07. 休暇を熱望する私と、通りすがりのおっさんとの話
私は、義母という女性に会ったことがない。
私が引き取られたとき、父の正妻たる彼女が亡くなって、もう1年以上経っていた。
大層美しいと評判の貴婦人だったそうだ。
今現在自分が生活を送っている屋敷で暮らしていたという美女の話に、少々興味を覚えたのは事実。だけど、わざわざ調べたいと思うほどではなかった。
肖像の間という部屋にその絵姿が残されているらしいが、足を踏み入れず仕舞いだったため、結局目にすることもなかった。
だが、それはそうする必要がないと思っていたからかもしれない。
なぜならば、彼の女性に生き写しだと褒めそやされる息子が、いつも目の前にいたのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日は、私が神殿にやって来て丁度1ヵ月と2週間という日。
ああ、今週も目出度い記念日だ。鍵に繋がるヒントの欠片すら手に出来ていないよっていう、最悪の。
「もういい!」
今日は休みだ! 自主休暇にしてやる!
ここにやって来てからというもの、ずっと働き詰めだった私は、ついに切れて部屋を飛び出した。
正直疲れていたのだ。
一行に進まない解呪作業や、ユージェニアの経過状況確認という名の強襲や、ユージェニアの慰労と言う名の強襲に。
労働による疲労と、職場環境、人間関係によるストレスに悩む20代前半の女子。ああ、なんて頑張り屋さんな私、哀れな私。研究室の外では泣いちゃうかもしれない。
だから、開けたドアを思い切りぶつけちゃったらしきエーリオ、ごめん。赦せ。
まあ、気配もなく入口の前に立っていたあんたも悪いよ。うん。
「だいたいだなぁ。まったく、なんなんだあの巫女様は」
無茶振りな仕事だけでなく、毎度毎度、巨乳を私に押し付けおって。もはや無能な義姉に対する嫌がらせとしか考えられない。
…… いやいや。
だから私は決して無能な人間ではないと、何度も。
「優秀だと名高いクロッソン家の〈星〉も、どうやら噂ほど有能ではなかったようですな」
…… またか、と私はげんなりした。
婉曲な言い回しで“無能”呼ばわりしてくれた、この見知らぬおっさん。
服装からして、神官ではなく宮廷貴族のようだが。
最近、この手合いの人間と出会う機会の多いこと。神殿内で私を無能呼ばわりするのが流行っているのだろうか。嫌な流行りだな、おい。
(私は、ただ愛しの図書館に行きたかっただけなのに)
目の前に立つこの初老の男は、自らの肥満体を駆使するだけでなく、取り巻きらしき数人の従者を使って、文字通り私の行く手を阻んでいる。このままじゃ進めないし、かといって無視して踵を返すわけにもいかない。
回避する手段を失った私は、大人しく彼らの毒を正面から受けることにした。
「大神殿に招き入れられて、もう1月以上経過しているとか。未だ任務を完了出来ていないとはね。一体、聖女様の御意思をなんと心得ておるのやら」
ひとを小馬鹿にした初老の男の言葉に、金魚の糞どもが追従する。
「まったくです。殉職された弟君の後任を早々に決め、神殿騎士団を正さねばならぬという大事な時に、長々と副団長室を占拠されたのでは困るのですよ」
「まあ皆さん。所詮、伯爵家の御長女とはいえ、お母上の御身分が低くていらっしゃるから。貴人に対する礼儀や、公の場での在り方がなっていないのも仕方ないでしょう」
「まあ、そうですな。そもそも、日陰の我が子に〈星〉などという名を付けるとは、母親の質も知れると言うもの」
「弟君のような美しさや花があるならまだしも、このような御容姿で星を名乗るとは、ね」
「本当に、教養のない者は何を仕出かすか分からないものです」
そこまで言って、男たちはさも可笑しそうに笑い声を上げ始めた。
その間、私はただ呆けるしかなかった。
身なりは立派だし、大神殿の廊下を大勢で歩いているということは、それなりに高い身分にある者たちだろうに。
…… なんということだろう。こいつ等の会話は、子供の頃に聞かされた屋敷の侍女たちのものと、ほぼ同じ内容じゃないか!
酷い、低俗過ぎて。聞くに堪えない。政治を手掛ける爵位持ちの人間がこれで、大丈夫なのだろうかこの国。
侍女たちの場合は彼女らの将来を憂いてやるだけで良かったが、国の存続ともなれば私の人生にも関わる大事だ。全部終わったら、この前まで滞在していた隣国に亡命した方がいいかも。
男たちを無表情かつ冷静に観察していた私が、半ば本気で思考を巡らせ始めた矢先のことだった。
「スロヴェーニ伯爵、そこまでになされてはいかがか」
私の背後から掛かった声。
振り返ると、これまた見知らぬ男が後ろからやって来た。
神官だ。歳の頃は、私の父と同じくらいだろうか。若い神官を2人連れ立ち、ゆったりとした足運びで歩む様は、目の前の貴族の男よりも遥かに威厳を感じさせた。
彼の印象を一言で言うと、〈白〉だ。
裾の長い、高位の神官であることを示す純白の聖衣と、真白い髪。回廊に差し込む光を受ける珍らかな銀の双眸は、柔和な色を宿している。
「賢者アルゲン様!」
アルゲンと呼ばれた白い男は、己を呼んだ者に視線を向けた。その先に居たのは、私が元来た廊下から姿を見せたエーリオだ。
よほど急いで追って来たらしく、一息肩で呼吸を整えた彼は、私の隣まで足早に進んだのち、アルゲンへ深々と礼を送った。
「申し訳ございません。我が主の客人が、御前をお騒がせしました」
「いえ、かまいませんよ。こちらこそ申し訳ない。私の客が、そちらのお嬢さんに御迷惑をお掛けしたようですね」
穏やかに返されたアルゲンの言葉を聞いて、スロヴェーニという名らしいおっさん貴族が慌て始めた。
「伯爵。本日は寄進のお話でお越しくださったはずですね。お待ちしていたのですよ。さあ、こちらにお出でください」
「ア、アルゲン殿」
「では、私は伯爵をお連れいたしますので。クロッソン嬢、エーリオ君、失礼しますよ」
そう言い、伯爵を連れて場を後にするアルゲン。その姿をぼんやりとしたまま見送ろうとしていると、エーリオに頭を押さえつけられ、礼の姿勢を強要された。
「…… なにをするんだ。妙齢の女性の頭に」
「なにをじゃねーよ! よりにもよって、あんな面倒な奴らに捕まりやがって!」
彼らが完全に行ってしまったのを確認して苦情申し立てすると、理不尽にも叱られた。
「いいか。表向き、お前は紋章術が施された古代文書解析の為に、滞在してることになってるって言っただろ」
「あー、そういやそうだっけ?」
「そうなんだよ! だから、不用意に関係者以外と接触するな。特に、ああいう権力もってるような輩とはな。どこかでボロが出たらどうするんだ」
そんなこと言われても。ボロが出たところで、私には何ら影響はないのだが。
そう口にしたら、さらに怒られそうなので言わないが…… って、ちょっと。なんで私がエーリオにビビらなきゃいけないんだ。
イラッとしたが、それより気になることがあったので、そちらを訊ねることにする。
「時に、あの真っ白な神官のこと、あんたさっき〈賢者〉って呼んだ?」
「ああ、アルゲン様か。そうだよ。あの方が、今代の三賢者のお一人だ」
ほう、と私は目を見開いた。
賢者というのは、確か最高位に座する〈聖女〉に次いで力を持つ位だったはず。ここに来てそれなりの時間を経ているが、ユージェニア以上の位を持つ人に初めて会った。
「やっぱり、神殿のお偉いさんっていうのは、宮廷貴族とは違う風格を持ってるんだね」
「そうか?」
あれが賢者か。道理で堂々としていたはずだ。
高位の神官がみんなユージェニアのようだったらどうしようと危惧していたので、少し安心。
そう納得していると、腕をがっしり掴まれた。
エーリオが満面にやたら綺麗な笑みを浮かべて、私の顔を覗き込んでくる。
…… 鼻の天辺が、やたら赤いな。うふ。
「さて、クロッソン嬢。とりあえず部屋に戻って、脱走の理由をお聞かせ願いましょうか。特に、俺にドアをぶつけたまま放置した経緯なんかを重点的に」
全く朗らかさのない笑い声を立てるエーリオ。
兵士の馬鹿力に、か弱い私が抵抗出来るはずもなく、元の部屋へと連行された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
異母弟の執務室に入り次第、エーリオは私に茶を淹れるよう要求してきた。
「なんで、私がそんな真似を」
と文句を言うと、ピンチを救ってやった恩があるだろ、と返されて、しぶしぶながら茶の準備をする。
カップを差し出した時点でようやく、助けてくれたのはどちらかというと賢者のアルゲンさんじゃないかと思い至った。だが、もう奴は茶に口をつけているところだったので、勝手に角砂糖を4つほど投入することで腹いせを完了させた。
「いままでお前には敢えて説明してなかったんだがな」
ど甘い紅茶を渋い顔で口にしながら、エーリオは説明し始めた。
話を要約すると、この大神殿にも、当たり前だが派閥があるのだということ。
まず一つが、聖女を戴いた〈聖女派〉。
もうひとつが、〈賢者派〉。
前者は勿論、最高位である聖女を尊ぶという考えに基づく派閥で、後者は、お飾りである聖女ではなく、神殿において実質的権力を握る賢者を頂点に戴くべきだと考える派閥。
「聖女、権力ないの?」
「ないわけじゃない。だけど、彼の方は儀式の時以外、ほとんど姿をお見せにならないからな。人間ってのは、実際に自分と関わりがない存在を信じ続けるのが、とても難しいと感じる生き物なんだよ」
「そうかもしれないけど、そんなこと言ったら、聖女以外に関わりを持つことが出来ない神様を信仰するってこと自体、矛盾が生じてくるじゃないか」
「まぁな。でも、そんな存在を信じて、命を掛けることが出来るっていうのも、また人間なんだよ」
執務机の端に腰掛け、カップを手で弄びながらそう言ったエーリオ。
話の内容が真面目なのだから、その表情が真面目なのも当たり前なはずなのに、私はそれが可笑しくて仕方なかった。
「…… なんだよ。なんか気に入らないぞ、その目」
「別に。ただ、あんたがさ、本当に大人になったんだなあって」
「同い年のくせに、親戚のババアみたいなこと言ってんじゃねーよ」
顔を赤くして怒るところは、私が知っているガキ大将だった頃と変わりない。せっかく褒めてやったのにと思う反面、少し安心している自分もいた。
茶菓子にと開けた缶の中から、小さなチョコレートを取り出す。
王都で流行っている物らしいと、数日前にエーリオが寄越したものだ。小さな菓子には様々なデコレーションが施されており、いま手にしたものにはピンクの薔薇が可愛らしく描かれていた。
口に入れると、濃い、ほんの少しほろ苦い甘さが、とろりと溶けた。
「美味しい」
こんなに小さな欠片でも、こんなに美味しい。
気の毒だな。
世の中にはもっと美味しいものがたくさんあるのに、どれ一つ口に出来ない。全部我慢した挙句、お飾りだと蔑まれる。
報われないな、と。
私はその日初めて、会ったことのない雇い人である聖女のことを“記号”としてではなく、“人”として考えた。




