1-2 【今と言う時】
汚染予防の為に設けられた処置施設を出た後、更に緩衝帯を抜ける。
車の車体に残る薬剤は窓にも皮膜を作り、それは車内から見る景色を七色に彩った。
そのままでは有害なテリクテークシス。それを含む物質を街に持ち込まない為の除去剤と、更にそれを落とす為の中和剤が作る皮膜だ。
専用のコーティングを施した車体以外は、街の外を走れない。
それでも、この街の盛況ぶりは他の周辺の町に追随を許さない。
街中をゆっくりと走る電気自動車。
往来を行く人々。
商店の数。
久し振りに見る多くの人が生活をしている街の様子は、虹色に彩られて見える効果のせいか、祭り場のようであった。
そう。故郷で昔、家族に連れられて向かったあの光景だ。
テリクテークシスが発見される前の事。
エネルギー不足が佳境に入り、大多数の国とその人々が、更なる貧困への道を進み始めた10年以上前に行われた祭り。
きっと、自分の記憶に浮かぶような大きな物ではなかったのだろう。
街の広場では曲芸が披露され、通りには小さな物から大きな物まで、数多くの露店が並んだ。
たぶん、何かを親にねだって買ってもらったのだろうが、そこも覚えていない。
覚えているのは、
「明日出来る事は、ね……」
「あら? なんですの?」
パーキングで駐車スペースを探して移動する車のモーター音は僅かだ。
自分の口から零れ落ちた言葉は、掻き消されれる事無く友人の耳に入ってしまったようだ。
「ううん、子供の頃に行った、お祭りのスローガン……かな? それを思い出したの」
「スローガンですか?」
「たぶん。通りにかかっていた横断幕にね」
あの文字は、ふとした時に時々思い出す。
あの頃には分からなかったが、当時は『新エネルギーが見つからない限り、これより人の歴史は暗雲へと向かい、いつか滅亡するだろう』と宣言されている程の時代だった。
時代の黄昏時だったのだろう。
昨日までの繁栄に縋り、明日からの衰退に恐怖する。
そんな、偏屈で寂しがり屋の老人のようだったとも評されている。
だが、どのように苦しい時代であれども、過去に縛られること無く、未来を憂うでもなく、今を生きようとする人達が居たのだ。
きっとあのスローガンもそんな人達の中の、今を楽しもうと言う誰かが考案したのだろう。
「明日出来る事は明日へ回せ! 今日と言う日を楽しもう!」
今度は意識して、口に出してみる。
幼い心に植え付いた、この言葉が自分は好きだ。
強く生きる誰かの、力をもらえる気がする。
ただ、この言葉の産み出す活力は好きなのだが、困った事に問題を後回しにするような点だけは、どうにも性に合わないという問題もある。
「そんな考え方、出来るんですか?」
「貴女には似合わない言葉ですわね。もっとも……そのくらい柔軟に物事を考えても宜しいのではなくて?」
性にあわないと言うのは、自分を知る者にも感じ取れるらしい。
これは、理解されているとして真摯に受け止めるべきだろう。
……受け止めたいが……
(人に言われると、何だか納得行かないって言うか、釈然としないって言うか……)
自分はそんな、分かりやすい性格をしているのだろうか?
己の事と言うのは、本人が思っている程の理解に達していないと聞いた。
であれば仮に、今その問い掛けを口にすれば、きっと2人は声をそろえて肯定するのだろう。
「あら? 異論がありますの?」
問い質す前に、逆に問われた。
そして、その問いに『異論がある!』と答えた所で、モヤモヤとした気持ちを回答として伝えられる能力は、自分には無い。
助手席から後部座席へと身を捻り、にこやかな笑みを浮かべての問い掛けは、自分が反論出来ない事を知っていての物だろう。
角度の都合なのか、わざわざシートベルトを外して、だ。
「反論したいのならば、分かりやすい表情を隠してからにしましょう。嘴が出来ていては、『拗ねてます』と言外に伝わります」
追い討ちも、容赦なく行われた。
駐車スペースへ車を滑り込ませながらでも、ルームミラーで簡単に確認出来る位に顔に出ている、と言う事らしい。
思わず片手で口元を覆うが、今更遅い。
だから、無理やりにでも言い返してみる。
「ぅ……異論は明日返します。今はただ、買い物を楽しみましょう!」
少しばかりの急制動がかかり、車が停車した。
軽く目を見開いて、友人達が互いに顔を見合わせている。
自覚する程度には拗ねたままの状態で、精一杯に張った虚勢。
それでも、2人にとっては意外な出来事だったようだ。
無音の間が空き、車の駆動音が停止しきったところでようやく、鈴を鳴らすような笑い声が2つ、鳴り響いた。
「貴女にそんな切り返しが出来るなんて! 予想外でしたわ!」
「ええ、まったくです。私の予想では、『もう良いです!』と来るはずだったのに」
「本当ですわ。この短時間に、少し柔らかくなったのかしら?」
たぶん賞賛なのだろう、からかい混じりのそれから逃れるように、停車した車から一足先に降り立つ。
時々起きる、少し年上の友人にからかわれる他愛の無い会話。
何時からだろう。
それが楽しいと感じるようになったのは。
少なくとも、今はこのくすぐったい気持ちも含めて、心地良いと自覚している。
「『らしい』も『らしくない』も、今を楽しむには関係無いのかな……」
明日へと後回しにするのは、自分らしくないと感じる。
しかし、そんな自分でも今を楽しむ事は出来ているのだ。
出来ているのならば、精一杯楽しもう。今しかない、この時間を。
たとえ戦闘中であろうと、それが『今』であるならば。
今日と言う今。生きている今を。
未来は存在しないかも知れないが、縋る為の思い出を作る為では無く、ただ『楽しかった』と思う為だけに、今を楽しもう。
「まずは、昼食ですわね。少し早いですけれども」
「食事を取りながら、作戦会議を開きましょう。効率的に買い物を遂行する為に」
「今日を有意義な休日にする為に、楽しみましょう!」
当初の予定通り、バイクで1人買い物に来ていても良かったとは思う。
それでも、友人と3人で今、ここにいられる事が良かったと思える。
始まったばかりだと言うのに、あふれるような充実感が得られているのだから、1人ではより良い『今』と言う時間を過ごす事は出来なかっただろう。
3人で今ここにいられて良かったと思える。
……友人達は、何かを目配せし合っているが。
さて、今日の昼食は何になるのだろう。
車が停まる少し前に見えた、屋台で売られているオープンサンド? それとも、通りに面したカフェ? その隣にあるレストランで?
どちらの場合でも、きっとメインは友人と語らう『今』に違いないと、そう思う。