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曹操孟徳の長男として  作者: 二人兄弟
宛城の戦い
13/14

能わざる虎の回顧録

 河北に、朱倫しゅりんという男があった。

 どんぐり眼が印象的な穏やかな顔立ちをしており、質素な麻の衣服に身を包む。

 オレは朱倫、朱倫先生を尊敬していた。河北の名士、王修おうしゅうからの度重なる推挙の打診も、全てすげなくお断りし、禄をはむことなく慎ましやかな生活を送るこの男が好きだった。

 代わり映えのしない毎日がなによりの幸せなのだとオレは思っていた。変わらないからこそ変わらなくて良いのだ。民は変わらないことを望んでいる。変革をもたらさない為政者もまた名君なのかもしれない。河北の大名士、袁紹えんしょう北荊州きたけいしゅう劉表りゅうひょうなんか、その意味では十二分に評価されて然るべきだ。宮中を乱し中原を騒乱の最中に放り込んだ、かつての大将軍、何進かしんや洛陽の街を焼き払った非道な相国しょうこく董卓とうたくなどは民にとってははた迷惑な暴君である。



 茅葺かやぶきの屋根。土で出来た簡素な造り。とある街の一角に、その私塾は位置していた。塾頭は朱倫、その人である。よわいはわずか16である。しかしその佇たたずまいにはすでに貴人の風格すらあった。


 私塾、『朱志塾しゅしじゅく』を覗くと、いつもの光景が広がっている。朝の乾いた風が吹き抜け、今日もまた一日が始まろうとしていた。


 右をみれば、額ひたいに深い皺が刻まれた男が椅子に腰掛け、書物を読み耽っている。その男の隣には大きな机があり、朱倫がそれに向かってトレードマークの烏帽子えぼしの形を片手で弄りながら、ひたすら片方の腕で筆を走らせている。部屋はそれなりの広さがあるというのに、朱倫の周りに人は固まるのであった。


「ねぇねぇ、あんちゃんっ」


 朱倫は筆を止めず、目線も落としたまま、そのままに応えた。


「なんでしょうか?今は手が離せないのでもう少し後にして頂けると助かるんですが」

「あーんたん♥」


 朱倫の机の下の足を置く隙間から飛び出てきた少女が甘い声で朱倫に囁きかける。


「……あざといな」


 入口付近の壁にもたれかかり、得物えものと思おぼしき鉄槍を磨いていた男がぽつりと呟く。呟いてはいるが、声は必要以上に大きい。


 ……少女は豹変した。目付きは到底少女のそれとは思えない。


「あぁん?なんかいったか、バカ虎さんよぉ?あ、ごめんねぇさぼってばっかで肥え太ってるからバカ豚さんって呼んだほうがいいかなぁ?」


 男は挑発を全く意に介さず、何事もなかったかのように磨き続ける。見向きもしない。


「それは私にも言っているのか?狩り獲るぞ、女狐」


 少女は朱倫からピタリとくっついて離れない、長身の美青年が彼にはあまりに似合わない蛇にらみを効かせながら、すかさず少女に対し、牽制に入る。


「へぇ、やれるもんならやってみんしゃいっ!ばーかばーか」


「わかった、狐の毛皮は高く売れると聞く。臨時収入だ。喜ぼう」


 懐の小刀に手をかける美青年だった。


「わかりました、今行きますから……はぁ。喧嘩はいけませんよ?元綱げんこう仲瑜ちゅうゆ


「うん、あんちゃん大好き」

「……はい、先生」


「やれやれだなぁ」


 朱倫は頭を抱えた。「バカ虎」なる、とある無口な大男の槍の先を砥ぐ音だけが、絶えず響いていた。

 

 きっとその男は幸せだった――のだと思う。だが、それはあまり長くは続かなかった。

 現実とは残酷で、非常だ。



 話はもっと昔に遡る。

 大切な人の話をしよう。


 一本の畦道あぜみち。開かれた道は本来視界良好であるはずだが、あいにくの天候のため、見通しは良くない。朝霧が覆い、時間も時間であるからか薄暗い。


 向こうからこちらへ向かってくる者があった。筋骨逞しい無頼者だった。怪しげに光る対の剣を両肩に掛けながら、闊歩する。彼を遮る者はない――はずだったのだが。


「まだ命知らずがいたか、いやただの馬鹿だろうな」

「おい、そこの」


 遠目から見てもわかる、目鼻立ちの良さ。眉は凛々しく、髭は生えていないがそれを補って余りある不思議な気品と威厳があった。中性的な顔立ちをしている。


 男は両手を開き、行く手を遮った。中性的な青年は苛立ちを隠そうともしない。


「何の用だ?私は今急いでいるのだ」

「お前の持ってる武器……見慣れないな、よこせよ」


 男は美青年の持つ武器に釘付けだった。美青年は鼻で笑った。


「はぁ?嫌に決まってるだろ。バカかお前は?」

「馬鹿とな?俺を知らぬのだな。面白い……西方の者か、肌が浅黒いが」

「違う。断じて」

「まあ何でも良い。その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにするのは偲びないが、なるべく綺麗に殺してやるから安心しろ」

「……」

「その武器、俺が引き継ぐ」


 美青年は依然押しだまっているが、男は続ける。


「俺の名は蒼燕そうえん。しがない辻斬りだ。相棒『夜雀よすずめ』をこよなく愛している。お前は?」

「名乗る程の者ではない。私のことを、朝霧あさぎりと人は呼ぶ」

「随分可憐な名だな。まるで女だ」

「……」

「お前は武器に愛着はあるか?」


 朝霧はどうでも良いと言いたげな気だるげな様子だった。華奢な割に、怖がる素振りはまるでない。蒼燕は朝霧の武器から眼を離さない。魅入られていた。


「私は正直、それほどでもない。お前のさっきから気になってるこいつは、確か『六道りくどう』というらしい」

「『らしい』とはどういうことだ?」

「さっき頂戴したばかりだからな……よくわからない」

「もらった?……ははん、さては殺したのだな?」

「殺してはいない。逃げたよ。要らぬ片腕を置き土産に、な。全く後処理に困った」

「道理で血の匂いがすると思ったよ、貴様も辻斬どうぎょうか?」

「私をお前らと一緒にするな。強いて言うのならそうだな……?」

「正義の味方とかそんなところか?」


 今度は男が俄にわかに冷笑を浮かべる。


「そんな大層な者ではないな。ただのしがない『人斬り』だよ」


 朝霧は言って――目にも止まらぬ速さで『六道』で突きを繰り出した。


「辻斬りなんて生ぬるい殺意で私を倒せるなどと思わぬことだ。全く、ぬるい」


「それではまたいつの日か。ご機嫌よう……楊だけに。なんちゃって」

「痛っ……肩が。少しやられたようだな」


 肩からはドロドロと血が滲み出ていた。


「はてどうしたものか。こんなところで死んでられないな。ここから近いのは……?」






「何人もやられたあの辻斬り『蒼燕』っていただろ」

「あぁ、早く捕まんねえんかな」

「……あいつなんだけどよ、隠しちゃいるがどうも死んだらしいぜ」

「本当か?」

「ださいことに返り討ちにあったんだってよ。夕べ村はずれの荒地で屍体で発見されたんだそうだ」

「だっせー。誰が殺ったんだよ?」

「わかんねえ、でもよ噂じゃその犯人、この辺に潜伏してるんだそうだ。何でも朱さんとこの坊っちゃんが絡んでるとかないとか。坊っちゃんが肩から血を流した怪我人を運んでる所を見た奴がいるらしい」

「関係ないんじゃないのか?」

「それだけならな。ただこの辺りで最近戦はないし、怪我をする理由もねえ。それにそれならこっそり運ぶ理由もねえだろ。おまけにその怪我人、双剣を持ってたそうだ。それが何より怪しいってことよ」

「え!?双剣ってもしかして『蒼燕』の得物『夜雀双刀』じゃないか?だとしたら……いよいよまずくないか?」

「それが事実ならまずいだろ、お上が黙っちゃいねえよ……あぁ、やばいことに首を突っ込んじまって大丈夫かねえ、坊っちゃん」


――「どなたが大丈夫なんですか?」

「坊っちゃんがな……って、え!?」

「おはようございます。どうも楽しそうなお話をしていますね。私もお仲間に入れて頂けますか?」


 満面の笑みを浮かべ、二人の背後に立っていたのは朱倫坊っちゃんその人だった。


「いやな、何でもねえよ?坊っちゃんが辻斬りを匿ってるっていう根も葉もない噂を聞いてね。心配してただけだ」

「そんな噂を信用したんですか?全く困りましたね」

「賢い坊っちゃんがそんなことするわけないよな、なぁ?」


 男は朱倫の肩に手を回し、ポンポンと軽く叩いた。乾いた笑い声が耳元で響く。朱倫は微笑みで応じた。


「はい、私は怪我人の手当をしただけですから」

「そうだよな……って、あぁ!?なんつった?」


「だから申し上げているではないですか。私は怪我人の手当をしただけです」

「怪我人ってまさか?辻斬りじゃないだろうな?」

「辻斬りである前に怪我人でしょう?匿ってはいませんよ、手当はしましたが」


 満面の笑みを崩さず平気で朱倫は言ってのけた。


 二人は朱倫の去りゆく背中を見ながら、ゆっくりと言葉を交わす。


「坊っちゃんには呆れたな」

「あぁ、どうしようもねえお人好しだ」

「まあそんなところが俺は好きだけどよ」

「俺もだ」

「稼がせてもらった分で何か恩返しをしなきゃなんねえとは思ってたんだ」

「手を回すか、お上に」

「あぁ」


 二人はガッチリと腕を組み、そして各々歩きだした。

 どこか楽しげだった。




 明くる日。朝から『朱志塾』は大騒ぎだった。

 元綱げんこうはアングリと口を大きく開けている。絹の着物姿の艶やかな美しい女性が訪ねてきたのだが、元綱はどうして良いのかわからない。


「その節はお世話になりました。伯穎はくえい先生はいらっしゃいますか?」

「あんちゃん~すんごい美人きたしー!助けてしー!」


 奥から急いで出てきたのはご存知、朱倫。戸惑いを隠せない様子だった。

 額から汗が吹き出ている。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?お会いした記憶がありませんので」

「そうですね。とはお会いしたことはないのでしたね。申し遅れました、楊晏仲瑜ようあんちゅうゆと申します。不躾で申し訳ありませんが、本日は折入ってお願いに上がりました」


 どうも女性の言い方に多少ひっかる部分があったが、朱倫は口にしなかった。


「はぁ、なんでしょう?」

「働かせて下さい。がくはありませんがここで学びたいのです。賃金は要りません、蓄えはありますので。何も頂かなくて結構です。お側に置いていただけますか?信用できないなら、私の砂金をお預け致します。取っておいてください」


 楊晏は懐から巾着袋を取り出し、差し出す。


「お預かりする道理がありません。その代わり、事情をお聞かせ頂けますか?」

「それは……その……」


 楊晏は言葉に詰まった様子だった。


「今は事情は聞かず置いていただけませんか?学問をしたいのです」

「学問は皆に開かれております。そういうことならば、是非」


 朱倫は楊晏に握手を求め、彼女もまたそれに応じた。

 元綱はこの女に懐疑的だったが、朱倫の人物を視る目は確かだと信じている。ここは黙って受け入れることにしたのだった。


「あんちゃん、デレデレしとる。許せぬぅ、ぬぬぬ……」

「ちびっこは黙ってなさい」

「ぐあー怒ったぞぉ!」

「お腹すいたんですか?」

「違うし!ばーかばーか」

「もう少しでご飯できますよー」

「だから違うって!」

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