15. 念願の休暇と、甘いしょっぱいな話
「あの人、廊下を歩いていたわたしの腕を突然掴んで、中庭に引っ張り込んだんです。悲鳴を上げたけれど、あいにく周りには誰も居なくて」
妹、エレナちゃんの言葉に、マイス君が身を乗り出した。
「何かされたのか?!」
「ううん。兄さんがすぐに来てくれたから。それにあの人、そういうことが目的じゃなかったと思うの」
人目に付きにくい場所まで来ると、あの貴族青年は彼女を詰問したらしい。
「兄さんや、他の騎士が聖女様に拝謁する日を教えろって……」
「はぁ?! 馬鹿なヤツだな、僕みたいな下っ端がお目通り叶うわけないのに」
「そう。わたしもそう言ったの。兄さんなんか、一生かかってもそんな身分に上がれるはずないって」
「…… おい」
「なのに、彼、ぜんぜん引き下がってくれなくて。兄さんを介して知ることが出来ないのなら、せめて誰なら直接お会いできる権利を持つのか、無理にでも探って来いって言うの。でなきゃ、帰さないって」
「怖かったわね」
自身を抱きしめるように身を縮めた少女の背を、レジーさんが優しく撫でる。彼女は妹ちゃんに花を一輪差し出した。
「これあげるわ。香ってみて? チョコレートの香りがするから、元気出るわよ~?」
「は、はあ。ありがとうございます」
エレナちゃんは戸惑った様子で礼を言った。レジーさん、マイペースなのもいい加減にしてください。
そんな二人を余所に、マイス君は苛立ちを押さえられない様子で、膝を拳で打った。
「くそっ、カイルのやつ……!」
「ん? マイス君、あの男のこと知ってるの?」
私の問いに、マイス君と妹ちゃんが視線を返してきた。口を引き結ぶばかりの兄に代わって、エレナちゃんが口を開く。
「幼馴染なんです、両親の中が良くて。小さな頃は、よく一緒に遊んでたんですよ? いずれ、彼とわたしと婚約させるって話もあったくらい」
両親が亡くなってウチが没落するまでは、ですけど、と少女は笑う。
「昔はね、悪戯好きでちょっぴり意地悪だったけど、優しいところもあったのに」
チョコレート色をしたコスモスに視線を落しながら、彼女はもう一度寂しそうに笑む。
「ほんと、あんなのじゃなかったのにな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「好きな女の子に意地悪をして構って貰いたがるってやつが、増長しっちゃったパターンだったのかなー。あれは」
そう呟いた私の横で、エーリオが咽た。
「おまっ、それ、誰っ、いつの話!」
「誰のって、マイス君を殴った元幼馴染君の話に決まってるだろう。って、あーあ、汚いなあ。クリームをその辺に飛ばさないでよねー」
「……そっちか……」
口元を拭いながら、そっぽを向くエーリオ。咽たのがよっぽど苦しかったのか、顔が赤い。大丈夫か。
「お義姉さまって、ご自分のことはさーっぱりなのに、他人のことにはよく気が回るんですのね」
うふふと目を細めるユージェニアは、今日も今日とて可憐に美々しく、意味不明なことを言う。
昨日の騒々しさとは打って変わった、穏やかな午後の下がり。
ロイダンさんは引き続き、マイス君も今日は用があるとかで、護衛騎士なしで出歩くことを禁じられている私は、自室に押し込められていた。
「あ~あ。マイス君に楽譜の演奏をして貰って、録音作業をしたかったのにな。せっかくそれなりの機器も送って貰ったのに」
執務机の上に並べていた機材。それらを眺めながら、溜息を吐く。
「ああ、あれが先日研究所から届いた大きな木箱の中身ですか?」
「そうだよ。紋章陣が発動した際の反応を読み取ることが出来るんだ。どの音域を受けた時に一番影響を受けているかの記録を書き集めれば、鍵の特定が容易になるからね」
「まあ、そんな便利な道具があるのですね。初めから取り寄せておけばよろしかったのに。お姉さま、今頃ながら、やっとやる気になってくださったのですね!」
「失敬な。私はいつでもどこでもやる気満々だ」
その証拠に、徹夜で機器の調整と録音の準備をしていた私は心身共にクタクタなのだ。ドヤッ。
まあ、結果として無駄になってしまったわけだが、それもいいかと思い直す。
最近、ずっと他人といることに少し疲れていたのだ。今まで研究室に閉じ籠り、基本的に一人で研究ばかりしていた身としては、人に囲まれ続ける日々がちょっと辛い。
たまにはこんな日があってもいいかと、鍵の研究をしつつも、のんべんだらりと平和な一時を噛み締めていたのだが。
「お久しぶりっ、お義姉さま! 当分お会いできなかったから、お寂しかったでしょう?」
ここしばらく、体調が優れないので伏せっていると聞いていたはずのユージェニア。
相変わらず暴力的なまでに美し愛らしい彼女の情熱的な襲撃を受け、私の穏やかな時間は強制終了したのであった。
「はあああ、幸せですわー。甘いお菓子と、しょっぱい恋物語。甘いしょっぱいで、おかわり何個でもいけますわねー」
可憐な口元を悪夢のように汚しまくったユージェニアが、頬を染めてうっとりと首を傾けた。新しい菓子に手を伸ばすことは忘れていないようだが。
それにしても、とテーブルの上に山と積まれた菓子の山を見て、改めてげんなりした。
甘いパンの間に、真っ白な生クリームをたっぷりと挟みこんだ、この菓子。ふんわりとした触感が堪らないこの一品も、王都で大人気な菓子屋の一品だとか。
最近はマイス君とロイダンさんの二人と一緒に居ることの方が多かったから、久々だな、この展開。
「あんたさ、ホントに体調崩してたの?」
「もちろんですわ! もー起き上がることすらできなくて、本当に辛かったんですから」
「そう」
「お義姉さま、ほら食べて食べて? これ、行列に何時間も並ばないと手に入れられないことで有名なんですのよ。レナードも、ここのお菓子が大好きでしたわ」
「ああ、うん」
私も甘い物好きだから、ご相伴預かるけれど……。毎度毎度、人気店の菓子をどうやってこんな大量に入手しているのか、非常に気になる。
だってこのコ、高位巫女でしょう。神殿からあまり外へ出られないんじゃないのか?
私も美味しい菓子には目がないから、まだ王都にある父の屋敷で暮らしていた頃には、よく買いに行っていた。だから、これを手に入れるのがどれだけ大変なのか分かるのだ。
まさかの裏取引? 神殿の闇の部分に抵触したら嫌なので、あえて聞かないけど。菓子屋と神殿のの裏取引って何だという感じもするし。
「幼い頃から想い合っていた少年少女。取り囲む世界は二人を引き裂く! けれど成長し、青年となった彼は、彼女のことを諦めきれずー。間を阻む兄に、思い余って手を上げてしまったー。って、きゃー! 物語のようですわねーっ!」
「キラキラと目を輝かせてるところ申し訳ないけど、内容かなり逸れてるから」
ドリーム馬車を暴走させている巫女様からやや身を引き、突っ込んでみたが、多分効果はないだろう。本当に病み上がりには見えないパワフルさだな、おい。
そもそもどうしてだ。この話題は、エーリオがマイス君の顔の傷を不審がったことから始まったのだが、いつから恋バナに…… あ、私のせいか。
エーリオが嘆息しつつ、私に半眼を向けて言った。
「昔ならいざ知らず、成人した男が意地悪もなにもないだろ。子供じゃあるまいし」
「あらー。成人男性でも素直になれなくて悩んでる殿方を、わたくし知ってますわー?」
「…… 巫女様。黙って、菓子をたらふく食べていてください」
あらあらうふふ、と更なるお代わりに手を伸ばすユージェニアは、どうやらエーリオの想い人を知っているようだ。やっぱり神殿の人間なのだろうか。
話に乗れなくって、ちょっぴり疎外感。
「それにしても、人格形成に環境が大きく影響するとは言うが、マイス君はよくあんな真っ直ぐな良い子に育ったよねぇ」
しみじみ感じ入りながら洩らした私の言葉に、エーリオが片眉を上げた。
「どういう意味だよ。あいつが貴族だからか?」
「いや、そうじゃなくて。あのカイルっていう青年を見ててね。あの年齢でスロヴェーニ伯爵の取り巻きをしてるってことは、かなりの選民思想を持った家風で育った可能性が高いだろう? 傍にいたマイス君は、そんな感じじゃないなーと思って」
「あー、神殿騎士団に入るといろんな身分の人間がいるからな。位が上がれば上がるほど、身分より完全に実力の世界だし。もしかしたら、入団したあとで考え方が変わったのかもしれないぞ。どちらにせよ、あいつが良いヤツだってことには代わりないけどな」
エーリオはニカリと笑った。
私たちの会話を聞いていたユージェニアが、菓子を手にしたまま小鳥のように小首を傾げる。
「そんなに良い子なんですの? マイス君という方」
「うん。平民出身の私や先輩のロイダンさんにも素直に接してくれるし、妹想いだし。良い子だよ」
「そうなんですか。いつか、会ってみたいですわ」
「そのうち会えるだろう、いつも居るんだから」
むしろ、今まで顔を合わせたことがなかったことの方が不思議だが。
「それにしても、ダメですわ、お義姉さま」
クリームで汚れたままの唇に、薄桃色の指先を当てたユージェニアが可憐に微笑む。
何が駄目なんだ、といぶかしむ私に、彼女は続けた。
「その方に“良い子”だなんて言葉を使ってはダメ。ご自身の妹を、身体を張って守ったのでしょう? もう、立派な殿方ですわ」
確かに。
あの時のマイス君は、殴られて倒れ込んでも、背中に妹を庇っていた。
十分に格好いい、一人前の男の姿だった。
「ホントだね。子供扱いは失礼だ」
立派な騎士っぷりだったからねと私が頷くと、ユージェニアはふと何かを思い出したような表情をしたあと、ふふと笑った。
「そう言えば、レナードも入ったばかりの幼い騎士見習いを子供扱いして、厳しい訓練のあとにこっそりお菓子をあげようとして。よく貴方に怒られていましたわね」
ね、というユージェニアの呼びかけに、隣のエーリオは曖昧な返事を返している。
私はもう一つと菓子に手を伸ばし、大口で齧り付いた。




