14. いけ好かない楽譜と、いけ好かない青年の話
気付けば、箱の前に立つ日が多くなった。
何かを調べようにも、調べるべき手がかりが何も思い付かないからだ。
術の展開を分解することで鍵を得ようとしてみたものの、結果としてそれも叶わない。
「どこの誰だか知らないけど……」
見事だ。
これは怖ろしく腕の立つ職人が手掛けたものに違いないと思い、勿体無いなと吐息をつく。
もし、こんな風に出合ったのでなければ、飛び上がって喜んだに違いないのに。
コツコツと、指先で箱の表面を叩く度に、もう見慣れた光の紋様が展開する。
いっそ、あらゆる音を箱の周りで立ててやろうかな。
そんなことを考えたりもするけれど、地下とはいえ、ここは図書館。大きな音を響かせることなど出来ない。
まあ、それ以前に、
『あらー? 専門家を名乗るお姉さまが、よもや偶然に頼りたいだなんておっしゃいませんよね? まさかですよね?』
とかなんとかイラっとくる言葉を、世にも愛らしく返されるだろうから、実行したりはしない。
鍵は楽器の音色なのだろうか。それとも特定の曲?
前者であれば、何か特殊な楽器でないことを祈るばかりだが、後者であれば、実に難題だ。
なぜなら、私は音楽に全く造詣がないからっ!
貴族はもちろん良家の子女であれば当然、幼い頃から叩きこまれているべき芸術、音楽などの教養が、見事なまでに皆無である。胸を張って断言する。
引き取られたばかりの頃は家庭教師を付けられたりしたが、逃げてサボり続けていたら、いつの間にか押し付けられなくなっていた。どうやら諦められたらしい、ははは。
音楽など、下町に住んでいた頃は祭の時に耳にしたくらいだ。詳しくなくても、人生困らない。そう思って生きてきたのだが、そうは問屋が卸してくれないときも来るらしい。
ほんと、生きるって大変。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あーうー、わからないいいい」
譜面を睨みながら、図書館の片隅で唸る。
音楽の書架に背を預け、ずるずると座りこんだ私をみて、マイス君が笑った。
「ステラさん、面白いなあ。あんなに難しい紋章術を解析出来るのに、なんで楽譜が読めないんですか?」
「紋章術式より、こっちの方がよほど難解だよ」
「そんなもんですかね?」
口をへの字に曲げる私とは異なり、マイス君は音符が線譜のどこにあれば何の曲になるか分かるというのだ。このただのオタマジャクシの羅列を見ただけで、頭の中で音楽を再生できるという…… 天才か!
鍵が何かの楽曲かもしれないという、出来れば避けたかった捜索。
苦手なものは最期に食べるタイプの私らしく残していたのだが、仕方ない。あの貴族然とした異母弟のことだ。お上品極まりない音楽である可能性が高いような気がするのだから、なおのこと。
嫌だ面倒だと腐りながらも、手を付けようと決めた時。ふとした会話から、マイス君が音楽に造詣が深いという、意外な事実が判明した。
それで本日、こうして付き合って貰っているわけだ。
「あのさ、これだけ手伝わせといて、今さらなんだけど」
タイトルを読んでも、どんな曲だかさっぱり分からない楽譜を、また一つと積み上げながら訊ねる。
「マイス君さ、仕事、大丈夫なの? 私についてばかりで、騎士団の業務が滞ってるんじゃない?」
「仕事、ですか? 今まさに、こうしてるのが僕の任務ですが」
「いや、まあ、そうなのかもしれないけど」
それは、心配性なエーリオが無理やり押し付けているからなのであって。
「ほら、神殿騎士団の本業って、神殿ひいては聖女を守ることなんでしょ? 剣の腕を磨いたり、競い合ったりとか、大事な鍛錬が沢山あるんじゃないか? あと、事務仕事なんかもさ」
現に本日、麗しのロイダンさんは、他の任務があるとのことで、席を外していらっしゃる。寂しい。
「それはそうですけど。僕、剣の鍛錬苦手なんで、ぶっちゃけサボれてラッキーって思ってます。事務も、同期の誰が適当にやってるんじゃないですかね」
いや、それ物凄く駄目だろう。いろいろと。
可愛く笑ってるけど、誤魔化されないからな。あどけない赤いほっぺで、なかなかゲスなことを言う。最近の若い子、怖い。
「そんなこと言ってて、どうするの! ちょっとそこに座りなさい、少年。自堕落なこと言ってたら、同期にどんどん差を付けられちゃうんだからな」
「はあ」
「考えてみなよ。君がここでこうしているうちに、聖女の護衛任務で、もし他の子が手柄を立てでもしたら……」
「へ? それはないですよ、絶対」
やたらきっぱり言い切ったマイス君を不審に思いつつ見やると、彼はきょとんとした眼で私を見ていた。
やがて、ああっ、と何かに思い当たったような声を出し、手を打った。
「ステラさん、ご存じないんですね!」
彼の説明によると、奇跡の人たる聖女と面会出来る近衛騎士は、何と団長と副団長、そして、1人か2人に限られる、剣の腕を認められた騎士だけだというのだ。
因みに、異母弟は副団長だから謁見する権利を有していたのは当前だし、エーリオは国でも1、2を争う剣の使い手であるため、後者の枠として特別に拝謁を許されているとのこと。
衝撃的事実。
「そ、それって酷くないか」
神殿騎士団が何人構成なのか知らないが、大半の人間が、聖女の顔すら知らぬまま、任期を終えるって計算だよな?!
厳しい訓練に堪え、必死に戦っているにも関わらず、自分が何を守っているのか、本当の意味では知ることのないまま、人生を送るだなんて。
「残酷だと、みんな思わないのか?」
思わず口を突いて出た疑問に、マイス君は首を傾げた。
「さあ、どうなんでしょうね。神殿の歴史は気が遠くなるほど長くて、聖女への謁見権利に関する決まりは、ずーっと変わらず続いているらしいですから。みんな、そんなもんだと思ってるのかもしれません」
「カビが生えるほど続いてる“当たり前”だから、今さらそのことについて考える必要性を感じないってこと?」
「うーん、感じないっていうか、感じないようにしてるんじゃないですかね。ほら、いくら聖なる神殿に仕えているって言っても、みなさん人間ですから」
「はあ。狭い世界だもんね。妬み嫉みとは、出来るだけ仲良くしたくはないってこと、か」
騎士団長、副団長は高位の貴族からしか選ばれないらしい。生まれは、本人の努力ではどうしようもない。
後ろ手に頭を掻きながら、私は先日のロイダンさんの言葉を思い出した。
(――― 子供のころから憧れてた神殿騎士になるには、剣だけじゃなくて、色んな教養や学問を身に着けなければと……、)
頑張っているのに、認められない。
行きたい場所が漸く見えて来て初めて、自分の場所が用意されていなかったことを知るのは、辛いね。ロイダンさん。
「あ、これ懐かしいなあ」
一冊の楽譜本を手にしたマイス君が、目を細めて微笑んだ。
「これ、小さい頃、よく家族で行った楽団のコンサートで聴いた曲です」
余程、幸せな記憶なのだろう。赤茶色の表紙を愛おしげに撫でる仕草から、それが分かる。
それにしても、子供の頃からコンサートとか。
「もしかして、マイス君って、いいところの坊ちゃん?」
「一応、家は子爵家ですけど、いいところの、ってことはないですよ。貧乏貴族ですもん」
彼の両親はすでに亡く、今は彼が家督を継いでいるとのこと。
子爵家当主とか、そんなオーラ、赤いほっぺがトレードマークな彼からは感じ取れなかった。 うーむ、侮れないヤツめ。
「父と母が音楽好きだったんです。僕や妹にも楽器を習わせたりして、付き合うのが大変だったんですよ? 家族で演奏会を開いたりもしてましたね」
「あれ、妹さんいるんだ」
「いますよ。ひとつ年下の生意気なのが」
「へえ。じゃあ、神殿に住み込みで働いてるマイス君とは、離れて暮らしてるんだね」
寂しくない? と問うと、彼は苦笑いしながら首を横に振った。
「あいつもこの神殿で働いてますから。僕がちゃんと仕事できてるか、見張るんだって言って聞かないんですよ。休みが合ったときには、音楽会や演奏会に出掛けるパートナーになれって煩いし。ほんと、いい加減に恋人でも作って、僕を自由にして欲しいもんです」
ふう、と肩で溜息をついて見せてはいたが、明らかに照れ隠し。マイス君が妹を大切に思っているのは、よーく分かる。
「なんかいいね」
「そうでしょうか?」
彼は首を傾げるけれど。
こういうのが、本物の兄妹ってやつなのかな。私には理解できないけれど、うん。なんかいいなとは思った。
「ステラさん、今日はこれくらいにしておきますか? 借り出し申請の上限が、もうこれくらいだと思うんですけど」
先ほどの楽譜本を、積み重ねた楽譜の山の上に置いたマイス君が、私を振り返りつつ訊いて来る。
今日はこれからこの楽譜の曲を手当たり次第、マイス君に演奏してもらい、魔道具で録音する作業を行っていく予定なのだ。
数多くの楽器を扱え、その腕はかなりのものだというマイス君。君、就職先を間違えてないかと問いたいが、まあいい。
「じゃあ、それぞれ別の窓口で借り出し申請を――― マイス君?」
移動しかけたところで、マイス君の動きが止まっていることに気付いた。
楽譜を手にしたまま、窓の外を見たまま動かない。見たことがないほど真剣な横顔に、ちょっとドキリとする。
窓の外は、中庭?
「ちょ、お?! マイスく――――――――――ん!!!!」
唐突に楽譜を投げ捨てて走り出した彼の背中に、私は叫ぶことしか出来なかった。
床の楽譜を拾い集め、怒れる司書のお姉さんにペコペコと頭を下げ。爆走して行ったマイス君に私が追い付いたのは、まあまあ時間が経ってからのことだった。
青い芝生、名前は知らないけど白くて綺麗な花、明るい日差し。
そんな長閑な風景には似つかわしくない状況が、目の前にある。
「兄さん……!」
口元の血を拭いながら芝の上に座り込んだマイス君と、それに縋りつく見知らぬ少女。
そして、2人の前に背を向けて立つ、なんと庭師レジーさん。お久しぶりです。彼女は一瞬だけ私の方へ視線を送ったが、すぐに自分の正面に向き直った。
レジーさんが何と対峙してるかって?
…… 誰だろ。
知らない男だ。でも、どこかでみたことがあるような……。
割と若めで、なんか無駄にエラそう。身に付けているものだけでなく、全身で貴族のボンボンオーラを発しているようなヤツ。
レジーさんが、やんわりとした口調で相手に告げた。
「何があったか存じませんが、手を上げるなんてあんまりじゃないですか」
例の掴みどころのない微笑みを浮かべている彼女だが、今回は目が怖い。
私も二人の傍に駆け寄り、貴族の男を見据えた。
あ、思い出した。コイツ、スロヴェーニ伯爵と初めて会った時に居た、取り巻きの一人だ。
しきりに己の右手を擦っている男と、マイス君のいつもより格段に赤い頬を見れば、何があったかなんて明白だ。
「殴ったんですか、彼を」
慌てて追いかけて来たせいで乱れていた息を整え、出来るだけ静かに問う。
思ったより、低い声が出た。
「は?」
「彼――― マイス君を、殴ったのかと聞いているんです」
「な、何なんだお前たち。揃いも揃って! 平民上がりの分際で!」
「平民上がりでも何でもいいですが。安易に暴力に訴えることが如何に野蛮な行為であるか、そんなことは貴方が蔑む平民の子供でも知っていることです。それともナニですか、お貴族様の世界では、お上品なご挨拶だとでも?」
この神殿に連行されて早数カ月。スロヴェーニとゆかいな仲間達とは、何だかんだやり合ってきたが、実はあまり反撃してこなかった私。我慢してたからね、面倒だし。
お貴族青年は、たじろいてじりじりと後ろに下がってゆく。
ふふん、怖いだろう。恐ろしいだろう。
私は自覚しているのだ。不本意ながら父に似たこの顔と目で睨みを利かせると、なかなかに迫力があるということを。その威力を持ってして、幼いエーリオとその手下たちを幾度となく撃退して…… とまあ、この辺りはどうでもいいが。
「偶然だ! 掛けられた手を払おうとして、運悪く当たってしまっただけのこと。この私が暴力に訴えるなどと、そんな粗野なことをするわけないだろう!」
「へえ、そうですか」
唾を飛ばしながら怒る彼に、冷ややかな視線と言葉を返す。
よく知っている間柄ではないが、彼らの今日までの行いを鑑みるに、そーですよねー、と納得できる人柄ではないように思うのだから、仕方ない。
ヤツは結局、もごもごと口籠った末、背を向けて足早に去っていった。
結局、詫びもナシかと、鼻息荒く腕を組んで、逃げ行く背中を睨み据える。
「ステラちゃん、かっこいいわねぇ。男前すぎるわぁ」
おばさん、惚れちゃいそうっ、と頬を染めるレジーさん。
私は一気に肩を落した。
「何言ってるんですか、貴女。私より先に駆けつけてた上、あんなに相手を牽制しておいて」
「あらやだ。わたしはしがない庭師のおばちゃんよ? 貴族の殿方に正面から立ち向かうなんてこと、とてもじゃないけど出来ないわ~」
それにほら、とレジーさんは私の背後を指差した。
何だと振り返れば、頬を紅潮させつつこちらを見上げていた少女の、キラキラとした視線とかち合った。…… ねえ、君のお兄さん、押し除けられた勢いで俯きに倒れてるけど、いいのかな?
「うふふ、罪作りな女ね!」
もう嫌だ、部屋に帰ろう。
そう考えたのだが、次の瞬間、まるで察したかのように腕を絡め取られて阻止されてしまった。
「さあさ! 妹のピンチを救いに来た、素敵なお兄ちゃんを手当てしなきゃ。ついでに、みんなでお茶にしましょ。とっておきの飲み物があるのよー、美容にも傷にも効くのよー」
と、私の腕を掴んだまま少女に話しかけたレジーさんは、いまだ地面に座り込んでいたマイス君の身体を、片手でひょいと持ち上げた。
か細く響く、マイス君の憐れな声。
彼の妹と私が目を剥いたのを気に留めることなく、軽々と肩に担ぎあげてスタスタと歩き始めるレジーさん。
私は大人しくついて行くことにした。もちろん、マイス君の妹もだ。だって…… ねえ。
とりあえず思ったのは、
「今日は、白湯のほかに茶菓子もあるといいな」
その願いは叶えられず、自室に帰り着く頃には、白湯でお腹がタポタポになっていたのは、また別の物語である。




