23. 弟の、日記
―――― ○月×日
今日、僕に姉さまが出来た。
前に母上から教えて貰った、父上がものすごく好きだったひとの娘だ。
僕より1つ上らしいけど、すごくしっかりしてて頭がよさそうだ。なんか格好いい。女の子だけど。
髪や目の色もだけど、顔が父上にとても似てるなと思った。母上に似た女顔の僕より、キリリとしている。うらやましい。
母上が亡くなってからずっと元気のなかった父上だけど、姉さまを屋敷に迎えることが決まってからは、すごくウキウキしている。表情に出ない人だから、わかりにくいけどね。浮かれ過ぎてて、ちょっとうっとおしい。
でも、姉さまが来てくれて、僕もとても嬉しい。
仲良くなれるかな? 今日は緊張してうまく話せなかったけど、明日はもっとお話しできるといいな。
―――― ○月△日
今日も、姉さまに話しかけられなかった。
何でだろう。他のひととうまく話せなかったことなんてないのに、姉さまにはできない。
姉さまを前にすると、どきどきして顔が熱くなって、息をするのさえむずかしくなる。病気だろうか。
気になって執事のロルフに相談すると、「いろんな意味で大丈夫ですか?」と深刻そうに心配された。どういう意味だろう?
姉さまは本を読むのが好きみたいだ。ここにきて、毎日のように図書室に通っている。えらいなあ、尊敬する。
僕はあまり本が好きじゃないけど、頑張って読んでみようかな。そしたら、姉さまと本の話が出来るかな。
―――― ○月×□日
今日はパーティだった。
親しい人間だけの内輪の席。とはいっても、50人近い客が招待されていたのだけれど。
表向きは父上の昇進祝いだったのだが、本当の目的は姉さまのお披露目。貴族の世界に入ることになったばかりの姉さまの顔見せだ。もちろん、みんな分かっている。
姉さまは、ライラック色のドレスで着飾っていた。大人びたデザインが、姉さまの雰囲気にとても似合っていて、惚れ惚れした。
招待客はあの変わり者の父上と懇意にしている人ばかりだから、比較的、平民出身の姉さまにも友好的だった。だけど、やっぱり一部にはそうでない人もいた。
僕の母上の親族に当たるスロヴェーニ伯爵も、その一人。
母上のことが昔から好きだったと噂されるこの人は、母上にそっくりな貌をした僕をやたらと構いたがる。基本、見かけによらず悪い人ではないし、自領地の運営や〈高貴なる者の義務〉には人一倍厳しい方だということから尊敬はしているのだけれど、何分うっとおしい。
どうやら、姉さまを僕の足元を揺るがそうとする危険人物だと思っているらしく、慣れ合いなど決してしないようにと、しつこいほど言い募って来た。言ってはなんだけど、本当に迷惑だ。慣れ合いどころか、会話すらまともに出来ていないと落ち込む僕のハートを、どれだけ抉れば気が済むのだろう、あの親父。
スロヴェーニ伯爵が僕を捕まえてそんな的外れな忠告をしていた間、傍に姉さまが立っていたことも気掛かりだ。
伯爵が言ったようなことを、僕も考えていると思われたらどうしよう。
今夜は疲れているけれど、不安で眠れない気がする。
―――― △月○○日
僕は、もしかしたらだけど…… 姉さまに嫌われているかもしれない。もしかしたら、もしかしたら、だけど!
僕や父上と一緒にいてくださるのは、食事の時間だけ。終われば、すぐに自室に下がってしまう。会話は最低限、スロヴェーニ伯爵が心配していたような慣れ合いは皆無だ。
姉さまと遊ぼうと、流行りのボードゲームを用意していた父上は、晩餐後、団欒室のソファーで今日もしょんぼりしていた。僕を差し置いて、自分だけ抜け駆けしようとするからだ。ざまあみろと思う。
あいかわらず、僕は姉さまに話し掛けることができていない。
本当は話したいことがたくさんあるのに、どうしても表情が強張ってしまう。
五日前、父が張り切って作らせた若草色のあたらしいワンピースを初めて着ていたのを見た時も、4日前、いつも解いたままでいる黒髪を結い上げている姿を見たときも、3日前、学院の編入試験で前代未聞の好成績を修めたと知らせがきたときも、2日前、窓辺に佇んだ姉さまの瞳がきらきらしていてとても綺麗だと思った時も、昨日、図書室で覗き見た本を読む姉さまの姿が麗し過ぎると感動したときも、今日、晩餐のデザートに頬を緩ませたのが可愛いと思った時も、本当はそう伝えたかったのに、出来なかった。
どうしたらいいだろうとロルフに零したら、「…… お出来にならず、幸いでございました」と渋い顔で返された。なんでだろう。せっかく相談したのに不愉快だ。
明日から、姉さまは学院に入学する。
変な虫が付かないよう気を配れと父上から命じられているし、元よりそのつもりでいるけれど、心配だ。
でも、姉さまの制服姿は楽しみだな。今夜は眠れないかもしれない。
―――― □月△×日
僕の姉さまが、みんなの〈お姉様〉になってしまった。
中性的な凛とした顔立ちや、賢さ、すっと伸びた姿勢、歩きかた、風に靡く黒髪の美しさ、時として金色にも見えるハシバミ色の瞳が神秘的だと、学院中の生徒の…… 特に、女生徒の人気を攫ってしまった。
何でも、〈百合君〉という二つ名が付いたらしいけど、名付けた人間はセンスがないと思う。姉さまの名に捧げるに相応しいのは、幻の天上花と呼ばれる〈ユィーエライエ〉の他ないのに。
いまや、姉さまの麗姿を一目見ようと、昼休みの図書館の利用率が怖ろしいまでに伸びているらしい。
さすが、僕の姉さま。でも、なんて罪深いんだ。
つい先日も、姉さまが落したハンカチが学院裏オークションに掛けられようとしていたので、僕が持てる全ての力を使って、それを阻止したばかりだ。
危ないところだったけど、そのハンカチは今、僕が大切に保管しているから問題ない。それを見つけたロルフが何か喚いているが、何も問題ない。
そう。ロルフといえば、最近なにか悩みがあるようだ。
奥様の遺伝…… どうしてこんなところが…… ストーカー…… 怖ろしい…… と、頻繁に呟くようになった。
疲れが溜まっているのだろうか。近々、休暇を与えるよう、父上に進言しておこうと思う。
―――― ○×月□日
姉さまが飛び級で進学した。しかも、2学年分だ。
教授陣は数年前に魔王を倒した勇者パーティの一員、大魔導師リカフィオ以来の天才だと騒いでいる。姉さまは、我が伯爵家の誇りだ。
だけど、僕はまだお祝いの言葉を言えずにいる。
どうやら、それは父上も同じらしい。今日も談話室でしょんぼり凹んでいた。僕が肝心なところでへたれなのは、どうやら父上からの遺伝らしい。
容姿は全く似ていないのに、なんでこんなところが……。
―――― ○×月×○日
どうやら、姉さまは甘いものに目がないらしい。
今日の午後、幸運に幸運が重なって、偶然ご一緒できた午後のお茶の時間に気付いた。これまでも、食事の席でデザートを美味しそうに食べているなあとは思っていたけれど。
お茶とともに出されたシューケーキを、ほんのり目元と口元を緩めて、幸せそうに食べていた姉さまは最強に可愛かった。
今度街に出た時は、必ずお土産にお菓子を買って来ようと決意した。
―――― ○×月××日
父上が仕事帰りに、いま王都で一番人気だという菓子店の期間限定フルーツタルトを買って帰った。
偶然手に入れた品だと言っていたが、そんなはずない。行列に並ばないと買えないという話は有名だからだ。
父上も、姉さまの好みに気付いていたのか! くそっ、悔しい。先を越された!
きっと、自分も執務で忙しいはずだから、わざわざ従者の誰かを遣って準備していたに違いない。僕は学院があるから、平日は買いに行けないのに…… 大人は卑怯だ。
食後の団欒室にあの姉さまが初めて足を踏み入れ、至福の表情でタルトを平らげたのち、速やかに去っていった。
幸福を噛み締める表情でソファーに座る父上。ムカつく。
――――○△月○×日
最近、姉さまの帰りが遅い。
気になって後を付けてみた。どうやら、通学路の途中にある貸本屋に立ち寄っているみたいだ。
店主は若い男! こっそり窓から様子を窺うと、奴は姉さまと楽しそうに会話していた。赦せない! 僕は、まだあんな風に姉さまと話したことないのに!
即刻、貸本屋を潰せと命じたのだけれど、なぜか出来なかった。どうやら、王城にいる高位の貴族からストップが入ったらしい。…… 何者だ、あの店主。
姉さまは父上と同じく表情があまり豊かな方ではないのだけれど、毎日楽しそうだ。
………… まさか、姉さま。
いや、そんな。まさか、ですよね。
――――○□月××日
今日、あの貸本屋に客として入店し、後からきた姉さまと店主の話を本棚の陰で聞いた。決して盗み聞きじゃない、情報収集だ。
貸本屋をしている理由を訊ね、その理由を教えて貰っていた姉さまが、
「自立して、自分の力で生活していける人って素敵です」
そう言った。
…… 僕は伯爵家の嫡男として生まれ、この先、たぶん間違いなく父の跡を継ぐことになると思う。
僕が自分の力で身を立てるとしたら、何が出来るだろう。
得意なものは剣術くらいしか思い浮かばないけど、姉さまが素敵だと言ったのは、そういうことじゃないんだろうな。
――――○□月×○日
親交のある貴族のパーティーに招待され、父上と二人、泊りがけで滞在している。
姉さまは来ていない。スロヴェーニ伯爵も招待されていたらしく、父上が隣にいない間、ずっと纏わりつかれた。疲れた。
早くクロッソンの屋敷に帰って、姉さまにお会いしたい。
――――○□月×△日
今日は休日で、学院も休み。姉さまは終日、屋敷の図書室で本を読んでいた。
窓辺がお好きだから、僕はいつもどおり窓の外、姉さまには見えない位置でその様子を見守る。
この習慣を始めた辺りから、ロルフがひどく憐れな生物を見るような目で僕を見つめるのだけど、どうしてだろう。
暖かな陽気が心地よいせいか、窓が開けられていた。だから、いつもは硝子越しに聴く姉さまの歌声が、今日は良く届いた。
近頃、姉さまはこの歌ばかり歌っている。あの店の、若い店主が口ずさんでいる曲だ。
何という名の曲だろう? 知らない、どこか異国めいた曲調。何度も何度も姉さまが歌うから、僕もすっかり歌詞まで覚えてしまった。
ねえ、姉さま。
あの男には、他に好きな女性がいるんだよ。
調べているうちに分かったんだ。周囲ではすごく有名で、なんで二人が一緒にならなかったのか分からないくらいだって。今でも彼は、いなくなったその女性のことを探しているんだそうだよ。
この歌は、その女性が好きだった歌。
姉さまは、恋する男が他の女を想って歌うこの曲の名を、知っているのだろうか。
――――×△月△○日
姉さまが、また飛び級するらしい。
すごいことだ。ご自慢でしょうと、学院の教授に笑顔で言われた。実際、姉さまは僕の一番の自慢だ。
…… でも、そんなに急がなくてもいいのにとも思う。
そんなに急いで上にいかれると、僕は追い付けなくなる。
何故だろう。背中を追おうとする人間を、どこか焦らせるところのあるひとだ、姉さまは。
下を見ず、常に真っ直ぐ前を見ているひとだからだろうか。その姿勢や横顔はとても美しいと思うのだけれど、それでも渇望せずにはいられない。
どうか、たまには余所見を、後ろにいる人間を、その目に映して欲しいのだと。
――――××月△○日
姉さまを泣かせてしまった。
とても怒ってた。大嫌いだって、言われた。
バラバラになったこの本。あの男から貰った、姉さまの宝物だと知っている。あの男が、急に店を閉めていなくなったことも。
あの男、ふざけんなと心底思う。姉さまに、こんな古びた中古の本を贈るなんて。
しかも、かなり前の研究成果に基づいて書かれた本じゃないか。優秀な姉さまには相応しくない。あの男自身、姉さまには相応しくない。
だからこんな本、壊れてせいせいすると思っていたのに……。
自分の部屋に持ち帰った本を、僕は一生懸命直した。泣きながら頁を揃えていた僕を見かねて、ロルフが手伝ってくれた。
表紙の角が潰れてしまっているから少し歪だけど、元通りに直った本。姉さまがそうしようとした通り、図書室の片隅に納めておいた。
いつか、姉さまに直接返せる日が来るかな。
――――×□月△○日
姉さまが倒れた。
下がらない熱。心配で眠れないので、夜通し傍で看病した。
早く良くなってください、姉さま。
――――………
――――………
――――………
―――― ○月×□日
今日遂に、姉さまが屋敷を出た。
幾度かの飛び級を繰り返した結果の、歴代最年少の卒業者だそうだ。やっぱり、姉さまは凄いひとだ。
結局、僕と父上は、姉さんの家族になれなかった。
父上は手が付けられないくらい落ち込んでいる。僕も同じくらい気落ちしているから、慰めることなんて出来ないけど。
僕は、一体何をしていたんだろう。6年間も一緒にいたのに、全くあのひとに近付けなかった。
仲良くなれなかった…… いや、しなかったんだ。
これまで、いつだって僕は受け身で、誰かに何かを与えるようなことをして来なかった。
それで不都合はなかったし、問題ないと思っていた。でも、違った。
もしもこの先、僕がもう少しマシな人間になれたなら…… 姉さまに、もう一度家族を始めからやり直す機会が欲しいと、乞うことが赦されるだろうか。
誇れるような人間になれたなら、あのひとに“私の弟”と呼んで貰える日が来るだろうか。
その日に向けて、僕は今度こそ努力していきたい。




