第2話:【配信事故】「助けを呼ぶ声があるなら――(言いたくねええええ!)」
星宮ハルカの初ダンジョン配信当日。
俺、黒瀬玲司は、自室の遮光カーテンを完全に閉めきり、四枚のモニターの前に正座していた。
正座していた。
配信が始まったら即座に前のめりになった。
もはや正座ですらなかった。
別に楽しみにしていたわけではない。
断じてない。
これは監視である。
危機管理である。
姉の初ダンジョン配信を心配しすぎて、朝から部屋を暗くしてモニター四枚を並べて待機している弟ではない。
客観的に見ると、完全にそれだった。
中央の画面には、姉貴こと星宮ハルカの生放送。
配信開始からわずか十分で、同接は三万人を突破していた。
左の画面には、姉貴が現在いる『新宿第四ダンジョン』のリアルタイム魔力濃度グラフ。
右の画面には、荒らしコメントや姉貴への誹謗中傷を素早く通報するための自作支援ツール。
言っておくが、これは姉の配信を守るためではない。
いや、守るためではある。
だが、シスコンではない。
危機管理だ。
『星の子のみんなー! 星宮ハルカ、ついにダンジョンにやってきましたー!』
中央の画面で、姉貴が元気よく手を振っていた。
今日は現地配信仕様らしく、星宮ハルカの三Dアバターが、最新型の配信ドローンによって半透明に空間投影されている。
現実の姉貴は、たぶんダンジョン用の防護インナーと軽装備を着ているはずだ。
だが配信画面上では、いつもの星空モチーフの衣装に身を包んだ、清楚で癒やし系の星の案内人。
ネット上の星宮ハルカは今日も完璧だった。
さっきまで家でポテチを食べていた女と同一人物とは思えない。
人間には、見せていい顔と見せてはいけない顔がある。
姉貴の場合、後者が多い。
コメント欄は開始直後からすでに盛り上がっていた。
:ハルカちゃんきたあああ!
:初ダンジョンおめ!
:無理だけはしないでね
:星宮ハルカ、ついに地上を捨てる
:地下だぞ
:レオンさんいるなら安心!
:ハルカ姉、方向音痴だけど大丈夫?
:迷子配信になりそうで草
「草じゃない。普通に危険なんだよ」
俺は画面の前でぼそっと呟いた。
姉貴の方向音痴は、笑い話で済むレベルではない。
駅の改札を出た瞬間に逆方向へ歩き出す。
地図アプリを見ながら迷う。
最寄りのコンビニに行ったはずなのに、別の遠いコンビニから帰ってくる。
あれは才能だ。
しかも悪い方向の才能だ。
そんな姉貴の隣に立っているのが、今回の案内役。
赤城レオン。
配信者探索者。
顔はいい。
声もいい。
歯が白い。
白すぎて、もはやダンジョン内の照明器具として使えそうだった。
『ハルカちゃん、今日は僕がついてるから安心してね』
赤城レオンは、カメラに向かって爽やかに笑う。
『新宿第四ダンジョンは低層なら初心者向けだし、危ないことは絶対にさせないよ』
:レオンさんイケメンすぎ
:頼もしい
:これは安心
:ハルカちゃん守ってくれー!
:レオンハルカ並ぶと絵面強い
「絵面で安全性を判断するな」
俺は左画面の魔力濃度グラフを確認した。
今のところ数値は安定している。
低層の標準値。
モンスターの湧きも少ない。
問題はない。
今のところは。
『わあ、本物のダンジョンって、思ったより綺麗なんだね』
姉貴が周囲を見回す。
壁面には淡く光る鉱石が走り、足元には白っぽい砂が積もっている。
配信映えはする。
悔しいが、かなり映える。
『あっ、見て見て! 小さいモンスター! かわいい……のかな?』
『ははは、あれはグロウラットだね。低層によく出る雑魚モンスターだよ。ハルカちゃん、近づきすぎないでね』
『はーい。安全第一でいきます!』
よし。
今のところ姉貴はちゃんと慎重だ。
コメント欄も比較的平和。
赤城レオンも、今のところは案内役をしている。
俺は少しだけ肩の力を抜いた。
ほんの少しだけ。
『じゃあハルカちゃん、次はこっちに行ってみようか』
赤城レオンが、画面右側の通路を指した。
俺の肩から力が消えた。
正確には、抜けかけていた力が全部戻った。
「……そっちは違うだろ」
右の通路は、公開マップ上では一応通行可能になっている。
だが初心者向けの推奨ルートではない。
低層とはいえ、魔力の流れがやや不安定で、過去に小規模な崩落履歴もある旧通路だ。
配信映えする鉱石壁があるので、配信者が行きたがる場所ではある。
つまり、赤城レオンが好きそうな場所だった。
『あれ? レオンさん、そっちの道で合ってます? さっきスタッフさんから聞いたルートだと、左だったような……』
姉貴が不安そうに尋ねる。
よし。
偉い。
ちゃんと違和感に気づいた。
さすが俺の姉。
いや、そこは関係ない。
『大丈夫大丈夫。こっちの方が景色が綺麗なんだ。せっかくの初ダンジョン配信だし、星の子たちにもいいもの見せてあげたいでしょ?』
『え、でも、安全第一って……』
『もちろん安全第一だよ。僕がいるからね』
赤城レオンは白い歯を光らせる。
腹立つ。
歯だけ折れろ。
:おお、映える場所くる?
:レオンさんわかってる
:ハルカちゃん心配そうでかわいい
:安全ならいいけど
:低層だし平気でしょ
:レオンさんいるし大丈夫
「その『いるし大丈夫』が一番危ないんだよ」
俺は画面の前で、思わずマウスを握りしめた。
赤城レオンは自然な動きで、姉貴を一歩前へ促す。
自分は半歩後ろ。
その位置取りを見て、俺の目が細くなる。
「あの野郎……」
モンスターが出たとき、自分はすぐ下がれる位置。
同行者はカメラに映りやすい前方。
見栄えだけなら悪くない。
だが、案内役としては最悪だ。
俺は赤城レオンの過去配信を思い出す。
あいつは、危険をゼロにするタイプじゃない。
危険をギリギリまで近づけて、盛り上げるタイプだ。
しかも、自分だけは逃げ道を確保したまま。
「姉貴、その角は曲がるな」
画面の向こうには届かない。
姉貴は赤城レオンに促されるまま、右の通路へ入った。
左画面の魔力濃度グラフが、ほんの少しだけ跳ねた。
小さな変化。
普通の視聴者なら気づかない。
初心者探索者でも見逃す。
だが、Aランク探索者として七年潜ってきた俺にはわかる。
空気が変わった。
「……まずいな」
『わあ……! すごい、壁がきらきらしてる!』
姉貴は画面の向こうで、鉱石の壁に目を輝かせていた。
配信画面としては最高だ。
青白い結晶が星空のように光り、星宮ハルカのアバター衣装とよく合っている。
コメント欄も一気に沸いた。
:めっちゃ綺麗!
:星宮ハルカに合いすぎ
:これは映える
:スクショタイム
:レオンさんナイス案内
:神回の予感
「神回じゃなくて事故回の予感なんだよ」
俺は左画面をにらむ。
魔力濃度がまた上がった。
まだ警戒域には入っていない。
だが、上がり方が嫌だった。
『ハルカちゃん、そこでカメラに向かって振り返ってみて』
『こ、こうですか?』
『そうそう。いいね、すごく綺麗だ』
赤城レオンが笑う。
姉貴は少し照れながら、配信ドローンへ向かって手を振った。
その瞬間。
画面の奥。
結晶の壁の影で、何かが動いた。
俺は反射的にキーボードを叩き、画面を拡大する。
白く硬い外殻。
水晶のような爪。
床を削る、六本の脚。
「……クリスタル・クラブ?」
低層に出るモンスターではない。
少なくとも、初心者向けルートに出ていいサイズではない。
『え? 何か、音が……』
姉貴が振り返る。
遅い。
赤城レオンも気づいた。
だが、その反応はさらに悪い。
『チッ……なんでこんなところに』
今、舌打ちしたな。
配信マイクに乗ったぞ。
お前、爽やかイケメン探索者じゃなかったのか。
『レオンさん?』
『ハルカちゃん、動かないで!』
赤城レオンが叫んだ。
言葉だけ聞けばまともだ。
だが位置が悪い。
姉貴をモンスターと自分の間に置いたまま、あいつだけが後ろへ下がっている。
「ふざけんな。お前が前に出ろ」
俺は立ち上がった。
中央の画面で、巨大な結晶鎧をまとった甲殻類型モンスターが、ゆっくりと姿を現す。
エリアボス。
クリスタル・クラブ。
普通なら、この低層で遭遇する相手じゃない。
おそらく旧通路の魔力溜まりで、偶発的に上がってきた個体だ。
運が悪い。
いや、違う。
赤城レオンがそこへ連れて行った。
つまり、人災だ。
コメント欄が一瞬でざわつく。
:え、でかくない?
:これ低層のモンスター?
:レオンさん?
:ハルカちゃん逃げて
:音こわ
:スタッフ止めて!
:これ演出?
:演出なら怖すぎ
『わ、わわ、大きい……! レオンさん、これ、引き返した方が――』
『うるさい! こっちに来るな!』
赤城レオンの声が荒れた。
姉貴がびくっと肩を震わせる。
俺の胃がきゅっと縮む。
「おい」
画面の向こうで、赤城レオンは大剣を抜いた。
そこまではいい。
だが、構えが雑だ。
焦っている。
目が泳いでいる。
姉貴の位置を見ていない。
クリスタル・クラブが鋏を振り上げる。
赤城レオンが大剣を大振りに振り回す。
狙いはモンスターの脚。
だが角度が悪い。
「やめろ、それは支柱――」
画面の中で、大剣が横薙ぎに走った。
狙いは外れた。
刃はモンスターではなく、壁際に伸びていた巨大な結晶柱を派手に叩き折った。
嫌な音がした。
パキン、ではない。
ゴキン、でもない。
ダンジョンそのものが内側から悲鳴を上げるような、低くて重い音。
左画面の魔力濃度グラフが、一気に赤へ跳ね上がった。
「赤城ィィィィ!」
俺は思わず叫んだ。
もちろん届かない。
届いたところで、もう遅い。
結晶柱は、新宿第四ダンジョン低層の旧通路を支えている支柱の一本だった。
それが折れた。
天井に亀裂が走る。
:え?
:なにこれ
鉱石が砕ける。
:やばいやばいやばい
細かい砂が降り始める。
:逃げて!
姉貴が上を見上げた。
:ハルカちゃん!!
『え……?』
:これ事故だろ!
次の瞬間、天井の一部が崩れた。
:誰か助けて!
数トンはある岩盤と結晶片が、姉貴の頭上へ落ちていく。
『ハルカちゃん、逃げて!』
さすがAランク探索者。
動きだけは速かった。
『速度上昇〈アクセル〉ッ!』
足元に光が走る。
赤城レオンの身体がぶれる。
次の瞬間、あいつは崩落範囲の外にいた。
一人で。
姉貴を置いて。
「……は?」
声が出た。
怒りが先に来すぎて、逆に声が小さくなった。
その速度上昇を、姉貴に使えなかったのか。
いや、使わなかったのか。
どっちにしても同じだ。
あの能力を七年間、一体何のために磨いてきたんだお前は。
赤城レオンは姉貴を見ていなかった。
助けようともしていなかった。
自分だけ、真っ先に逃げた。
配信ドローンは、置き去りにされた姉貴を映している。
姉貴は腰を抜かしていた。
一瞬だけ、カメラの方を向いた。
笑おうとした。
配信者として、星宮ハルカとして、視聴者に向かって笑おうとした。
でも、笑えなかった。
顔は真っ青だった。
唇が震えている。
『あ……レオン、さん……?』
赤城レオンは何か叫んでいるが、崩落音で聞こえない。
姉貴の上に、岩盤が落ちてくる。
姉貴は小さく息を吸った。
星宮ハルカの声ではなかった。
配信者の声ではなかった。
俺の知っている、黒瀬遥香の声だった。
『だれか……だれか、たすけて……っ』
その声が、スピーカーを通して俺の耳に届いた。
ドクン。
胸の奥で、最悪の心臓の鼓動が跳ねた。
やめろ。
今はやめろ。
いや、助けには行く。
当然行く。
今すぐ行く。
だが、それはそれとして、今はやめろ。
頼む。
俺の脳内に、忌々しいシステム音声が響いた。
【固有能力『ヒーロー見参』、救助対象の危機を感知】
「待て」
【発動条件を満たしました】
「発動はいい! 発動はする! 助けには行く!」
【変身シークエンスを開始します】
「シークエンスはいらない! 演出を切れ!」
俺の身体から、黒銀の光が噴き上がった。
黄金色だった。
黒銀のスーツに変身するはずなのに、なぜか変身光だけは黄金色だ。
以前、協会の能力分析官に一度だけ聞いたことがある。
「個性ですね」と言われた。
殴りたかった。
部屋の中が無駄に輝く。
カーテンを閉めていてよかった。
本当によかった。
近所の人に見られたら、まず通報される。
「待て待て待て! ポーズはいらない! 名乗りもいらない! 現地直行だけでいい! 省エネモードとかないのか、このクソ能力!」
当然、返事はない。
返事の代わりに、俺の部屋がピカァァァと黄金色に輝いた。
一瞬後。
俺の身体は、黒銀色の密着型ヒーロースーツに包まれていた。
首元まで覆う高機能スーツ。
顔を隠すサングラス型バイザー。
鍛えた身体のラインを一切隠す気のない、最悪の機能美。
「くそ……今日も無駄にフィット感がいい……!」
鏡を見なくてもわかる。
肩も胸も腹も脚も、全部出ている。
出ていると言っても露出ではない。
だがラインが出ている。
俺にとってこの身体は、生き残るための道具だ。
誰かを助けるための装備だ。
見世物になるための飾りじゃない。
なのに、よりによって今日は配信中。
しかも同接は、さっき十万人を超えた。
終わった。
人として終わった。
でも姉貴が死ぬよりは、百万倍マシだ。
俺は歯を食いしばる。
探索者端末が、緊急救助権限で新宿第四ダンジョンへの転送ルートを開く。
Aランク探索者にのみ許可されている、危機対応用の短距離ゲート。
普段なら申請、承認、転送座標確認と手順がある。
だが、ヒーロー見参発動中はその辺りが雑に上書きされる。
便利だ。
非常に便利だ。
そして非常に腹立たしい。
「頼むから、せめて静かに行かせろ……!」
ゲートが開く。
黒銀の光が足元から噴き上がる。
俺の身体が引っ張られる。
転送の直前、能力の仕様が俺の口を勝手に動かした。
「助けを呼ぶ声があるなら――」
「言うな!」
俺は必死に口を閉じようとする。
無駄だった。
能力は俺より俺の声帯に詳しい。
「闇を裂き、光を纏いて、今ここに――」
「文章を盛るな! 急げ!」
視界が切り替わる。
次の瞬間、俺は新宿第四ダンジョンの旧通路へ飛び込んでいた。
崩落する岩盤。
砕ける結晶。
悲鳴を上げるコメント欄。
腰を抜かした姉貴。
逃げた赤城レオン。
全部が、ゆっくりに見える。
俺の身体は勝手に動いた。
床を蹴る。
砕けた結晶片を足場にする。
落下してくる岩盤の軌道を読む。
姉貴の位置を確認する。
間に合う。
間に合わせる。
そこまではいい。
問題は。
配信ドローンのカメラが、完全にこっちを向いていたことだ。
「見るなァァァァァ!」
心の中で叫んだ。
現実の口は、別のことを叫んでいた。
なぜなら、ヒーロー見参の名乗りは、最後まで言わないと終わらない。
本当に最悪の仕様である。
俺は落下する岩盤の前へ躍り出る。
黒銀の密着型スーツ。
サングラス型バイザー。
無駄に完璧な着地。
無駄に決まるポーズ。
そして、無駄に通る声。
「――ヒーロー見参ッ!」
心の中では、同時に絶叫していた。
言いたくねええええええええええええええええ!
配信ドローンは、俺の姿を真正面から捉えていた。
同接、十万超え。
コメント欄が、一瞬だけ止まる。
姉貴も、赤城レオンも、スタッフも、視聴者も。
全員の時間が、たぶん止まった。
そして次の瞬間。
画面の端に、最初のコメントが流れた。
:誰?????????
俺は岩盤を受け止めながら、心の底から思った。
終わった。
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