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22. 私の、答え合わせ

 見慣れた扉に私の影が差す。

 飴色の鍵を取り出そうとして、止めた。多分、必要ないだろう。


 鍵が解かれた扉を開け執務室に入ると、中にいた2人が驚いた表情をした。

「ステラ、お前……!」

 ちょっと足元をふらつかせている私の元へ、エーリオが慌てた様子で駆け寄って来る。

 うーん、医務室を出る時に必死で止めてきた医者の警告を無視して出てきたからなぁ。肩の傷がじくじく痛んで、熱を持っている。

 正直、立っているだけでも辛いので、支えてくれて助かった。苦しゅうないぞ、エーリオ。でも、そんなにくっつかなくてもいいよと、奴の胸元を手の平で押し返す。ユージェニアをきつく睨むことに一生懸命なエーリオには、さっぱり伝わってないみたいだけど。

「ユージェニア様、この状態のステラをここまで連れてきたのですか」

「えー、いいじゃない。これくらいの傷、大したことありませんよね、お義姉さま。レナードや貴方だって、その程度の怪我ならよくしていたでしょう?」

「それとこれとは!」

 言い募るエーリオを、腕組み姿勢で余裕気に見上げていたユージェニア。そんな彼女の頭に鉄拳が振り下ろされた。

 拳の主は、なんとも豪奢な赤いドレスに身を包み、美しく髪を結い上げたレジーさんである。

「い、いったあああぁあぁいッ! 何するのよっ。大事な身体にっ」

「何するのじゃないでしょう、お馬鹿さん。ステラちゃんは騎士じゃないのよ? ただの女の子なの。か弱い女の子に無理をさせるなんて、お母さんは悲しいわぁ」

「ふんッ! 何が女の子よ。そんな歳じゃ――― って、いたああぁい!」

「これ以上愛の拳を喰らいたくなかったら、口を慎みなさいねぇ? ジェニーちゃん」

 ぐっと握った右手を、いつもの笑顔の横に並べるレジーさん。いつもと違って貴婦人らしく整えられているのに、いつもより怖い。そう言えば、女王様だったんだよねえ、レジーさん。どさくさで、うっかり忘れそうだったけど。

 それよりも、“お母さん”って…… あなた、ユージェニアの母親だったのか。そう問うと、「育てのね」という答えが返ってきた。

 なるほど。聖女は生まれる前から神殿で保護されるときく。その後、生みの母とは引き離されるそうだから、育てる人間が別にいるわけである。ユージェニアが生まれた時、神殿内にいた人間で一番生家の地位が高い人間が、当時の王妹であったレジーさんだったそうで、育て役に任命されたのだそうだ。

 言われてみれば、傍若無人な生き様がよく似ている。うんうん。


「さあ、お義姉さま。こちらへ」


 執務机の上に置かれた、木製の飾り箱。

 幾度となく向き合ってきたそれの前に導かれた私は、そっとそれの表面を撫でた。この数カ月、散々目にしてきた光の紋様が浮き上がる。

「コレ、図書館の隠し部屋から出せないんじゃなかったの?」

「もう、大丈夫。だって、隠す振りをする意味(、、、、、、、、、)がありませんもの」

「そっか」

 それ以上は訊かなかった。重ねて問う愚は犯さない。



 ――― さあ、答え合わせを。

 私自身が、そしてここにいる誰もがすでに知っていた、答えを。



 息を、吸った。

 答えを唇に乗せる。

 メロディーだけでない。誰にも聴かせたことのないはずの、“歌詞”を刻みながら。

 飾り箱の紋章術が反応している。

 水滴を落された水面のように、次々と波打って広がっていく波紋。まるで、箱が私の歌に耳を傾けているかのようだ。


 優しい、優しい調べ。

 相変わらず歌詞の意味は分からないけれど、すごく優しい気持ちになる歌。


 

 ――― ねえ、その歌、何ていう名前なの?


 遠い日。

 貸本屋のあのひとに、そう訊ねたことがある。

 彼は私に歌を聴かれていたことに少し照れながら、教えてくれた。


 ――― これ? この歌の名はね…… ―――――――― 、




「箱が」

 開いた。

 術の紋様が光弾け、音もなく蓋が持ち上がった。

 皆が息をひそめて動かない中、私は箱をそっと覗き込んだ。

「何、これ」

 中に沢山詰まっていたのは、古びた紙の束。割と大きな化粧箱の中は、そんな紙の束で一杯で底が見えない。

 よく見るとそれらは手紙の封筒で、細い紐で括られたものだと知れた。黄ばんだものやまだ新しいものと色々あったけれど、ひとつひとつの束を丁寧に取り出していく。

 何が、悪事の証拠を記した極秘書類だ。

 予想していた通りだとは云え、やはり腹立たしい。

 そして、私は箱の底で、束にされていない一番真新しい封筒を見つけた。

 伯爵家の封蝋が施されたその封筒を裏返した先に書かれていたのは、ルデにある私の住所。

 封を切り、中から折りたたまれた紙を取り出す。


 紙面に躍る丁寧に書かれた文字は、あの日記と同じ字。

 異母弟の字だった。


 異国で暮らす私の健康状態はどうかということや、自分のこと、家のこと、その他にも様々なことが書かれていた。

(…… 何これ、ほんとに〉

 まるで、心配性で過保護な家族がしたためたかのような内容。知り合いに見られたら、ちょっと気恥ずかしくなるくらいの文面だ。

 誰に聞いたのか、もうすぐ私が留学を終え帰国する予定であるということも書かれていて、少し驚く。

 ――― そして最後に、


『大切なひとが出来ました。ずっと、一緒に生きていきたいと思えるひとです』


 続く、遠慮がちに、窺うように書かれた文章。


『姉さん、彼女と一緒に貴女に会いに行ってもいいでしょうか』


『貴女と、彼女と一緒に、見事だと言うルデの紅葉を、僕は見たいのです』


『そして、もし良ければ……… 、』




 手紙を持つ私の手に、温かな指先が触れた。

 柔らかく優しい手の平だと思ったのは、一瞬だけ。いつの間にか冷え切っていた私の手を掴んだそれは、私の肌に爪を立て、握り潰そうとするかのように力を込める。

「あのひと、馬鹿でしょう? 出すことも出来ない貴女への手紙を、何年も何年もこうして書き溜めて」

 私を掴んでいるのとは反対の手で、執務机の上に出された手紙の束を握る。繊細な白い手の中で、古びた紙が乾いた音を立てた。

「ほんと…… ばかみたいでしょう?」

 その言葉とともに、束を顔にぶつけられた。

「ステラ!」

 エーリオが焦った様子で腕を伸ばしてくれたが、もう遅い。

 よろめいた私は足を縺れさせ、舞い散る手紙とともに床に倒れ込んだ。

 その直後、身体の上に馬乗りになってきたユージェニアに傷を負った肩を掴まれたため、声にならない悲鳴を上げる。

 ギリギリと締め付けられる傷口。

 当たり前だが恐ろしく痛い。

 でも、私は自分の上のユージェニアを払い落すことが出来なかった。彼女を引き剥がそうとしたエーリオとレジーさんのことも視線で止める。

 だって、無理だ。

 伸し掛かられて気付いてしまった。ゆったりとした服の下、初めて会った時より遥かに大きく膨れたこのコの腹と、その意味も。

 そして何より、

「ほんとうに、あなた達は大馬鹿よ! 臆病で意気地なしなところがそんなにそっくりなのに全然気付かないで、無神経なくらい我慢して、でも逃げてばかりで! 見ていてイライラするのよ! あなた達なんて、あなた達なんて大嫌いよっ!」

 ユージェニアが、こんなに綺麗な顔をぐちゃぐちゃに歪めて、大粒の涙を流しながら泣いているのだがら。


(――― ああ、レナード。あんたは本当にばかだね)


 ユージェニアが、あんたの世界一大切な女の子が泣いてるよ?

 こんなにとびきり綺麗な女の子が、あんたのためだけに大泣きしてるんだよ。

 ずっと一緒に生きていきたいって思ったコなんでしょ? 約束守らなきゃ駄目じゃない。

 自分の手の中、掴んだままでいる手紙を視線だけで見やる。


 覗く、最後の一文。

『そして、もし良ければ 、貴女が好きなあの歌の名前を、僕たちに教えてくれませんか?』


 ――― 本当に馬鹿な弟。


 こんな手紙出さなくても、勝手に来ればいいのに。意固地な私の態度なんて無視して、ルデだろうと留学先だろうと押しかけてくれれば良かったのに。

 そうすれば、何かが変わっていたのかな。

 まあ、それが出来ないのは、あんたが私にそっくりな〈私の弟〉だったからかもしれないけど、ね。



「…… 貴女は、涙のひと粒も流さないのですね」

 私を睨み下ろすユージェニアが、涙で声を揺らしながら私を詰る。

 それに対し何も言わなかった私に苛立った様子で表情を顰め、胸倉を乱暴に掴み上げてきた。

「わたくしは、違います」

 何がと問う前に腕を取られ、手の平を彼女の腹に押し当てられた。

 柔らかいドレスの生地の下。明らかな胎動が手の平を押し返したことに驚く私に、少女は続く言葉を叩き付けた。

「わたくしは、貴女の弟とは違いますから。この先、どんなに鬱陶しがられようとも面倒だと思われようとも、貴女に纏わり続けて絶対に離れません。もう嫌だってくらい、この子と一緒に、貴女の傍に居座ってやるんだからっ!」

 頬や首に落ちる涙の粒が、とても温かい。

 私は、しばらく彼女を見つめた後、表情を緩めた。

「うん。そうしなよ」

 笑顔を浮かべることは苦手だから自信ないけど、ちょっとは上手く笑えたかな。

 ジェニーがびっくりした顔をしているから、ちゃんと微笑えていたのかも。

「おねえさま……」

「そうしてくれると、助かる」

 そうお願いすると、一呼吸置いたあとで、ジェニーが声を張り上げて、子供みたいに泣き始めた。

床に寝転んだまま、胸元に抱き付いてきた彼女の背に手置き、あやすように撫でてやる。

 私は、彼女に礼を告げた。

「あの子を好きになってくれて、ありがとう」

 悲しんでくれて、ありがとう。


 そんな風にしている間も、私の両目は、涙の一滴も零しはしなかった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 今日みた夢の中で、子供の頃の私があんたに言う。


 あのね、レナード。

(もし良かったら、嫌じゃなかったらなんだけど…… 私に…… ――――――、)



 ねえ、弟のあんたが死んだっていうのに、私、涙が出ないんだ。

 悲しくないわけじゃない。

 でもね、泣きたくて堪らなくなるくらいに悲しいと思えるほど、私、あんたのことを知らないんだよ。


 あんたをよく知る機会もなく、全部なくなってしまった。

 嫌われるかもしれないと怖がらないで、素直になって、もっと話をすれば良かったね。


(もし良かったら、嫌じゃなかったらなんだけど…… 私に、あんたのことを教えてくれない?)


 もう、出来ないお願い。

 それが出来ないことが、私は残念で仕方ないよ。



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