幼き魔王の或る虚像
2年ぶりに更新です。よろしくお願いします。
干し草の乾いた匂いが城内に充満していた。即席の城は簡素な造りで、雨露を凌ぐのが精一杯といった具合。柵の内側を囲む干し草はまるで天然の檻のようだった。
僕とアンが城内を歩いていると、見知った顔がこちらに気付き軽く会釈をする。慌てて背筋を伸ばし、相応に畏ってみせるアンだった。
「またお会いしましたね、若殿」
「あっ……張繍さん」
「申し訳ありません。丞相がお待ちですので。これにて失礼」
「はっ、はい」
張繍は朗らかな微笑とともに、奥の間へと消えていった。
「この前のいざこざの件かな?どうなってしまうんだろ……?」
「アンにも彼がどうなるかなんてわからないよ。でもね……?」
「でも……何?」
「言わない。言ってしまったらきっと現実にしてしまうから、ね」
アンは意味ありげに唇に手を当てたかと思うと、喉元から出かかった言葉を飲み込んだようだった。
「よく来ましたね、兄上」
僕は言い澱んでしまう。
「……ええと?」
ただ連れられて来ただけ。
狼狽えてしまう僕を見て、アンがすかさず耳打ちをする。年端のいかぬ少年を前に、コソコソ話す僕たちだった。
「曹沖様。しゅーちゃんの弟」
「どんな子なの?」
「しゅーちゃんが大好き」
「なんだまたブラコンなのか」
「またとは何さ」
「で、他に特徴は?」
「むぅ。あとはねー、頭がとにかくめちゃくちゃいいんだよ。南蛮象の体重を図る方法なんて考案したり、ね。どんな名士でも思いつかなかったのに」
「南蛮象の重さ測ってどうするんだよ?」
「どうもしないよ、ただのお戯れだから。丞相の」
「しょうもない親父だなあ。で、この子何歳?10歳くらい?」
「7歳。考案したのが5歳だからはっきりいって天才。まあ、血が嫌いだから戦向きじゃないけどね」
「それはすごいね。でもさ、戦向き云々言うけどさ。戦好きの7歳がいたらやばいだろ」
「え、いるよ?」
「うそ……?」
「ああそう。この子、こう見えて後継候補第1位だから気を付けてね。うっかりすると首飛ぶからね、きゃはっ」
「おおこわっ」
「何をコソコソ話されているのですか?仲間外れとは心外ですね」
頬を膨らまして拗ねる曹沖君。ちなみに今更だけど、字は倉舒と言うらしい。なんか頭良さげな感じがするような、しないような?
「ああ、いや!ごめんなさい、そんなつもりじゃ……?」
さすがにバツが悪い。
「兄上。単刀直入に申し上げましょう。私は兄上を信じます。未来人で外国人で転生されたのだとか?」
「え、ほんと?」
「はい。尊敬する兄上の仰ること。疑うことなどあり得ません」
「曹沖君……」
なんて良い子なんだ……と思ったのもつかの間。
「あ……」
電池の切れた時計のように、次第に動きが緩慢になり、やがて静止した。
「やだ、もう来るの?」
「え、何が?」
「ああああああああああああ。兄上ー!なんとお優しいのでしょう。私を君付でお呼びになるなんて!ああ、私は今幸せです!」
「でた、兄上好き。発作には困ったものね」
アンはやれやれと言っていた。君も大概だけどね。
「あの兄上が。私の!ことを!曹沖君と!そう、クソガキでなく!クソガキでなく!曹沖君と。ああ感動感動!ああ感動!」
「何これ……?」
「発作」
「発作、ね。まあ確かに異常かな」
「クソガキって呼んでたんだ……やばいな、転生前の曹昴」
「口が悪かったからね、とにかく。前のしゅーちゃんは。アンもバカバカって呼ばれてたし」
「安心していいよ。今のしゅーちゃんもそう思ってるし、そう呼んでるから」
「え!?ひどくない!?」
数分後。
「ごほん。少し取り乱してしまいましたね、これは失敬」
「少しじゃないよね。うん」
「さて、おにいたん」
「おにいたん?」
「まっ!ままま間違えました、兄上っ!ええ、兄上ですとも、ねぇ兄上たん!」
目をパチクリさせて、テンパる曹沖君だった。
「落ち着こう、ね?」
「はっ、はい!」
また数分後、深呼吸をして落ち着き始めた曹沖君が口を開く。
「さて、兄上。張繍が反旗を翻すのでは、と兄上は睨んでらっしゃるとのことですが、私も全くの同意見です。流石ですね、お兄様」
お兄様?まあつっこんだら負けかなって。
「疑ってはキリがありませんが、兵の動かし方等挙動が怪しいのもまた事実。父上は賈詡を相当に買っておいでのご様子ですが、かの者はどうにも油断ならぬ男。警戒すべきと存じます」
「曹沖君もそう思うかあ。うーん」
「すでに張繍軍に間者を差し向けてあります故、ご安心ください。いつでも寝首をかけますよ、兄上」
「怖い7歳だね。曹沖君」
曹沖君が権力持ったらどうなってしまうのかなんて考えたけれど、背筋が凍る思いだった。
多分消されるな、人知れず。本当に味方で良かった。
「えへへ、それほどでも!」
無邪気な笑顔の裏に鬼を見た、気がする。
やっぱり、この乱世に生きているとこうなってしまうのかもしれない。
「いやいや、褒めてないからね」
「あーずるい!アンも褒めてよぉ!」
「あーはいはい。偉い偉いっ!」
「にひひー」
なんだろう、このブラコンハーレム。
緊張感の欠片も無い。
まあなんでも良い。仲間を増やす、今はそれが何より大事だ。
運命すら覆せるような、そんな仲間を。
「それはそうと兄上。件の怪物なのですが」
「張繍さんとこの将軍が討伐に向かったっていうアレのこと?」
「はい。お気を付けください。胡車児将軍の討伐隊はほぼ全滅。どうも女の姿をしているらしく油断した、とか」
「若いの?」
「はい。妙齢の美女なのだそうです。名を朝霧。居合いの達人なのだとか。目にも留まらぬ抜刀により、敵の腕を斬り落とすことから、枝葉折りの朝霧、と呼ばれております」
「……怖いね」
「はい」
「いやあでも、良かった、良かった。張繍さんよりよっぽど怖いよね。次は誰が行くのかな、可哀想に。ね?」
「……はははっ、兄上。お戯れを」
曹沖君は乾いた笑みを浮かべていた。
冗談なのかどうか、わかりかねている様子だった。
「何のこと?」
きょとんとする僕。アンも曹沖君の意図が読めないようだった。
「え?まさか聞いていらっしゃらないのですか?」
「曹丕様のご進言により、兄上が行かれることになったと聞き及んでおりますが」
「……は?」
生きて帰れないかもしれません。
この世界から。
曹丕この野郎、絶対殺す気だろ……。
というか、それを認める曹操も曹操だ。
僕は腹を決めた。
このままだと死んでしまう。
「ねぇ、アン」
「いやだよ、死にたくないもん」
「まだ何も言ってないよ」
「一緒に行ってくれないかな?ね?」
「ごめん、いやかなっ!」
アンは目を逸らす。即答だった。
「ねえ」
「いや」
「ねえ」
「いや」
「ねえ。アンだけが頼りなんだよ?」
「…………アンだけ?」
「そう、アンだけが頼り」
「……わかった。仕方ないなぁ、もう」
ちょろすぎると思った。
于禁を連れて行こう。
色々お話したいことがあるし、ついでに。
「兄上、どうかご無事で」
「曹沖君」
「はい」
「……そう思うなら来る?」
「……げほげほっ。申し訳ありません、急に腹痛が」
「咳は関係ないよね、曹沖君」




