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25. 私と、父

 子供の頃、一度だけ母に訊いたことがある。


「どうして、私にはお父さんがいないの?」

「なんで、お母さんはお父さんと結婚しなかったの?」


 子供とはいえ、我ながら残酷だ。

 そんな質問にも、母はちゃんと答えをくれた。

 ただ、どんな答えを貰ったのか、今はもう思い出せないけれど。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 いつもの東屋。目に痛いほど白い色をした柱の間を、冷たい風が抜ける。

「うぅ、さむっ」

 白い息を吐きながら、私はマフラーを巻きなおした。

 ここに来た季節より遥かに寒くなった今は、着込んでいないとかなり寒い。

 あんなに沢山咲いていたチョコレート色のコスモスの花も終わってしまったので、ここから見た景色もすっかり様変わりしている。

 ずいぶんと長い間、この神殿にいたものだなぁと感慨深く思う。

「待たせたか」

 ぼぉっとしていたせいか、声を掛けられるまで気付かなかった。振り返りながら立ち上がる。

「お父様」

 数年振りに向き合った父親は以前と変わらない無表情で、でも、少し皺の増えた顔の中で目を細めた。



 しんと冬に閉じた庭園は静かで、人の気配がない。今は、小鳥の声だけがかすかに響くだけ。

 いや、もうほんと静か。

 初めの挨拶ののち、白いテーブルを挟んで座った私と父上は、一言の会話もないまま、ただいたずらに時を過ごしていた。

 木枯らしがこんなにも冷たいのに、私は手と額に薄らと汗をかいている。

(…… どうしよう。一体、何を話せばいいのか皆目わからない)

 元来、他人とコミュニケーションをとるのが下手くそな私。

 もともと上手くいっていなかった、しかも久々に顔を合わせた父親との会話を円滑に進めるスキルなど、当然ながら持ち合わせていない。

 うーん。やはり緩衝剤に誰か連れてくるべきだったろうかと後悔しながら、なんとなくエーリオの顔を思い浮かべた。


 これまで目を逸らしてきたものから、逃げずに向き合うにはどうすればいいのか。

そう零した私に、エーリオの奴が提案し、セッティングしてくれたのがこの席なわけだが………。


 ――― ほら、これからはちゃんとするんだろう?


 ここに来る直前、土壇場で及び腰になり始めた私の尻を叩いて送り出したエーリオの声が脳裏に浮かび(あれはセクハラだと思う)、表情が渋くなったのが自分でも分かった。

「苦手、だったか?」

 掛けられた言葉に、はっとした。

 慌てて自分の手元に視線を下ろす。そこにあるのは、先ほど差し出されたばかりの小さな箱。ピンク色の包装紙で、フリルのようにラッピングしてあって可愛い。

 これまた可愛い花を模した赤いリボンを解くと、中から出てきたのは色とりどりのマカロンだった。

 少し迷ったあと、中から若草色のものを一つ摘まむ。

 う、父からの視線が痛い。

 じっと見られていると、食べにくいんだけど……。そう思いながら口に含んだ途端、中で香ばしいナッツの味がほろほろと優しくほどけた。思わず唇が柔くほころぶ。

「おいしいです」

「そうか」

 そう言った父の表情はいつものままだったが、ほんの少しだけ緩んだようにも見えた。

 弟の日記を読んで、父の人となりを予習していた私は、ちょっぴり吹き出してしまった。


「聖女様は、この先どうされるおつもりだと?」

「あー、なんかルデに付いて来るって言ってますよ。私はもう帰らなきゃいけないから、あの子も準備が整い次第、後から追って来るって」

「もう少し、君もゆっくりして行けないのか?」

「そうしてもいいかなって思っていたんですが、研究を全部放り出してきてるから早く論文出せって、せっつかれてるんですよ。あと、研究所の同僚や友人が心配して、頻繁に手紙を送ってきてくれてますし」

 そう告げた私を、父はどこかぽかんとした表情でガン見してきた。

「…… 君、友達いたのか」

「いますよ」

 失敬な。これでも友人は少なからず居る方だ。下町時代はもちろんのこと、学院時代にも一般庶民出身者のだけでなく、貴族の友人がそれなりに出来ていたし。

「そうか、そうなのか。ならば良いんだ」

 ちょっと、コラ。

 その「心底安心したー」みたいな目と声は、即刻止めていただきましょうか。まったく。

「そんなことより! ジェニーのことです! これから聖女選定式とか、色々あるんでしょう?」

「う、うむ。神殿の最高位に座すお方だからな。しばらく慌ただしい日々を送られることになるだろう」

 つい先日、正式に聖女退位と降嫁が公示された。

 人物が人物なだけに、詳しい内容や降嫁先は公表されない。これは今回に限らず、歴代のしきたりというか暗黙の了解というか、まあ、そういうものに則ったことでもあるらしい。

 今回の原因となった経緯からして、ものすごく好都合だね。良かった良かった。そう初めは思ったんだけど、よくよく考えると、逝去以外の途中退位に至る場合って、碌な原因などありはしないんでは…… と思い至り、改めて神殿怖いと震えた。

 全てを終えた後、ジェニーはルデにあるクロッソン家の別邸に移る予定だ。何故か私と同居するつもりらしい。

 これまで研究所内にある寮に住んでいた私も、いつの間にかそちらに引っ越す手筈となっていたと、昨日になって知らされて唖然とした。ここから送り出したはずの荷物や寮に置いてあったものは、既に屋敷の方へ移送済みらしい。仕事早過ぎだろう。あと、本人の了承を取りなさい。

 何だかなぁと思わないでもないが、でも、妊婦を1人置いておくわけにいかないしね、と自分に言い聞かせてもみる。

「退位と選定、あと即位式ですか。目白押しですね。ジェニー、そんなに忙しくして大丈夫でしょうか。ただでさえ、悪阻が酷くて体調を崩しがちなのに」

「そればかりはな。ただ、食べている間は気分がましになるのだとおっしゃっていたから、なにか養生にいいものをお贈りしておくよ」

「…… あまり、甘いものばかり与えないでくださいね。あの子、栄養バランスとか考えなしに、際限なく食べるんですから」

「ああ、気を付けよう」

 父は一見真摯に受け止めたように頷いたが、私は内心本当だろうかと疑っている。

 実は、ここに来てから再三ジェニーやエーリオが私の元へ運んでいた菓子類は、全て父が用意したものだと判明したのだ。

 まあ、一介の騎士や、これまで食べ物を必要としなかった娘が、あんな高級菓子を度々買ってくることなんて出来ないよね。考えてみれば。

にしたって、あの量はない。あれだけ一気に買い込んで与えるとは……。

「妊婦が太りすぎるのは良くないらしいですよ。善処してくださいね」

「……… 分かった」

 ホントかなあ。その間が信用できないんですけど。

「前に、母が言ってました。私を身ごもっていたとき、食べ物が美味しすぎて太ってしまったせいで、産婆さんから物凄く怒られたって。体重に気をつけないと難産になる可能性も出てくるそうですよ」

「クロエが?」

「そう。再婚先の家で弟を生んだ時も太りかけたから苦労したって、前に手紙で。あ、今はちゃんと元にそうですけどね」

「知っている」

「……… そうですか」

 なんで知ってるんだろう。当の昔に別れた、って言っていいのかな? そもそも付き合ってもいなかったかもしれない、他の男の元へ嫁いだ女のことを。

 聞いてしまったら、弟の日記を読んだときみたいな、何とも言えない思いをするかもしれない。――― でも、

「君が腹の中にいたときのクロエか……。そんな彼女も、見て見たかったな」

 その当時を想像しているのか、母の名を口にした父の声がひどく優しげだったので、私は勇気を振り絞って尋ねてみることにした。

「なんで、あの時」

 母の再婚が決まり、私が彼らと離れて暮らそうと決意したとき。

「私を迎えに来てくれたんですか?」

 母に一人暮らしを申し出て、間を置かない頃だった。初めて会うこの人が、私の前に立ったのは。

 父は背が高い。子供だった私を見下ろす顏は、自分に似ているような気がしたけれど、遠すぎて良くわからない人だという印象しか受けなかった。

 今でもやっぱり伸長の差はあるけれど、あの頃よりはもっと、距離だけじゃなくて、近くに感じる。

「君にな」

 父の口元から、白い吐息がほわりと伸びた。

「会いたかったからだ」



 父が私の存在を知ったのは、彼の妻――― つまりレナードの母親が亡くなった直後だったらしい。

 かの女性の生家は侯爵家。それもかなり羽振りが良いことで有名な。

 私の母と父が袂を別ったあと、伯爵夫人に納まった彼女はひそかに母の行方を調べ、その生活を監視し続けていたそうだ。彼女の遺品の中に大量の観察報告書があったと聞き、何ともいえない気分になる。

 妻亡きあと、父は入れ替わるように私たちのことを見守って(、、、、)いたのだという。…… あくまで。



「クロエの再婚を知った時は、正直ショックだったよ。でも、娘の君と、彼女と僕との間に生まれた子と一緒に暮らせるかもしれない。そう思うと居ても経ってもいられなくて、多少強引に連れてきてしまった」

「あの時のことは感謝してます。母に、望みを諦めさせなくて済んだんですから」

「いや、十分諦めさせてしまったと思うよ。君のことをね。なのに、僕は父親になりきれなかった。不甲斐ないと、君が屋敷を出たと知らせたとき、手紙でクロエに叱られたよ」

 自分のことを“僕”と呼ぶ父を初めて知った。

 クロエ、と名を形作る時にだけ緩く笑む口元も。

 ふと、昔、父のことを訊いたとき母が言った言葉を思い出す。


 ――― あなたのお父さん?


 ――― お父さんはね、すごく頼りないかなって思うと、実は芯が強くて格好いい人なの。


 ――― あとね、一見怖いように見えて、呆れちゃうくらい優しいのよ。


 ――― そしてね………、

 

「母のこと、好きでしたか?」

 なんの抵抗もなく、問いが零れた。

 父は、少し驚いた様子で瞬きしたが、間を置かず答えをくれた。

「ああ、」


 ―――- とっても、可愛いひとなのよ。


「愛しているよ。君たちを」

 表情に乏しかった顔が笑み崩れる。

 微笑った父は、なるほど、母の言った通りなかなか可愛かった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 後日、更に訊いた話だ。


「なんでそんなに好きだったのに、一緒にならなかったんですか?」

「だってな、クロエが『“クロエ・クロッソン”だなんて、クロクロ繰り返す名前になるのは、絶対に嫌だ』って言って………」

 そんなプロポーズのやり取りをした次の日に、母は影も形も残さずドロンしたらしい。

「ステラが、クロッソンの家名に合うような名前で良かったよ」

 ほんわかとした声でそう宣った父の横で、私は頭痛を覚えた。


 ホントにもう……… 母さん!!



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