98 夕暮れ色の果実を糖酒で軽く炙って[食材:ラポッソス]
もちろん今回の登城は、国王陛下との対面だけではなく、私の研究について直接ご報告する場でもある。国王陛下の了承を得て私が厳重に魔法が施された箱を開けると、アリスティード様が箱を応接机の上に置いてくださった。
「これは魔力の受け皿だ。曇水晶だけではどうこうできないが、メルフィエラが開発した魔法陣があれば魔物から魔力を抜き取ることができる」
「結構色々入ってるね。まるで往診鞄みたいだ」
箱の中にはユグロッシュ百足蟹の魔力が入った曇水晶が二つと、空の曇水晶が三つ、そして魔法陣を描いた油紙が数枚、それに魔力測定器に毒の判別紙など一式が入っている。国王陛下はその中から空の曇水晶を手に取ると、天井の豪華な魔法灯の光にかざしてしげしげと見つめた。
「これ、なんか見たことあるような」
「それは見たことあるわよ。マーシャルレイド伯爵領の工芸品ね。ほら、子供たちの部屋で使用しているでしょう」
王妃陛下がズバリ言い当てる。曇水晶はマーシャルレイド領で冬の間に作られる工芸品を元に改良しているのだ。
「あっ、あのやたら頑丈な魔法灯か! なるほど、吸い口が付いているからパッと見わからなかったよ」
なんと、マーシャルレイドの曇水晶が王子殿下方のお部屋に使用されていたとは。大変光栄なことなので、お父様にもこっそりお伝えしなければ。でも、それにしてもやたら頑丈とはどういうことなのだろう。私の顔にそんな疑問がありありと浮かんでいたからか、王妃陛下が微笑んで説明してくださった。
「子供たちが大変やんちゃなの。目を離すとすぐに部屋で英雄と魔竜王ごっこを始めるものだから、調度品が壊されてしまって。でもこの曇水晶の魔法灯だけは魔法が当たっても壊れないから、重宝しているのよ」
「そういえば俺のところの魔法師が曇水晶には魔法を通さない性質があると言っていたな。メルフィは知っていたのか?」
アリスティード様にそう聞かれて、私は首を横に振る。魔法が当たっても壊れないとは知らなかった。けれど、頑丈なことは私も経験済みなので知っている。魔力を吸い出した後の魔力を受けるための器探しはかなり難儀して、あれこれ試した結果にやっと見つけたのがこの曇水晶なのだから。曇水晶以外の陶器や硝子は、魔力を吸い込むことはできても溜めることはできず、ことごとく割れてしまうのだ。
「色々探して、魔力を受けることができる唯一のものだったので、硬度が高いとは思っていましたけれど」
「オディロンが言うには、このように吸い口があればその隙間から中の魔力に働きかけることが可能だが、同じ曇水晶の栓で完全に密閉してしまうと中の魔力は溜まったままだそうだ」
「そうだったのですね」
アリスティード様が青い魔力が溜まった方の曇水晶を取り出す。その栓は木でできているので、完全に密閉されているわけではない。マーシャルレイドの研究棟では、料理の時に火を熾したり魔法灯代わりに使ったりするだけだった。特に使い道がなかったから、この木の栓のまま放置しておくといつのまにか魔力が霧散していたから気にしていなかった。
「アリスティード、その青い方が魔力入りの曇水晶かい?」
「ああ、国王陛下もあの夜ご覧になったはずだ。これを利用した防御の魔法を」
「メルフィエラちゃんがいとも簡単に使っていたあのすごい防御の結界魔法だね。ふぅん、これには魔法陣が描かれていないようだけど用途は決まっているの?」
「いや、特に決まっていない。純粋な魔力だからな、魔晶石と同じようなものだ。生活魔法でも攻撃魔法でも防御魔法でも、使用者次第でなんにでもなる」
アリスティード様の説明を聞いて、国王陛下が紫色の目をすがめた。
「魔晶石と同じようなもの? あのね、アリスティード。これは魔晶石よりも安価なんだよ? 君のところは魔晶石を湯水のごとく使っているから気づかないんだろうけど、普通は魔晶石なんてそうほいほい買えるものじゃないんだよね」
「エルゼニエ大森林で拾った魔晶石は一定数使っていいと取り決めたのは国王陛下だが? その代わり他に流通させることを禁ずと言われれば、有効活用するのは当たり前だ」
ラングディアス王国の魔鉱石や魔晶石はすべからく国のもので、産出したものは国に納めなければならない決まりだ。その鉱山は王領となり、管理も国が行うことになっているから、領地に鉱山が見つかったら国に報告しなければならない。エルゼニエ大森林の地下深くには魔鉱石と魔晶石があると聞いていたけれど、まさか王領にせずにガルブレイス公爵家が管理していたなんて。びっくりしてアリスティード様を見れば、
「魔物が跋扈する死と隣り合わせの土地の鉱山はどう足掻いても掘れんからな。たまたま地表に出てきたものを、討伐遠征の際にたまたま拾って使っているのだ」
とバツが悪そうな顔で説明された。そう言われてみれば、ミッドレーグ城の魔法灯に使われている魔晶石は加工されていない歪な形ををしているし、その大きさもバラバラだ。まさかそんな理由があったとは。
「ガルブレイス公爵家は万年ジリ貧だからね。ちょっとだけ融通しているのさ。もちろん拾ってきたもの全てを使わせているわけじゃないけど。これは内緒だよ?」
国王陛下も片目を瞑って唇に示指を充てる。魔晶石は領地に対する報酬としてもらうか国から買うしかないので、破格の待遇だ。
「で、アリスティード。この曇水晶はどれくらい量産できるの?」
「量産? あくまで領地で消費する分を、無理なく捕獲するくらいだ。成獣のロワイヤムードラーで大きな曇水晶一個半だったか」
ちなみにベルゲニオンの大群は中くらいの曇水晶七個、百足蟹討伐の時は小さな曇水晶で十二個。血と魔力が圧縮されているけれど、魔物の種や個体によって血に含まれる魔力量に大差がある。
「この魔法を使えるのはメルフィエラちゃんだけ?」
「今のところはな。こちらの魔法師たちが練習しているが、ほんの少ない量の魔力を吸い出すのすら難航している。そもそも古代魔法には適性があるかもしれないと言っていた……お前、まさかメルフィを王城の魔法師共の管理下に置くつもりか?」
「量産できたら魔晶石の代わりになるかなって思っただけだよ。待って、魔眼はやめて、君からメルフィエラちゃんを取り上げるつもりはないから」
アリスティード様がギロリと国王陛下を睨む。私はこれまで曇水晶の中の魔力に全く興味がなかったから、爆発させたり防御の結界を張ったりするのも驚きだったのに、量産なんて。せいぜい、細々とした生活魔法に使ってもらうくらいでちょうどいい。アリスティード様が前に、「国を揺るがすもの」だと仰っていたけれど、魔晶石の代わりとなるならば、それは色々な意味で国を揺るがしてしまうかもしれない。
「わ、私も、量産は反対です……曇水晶も有限のものですから、いつか魔物食が普及した時は、防御の結界やちょっとした生活魔法に使う以外の必要のない魔力は廃棄してほしいのです」
そんな私の思いに、アリスティード様が手をぎゅっと握ってきた。私には考えつかない悪いこと--例えば他国を侵略したり、誰かを害するために使う人もいる。アリスティード様は、それも含めて国から管理してもらおうとお考えだ。魔物食協会を設立しようと仰るのもそのためで、魔法の規制や魔物の乱獲を防ぐためにも必要なことだった。
「……メルフィエラちゃんを見てるとなんだか僕の心が限りなくドス黒い気がしてきた」
「今さら貴方、そんなの昔からではないですか」
「王城なんて魔窟で暮らしているとそれはね……まあ、魔物食を普及させるなら国で管理するのが大前提だから、とりあえずその魔法陣をどうやって使うか見せてもらってもいいかい?」
国王陛下が立ち上がり、私の返事も聞かずに何故か部屋から出ていく。王妃陛下は澄まし顔で私に向けて微笑むばかりで、アリスティード様は苦虫を十匹ほど噛み潰して飲み下したような渋いお顔だ。そして私も、まさか実演するとは聞いていなくて、急に緊張して手に汗が滲む。
「お待たせ!」
そして、しばらくしてニコニコ顔でお戻りになった国王陛下の手には、拳大の薄紫色の果物らしきものが幾つか入った籠があった。
「これはね、ラポッソスという魔樹の実さ。海辺でしか育たない珍しい種類でね、面白いことに枝から根が生えていて、その根の先にこの実が成るんだよ」
「ラポッソス……名前だけは母の図鑑で見たことはありますが、実食はしていなかったと思います」
「そうか! なら初めて食べることになるのかな。どんな味なんだろうね」
国王陛下に促され、私はひとつ手に取ってみる。皮は薄く弾力はない。かと言ってカチカチに硬いのではなく、モニガル芋を少し柔らかくしたような感じだ。
「お前がこれを食べるのか? どんなものかわからないものを?」
アリスティード様が難色を示すと、国王陛下が得意げな顔になる。
「ラポッソスはこの実に誘われてきた魚を根から分泌される粘液で絡め取って、さらに溶かして養分にするんだ。魚が誘われる実だから美味しいんじゃないかい?」
「……俺は魚ではないからわからん」
「子供の頃にこれを投げて遊んだことがあるし、大丈夫なんじゃないかな」
「俺は海の離宮に行ったことがないからわからん。どうだ、メルフィ。これはいけそうな部類なのか?」
「わかりませんが、危険な匂いはしません。成分を調べてみます」
私がラポッソスに魔力測定器を差し込むと、魔力の反応の他に毒の反応もあった。弱い反応だから私なら大丈夫だけれど、王族の方々にはお出しできないかもしれない。植物系の魔物にはよくあることで、吸い出して大丈夫になるものや加熱すれば無反応になるものもあるけれど。
「アリスティード様、この果実は弱い毒の成分を含んでいるようです」
「毒か……それは取り除くことは可能なのか?」
「はい。ですが、万が一ということもありますし」
「ならば取り除いてくれ。魔力を抜き出すための実演だ。食べるかどうかは後から決めればよい」
「わかりました。では、国王陛下、中身を見たいのでひとつだけ切ってもよろしいでしょうか」
「いいよ、いいよ、ひとつと言わずに全部使って」
許可が下りたので、私はアリスティード様の懐の短剣をお借りして慎重に刃を入れる。投げて遊んでいたということで、刺激を与えると爆発する部類の実ではないとは思うけれど。
「……こう、魔樹とわかる色だな」
アリスティード様の言うとおり、一見して普通ではない色の果肉である。皮に近いところは紫色で、中心に向かって橙色になっている珍しい配色だ。真ん中に輪っか状に広がっている小指の先程度種は白く、とてもお洒落な感じがする。
「あら、まるで夕暮れみたいで綺麗な色。お茶会に出したら話題になりそうだわ」
さすがは国王陛下の選んだ御方。王妃陛下は魔物と知っても全く動じていないみたいだ。
切った感触はシャキッという感じでもなく、どちらかというともちっとしている。香りはほとんどなく、ほんのり甘いかな、程度にしか感じ取れない。渋そうな匂いや苦そうな匂いはしないため、生でも食べられるかもしれない。
私は果肉に判定紙を置いて色の変化を見る。すると国王陛下が頷いた。
「ジルート紙がわずかに朱色になったということは、デフィル系の痺れ毒だ。加熱すれば分解されるから食べられないことはないね」
「国王陛下、お見事でございます。ですが、デフィル系の痺れ毒は水溶性ですから、念入りに吸い出します」
「いやぁ、医術師の資格を持っててこれほどワクワクしたことはないね。国王辞めたら僕も魔物食研究者になろうかな」
医術師の資格を取るだけでもすごいのに、国王陛下までやっているとはさすがは『賢者の再来』と呼ばれるだけはある御方だ。
毒はその痺れ毒だけだったため、私は油紙の魔法陣に毒を現す『ヴェネーノ』と痺れを現す『ピラーズス』を付け加える。
「それではいきます」
私はラポッソスの実を魔法陣の油紙の上に置く。国王陛下夫妻の目は爛々と輝いていて、興奮のためか前のめりだ。王妃陛下も魔物食に興味がおありのようなので、好奇心旺盛な方々で良かったと内心ホッとする。
空の曇水晶を掲げてひと呼吸。私はラポッソスに集中して、魔力と毒を抜き出す呪文を唱えた。




