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幻記 ―越中秘儀始末―  作者: 炎 立見
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「じ、じゃ、あたいはもう妖の子ってのをずっと産まなきゃいけないのかい。」


 すでに感情の制御ができなくなったかのように、女は涙を、鼻水を止め処なく流しながら薬売りに縋り付いた。


「まだ、間に合うかも知れねぇさ。」


「ほんとに。」


「さっき、おめぇさんから小せぇ妖を引き千切ったんだが、あの感じだとまだみてぇだ。」


「まだって、まだって何がまだなんだよ。」


 一縷の望みがあるかと、女は更に強く薬売りの袖を握りしめた。


「まだ、おめぇさんは孕まされちゃいねぇってことさ。」


「そんなことが分かるのかい。」


「それはよ・・・。」


 薬売りは昔を思い出すような顔になって、女を見つめた。


 それはこういう経験が初めてではないと言うかのような、女を安心させる顔だった。


「玃が女に目を付けた時は、まずこの女が自分のものだと分かるように印をつけるもんだ。」


「しるし・・・。」


「おめぇさんの秘所が血で汚れてたろ。ありゃさっきも言ったように子壺の裏から剥ぎ取った玃の子種だ。」


「子種って、それじゃもう遅いじゃないか。」


 先ほどまでのわずかな希望を断ち切られたかのように、女の手から力が抜けた。


 そして、自分で自分の体を支えられなくなって、薬売りの腕の中に倒れ込んだ。


「手の施しようがなくなった女はな、子種が子壺に溶けて入り込んじまってるもんだ。だから、おめぇさんは孕まされちゃいねぇって言ったんだ。」


 正気が抜けて視点の定まらない目で薬売りを見上げながらも、女は一つ頷いた。


「玃の子種は、薬師如来様の印を染め抜いた御布で包んであるから、妖にゃ分からねぇ。」


「うん。」


「でもな、もうこの辺に居ちゃいけねぇんだ。」


「なんで・・・。」


「こいつ、と目を付けた女を、玃は決して忘れねぇ。時折山から具合を確かめに下りてくるのさ。」


「どういうことだぃ。」


 女の目に力が戻ったように、光が強くなった。


「何度でもまぐわいに来るんだよ。」


「うそ・・・。」


「嘘じゃねぇさ。そういう妖なんだよ、玃ってヤツは。」


 そしてまた、女の身体が震えはじめた。


「どうしたらいい。あたい、どうしたらいい。」


「今も言ったように、この辺に居ちゃいけねぇ。どこかへ逃げるなり親類を頼るなりして、ここから出来るだけ遠くへ行かなきゃな。」


「あたいにゃ身内も親類も居ないよ。どこへ行こうにも宛てがなきゃ・・・。」


「そいつは難儀なこった。だが、おいらもそこまでは面倒見きれねぇよ。」


「あんたはこれからどこへ行くんだい。」


 震える身体をなんとか起こし、捨てられた子犬のような目で薬売りを見つめた女は、懇願するように言った。


「あたいを一緒に連れてっておくれよ。」


「うーむ・・・。」


「助けてくれるなら、これから先何だってするよ。あんたが欲しいっていうなら閨の相手だって。」


「いや、そうじゃなくてな。」


「女房がいても構やしないじゃないか。」


「おいら、半分は江戸の深川ってところにある小さな寺のご利益を分けて回ってる札撒きだ。」


「半分・・・。それで。」


「寺に厄介になってる身だからよ、女ぁ連れ込むわけにもいかねぇ。」


 少しばかり困ったことになったと、薬売りは思った。


「半分は札撒きって、願人坊主ってわけでもなさそうだし、御行って形でもないね。あんた一体何者だい」


「だから言った通りだ。しがねぇ薬師如来様の札撒きさ。」


「なら、独り者だね。」


「そういうことになるな。」


「あたいを女房にしないかぃ。」


「なんだと。」


 行く宛てのない女の必死の知恵に、薬売りも苦笑いしか浮かばなかったが、このままこの場に女を捨てて行くのも、後の夢見が悪かろうと思った。


 そして、これから先江戸までの道筋で起こることを誰にも喋らないという条件を呑めるなら、連れて行ってやると約定した。


「特に女房なんざ欲しくねぇけどな。」


「憎まれ口利いてんじゃないよ。女がいた方が都合がいいことってのが結構あるもんさ、浮世ってのは特に。」


 知った風なことを言う女だと嗤ったが、言っていることは間違いではないと薬売りも思っていた。


 そして、越中富山の薬売りで半分は薬師如来の札撒きの男と北国街道の護摩の灰、枕探しの女との奇妙な道行が始まった。

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