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17. 鍵の答えの話

 学院卒業後、すぐに研究所へ入所すると決まった。

 一応世話になっているのだからと、父親に報告した。

「そうか」

 そう返した男は、筆を走らせている書類から視線を上げることすらしなかった。数年間ともにした生活で、彼が私に興味がないことは重々承知していたので、別にどうと思うこともなかったけれど。

 だが、執務室を出ようとしたところで掛けられた一言には、少し驚いた。

「一度、母親のところへ顔を出しに行くか?」

 研究所があるルデは遠い。

 母が暮らしている街とは、王都を挟んで真逆の方向に位置する。一度行けば、なかなか里帰りは叶わないだろう。

 だが、私は断わりの言葉を入れた。

 母は先日、再婚相手との間に子供を儲けたばかりだ。生まれたのは男の子で、義父の家族は皆大喜びだそうで。そんな中に出向いて、祝いの雰囲気を損なわせることはない。手紙でおめでとうと、ちゃんと伝えたしね。

 そう告げると、父親は「そうか」と再び同じ言葉を返したが、やはり視線をこちらに向けることはなかったので、私は部屋を後にした。


 それから、うきうきと屋敷を出たのが1週間後。

 ルデへは、伯爵家の申し出を断わり、長距離馬車を使った。荷物も少ないし、気も楽だったから。

 到着の日、馬車の中で寝こけていた私は御者に到着を告げられ、慌てて扉を開けた。


 そして、その先に広がった世界に、息を呑んだ。


 季節は秋。ルデが紅く鮮やかに染まる季節。

 小さく薄い紅の葉が、まるで花弁のように風に舞い、私の周りを流れゆく。

「きれい……」

 唇が自然とそう零した。

 色鮮やかで、鮮烈で、それでいて雄大で穏やかで。


 その後の、ルデで得た私の時間を何かに例えろと言われたら、私はきっと、あの時の光景を上げるだろう。


 ああ、いまあの場所であの歌を口遊めたら、どんなにか―――、




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 重い衝突音の後、紙が舞い散った。

 横向いた視界で、その様をぼんやりと見つめる。

 いつの間に寝ていたのか。どうやら執務机に積み重ねた書籍の山を崩してしまったようだと、頬に貼り付いた髪を払いながらはっきりしない頭で考えた。

 まず視界に入ったのは、真っ黒な線に埋め尽くされた羊皮紙。もとは精緻な紋章術式を密に書き込んでいたものだが、滅茶苦茶に上から書き殴ったインクのラインで台無しになっている。

 黒く染まった自分の指と握ったままでいた羽ペンを見下ろしながら、自嘲した。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「おい! いい加減にしろ!」

 乱暴に肩を掴まれ振り向くと、イラついた様子でエーリオがこちらを睨んでいた。

 いつのまにこの部屋に来たんだろう。全然気付かなかった。

 彼の背には窓。

 見れば、外は完全に暗い。おかしいな、さっきまで昼の陽が差し込んでいたはずなのに。思いのほか、時間が経っていたのだと知る。

 そんなことを考えていたから、呆けているように見えたのかもしれない。

 私の様子にエーリオは苛立ったらしく、肩を握った手に更に力を加えてきた。痛みに、思わず顔を顰める。

「痛いじゃないか、放せ」

「先にお前がその書類の束から手を放せばな」

 ヤツはそう言いながら、私の手から羊皮紙の束を無理やり引き抜いた。突然の理不尽な行動に、ムッとする。

「何するんだ、早く返せ。今日の実験データを今晩中にまとめないと、明日の作業に差し支えるんだから」

 取り返そうと執務椅子から立ち上がり腕を伸ばしたが、エーリオは書類を更に高く持ち上げて、私から遠ざけた。ぴょんと飛んでみたが、アホらしいくらい身長差があるため、全く届かない。

 ドヤ顔で見下ろしてくるエーリオ。子供じみた行為に、寝不足が続いている私のイライラがものすごい勢いで加速していく。

「ガキ大将魂、再降臨か! ふざけるなよ!」

「ワケわからんことを言うな! ふざけるなはこっちの台詞だ、馬鹿っ。今日も夕飯を食わなかったんだって?」

「…… ちゃんと食べたし」

「茶を呑んで角砂糖を舐めたくらいじゃ、食ったって言わないんだよ。この数日間、ほとんどそんな感じだろうが。ロイダンとマイスから、ちゃんと報告上がって来てるんだからな」

 うう、あの二人。壁際に立っている彼らをみて唸る。仲間だと思っていたのに、まさかの裏切り。酷いじゃないか。

 ロイダンさんは表情を曇らせ、マイス君は青い顔色でこちらを窺っている。…… オーケー、わかってる。君たちに罪は無い。

 私は大きく肩で溜息をつき、わざと乱暴に椅子に腰掛けた。

 しばらくベッドとして代用しているせいで、すっかり馴染んだ背凭れに全身を預け、苛立ちに満ちているであろう視線でエーリオを射る。

「食事の時間をゆっくり取る余裕がないんだよ」

 部屋中に散乱した羊皮紙と、録音用の魔道具。何の成果も得られぬまま増え続けてきた残骸だが、改めて意識を向けてると、思ったよりも溜まっていたようだ。

 あんなに綺麗だった異母弟の執務室が、いまやルデにある私の研究室のようだと思い、少し可笑しくなった。

 感情が少し口元に出たせいか、エーリオが不審そうに片眉を上げたが、彼は無駄な説教を続けることにしたようだ。

「期限まであと2週間あるだろ。誰も生活リズムを崩してまで働けとは言ってない」

「私の勝手だろ。いいから、放っておいてくれ」

「そんなこと出来る訳ないだろ。いいか、俺はな、」

「うるさい! こっちは、一刻も早く帰りたいんだって、何度も言ってるだろうが!」

 感情に任せて、机の上の物を薙ぎ払った。

 書類が舞い落ちる光景の向こうから、エーリオやマイス君たちが驚いた表情でこちらを凝視している。

 無理もない。私がこんなに大きな声を上げたのは、何年振りだ? いや、これまでにあったかな?

 食事を満足にとっていないため血糖値が下がっているのか、怒鳴ったせいで軽く眩暈がした。

 でも、負けたくないので視線は外さない。何に負けたくないと思っているのか自分でも良く分からないが、絶対に逸らしたくなかった。

 先に、諦めの息を吐いたのはエーリオだ。

「お前って……、ほんと変わらないのな。ガキの頃と」

「は? 」

 笑みさえ滲ませた表情で、でも、その目に怜憫の情を乗せて私を見る男。

 首を傾げるしかない私に、幼かった頃の私を知る彼は、小さな子供を諭すように続ける。

「お前さ、感情を切り捨てるのが上手いから。ついでに人も、な。本当は誰よりも臆病で寂しがりなくせに」

「ひとのこと、知ったように言うな」

 視界が、ヤツの髪より赤く染まりそうな錯覚に陥った。小説の描写でよくある、全身の血が沸騰しそうだというのはこのことか。

 子供の頃のほんの一時を知っているというだけで、何もかも分かったように言われたくない。

 そう怒りにまかせて吐き出したかったけれど、出来なかった。

「ステラ、本当はもう分かっているんだろう?」

エーリオの視線が、それを止めた。


「答えが…… “鍵”が、何なのか」


 背が、振るえた。

 何かを言い返さなきゃ。そう思うのに、唇から出るのは空のまま。

「期限なんてどうでもいいんだよな、本心では。ただ、お前が気付いた“鍵”が鍵じゃないっていう証明を探してるだけなんだろ。無駄な時間を費やしてな」

「ちが、」

「分からないんじゃなくて、本当は考えたくないだけ…… そうだろう?」

「ちがう」

 もっと、理知的な言葉を返したいのに、やっと口に出来たのは頭の悪そうな、ありきたりな単語だけ。

 そんな私をどこか憐れむように見つめながら、エーリオは私に手を伸ばした。

「いくら逃げたって仕方ないんだ、終いにしろよ。もう、時間はたっぷりやったんだ」

 指先が頬に触れる。

「もうそろそろ、お前自身が見つけた“答え”を認めてもいい頃合いだろ?」

 寝不足と栄養の不足ですっかり乾燥して荒れた肌を労わるように、他人の掌が撫でる。

 まるで、大切なものを慈しむかのように。

 しかして残酷にも、与えられた時間の終りを告げるために。

 私の心が、一色の感情に染まった。

「――――ッ!」

 乾いた音が部屋中に響く。

 思い切り、頬に触れる手を弾いた掌が痛い。

 全身に突き刺さる、目の前の人間からの視線が痛い。

 でも私は、私を染め上げた一つの感情――――― 〈恐怖〉に駆られ、震え上がり、それから全力で遠ざからなければという、本能にも近い動きで部屋を飛び出した。


「ステラ!」


 しらない。

 しらない。しらない。しらない。


「また、そうやって逃げるのか!!」


 背中に叩きつけられる、叫びのような声。


 しらない。

 しらない。しらない、しらない、しらない!

 知りたくもない!


“鍵”が何かだなんて、どうだっていい。

 犯人が捕まろうと捕まらずとも、神殿がどうなろうと、どうだっていい。

 あれが、“鍵”でさえなければ。

 異母弟が選んだものが、“あれ”でさえなければ、それでいいのに!




 当てもなく走り続けた私は、傍からみれば本当に馬鹿みたいで、間抜けに見えただろう。


 私は本当に、救いようのない馬鹿だったのだ。


 息を切らして駆け抜けようとした、どことも知れぬ人気のない回廊の曲がり角。

 突然現れた人影とすれ違った瞬間、腹部に衝撃を受け、冷たい床に倒れるまで忘れていた。


 ――― 異母弟は、殺されたということ。

 ――― 異母弟は、犯罪の証拠を握っていたのだということ。

 ――― 異母弟は、あの〈箱〉の中に証拠の品を隠したのだということ。


 そして、私がその〈箱〉を開ける術を、すでに手に入れているのだという事実の重要性を。


 異母弟を殺した直後にやって来た、神殿とは無関係の遺族。しかも、紋章術が掛けられた謎の箱を開けようと奮闘している。

 そんな人間に、犯人たちが目を光らせていないわけないのに、ね。

 

 ああ、今日も鳴り響く重い鐘の音が、暗転していく私の世界を殴る。


 どこの馬鹿だ、ほんと。

 私を天才だなんて言ったのは。



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