06. 紋章術の講習会と、業務報告な話
紋章術は、繊細かつ肌理細やかな紋様を組み合わせ、魔術を発動させる術。
複雑に編み上げられた文字式は物理的に解くことが難しく、解除には鍵となる何らかの要素が必要となる。
それは文字通り固定の鍵であったり、不確定な自然四元素たる何かであったりと、様々な形を為すのが特徴だ。
過去には珍しい物で、飼い猫が鍵として設定されているものもあった。
今回の場合、それは―――、
「この箱に施された術の鍵は、ずばり“音”だな」
例の図書館下の隠し部屋。
安置されている飾り箱を軽く叩き、表面に浮かぶ光の波紋を再度観察しながら、私は結論を述べた。
「音、ですか?」
ユージェニアの問いに、「ほら」と箱の両側面を強く叩いて見せる。
一面に浮かび上がった紋章の起動光がよく見えるように、机の上で回転させた。
「見て。わかる?」
「光っていますね」
「…… いや、そうなんだけどさ。そうじゃなくて、無いだろう? 鍵穴が」
「え、ありますよ。ほら」
ユージェニアが指差したのは、術が施される前から、もともと箱に付けられていたのだと推測される鍵穴だった。
でも、私が言いたいのはそれのことじゃないじゃない。
「紋章術でいう鍵穴とは、解除鍵を紋章に影響させるための設置陣を指すんだ。この箱に刻まれた陣形を見る限り、どこにもそれが見当たらない。その代わりに」
もう一度、強く叩く。
「ほら、この光の波だ。普通、鍵穴が固定されている場合は、外部から物理的刺激を与えてもこんな風に起動光が揺れたりしないんだよ」
「つまり?」
「これはつまり、紋章式自体が他の何か―― この場合は音だな。それを拾おうとしているってことだ」
「なるほどー。ようするに、今波打っているのは叩いているからじゃなくて、叩いた時に生じた音に反応しているということですね!」
「その通り」
両手を合わせて輝かしい笑顔を広げたユージェニアに、私は頷いて見せた。
可能性としては、箱自体を覆う物なども考えられたが、術式を1週間かけて綿密に分析した結果、音であると断定することにした。
「あとは、音がどんなものであるかが分かれば解呪可能ですよ」
「そうですね! 流石はステラお義姉さまっ。3ヶ月というお約束ですのに、たった1週間で鍵の要素を特定することが出来たなんて」
尊敬の眼差しに、ははっと胸を張って口元を緩める。
「まあ、専門分野だからな。当然だ」
「ステキ過ぎます! 痺れます、お義姉さま!」
うんうん。たっぷり賞賛しなさい。
可愛い系美少女にここまでベタ褒めされると、頑張った甲斐があるというもの。
――― と、言う訳で。
「おい。どこに行くつもりだ?」
部屋を出ようとしたところで、壁際に控えていたエーリオの手で、首根っこを掴まれた。
ちっ。もう少しだったのに。
見下ろしてくる空色の目を睨み上げながら、私は舌打ちをした。
「あら、エーリオ。もういいの? あなた、ステラお義姉さまが自分に気付くまで話しかけないって……」
「巫女様! お願いします、ここでそれは」
慌てて上司の言葉を遮ったエーリオ。
どうした、頬なぞ染めて。もしかして、コイツも美少女の餌食なのか。異母弟の如く。
それよりも、
「上司の言葉を途中で遮るのって、勤め人としてどうなんだろうと思うぞ、エーリオ」
「お前は黙っとけ! てか、どこに行こうとしてたんだよ。言ってみろ」
「帰るんだよ、ルデの研究所に」
エーリオの手から逃れた私は、踏ん反り返って言い放った。
ユージェニアが、あらあら、と両頬に手を添えて近寄って来る。
「どうしてですか、お姉さま。まだ鍵は見つかっておりませんのに」
「鍵は音だって特定しただろうが」
「嫌だわ~、お義姉さまったら面白いんだから。それでは“見つけた”とは言えませんよね?」
ぐぬっ。
だけど、ここから先は私の領域じゃない。
何度も主張するが、知ってるわけないじゃないか。義母弟がどんな音を選ぶような奴だったかなんてこと。
「よもや、解呪されていない代物を、鍵要素だけ判明したからと言って放置なさったりしませんよね? だって、ステラお姉さまはこの国一の権威でいらっしゃるのだもの。その名を穢すような行為など、出来ませんよね。まさかですわよね」
「そうですよ、巫女様。まさか、そんな逃げ帰るかのごとき無様な真似、この天才研究者様がするはずなど」
「そうよね~。わたくしってば」
とても楽しげに笑い合う上司と部下。
そうこうしながらも、2人の手は私の腕を捕えるように握っている。
「大丈夫ですよ、お義姉さま。あと2ヶ月と3週間も残ってますから。たーっぷり、お考えくださいね」
下からカンテラに照らされている極上の笑顔が怖い。
どうやら、今年のルデの紅葉も、諦めるほかないらしい。
ゆっくり堪能するのは2年振りだと楽しみにしていた季節から引き離され、私は十数年振りに涙を流したい気分になった。