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第七話

 あれは何年前だったか。

 確か二年か三年、そのくらい前の話だったはずだ。

 小学校を卒業する前か、中学入ってすぐだったはずだけど記憶が定かではない。


 僕の中で割と衝撃的な出来事だったはずなんだけど、にも関わらず思い出すことが出来ないのはきっと、どうでも良くなってきてしまっているからなんだろうということだと僕は判断した。

 何しろ職務はそれなりに忙しい。

 あの紙に書けばそれで終了というお気楽なものではなく、書いたら必ずその都度会見を開く必要がある。

 

 もちろんそれ以外のことは桜花がやってくれるから、僕としては法案決定書に書く内容とその書いたことによる影響がいかなるものになるのか、ということを必死でシミュレーションするだけでいい。

 だけでいい、と言ってしまえば楽そうに見えるかもしれないし、事実僕もそうだと思っていたのだが実際にシミュレーションが上手く行かないことなんか多々あるし、そういうときには桜花がガス抜きしてくれたりもするのだが……そう言った過程を経て漸く、僕の法案は出来上がる。

 一度だけ桜花には相談をしたこともあったが、それでも彼女から返ってくる答えは私にはお答え致しかねます、というものだった。


 もちろん自分で考える世の中を、と出してきた法案でもあるのにそれを作る僕が誰かの助言を、なんて本末転倒というものだろう。

 そして必要なことは桜花がやってくれているということもあるし……ああ、一つ説明を省いてしまった。

 何故記者会見が必要なのか。


 これについては、法案決定書の効力を発揮する条件の一つ、決め手とも言える部分だからだ。

 これをしなければ、何万枚決定書を書こうともその決定書は効力を発揮しない。

 変にファンタジーじみた側面を持ったものだな、と思ったこともあったがそもそも書いただけで効力を発揮する、という時点で既に何となく現実離れした話ではあるから、贅沢も言っていられないのだが。


 っと、話が大分逸れてしまったがとにかくこうした事情から忙しかったこともあって、僕の頭から怜美のことなどすっかりと頭から消えてなくなってしまっていても、何ら不思議ではないんじゃないかと思う。

 もっとも怜美にそんなことを言えばこいつは烈火のごとく怒り出すということが目に見えてわかっているので、当然口に出すことはしない。

 桜花はそんな僕の考えを読んだかして、呆れた様な顔をしていた。


 では話を戻そうと思う。

 まず、その何年か前……僕と怜美はお隣でもあったことから仲良しだった。

 お互いにバカなことを言い合って、顔を寄せ合って笑う程度には。

 

 小学校中学校も同じところに通っていたし、僕がクラスメイトにいじめられていれば怜美が助けてくれたこともあったっけ。

 と、この時点で正直恩義に感じていなければおかしいとも思うのだが、これについては怜美が気にするなと言ったことや当時の僕には恥と考えていたことも起因する。

 だけど、僕らの関係は概ね良好だったと言えるし、たとえクラスの人間が冷やかそうと羨もうと、孤立しようと怜美がいればそれで良かった。


 だから僕は孤独を感じることもなかったし、母にいじめられているとか、そういう相談をしたこともない。

 しかしそんな僕らの関係に亀裂が入る様な出来事が起きる。

 どんな時だったっけ……これまた記憶が定かではないのだが、確か僕がクラスの誰々に苛めっぽいことをされて鬱陶しい、という様な相談を怜美に持ち掛けた時だった。

 正直学校に行くのが億劫だ、みたいなことを言った記憶もある。


 その時怜美は確か……。


「どんなことがあっても将来私が結婚してあげるから、秀一は前向いて頑張ってよ!」


 そうだ、こんなことを言っていたはずだ。

 その時の怜美は、確か物凄く赤い顔をしていて、一瞬僕は怜美を女の子として意識した様な覚えもある。

 だが、この時の僕の発言は確かに、最悪だと今にして尚、自分でも思えるものだった。


「だけどお前一文字違いのレミパンじゃん。生まれながらに名前でほとんどおばさんだけど、料理評論家にでもなるのか? 料理とかまともにできないくせに」


 こんな様なニュアンスのことを言った。

 うん、今思い出してもマジで最悪。

 男とか女とか関係なく、あの時の僕死ね、と思える程度には。


 こんなことを言われたら、正直怜美でなくてもキレるのは当たり前だと思うし、キレるタイプの子じゃなければ泣き出してトラウマになってもおかしくないんじゃないかと思う。

 だって、怜美は当時僕に対して私は秀一のこと好きだからね、って事あるごとに言ってきていたのだから。


 しかし、この時を境に怜美は僕と目も合わせてくれなくなった。

 当然話しかけてもオールシカト。

 僕も自分で言ったことの重大さはそれなりに理解していたつもりであったから、この時初めて母に相談した。


「あんたは!! 怜美ちゃんに何てこと言ったの、このバカ息子!!」


 打ち明けるなり恫喝されて、僕は生まれて初めて母から殴られた。

 もちろんグーで。

 

「謝ってきなさい! 今すぐに!! あの子に見捨てられたらあんたの未来なんかない様なものなんだから!!」


 そう言って尻を蹴り飛ばされて僕は玄関から追い出され、そのまま泣く泣く怜美の家に向かうことになった。

 徒歩一分もかからないその家へ行くのがやたら怖くて、三十分くらい逡巡していた記憶がある。

 だが謝らなければ飯抜きだ、とかそんなことを言われてもいたし、と意を決して僕は怜美の家のインターホンを押した。


 怜美の母が出てきて僕がきたことを怜美に伝えると、怜美は出てきた。

 これで晩飯抜きは免れる、と思って僕は出会い頭に頭を下げて謝ったのだ。

 それでも怜美の僕を見る目は物凄く冷ややかで、怜美のお母さんなんかは滅茶苦茶慌てた様な感じに見えた。


 それでも母に殴られ蹴られしたことも含めて伝えると、怜美は驚いた顔をして僕を心配していた様に見えたのを覚えている。


「本当に、悪いと思ってるの?」

「……当たり前だろ、反省してるよ」

「そう……でも何で謝ろうって思ったの? やっぱり私のこと……」


 この質問が、僕と怜美の間に入った亀裂を完全に断ち割ったと言ってもいい。

 いや、厳密にはその質問に対する僕の答えが、というものなのだが。


「いや、だってお前……今日の晩飯ハンバーグなんだぜ? それ抜きにされちゃったら、さすがに……」

「……はぁ?」

「い、いやだから……」


 今思えば照れなんかもあって、僕はあんなことを言ったんじゃないかなー……と思わないこともない。

 というか、腹が減ってきていたと言うのも、あんなクソみたいなことを口走った原因なんだと思う。

 うん、それしか理由としては思い当たらない。


「信っじらんない……」

「え?」


 わなわなと怜美が震え始め、一瞬僕はそんなに怜美は僕に会いたかったのだろうか、なんてことを考える。

 もちろん、当然のごとくそんなことを考えたことを直後に後悔することになるわけだが。


「信じられない! バカ! クズ! あんたなんか死んじゃえばいいんだ!! てか死ねゴミクズ!!」


 こんな様なことをヒステリックに叫んだと思ったら、何と怜美までも僕に蹴りを入れてそのまま家の中に入って行って、ご丁寧に施錠する音が聞こえたと思ったら、自分の部屋がある二階へと駆けていく音が聞こえた。

 怜美の目が、怒りに燃えながらも涙をたたえたものに見えた気がしたが、今となっては定かではない。

 それから茫然と立ち尽くすこと十分程度だったと思うが、結果として謝ったのだから、と僕は家に帰ることにした。


 そして母にありのままを伝えると、余計なことまで言って、バカか!! とまた殴られて結局僕はその晩のハンバーグを食べ損ねる結果となった。

 ……とまぁ、これが僕と怜美の不仲の原因だったわけだ。



「…………」

「…………」

「……どう申し上げて良いのかわかりかねますが、こればかりは総理が悪いですね。正直なことを申し上げますと、私にはどうにも擁護致しかねます」

「そんな!?」


 この桜花を以てしても僕らの問題の解決を図ることは困難である、そう桜花は判断したということだろうか、一瞬で僕は見捨てられてしまった。

 しかし、どういうわけか桜花の顔はそういった諦めの表情ではなく、冷やかす様な普段見せない様なものであったと言える。

 こいつがこんな顔するなんて、珍しいな。


「もう少し、口を挟んでもよろしいでしょうか」

「あ、どうぞ……」


 僕が話を進めるに連れてどんどんむくれ顔になっていた怜美だが、桜花がどうやら怜美の気持ちを察した様であるとわかると、桜花には少し心を開いたのか、僕を見る時と全く違う視線を向け始めているということに気づいた。

 何しろ怜美が僕に向ける視線は、汚物とかゴミを見る様な冷ややかを遥かに通り越したものだったのだから。


「この際はっきりと言わなければ総理には理解できない類の話であると判断いたしましたので、ズバリ申し上げてしまいますが……平沢様は総理のことを本気で好いていらっしゃったのですね。お気持ち、お察し申し上げます」

「…………」

「この通りの愚にもつかない夫ではございますが、妻として代わりにお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした」


 そう言って桜花は頭を下げる。

 桜花が責任を感じることもないだろ、と思う一方で、愚にもつかないというのは言い過ぎじゃないか、なんてまたも余計なことを考えて今度は桜花にきつく睨まれた。

 こいつでもこんな顔することあるのか、と正直恐怖を覚える。


「夫……妻……」

「私と致しましても、平沢様の存在を存じていたならばもう少し慎重に事を運んでいたのですが……何しろ夫がこの通りの人間なもので、全く存じ上げておりませんでした」

「お、おい桜花?」

「お黙りなさい」

「はい」


 怖い。

 桜花はここにきて、僕に怒りを向けている様に見える。

 というかまんま、超怒ってる。


 言葉や調子は穏やかそのものなのに、下手に口を挟んだら殺されかねない様な、そんな迫力を感じて僕は震えあがった。


「平沢様、こうしてお越しいただいたということは、夫に対して仰りたいことがある、ということかとお見受けします。私は立場としてこの不肖の夫の妻という立ち位置ではございますが、夫の失態は妻の責任でもあります。もしよろしければ忌憚なくそのご意志をお伝えいただければと考えておりますが、いかがでしょうか」

「だけど……私の言いたいことを言ったら、夫婦の中に亀裂が出来ちゃうんじゃないかなって」

「構いません。それすらも全て、この夫が原因でございますので」

「…………」

「じゃあ……何で、私との仲直りをちゃんとしないままで何年も放置して、しかもいきなり総理なんてなって、かと思ったら結婚って……私って一体、秀一にとって何だったの!?」


 あの時の様な怒りに燃えていると言うよりも、悲しみ全開と言った様子の怜美。

 その目を見て、思うことはそれなりにあったと言ってもいいだろう。

 何故なら僕は、散々この怜美に助けられてきたのだ。


 この空白の何年かは別にしても、その助けてもらったことに恩義を感じるべきだったはずだし、それに応えて僕もこいつと将来結婚して幸せにしてやるよ、くらいのことを言ってやるべきだったんではないか。

 不意にそんな考えが浮かんで、僕の心に激しい後悔の念が湧いてくるのを感じた。


「すまない……申し訳なかったと思う。僕はまだ子どもだったから……いや、今もまんまお子様だな。成人年齢の引き下げを行っても、結局僕は子どものままだった。あんな風に傷つけて、何年も放置して……最低だな。今更だけど、本当にごめん」


 僕はおそらく人生で初めて、心の底から申し訳ないと思って頭を下げた。

 怜美はきっと僕が意識していなかっただけで、僕にとって本来ならばかけがえのない存在であるべきだったのだ。

 だから桜花に迫られた時なんかにも頭にチラついたのだと思う。


 そのことを今になって、まさかこんな状態で思い知ることになろうとは。

 覆水盆に返らず、とは言うが今がまさにその状況だろう。


「本当に、悪いと思ってる?」

「……ああ」


 あの時……ハンバーグに目が眩んで謝りに行ったあの日と同じ目で、怜美は僕に問いかけてくる。

 怜美は変わってなんかいなかった。

 そう、変わってしまったのは僕の方だったんだ。


「総理、その様にカッコつけていらっしゃる場合だと?」

「……そうだな、ちゃんと決着はつけるべきだ」

「…………」


 いよいよ僕と怜美の軋轢に、終止符が打たれる時がきた。

 しかしそれは、僕と怜美の決別を意味することになるのだ。

 何故なら今の僕は既に妻帯者。

 

 妻のいる身であるなら、怜美の気持ちに応えてやることはもう出来ないのだから。


「総理、一つ私に考えがございます。お聞き入れいただけますでしょうか?」


 ちょっとだけ泣きそうになっていた僕に、桜花はいつになく優しく語り掛ける。

 そして僕からの決別の言葉を覚悟していたであろう怜美も、その桜花の行動に眉を顰めた。

 桜花の考え……それは僕にとっても怜美にとっても、全く以て考えもしない意外なものだった。

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