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08. つい歌ってしまう歌と、私の初恋の話

 お前の弟だ、と引き合わされた私より1つ年下の少年は、物静かで大人びた子供だった。

 みんなが褒めそやす通り、とても綺麗な容姿をしていたように思う。

 色白で、髪は明るい金色で、目も透き通った緑。どこもかもピカピカして見えた。侍女たち曰く、陰鬱な黒髪と淀んだ鳶色の目をした私とはすごい違いだ。

 貴族の令息らしく整えられたその様子は、下町育ちの私には目に痛く、ただでさえ面倒だと感じていたのが余計に億劫になった。

 あの子も、私には興味がなかったらしい。いや、もしかしたら庶民を母に持つ私など姉とは認めたくないと考えていたのかもしれない。

 父や他の人間には笑顔を見せつつ会話をするのに、私のことは完全に無視をした。

 別に、それでも構わなかった。

 血が繋がっているからって、家族になれるわけじゃない。下町で色々な種類の家族を見てきたから良く分かっていた。

 私には、母に愛された記憶が――― 別れ際に、怒りながら泣いてくれた母の記憶がある。


 いっそ気楽だった。

 無遠慮に踏み込まれるより余程いい。


 相手が居なくなった今でも、そう考えている。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 お姉さま、と声を掛けられると、最近、背中に悪寒が走るようになった。

 今日も頑張って働いていた私に強襲をかけたユージェニアは、何がそんなに楽しいのか、にこにこと私に話しかける。

 手にはクロテッドクリームと木イチゴジャムをもったり塗りたくった、焼き立てのスコーン。ほんと、気付けば何かしら食べてるな、この娘。お約束通り、口の周りはベタベタになっているし。

「ねえ、ステラお義姉さま」

「はいはい。何ですかー、巫女様。あ、その辺に食べ屑を落さないでくださいよー」

 棚に本を返しながらおざなりに返していると、態度が気に入らなかったらしい義母弟の恋人は、ぎゅっと後ろから抱き付いてきた。

「んもう、嫌ですってば。ジェニーですよ、ジェ・ニ・イ」

 頬を背中にくっ付けて来た義母弟の恋人。

 …… やめんか、口元のジャムが服に付くじゃないか。それに、そんな豊満な胸を惜しげもなくくっ付けられると、壁際でじっとこちらを見ているエーリオほか護衛騎士の皆さんから妬まれてしまう。

「お義姉さま、先ほど口ずさんでいらっしゃったのは、お好きな歌?」

「は?」

「さっきの歌。よく歌っていらっしゃるもの」

 耳に慣れたメロディーを歌い始めた美少女を見て、私は苦虫を噛み潰したような思いをした。

 まさか、聴かれていたとは。

 というか、“よく”ということは、そんな頻繁に歌っていたのだろうか、私。無意識だったとはいえ、不覚だ。

「なんという名の歌ですか?」

 前に回り込んで無邪気にそう尋ねてきた巫女を見下ろしながら、私は口をへの字に曲げた。

「秘密」

「そんなー。教えてくださいよぅ。でなきゃ、このお土産のケーキ、あげませんよ?」

 ケーキというモノ質をとるとは、なんというセコイ聖職者。スコーンだけでなく、まだ食べ物を隠し持っていた事実にも呆れる。

 その後も、ユージェニアはなかなかしつこく食い下がって来たが、私は教えなかった。

 ――― 何故って?

 曲名を聞いた次は、どうせどこで覚えたのかを知りたがる。

 私は、それをどうしても口にしたくなかった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その貸本屋は、王都の片隅――― 私が通う学園までの路にあった。


 外観は都会の商店らしく洗練されていた。

 けれど、初めてその店を見た時、私はなぜか懐かしくなったのだ。

 青い屋根、白い塗り壁、緑色の窓枠。いま思えば、下町で通っていた貸本屋に、配色が似ていたからかもしれない。


 伯爵家の馬車や護衛を断わり、毎日徒歩で通学していた私は、ある日思い切って店の扉を開いてみることにした。

 ベルが鳴り、ドアの隙間から風が流れ込む。それに背を押されるように足を踏み入れると、

「いらっしゃい」

 穏やかな声で出迎えられる。

 その人は、書架の前にある三脚に腰掛けて、こちらを見ていた。

 若い男性(ひと)だった。背が高く、白いシャツと焦げ茶色のスラックスがとても似合っているから大人っぽい雰囲気なのに、くしゃくしゃな寝癖のような髪が子供のよう。

「ああ、学生さんですね。何かお探しの本がございますか?」

 眼鏡の奥で柔らかに笑む新緑の目。

「ふ、ふぇい!」

 真っ直ぐに視線を受けた私はらしくもなく慌ててしまい、間の抜けた声で返事をした。

 くぐもった笑い声が耳に届き、頬が熱くなる。

「どうぞ、ゆっくり見て行ってください」

 その言葉に、恥ずかしくて余計に顔を上げられなかった。


 静かな店で出会ったその年上の男性(ひと)

 それが、私の初恋だった。




 本はとても高価なもの。庶民には買えないが、貴族は買う。

 だからなぜ、王都の真ん中、しかも貴族街に近いこの位置で貸本屋をやっているのか、そう訊いたことがある。

「だって、学園には中流階級や、中には下町から通っている子もいるでしょう。そういう子たちには、ぜひとも頑張って欲しいですからね」

 微笑みと称するにはやたら力強い笑みで、店主は私に返した。



 初めて会った時は、柔らかい空気だけを纏っている人かと思ったが、そうでないことはすぐに知れた。

 彼はかなり頑固で、意思の強い人だった。



 貸本屋に通い続けて、半年以上経った頃。

「ねえ、その歌好きなの?」

 棚の前に立って本の在庫を調べていた店主は、その日もその曲を歌っていた。

 いつも口ずさんでいる、同じ旋律。

「あれ、そんなに歌ってましたか」

「うん。だから、すごく好きなのかなって」

 頭を掻きながら、少し困った表情で目元を染める彼。

「変わった旋律だよね。外国の歌かな」

「そう。とても…… とても遠い国の曲なんだそうです」

 そんな風に言った彼の目も、どこか遠くを見ているようだった。

 歌を生んだ遠くの国ではない、何かもっと、別のもの。

 子供でも女の端くれ。瞬間的に「嫌だ」と感じた私は、彼の思考を遮るため、手にしていた本を突き付けるように渡した。

 表紙を見た彼が、おや、と眉を上げる。

「またこの本ですか。ステラさん、よほどお気に召したんですね」

「う、うん。面白いよね、それ」

「でも、〈紋章術〉の専門書ですよ? 内容的に、ステラさんのような歳頃の学生さんには、難しくないですか?」

「そうでもないけど」

 事実、とても気に入っていた。

 当時の私は3回目の飛び級を認められたばかり。学園の教授から、将来、専攻を決めて研究職に入ってはと勧められていた。

 そんな時に出会ったのが、あの貸本屋の片隅にあった〈紋章術入門〉という本だったのだ。マイナーな分野ではあるが、学園で習うどの科目よりも面白く、私はすっかりのめり込んでいった。

 その話をすると、彼は悪戯めいた目をして、じゃあ、と切り出した。

「その本、貴女に差し上げますよ」

「えっ」

「どうせ、他に借り手がないですから。随分前から置いてるんですが、借りてくれたのはステラさんが初めてだったんですよ」

 だから、どうぞ、と。

 ――― 嬉しかった。

 伯爵家に来たあと、たくさんのものを買い与えられたが、どんな高価なものよりも少しだけ古びたその本の方が、何倍も価値があるように思えた。


 本を手渡して貰うとき、いつも少しだけ指が触れ合う。

 その瞬間に一番、自分の鼓動が速まることを知っていた私は、顔色に表れていないかと心配する一方、心待ちにもしていた。


 帰り道に、考えていた。

 もっと大人になれば、彼に追い付けば、気持ちを伝えても平気でいられるようになるかな、と。

 もうすっかり覚えてしまったあの歌。彼が好きだと言ったあの曲を、一緒に歌えるようになる日がくるかな、と。




 ――― そんな日は、結局来なかった。

 彼はある日突然店を閉め、いなくなってしまった。

 隣の店の人から、好きな人の行き先がわかったから追い掛けて行ったんだと、教えられた。

 初恋は叶わない。

 昔の人は、上手いことを言ったものだと思った。



 そういえば。

 あの時もらった本は、どこへやっただろう。






 この日の夕方、私は忘れていた本の代わりに、異母弟の日記を見つけた。




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