『三島の投石器』と果たせない責任
「あのさ……」
「ん、なーに?眠いんだけど」
アンはまぶたをこすりつつ、布団の右端から出てゆっくりと起き上がる。何故右端か?簡単な事だ。布団の左側はある男によって占められているからだ。つまり、僕である。
「……これっておかしくないか?」
「そうか……な?」
「いやおかしいよね?何で一緒の布団で寝てんの僕ら!?」
「……せまいから?」
「そりゃ狭いよ!?だって明らかに一人用の部屋だしなっ!?」
「いいじゃん、一応外から見たら男同士だし。それにしゅーちゃんが握った手を離さないからでしょ、こうなったのは」
「ぐっ……確かに」
そうなのだ。男服を着ていたのは、公には男ってことにしているからなのだ。一応断っておくが、別に男装が趣味だからではない。
曹安民の家には女のアンしかなく、アンが女だと俸禄を下げられるか最悪お家断絶になるから男と偽っているらしい。……アンの父親、保身しか考えてないひどい奴だな。
この事実を知っているのはアンの父親、曹操、仲の良い僕と典韋とあと少し(誰だろう?)との話だった。
「ならいいじゃない、ってわけでおやすみ」
「そうだなおやすみ……ってそういうわけにもいかないだろっ!」
急いで布団から出る。何で今の今まで我慢していたのかわからない。
僕はやっぱりバカになったのか?不安だったからちょっとおかしかったのかもしれない。普通に恥ずかしいわっ!
「えー」
「えーじゃありません!不健全です!」
「頼ってくれたから嬉しかったのにな……」
「ぐぬっ……」
そろりと布団に戻る僕だった。ちょっと涙目で言われると絶対に逆らえない。
僕の弱いところだ。
凄く辛い。一応妹みたいなもんだからそういう間違いは有り得ないけれど、やはり不健全の謗りは免れまい。もはや「仲良すぎて気持ち悪い」の域だろう。
「ねぇそんなことより」
「案外ショック受けてないのかよ!?」
「ねえそんなことより……うなされてたよ?『僕のせいだ、僕のせいだ』って……」
うなされていた?あぁ……またあの悪夢を見たのか。しつこい奴だ。こちらに来ても逃れられないらしい。
甲子園二回戦のあの日。僕の人生は変わってしまった。
「……僕は野球をやっていてね?」
「やきゅー?」
「試合……戦のことだよ。そこでピッチャーでキャプテン……いや、守備隊の隊長を任されていたんだ」
「へぇーすごいねしゅーちゃん!……それでどうして『僕のせい』に?」
配球が読まれていたんだ。僕のある欠陥のせいで。
僕は当時、甲子園最速165kmをマークする豪腕ピッチャーだった。『三島の投石器』なんて持て囃されていた。ドラフト確実だなんて言われていた時期もあった。
「僕は一辺倒の攻めしかできなかった。緩急織り交ぜるなんて器用な真似できなかったんだ。狙ったとおりにいくから逆に全て読まれてしまう」
僕はアンが理解できるよう、精一杯言葉を変えて話した。野球って概念すらわからないからな。
「苦しみをわかって欲しい」
僕はアンに杏を重ねてしまっていることに気付き、たまらなく自分が嫌になった。
けれど、もう止まらない。言葉が勝手に出てくる。それはもう湯水のように。
「采配が読まれて負けちゃったんだね……?もしかして誰か死んじゃったの?」
「いや死んではない……いや死んだな、殺したも同然だ。僕は大学推薦がもら……違う、出世できそうだった仲間の未来を潰したんだ。最悪だ」
アンはじっと僕の眼を見つめ、話さない。透き通るような綺麗な眼をしていた。
アンは手ぬぐいを取り出し、優しく僕の目元にそれを押し当てた。
なんだ……僕は泣いていたのか。
「それでみんななんて言ったと思う?『キャプテンは悪くない』だ。ふざけんなっ僕が悪いに決まってるだろ?なんで僕を責めない?……みんな頑張ってた。死にもの狂いで頑張ってた。攻めて攻めて攻めまくった。なのに負けた?何でだと思う?僕が失点したからだっ全部僕のせいなんだよっ!」
「そうかもしれないね。でもね、しゅーちゃん?」
「……何?」
「人間ってさ、結構自分中心だよ?出世したら得するのは誰?出世した人。できなかったら損するのもその人。本当は自分で全部終わるはずなんだと思うよ?だから『きゃぴてんは悪くない』ってのはね、当たり前のことなんだよ。自分で終わるはずなんだから本当は。人のせいは変な話」
「そうは思えないんだよ……僕は紛いなりにもキャ『プ』テンだ。責任というものがあるんだ」
「責任なんて所詮は自分で終わることのできない弱い人が考えた概念だと思うな。責任なんてふざけろ、そんなのいらないっ……そうは思えないかな?」
「……無責任になれってのか?」
「アンが言いたいのは、相手の弱さを引き受けられるってのは十分強いってことだよ。しゅーちゃんは強い。他人の弱さを引き受けてる時点で仕事は終わってんの。だからなーんも悩む必要はないのっ!」
キャプテン。責任のある地位というのは苦しい。仲間のために強くならなきゃならない。そう思っていたけれど――。
もしかして「強くあろうとする姿勢が強さ」なのだろうか。
わからない。アンはきっと間違っている。でも今はそれで良い。
それこそ。正しさなんていらない。耳心地のよいロジックで良い。
そう思ってしまう。思わされてしまうことがアンの凄いところなのだと思った。
それ以降、その晩の記憶はほとんどない。
僕は一回りは背が低い妹(今晩だけはこう呼ばせて欲しい)に半ば抱きしめられる形で眠りについたことだけはよく覚えている。
思い出して、顔が赤くなった。バカじゃないのか、僕。女々しいにも程がある。
「おはよ、しゅーちゃん」
朝は意外と早く来るものだ。僕は久々に強く朝を感じることができた。