24. 半端者の私と、女王様の誓いの話
数日どころじゃありませんでした。申し訳ないです。
本日中に全話終了です。あと少し、よろしくお願いいたします。
日記を閉じた。
そのままテーブルの上に置き、遠くを見る。
「…………」
ああ、窓の外はいい天気だ。太陽が燦々と輝いている。あー平和平和。この上なく平和……。
「……………… 読むんじゃなかった」
これは、読んじゃいけないヤツだった。
目の前に置いた弟の日記を見下ろしながら、私は頭を抱えたくなった。
弟の日記で、以前は読み飛ばした、私が屋敷に来てからの記述部分。勇気を出して読んでみようとしたのが間違いだった。
やっぱり、人様の日記を盗み見なんてするもんじゃない。いい教訓だ。これまで何とも思っていなかった黒い表紙が、いやに禍々しく見えてならないぞ。
なんて物を遺して逝くんだ、あいつ! 怖ろしいっ!
これは、このまま永久封印だな。早速、仕掛ける紋章術式を練り始めねば。
そう決意していたところに、ドアをノックする音が届いた。
「荷造りはどう? 進んでいるかしらー?」
「粗方終わりましたよ。そもそも、そんなに広げていなかったし」
ソファーでなく、荷物を詰めた木箱を腰かけに選んだレジーさんに応えながら、私は最後の本の束を紐で括った。
今日のレジーさんは、シンプルな紺色のドレス。女王にも庭師にも、元騎士団長にも見えない。手に籠を持っているせいか、どこぞの屋敷からお使いに来た小間使いのようでもある。
そんな彼女は近くの本の束に凭れながら、少々上目づかいに、同じく箱の上に腰を下ろした私に尋ねてきた。
「ねえ、ステラちゃん。マイス君と面会したって本当?」
「本当です」
部屋に来て早々、軽くもない話を直球で振ってくるなぁとある意味感心しながら、私はマイス君と会ったあの日を思い出していた。
3日前、マイス君はこの神殿を去った。
妹という人質を取られて止む無くロイダンさんたちに手を貸したマイス君が、他の人たちのように厳罰に処されることはなかった。だが、生家の子爵家は取り潰し。加えて、神殿騎士団からは除名という、実に重い沙汰が下された。
今回の件にマイス君が加担することとなったのは、彼の意志ではない。でも、無罪放免にするわけにもいかない上の立場も理解できる。
ひどく遣る瀬なかった。
彼の処遇が決まった日、私は自らの足で会いに行った。
しばらく怪我で臥せっていた私は、あれ以来、軟禁状態にあるというマイス君とは顔を合わせていなかった。
だから、彼が割と健康そうな顔色をしていたのには安心した。
妹のエレナちゃんも無事に保護され、一時多少のショック状態にはあったものの、今は笑顔も見せるようになったのだという。
そんな彼女のもとに、例のカイル青年が毎日のように通って来るらしく、長居しようとするのを追い返すのが大変だとぼやく姿が可笑しかった。
――― これからどうするの?
そう聞きたかったけれどなかなか切り出せず、延々と取り留めない話を続けていた。
そんな私の顔色を見てか、彼の方からしばらく田舎の叔父の家へ身を寄せるつもりだと教えてくれた。
農場を営んでいるという母方の叔父さんだそうで、もともと、両親を失った兄妹を物凄く気にかけてくれていたそうだ。こんなことになってしまい、是が非にでもウチに来いと呼んでくれたのだと。
想ってくれる親族があるのなら何よりだ。
でも、何か私にもできることがあるなら。
そう申し出ると、マイス君は俯いて、静かに首を横に振った。
「僕はそんなに優しくしてもらえる立場じゃないです。ステラさんの身柄をあいつらに引き渡したばかりか、目の前で貴女の尊厳が踏み躙られて、命を奪われそうだっていう時も、傍観することを選んだんですから」
「でも、それは君のせいじゃ」
「いえ、僕が選んだことに間違いありません。その責任は取らなくちゃですよ。…… でも、」
彼は益々俯いて、続けた。
「どうして、僕だったんでしょうか。他にも同じような見習いはいくらでもいるのに、どうして、ロイダンさんと組まされて、ステラさんの護衛に付けられたのがよりにもよって僕だったのか。亡くなった副団長の妹である貴女に関わったばかりに、僕は…… 」
「マイス君」
「こんなの、考えても仕方ないって分かってるんです。でも、分かってることと思わずにはいられないことって別ですよね? ステラさんに罪はない。それは間違いのないことです。でもね、感情がどうにも収まってくれないんですよ。逆恨みだって思ってくれて構いません」
「………」
「貴女のことは好きです。でも、正直―――― もう顔は見たくない」
頭を上げたマイス君は笑顔で、でも辛さを噛み殺した目で。
「お目にかかるのは今日で、これで最期にしましょう」
涙で震える声で、迷いなく言い切った。
神殿で、もしかしたら友人だといえるくらいに親しくなった男の子。
いや、いつかジェニーも言っていたけれど、〈男の子〉じゃ失礼かな。背を向ける瞬間に見たその頬には、もう幼さを感じなかった。
あんなにも笑顔の絶えなかった彼。
最後にみたその表情が、涙を流す姿だったなんて皮肉過ぎだ。
あの日の苦いやり取りを思い出しながら溜息をつくと、目の前にさっとカップが差し出された。
「お疲れのときには美容に良いものを、ね?」
満たされているのは、お約束通り例の白湯モドキ。
優しい行為を受けているはずなのに、そうでもないような気がするのは何故だろう?
熱に揺らめく湯の色はどこか虹を纏っているかのよう。何度も飲んだから、不可思議な味をしていることも知っている。
年齢の割にはツヤのある頬でにこにこしているレジーさんを、私はじっとりと見据えた。
彼女が女王である、そしてジェニーの育ての親であると知った時から、私の中には一つの疑念が芽生えている。
「…… ねえ、レジーさん。この白湯に使ってるのって、神殿のある特定の人しか飲むことを許されていない、例のあの水だったりはしませんよね」
「えー?」
「他の何人たりとも口にすることを許されていない、〈奇跡の天露〉とか呼ばれている、あの聖なる水だったりはしませんよね?!」
「うふふふふ。さあ、どうだったかしらー?」
聖女以外が口にすることを禁じられた、聖女の唯一の糧である〈聖水〉。飲んだ他の人間は厳罰に処されると神殿法により定められているときく。
そもそも、聖水の泉がある最奥部に、おいそれと外部の人間が行けるものじゃないのだけれど……。
「まあ、これはお白湯。水じゃないから、大丈夫なんじゃない?」
「勘弁してくださいよ!」
「いいじゃない。人生、何事も経験よ。手にできるものがあるのなら、ちょっぴり危なくても手を出したくなるのが人間の性じゃない? 女王でも、聖女でも、誰でも、ね」
例外的においそれと行けちゃうこの人は、屁理屈極まりないセリフで、今日も何も知らない私を共犯にした。
それでも、と、この国を統べる女は続ける。
「本性にばかり従っていては、世界は立ち行かないわ。だから、わたしは赦さない。赦さないったら赦さないの。もっとも、この感情自体も、その性のうちの一つなのでしょうけど。でも、赦すわけにはいけない」
そういいながら、おもむろに私の手を取った彼女は、まっすぐに私を見つめてきた。
「ステラ・クロッソン。私は貴女に誓います。女王として、この神殿および王宮――― いえ、国中から〈夢魔の華〉を根絶すると」
ジェニーのような美しさはないけれど、この女性は美しい。不覚ながら、そう思ってしまった。
「貴女の、弟君の命に報いるためにも」
だから、どうか我々を赦して欲しい、と。
――― 〈薬〉の捜査は、順調に進んでいる。
先日、エーリオからそう教えられた。
すでに、神殿内部に広めるよう話を持ち込んだ王宮の貴族や役人は、かなりの人数が摘発された。女王御身自ら指揮を執られているから、終結までそう時間はかからないだろうと。
私はぎこちなく視線を外して肩を竦めた。
「…… まあ、ほどほどに頑張ってください」
誤魔化すために、冷めかけた白湯を呷る。
口に含むと、もはや慣れ親しんでしまった独特の香味が舌を包んだ。
ふん。こんな重大な秘密を抱えたヤバい代物、一気に飲み干してやる。こんなもの、一刻も早く、腹の底の底まで流し込むべきだ。
――― でなきゃ怖くてやってられない。
下町育ちの、貴族になり切れない半端者が、この国一の地位を持つ人に頭を下げさせたなんて重大事実と一緒に、ね。




