10 下処理は迅速かつ豪快に
ドラゴンに騎乗して、空から領地を見るのはとても贅沢な体験だ。公爵様と知り合わなければ、一生経験することはなかっただろう。
「怖ければ下を見ないようにしておけ」
「いいえ、全然怖くありません!」
ドラゴンはその羽と豊富な魔力を使い空を飛ぶ。一回羽ばたくごとにぐんぐんと高度が上がり、お父様の姿や屋敷がみるみるうちに小さくなっていった。
「公爵様はこんなに素晴らしい景色をいつも見ていらっしゃるのですか?」
「そうだな。移動はドラゴンが多いな」
「こんなに遠くまで見渡せるなんて、私まで空の王者になった気がします」
これだけ高い位置から見下ろすと、マーシャルレイドの領地などちっぽけなものに感じられる。屋敷から馬で四半刻くらい離れた場所にある私の研究棟も、すぐに見つけることができた。
「公爵様、あの窪みの場所にあるのが研究棟です」
「あれは……まるで干上がった湖の跡地だな」
「おわかりになりますか? あれは十七年前の大飢饉の際の名残なんです」
「そうか。あの災厄の被害がここにも」
元々は湖があったその場所は、大干ばつによってすっかり干上がってしまっている。その跡地を利用して、研究棟と広大な飼育場が造られた。研究棟は元々河畔の保養所だったものを、お母様が再利用したのだ。
「どこに降りるのだ?」
「研究棟の中庭にある、石畳の近くに降りてください。あの緑色の屋根のところが厩舎なんです」
今は何もいないけれど、お母様が健在だった頃はマーシャルレイド領の様々な魔物が飼育されていた。
「よし、降りるぞ」
公爵様は私をギュッと抱き抱えると、研究棟に向かってドラゴンを降下させた。
◇
先に研究棟へ降りた私は、続いて舞い降りてきたグレッシェルドラゴンたちを厩舎へと誘導する。自由に使用してもらうように告げると、騎士たちはドラゴンを水飲み場へと連れて行った。訓練されたドラゴンたちが、乗り手の騎士たちの言うことを聞いてきちんと並んで歩いて行く。
「まあ、お利口さんなドラゴンたちですね」
「人に馴れるよう卵から孵すからな。ところでメルフィエラ。あれは魔法陣か?」
公爵様が石畳に描かれた模様を繁々と眺める。ドラゴンが羽ばたいた時に、石畳に被っていた砂埃りが飛んでいってしまったようだ。白っぽい石畳の表面には、鮮やかな朱色の染料で複雑な模様が記してある。
「はい、この魔法陣の上で、魔物の下処理をするのです」
「なるほどな。古代魔法語の魔法陣か。これもお前が描いたのか?」
「はい。元々は母が創り上げたものを、私が改良しました」
「我、汝の命を奪うものにして汝を糧に生きる者なり……」
特殊な染料を使って描かれた魔法陣には、古代魔法語で様々な呪文が書いてある。公爵様はいともたやすく、その意味を正確に読み解いていった。
「これで魔力を吸い出すというわけか。悪くはないが、この魔法陣だけでは難しいのではないか?」
「はい、その通りです。公爵様は魔法にもお詳しいのですね! この魔法陣は、物体から魔力を吸い出すためだけのものなんです」
私は石畳の端に建てられた納屋の扉を開錠し、中から手のひら大の曇水晶をいくつか取り出す。それを持って公爵様の元に駆け寄った。
「魔物から魔力を吸い出すには、もう一つ道具が必要になるんです。それがこの曇水晶で、これを使って魔力と血を一緒に吸い出します」
「曇水晶の中身はくり抜いてあるのか。中々にいい職人仕事だな」
今はまだなんの変哲もない曇水晶だけれど、私の魔法によりその色と輝きが激変する。実際に見てもらった方が早いので、私は公爵様に是非とも手伝ってほしいことをお願いすることにした。
「あの、公爵様。お願いしてもいいでしょうか」
「なんだ、メルフィエラ」
「あの時の『首落とし』を、また見せていただきたいのです」
あの見事なまでの一閃が、未だに私の目に焼きついて離れない。あんなに鮮やかで、目にも止まらぬ剣捌きなど、マーシャルレイドの騎士たちでは無理だ。騎士長ですら、公爵様と同じような技量は持ってはいないだろう。コツがわからない私では尚更無理だもの。
「ここで首を落としてもいいのか?」
「はい、是非よろしくお願いします。公爵様に首を落としていただけるのでしたら、私は安心して血と魔力を吸い出すことができます」
「あのぉ……盛り上がっているところに申し訳ありませんが、お二方共、物騒な会話は後にしませんか?」
私が振り返ると、ケイオスさんが所在なげに立っていた。どうしてだか、少し顔が引き攣っている。その上空には、二頭のドラゴンたちがお土産を持ってゆっくりと旋回していた。
「メルフィエラ様、土産はどちらに?」
「まあ、ケイオスさん。大変失礼いたしました。こちらです、この石畳の魔法陣の上にお願いします」
「かしこまりました。ミュラン! もう少し右だ。そう、ゆっくり、ゆっくりだぞ」
ケイオスさんの誘導に、ドラゴンに騎乗した騎士はうまく操作して、石畳に描かれた魔法陣の真上に向かう。二頭のドラゴンがゆっくりと羽ばたきながら降りてきて、脚に提げたロワイヤムードラーの巨体を横たえさせた。
私はケイオスさんに頼んで布を外してもらい、その見事なまでの金色の毛をそっと撫でる。魔法で眠っているロワイヤムードラーは、当然気づいていない。その側で、公爵様はロワイヤムードラーの首を落とすための剣をあれこれと吟味している。公爵様がお持ちになった剣は、どれも実用的で実戦向けに仕立てられているようだ。装飾は最低限だけれど、その刃は、恐ろしいくらいに研がれていて、妖しい光を放っていた。
「それでは早速、下準備を済ませておきたいと思います。こんなに大きな魔獣を一人で処理するのは難しいので、手伝っていただけますか?」
「ああ、もちろんだ」
「喜んで。騎士たちも戻ってきましたので、なんなりとご指示ください」
「ありがとうございます。では最初に、ロワイヤムードラーの毛を刈ります。魔法で眠らせてありますが、起きたりしませんか?」
毛を刈ると言っても、私はその専門家ではない。時間がかかれば魔獣が起きてしまう可能性があった。
「あと二刻ほどであれば大丈夫かと。金毛は貴重ですからね。毛刈りはうちの騎士たちにお任せください」
ケイオスさんが自信ありげな顔になる。公爵様もその腕をお認めになっているらしく、心配する私に向かって、騎士たちに任せるように言ってくれた。
「ガルブレイスの騎士は魔物の討伐を主な任務としているが、討伐した魔物の角や爪、毛皮を剥いで資源にする役目も担っている。毛刈りもお手のものだぞ?」
すると、ケイオスさんや他の騎士たちが、革袋から大きな櫛と鋏のようなものを取り出してきた。羊毛を刈る時のものよりも、ずいぶんと大きい。
「身は傷つけず、毛はできるだけギリギリで刈り取れ」
「了解です」
シャキッと音がして、あれよあれよという間に金色の毛が刈られていく。地肌の色が見えるくらいに刈られたロワイヤムードラーは、ひと回りほど小さくなっていた。その横にはふわふわの金毛が積み上げられている。これを紡いで作られた糸は、王家に献上されるほど高価で希少性があるらしい。でも私はそんなものよりも、その中身がほしかった。脂ののったロワイヤムードラー……どんな味がするのかしら。
あっという間に丸裸になったロワイヤムードラーは、騎士たちから頭を持ち上げられ、その下に組み木が入れられていく。なるべく首を高い位置に上げ、切り落としやすいようにするのだ。私がその巨体を色々な角度から見ていると、マーシャルレイドの騎士たちがようやく追いついてきた。
「メルフィエラ様、遅くなり申し訳ありません」
「大丈夫です。解体には間に合いましたから。今から、公爵様がロワイヤムードラーの首を落としてくださるの。瞬きしている間に終わってしまうくらいに一瞬だから、よく見ておいてね」
そしてあわよくば、そのコツとやらをしっかり掴み、今後の私の研究の手伝いをしてほしい。マーシャルレイドの騎士たちが、一斉にごくりと喉を鳴らす。公爵様はあの真紅の外套をケイオスさんに預け、その手に持った剣を素振りして準備万端だった。
「それでは、血と一緒に魔力を抜いていきます。公爵様、一気にスパッとお願いします。首を落としたら、なるべく早く魔法陣から離れてくださいね」
「私の方はいつでもいいぞ、メルフィエラ」
「はい、ではその前に――私は決して命を粗末にしたりはいたしません。その尊い命を最後まで大切にいただきます」
いつものように、私は魔物に向かって祈る。私だって、闇雲に魔物を殺して、その命をいただいているわけではない。全ては、領民が二度と悲しい思いをしなくてもいいように、豊かで幸せに暮らしていけるようにという願いのため。
大きく息を吸い込んだ私は、魔法陣の端に立つ。公爵様は魔法陣の中に入り、ロワイヤムードラーの首の前で低く腰を落とした。両家の騎士たちが周りで見守る中、私は曇水晶を手に取ると、静かに呪文を唱える。
『ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス……』
呪文と共に、曇水晶に光が灯る。石畳に描かれた魔法陣が淡く輝き始め、ロワイヤムードラーと公爵様を包み込む。
「公爵様、お願いします!」
「承知した!」
それはあまりにも速く、まさに一瞬だった。私は刃の残した残像を見たような気がしたけれど、公爵様の剣は静かに振り下ろされたままだ。石畳の上に、ロワイヤムードラーの首がごとりと落ちる。
(振り下ろされた? 一体いつ?)
あの時よりも鮮烈に、公爵様の一閃がロワイヤムードラーの首を落とす。首から吹き上がった血飛沫が、魔法陣の効果で空中にピタリと止まっていた。
「メルフィエラ、私の方はもういいぞ!」
公爵様が素早く魔法陣から出たことを教えてくれ、私はハッとして呪文を再開する。血飛沫が一気に曇水晶目掛けて吸い込まれ始め、血に含まれる魔力がキラキラと赤い光を放った。血と魔力が魔法陣の中を駆け巡り、全てが私の持つ曇水晶へと向かってくる。
『イード・デルニア・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス』
曇水晶は真っ赤な輝きを放ち、空洞化したその中に、凝縮された血と魔力が渦巻いていた。流石に巨体だけあり、まだ半分も吸い込みきれていない。やがていつものように私の髪も魔力に反応し、まるで炎が燃え盛っているかのような輝きを放ち始めた。