「そうかもな。まるで水と油のようで面白いが……これは廃棄するしかないだろう。普段はどう処理していたのだ?」
「父に頼んで屋外で他の廃棄物と一緒に燃やしてしまっていました」
「それが一番だな」
上が橙色、下が紫色の曇水晶はとても綺麗だけれど、純粋な魔力だけではないので毒が撒き散らされてしまったら危険だ。スクリムウーウッドで臭いを拡散した時のように、魔法で痺れ毒が拡散したら広範囲に被害が及んでしまうことだろう。それに、魔力は放置しているだけでも徐々に空気中に解けていってしまうから、保管して痺れ毒まで解けてしまったら大変なことになる。
「本当に食べるのか?」
下処理は完了したけれど、痺れ毒のこともあってアリスティード様が国王陛下に念を押す。
「もちろん。こういうの、わくわくするじゃないか」
即答する国王陛下に溜め息をついたアリスティード様が、ラポッソスを薄切りにして、私が止める間もなくそのまま口に放り込む。
「アリスティード様⁉︎ 毒見は私が」
「う……ん、味が薄い。わずかに甘味がするが、野菜に近いようだ」
さらに薄切りにしたものを差し出され、私は反射的に口を開ける。アリスティード様の指ごと味わうことになってしまったけれど仕方がない。私の舌がラポッソスの甘味と渋みを感じとり、記憶の中の似たような味を探す。
「モニガル芋を生で齧ったような、でも、橙色部分のボソボソとした歯応えは芋類ではありませんね。周りはシャクシャクで、中心に向けて柔らかくなっていますけれど……火を通してみますか?」
「そうだな」
火の魔法で炙ると簡単だけれど、国王陛下にお見せするために百足蟹の魔力入り曇水晶を使って火を熾す。さすがに部屋の中で木を燃やすわけにもいかず、曇水晶の吸い口から直接火が出ている様子を見た国王陛下が、「灯し油器みたいだ」と感想を抱かれたけれど、確かにそんな風に見えた。
アリスティード様が先ほどの短剣とはまた別の細長い針のようなものをどこかから取り出して、先の方に少し厚みを持たせて輪切りにしたラポッソスを三枚ほど刺す。
「また君はそんなものを……一体どれだけ仕込んでるの。というかそれ、未使用だよね?」
「当たり前だ」
「一応ここは表向き武器は禁止なんだけど」
「今まで取り上げたこともないくせに今さらだろう」
「僕って身内に甘いよね」
「それこそ今さらだ」
ニコニコとした国王陛下と不機嫌そうなアリスティード様の、噛み合うようなそうでないような、よくわからない会話(あれはいわゆる『仕込み武器』というものなのだろうか。さすがはアリスティード様、格好いい)が続く中、ラポッソスの輪切りに火が通っていく。紫色と橙色の果肉がより鮮やかに発色してきて、縁の方が少し焦げてきたところで火から離す。
「どうだ、メルフィ。これくらいで良さそうか?」
アリスティード様から差し出されたラポッソスを一枚取って(熱々だった!)齧る。すると生の時とは食感が変化して、全体的に柔らかくもちもちとしていた。さらに、わずかにあった渋みが無くなり、山羊の乳酪のような濃厚な味が口の中にブワッと広がる。
「アリスティード様、すごいです! まるで乳酪のようなとても濃い味になりました」
「乳酪? どういうこと……ん⁉︎ これは確かに乳酪のような味だな! 不思議だ、火を通しただけで何故」
薄味の少し甘いだけのものがこれほどまで劇的に変化するとは。甘さはそれほどないものの、塩をかけたらとても美味しくなりそうな予感がする。
私たちの様子に待ちきれないという顔をした国王陛下がアリスティード様にせがむ。
「乳酪ってどういうこと? 毒見は終わったから僕も食べていいよね?」
「……このまま食べるのか?」
「上品な茶話会じゃないんだからそんなの気にしないよ!」
アリスティード様から受け取ったラポッソスの輪切りを、国王陛下が半分に千切って躊躇なく口に入れる。こういう思い切りのいいところはアリスティード様と同じだ。乳酪のような濃い味に驚いた様子で紫色の目を見開くと、残りの半分を王妃陛下の口元に持っていく。
「これはすごいよクラハ! 食べてみて!」
「貴方、マクシム、人前で私にそのまま食べむぐっ」
興奮した国王陛下が、なんとそのまま王妃陛下の口の中に入れてしまい、王妃陛下が慌てて天鵞絨の扇を開いて顔を隠す。私とアリスティード様は時々食べさせ合うこともあるので特に気にしたことはなかったけれど、改めて見るとちょっと恥ずかしい行為だったのかもしれない。
「どう? どう? 面白いよね、乳酪の味がするなんてさ」
「んんっ、ええ、そうね。魔樹の実がこんなに美味しいなんて知らなかったわ。これは使えそうな珍味ね」
気を取り直した王妃陛下が、扇を閉じて私の目を真っ直ぐに見る。
「十七年前、貴女のお母様が魔物食で領民を救ったことはマクシムから聞いていたの。正直、あのマーシャルレイド伯がそんなこと承認したなんてと思ったわ。私たちの世代の憧れの貴公子だったのよ、貴女のお父様は」
「あの父がですか⁉︎」
「勇猛果敢にして清廉潔白な魔法騎士。婚約が決まった時は悔し涙を流したご令嬢がたくさんいらしたのに……あら、マクシム。私は貴方ひと筋だからそんな顔をしないで。嫡男でなければガイヤール侯爵家の戦力としてほしかっただけよ」
お母様を亡くしてからの意気消沈した姿、そして今のどこか寂しそうな姿しか知らない私には、お父様が勇猛果敢だった姿が想像つかない。
「精霊信仰が浸透した北部で大胆なことをしたものだと思っていたけれど、ここまで立派な成果が出せるのですもの。王家として無視できるものではないわ。ね、マクシム」
「食糧事情は領地によって違うからね。有事に備えて選択肢を増やすことは大切だ。制度を整えつつ根回しをすべきところなんだけど、根回しはクラハに任せていいかい?」
あからさまな言い方に、私も居た堪れなくなってアリスティード様に助けを求める。渋い顔をなさったアリスティード様が、「好きなようにやらせておけばいい。あいつらはあいつらの思惑があるんだ、悪いようにはならない」と仰るので静観することにした。
「そうね。とりあえずこのラポッソスは糖酒で炙ると食後の甘菓子や茶話会にも出せそうなお味だわ。色もとても素敵」
「僕とクラハの色でもあるからね! せっかくだから糖酒を取ってくるよ」
そう言うと、国王陛下が再び部屋から飛び出していく。ここには使用人はいないのだろうか。そんな私の疑問に王妃陛下が苦笑した。
「子供みたいな人でしょう? 大事な弟がかわいいお嫁さんを連れて来てくれたことが嬉しくて嬉しくて仕方ないのよ。今日は本当に私たち家族だけしかいないから気を楽にしてね、メルフィエラさん。アリスティードが訪ねて来る時は、気にするからっていつも誰も近寄らせないの」
「……義姉上は兄上を甘やかしすぎだ」
不貞腐れたようにボソッと呟いたアリスティード様が、長椅子の背もたれに寄りかかる。
「私だけでも甘やかしてあげないとマクシムの心が壊れてしまうわ。貴方も今は充分に甘やかされているのではなくて?」
意味ありげな視線をアリスティード様と私に交互に向けた王妃陛下に、アリスティード様の顔が真っ赤になった。