10. 頭を揺らす弔いの鐘の音と、夢魔の話
“好き”の反対は“嫌い”じゃない――― “無関心”だ。
そう言ったのは、昔の人。
いろんな本や舞台で使い古されてきた言葉だと思う。
この言葉が真実ならば、義母弟に無関心だったと自覚している私は、彼が好きではなかったのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大神殿の鐘が鳴り響いている。
いつもとは違う音色で鳴らされるそれは、死者を弔うものらしい。
そう知らされたのは、今朝のこと。
喪服に身を包んだエーリオが、今日は葬儀に参加するので護衛には付けない、と断わりにきた際に知らされた。
亡くなったのは、神官見習いの少女らしい。なんでも知り合いの娘だそうだ。
数日前から行方が知れなくなっており、心配した家族の依頼で捜索が行われたところ、今は使用されていない敷地内の廃屋で、遺体となって発見されたとのこと。
「まだ、12歳だったんだ」
陰鬱な表情で、エーリオは言った。
12歳…… か。ようやく“少女”と呼ばれる枠組みに入ったばかりの子供。
事故か、もしくは他殺か。子供の死の理由をよそ者である私が知る術も理由もないが、ここが見かけ通り真っ白で綺麗な場所でないことは、十分に分かった気がした。
そういえば。
この大神殿で、初めてユージェニアに目通った時にも、同じ音で鐘が奏でられていた。
――― あの瞬間にも、誰かが送られていたのだろうか。
重い鐘の音の向こうで笑んでいたユージェニアの表情を思い出す。
そう前の話ではないのに、その微笑がどんな種類のものだったか、今はまったく思い出せなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「夢魔の……」
「………… またあの花が……」
廊下を歩いていると、そんな囁きが耳に入って来た。
またか、と思う。
見れば、壁際で集まる下級神官が3人、陰鬱な顔を突き合わせて何事かを話し込んでいる。
今日、至る所で交わされている噂噺。どの会話にも出て来る、同じ単語。
「ねえ、〈夢魔の華〉って何?」
私は己の傍らについて歩いていた見張り兵、もとい護衛騎士に訊ねてみた。
近衛騎士に昇進したばかりだという彼は、まだ幼さを残した若い青年だ。常に赤い頬が初々しいのだが、私が問い掛けた瞬間、その頬から血の気が引いた。
それは、近くに居た下級神官たちも同じだったようで、私が臆面なく発した言葉を聞くや否や、慌てた様子で去っていった。
(何か、訊くとまずいことだったのか?)
そう思って詫びると、真っ青になったまま唇を引き結ぶ赤ほっぺ君の代わりに、別の青年騎士が答えてくれた。
短い黒髪が印象的な彼は、精悍な顔つきをしているなかなかの男前だ。神殿に来てから目にした中では、一番好みかもしれない。あ、別に自分が黒髪だからといって、身贔屓している訳ではないとだけ断わっておく。
「〈夢魔の華〉というのは、いま王都の裏で広まっている麻薬の名です」
「麻薬、だって?」
「中毒性が強く、常用すれば身体に様々な弊害が生じるのはもちろんなのですが、摂取時にもっと厄介な特性がありまして……」
そこまで言って口ごもったイケメン騎士に先を訊ねたが、「わたしの口からは言いかねます」と頭を下げられてしまった。
む。途中で止められると、ものすごく気になるじゃないか。――― にしても。
「あのさ、もしかしてだけど。神殿の至る所で噂されてるってことは…… ここにも流れ込んでて、それが問題になってるってこと?」
「…………」
「しかもさ、今日のこのタイミング。もしかして、神殿内で亡くなったっていう例の女の子と、何か関係があったりする?」
「…………」
2人は黙秘を貫くことにしたようだ。
ふんだ、いいけどね。私は鼻を鳴らして踵を返し、元進んでいた方向へと向かうことにした。
清廉な神殿様で麻薬が横行していることには驚きだが、〈夢魔の華〉が何なのか分かれば、それ以上の答えを求める気も無いし、追求するほど興味を持ったわけでもない。
それに、私はあと1ヵ月と少しでこの地を去る身だ。いずれ、関係なくなる。
これも、無関心であるといえる状態なのだろうか?
ふと、そんな風に思った。
――― 好きの反対は、無関心である。
使い古されてきたその格言に従うのならば、私はここが好きではないのだろうか。
(なんか、違う気もする)
別に、この大神殿が実は好きだ、という意味でではない。分からないけれど、別の何かが引っ掛かって、もやもやする感覚。
なんだろう。何が違うんだろう。
…… 考えかけたけれど、やっぱり止めた。これまた分からない理由で、深く考えてはいけないような気がしたので。
辿りついた目的地は、レジーに勧められた東屋だった。
すっかり通い慣れた場所。チョコレートの香にも鼻が馴染んできて、今では、神殿内で一番くつろげる場所になっている。
レジーには、あれ以来会っていない。
まあ、彼女は本職の庭師だから仕方ないなと思う。このだだっ広い敷地内の植栽作業がどれだけ大変なのかは、想像に難くない。お仕事は大切だ、うん。
赤ほっぺ君とイケメン騎士には、コスモス畑の入り口で待って貰っている。
彼らは護衛らしく周囲を警戒しながら、時折こちらに顔を向けることを決して忘れない。
「私、どれだけ信用がないんだよ」
2人は、私を一人にすることをやたらと渋った。
絶対にサボらせるなと、エーリオから強く言い付けられたであろうことは想像に難くないな。護衛と書いて見張りと読む。そうに違いない。
そもそも、エーリオが絶えず私に張り付いているのも、おかしな話だと思うのだ。一研究者に過ぎない私を、何から護るっていうんだ。
「あ、またこっち見てる」
じっとこちらを注視し始めた赤ほっぺ君に向け、手を振ってやった。見張られ続けるという不当な状況に対する意趣返しだ、ふんっ。
慌てたように顔を背けた彼を見て、私は少しだけ溜飲を下げた。
そんなに心配しなくても、サボったりしない……… 今日は、ね。
やれやれ、と首を鳴らしながらいつもの位置に腰掛け、手にした日記を今日も開く。
――― 日記の中の異母弟は、貴族学園を卒業したのち、神殿騎士団への入団を果たした。
周りはみな喜んだようだ。神殿に選ばれるというのは、この国ではとても名誉なことだから。
ただ、レナードは伯爵家の嫡男。
ゆくゆくは父の後を継いで、政界に入るはずだった。
だからだろう。兵団所属は限られた期間の話で、父ともそういう約束を交わしていたようだ。
「というか、兵団なんかに入る必要性を感じないんだけど」
私は読みながら一人でツッコミを入れる。
そもそも、異母弟という人間はどちらかというと線が細く、騎士や兵士というより貴公子と呼ぶべき容姿をしていた。剣の腕は良かったようだが、神殿騎士団で汗臭い連中の仲間入りをするような印象は皆無だった。
さらに、ウチの領地にもそりゃあ私兵団くらいあるが、育成に物凄く力を注いでいるわけでもない。どちらかというと、宮廷内での狸合戦に尽力するお家柄であると言えば分かりやすいだろうか。
だから、父の元で政治を学ぶべき時間を剣に捧げることにしたという異母弟の選択は、私にとってとても意外だったのだ。
彼が何を思って、その路を選択したのかは知らない。
何故って?
その頃の日付の頁を、全て飛ばして読んでいるからだ。
もっと正確にいうと、私が屋敷に滞在していた年月分と、その後しばらく分の記載は、全く読んでいない。
相手の了承なく日記を盗み見ていることだけでも人道から外れているのに、己のことが書かれているかもしれない部分など、目に出来るはずがないじゃないか。
最低上等。私は一刻も早く自分の巣に帰りたいし、そのためならば手段は選ばない。
だが、最終の線は人として守るべきかと、私は敢えて、彼の時間と自分のそれが重なった部分を読み飛ばすことにしたのだ。
日記の中の異母弟は、神殿で修業を積み、着々と階位を上げていく。淡々とした文章なので何気ないような印象を受けるが、短期間でここまで位を上げるのは、とても凄いことなのだろう。
「あ、またエーリオ」
日記には、しばしばエーリオが登場する。1歳年上の彼とは入団時から一緒だったようで、どうやらとても親しかったようだ。これも意外。
エーリオのやつ、そんな肝心なことを何で言わないんだ。
ムッとしながら眉間に皺を寄せてみたものの、同じ近衛であったと知りながら、今の今まで彼と異母弟の関係性に興味を持たなかった私も余程だという自覚はあるので、お相子だとしておこう。
切磋琢磨しながら成長していく、知っているけど知らない青年たち。
数年前の記述で、彼らは同時に近衛兵へと昇進した。
そこまで読んだところで、護衛たちから声を掛けられる。
「ああ、もうこんな時間か」
気付けば、周囲がオレンジ色に染まっている。夕日に目を細めながら、私は表紙を閉じた。
部屋に戻ると、すでに葬儀から帰って来ていたエーリオから、遅すぎると叱られた。
子供じゃないんだからと顔を顰めた私に、気を付けてほしいから言ってるんだと、いつになく真剣な様子で注意を促す彼。
そこで、私は知った。
――― 王都の闇だけでなく、聖域たる神殿にもひっそりと根を張った〈夢魔の華〉。
この麻薬には、摂取時に強い催淫効果があること。
12になったばかりだという幼い少女は、その麻薬を強制的に与えられ、蹂躙されたのちに死亡した形跡があること。
平民や下級貴族から神殿に上がった者の中で、複数名、行方が分からなくなっている歳若い神官がいて、どうやら麻薬が絡んでいるらしいということ。
本当に、胸糞悪い話だった。
「無関心?」
無関心でなどいられるものか。
私は多分、ここが嫌いだ。
そして、そう思った瞬間、この感覚に似た感情をかつて抱いたことがあると、はっきり思い出したのだ。
無関心であるなど、とんでもない。
私は、異母弟が嫌いだ。
そう、はっきりと認識したことが、一度だけあったことを思い出した。




