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幻記 ―越中秘儀始末―  作者: 炎 立見
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 本尊に今夜の宿を願った薬売りは、背に負った荷物を下ろして堂の隅に置いてから一度外へ出て裏手に回った。


 何をするのかとついて行った女が、そこにあった大量の薪を鉈で細く割る男を見て得心が言ったように一息ついた。


「ここじゃ、次に来る誰かの為に薪を割っておくのが仕来りだ。」


「それはいいけど、なんか食べる物持ってないのかぃ。今晩の菜が何もないよ。」


「それなら、ほれ。そこに大根が干してあるだろ。それを具に汁でも作りゃ立派な夕餉になるぜ。」


「でも、汁だけかい。大根の水煮なんてぞっとしないよ。」


「慌てなさんな、これを始末したら鯏でも捕ってくるからよ。」


「う、うぐいかい。小骨の多い小魚じゃないか。あんなもの骨を取ったら頭と尾しか残りゃしないよ。」


「おめぇさんはよっぽどいいところの娘だったんだな。鯏の骨が多いの大根の水煮がぞっとしないのって。」


「そうじゃないけどさ、やっぱり美味しいものが食べたいじゃないか、折角だから。」


「何が折角か知らねぇが、とりあえず待ってな。」


 そう言って男は姿を消した。


 待つ間することもなかった女は、お堂の周りを箒で掃きながら自然と南無阿弥陀仏と唱えていることに気付かなかった。


 これまでの生活の中に仏を信じる心など欠片もなかったし、そんな余裕もなかった。


 ただ、薬売りとのこれまでの旅の中では、道端の石仏に手を合わせることが何度もあった。


 それをおかしいとも辛気臭いとも思わなかったから、元々神仏に恨みがあるというわけでもなかった。


 女に物心がついた時には、すでに家族と呼べる者は誰もおらず、小さな村の共同納屋に半ば黙認という形で寝起きする生活をしていた。


 たまたま女の器量が衆に優れていたために、村の長が下心をもって手なづけようとしていたのだろうとは、今になって分かることだが、それでもいきなり遊郭に売り飛ばされていたことを考えればありがたいことだとも思っていた。


 信濃は貧しい土地柄であるが故に、飢饉ともなれば人が人を襲って食うということも、無いでない。


 それが生きるということであり、生きるためには手段を選んでいられないというのが、女の信条だった。


 だから、護摩の灰と呼ばれようと枕探しと呼ばれようと、気にもしなかった。


 その女の口から、南無阿弥陀仏と念仏が自然と出たのだ。


 薬師如来に南無阿弥陀仏もないだろうと男は笑っていたが、人の心は形ではない何かが大事だとも言っていた。




 お堂の周りを半回りすると、ちょうど本尊の裏手に当たる辺りに地面に直接置かれた扉があった。


「なんだいこれ、おかしな扉だね。」


 そう言いながら取っ手に指をかけて引き上げると扉は簡単に開いて、中には米俵が二つ置かれていた。


 片方はかなり中身が少なくなっているらしく、米俵そのものの嵩が減っていたが、もう片方は手つかずのままのようだった。


 他にも叺のようなものに入った稗か粟、もしくは大豆のような穀物がかなりの量置かれていた。


 それを見ても慌てることなく奥に目をやった女は、目当てのものを見つけたのか三段ほどの梯子を下りて美濃焼の壺を抱えると蓋を取って中身を改めた。


 壺の中身は女の思惑通り味噌だった。


「これで、とりあえず大根の水煮は食べなくて済むね。」

 

 米や雑穀に味噌や大根といった食い物を見つけても女が特に驚かなかったのは、ここが善根宿の代わりだと聞かされていたからだった。


 旅ゆく人が命を繋ぎとめる場所として、善根宿はかなり昔から全国にあった。


 戦国時代、人々の心が戦に疲れ、殺伐とした気持ちになった時にもそれは変わらずそこにあって、人々の助けとなっていたのだ。


 善根宿で受けた恩は他の場所の善根宿に返すのが掟だったから、ここの米や味噌を使った分は、また他所の善根宿に返せばいい。


 基本的に善根宿には亭主も管理人もいないから、恩を返さなくても誰にも分りはしない。


 けれど、何故か潰れた善根宿という話は聞かなかった。


 日の本の不思議の一つである。




 男が帰ってきたとき、女はすでに釜に米と水を張って、鍋で干し大根を戻していた。


 男は捕ってきた川魚を起用に捌いて串を打ち、炉の周りに突き立てて炙っていたが、そろそろ焼けたかと思ったところに、


「米が炊けたよ」


と声がかかった。


 なかなか使える女じゃないかと嗤ったが、その顔は女には見えなかった。

 

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