第42話:原点の夜に乾杯を、夜の静寂と職人の『サクふわハモの極み大葉梅肉天ぷら定食』
大極祭の熱狂が去り、中央都の覇者となった『食事処 藤』。
今や日中は総帥や女帝たちのプライドをかけた戦場と化しているが、午前0時を回った深夜の路地裏には、かつてと変わらない、静かで愛おしい日常の灯りがぽつんと灯っていた。
「……はぁ。今日も上司の無茶振りと理不尽な書類の山で、完全に魂がすり潰されたわ……」
カウンターの端で、お疲れモード全開のスーツ姿のままネクタイを緩め、机に突っ伏しているのは、初期からの常連である社畜OLの凛だ。
そしてその隣には、警察帽をそっとカウンターに置き、冷たいお茶を一気に飲み干す高潔な美女――この街の治安を一手に担う警察署長の神楽坂がいた。
「凛さん、本当にお疲れ様。……実は私も、大極祭の警備体制の事後処理と、管内の不穏な動きの取り締まりで、署長室の椅子から丸二日動けなかったの。もう、心も体もカチコチよ……」
大人の権力者たちが昼間にどれだけ派手に創を奪い合おうとも、夜のこの時間だけは、激務でクタクタになった彼女たちの『避難所』だった。
だが同時に、二人の胸の奥には、昼間のきらびやかな大物たちを見て、少しだけ「創さんは、もう遠い世界の料理人になってしまったのかな」という、寂しい焦燥感が燻っていたのだ。
「お疲れ様です。お二人とも、今日も日本の治安と経済を支えてくれてありがとうございます」
厨房から、パチパチと静かに油の爆ぜる音を響かせていた俺、藤崎 創が、最初に出会ったあの夜と、全く同じ裏表のないナチュラルな笑顔で顔を覗かせた。
原点のまごころ:都会の闇を照らす『変わらない居場所』
「創さん……! あ、あの、ごめんなさい、こんな夜遅くに押しかけちゃって……」
凛が慌てて姿勢を正すが、その目の下には深いクマがあり、指先はキーボードの叩きすぎでうっすらと震えていた。
実は凛は、創が有名になっても「私みたいな普通の社畜の顔、忘れてないかな……」と毎晩不安になりながら、創の体に良い栄養素のサプリを陰で熱心に調べてはカバンに忍ばせていたのだ。
そして神楽坂署長も、創が大極祭で目を付けられて変な輩に絡まれないよう、署長という最高権威の職権をフルに活用し、この路地裏のパトロール頻度を密かに「最重要警戒区域」に引き上げて、文字通り身を挺してこの店を守り続けていた。
彼女たちには、昼間の総帥たちのような派手なアプローチはない。
だけど、ただ一人の男の無事を願い、ただそのご飯で癒やされたいという、純粋で、一途なまごころの努力を、ずっと重ねてくれていたのだ。
「忘れるわけないでしょう。凛さんがボロボロになってうちの引き戸を開けてくれたあの夜から、僕の定食屋は始まってるんです。神楽坂署長も、いつもこの店を裏で守ってくれて感謝しています。……ほら、二人のために、夏バテも心の疲れも一瞬で『引き算』する、特等席のご飯ができましたよ」
俺はいつものように、引き締まった男らしい両腕の袖をきゅっと捲り上げた。
職人の手解き:炭酸水の魔法と、夜を癒やす『サクふわハモ天』
俺が彼女たちのために作ったのは、今が旬を迎え、まだ昼間の誰にも出していない夜限定の極上メニュー
『食事処 藤』特製・サクふわハモの極み大葉梅肉天ぷら定食だ。
「連日の激務で内臓が冷え切っているときは、重い脂は禁物。夏の高級白身・ハモのピュアな旨味を、大葉の清涼感と梅肉の酸味で包み込むんだ」
俺は、大市場で信頼できる魚屋から仕入れた、極上の天然ハモを取り出した。
ウナギにも負けないスタミナと、一味違う上品なコラーゲンを持つハモ。その無数の小骨を、包丁で「シャッ、シャッ」と小気味よい音を立てて完璧に骨切りしていく。
至近距離のカウンター越しに繰り広げられる、創の淀みのない職人の手元。
毎日包丁を握り、重い鉄鍋を振って鍛え上げられた、男らしい前腕の筋肉。そこに厨房の熱気で一筋の汗が美しく流れ落ちる。大人の猛獣たちのいない静かな空間で、創の雄々しくも優しい佇まいに、凛も署長もハァ……と熱い吐息を漏らし、顔を紅潮させて胸を激しく高鳴らせていた。
骨切りしたハタ……ではなくハモの身に、丁寧に練り上げた紀州南高梅の梅肉を塗り、爽やかな大葉でくるりと巻き込む。
衣には、冷やした小麦粉に「キンキンに冷えた炭酸水」をサッと合わせ、グルテンを出さないようダマが残るくらいに軽く混ぜた。これを180℃の特製油へ静かに滑り込ませる。
シュワワワワァァァッッッ!!!
水分が弾ける軽快な高音と共に、爽やかな大葉と梅の香りが一瞬で深夜の店内を満たしていく。
サクサクに揚がった黄金色のハモ天を、余熱で1分。中まで完璧にふっくらと火を通し、炊きたての白米、冷たいお味噌汁と一緒にカウンターへ滑らせた。
「お待たせしました。ハモの大葉梅肉天ぷら定食です。熱いうちに、ハフハフしながらいっちゃってください!」
始まりの恩人たちの理性の決壊、そして路地裏の絆
お皿の上で、サクサクの衣から大葉の鮮やかな緑が透けて見えるハモ天。
凛と神楽坂署長が、箸でその極厚の一片を持ち上げ、同時に口へと運んだ。
サクッ……ぷりぃぃぃふんわり、じゅわあああっっっ!!!
「「「「――――ーーーーっっっ!!!!」」」」
その瞬間、カウンターの二人の身体が、同時にビクッと激しく跳ね上がった。
あまりの軽快な衣の歯ごたえと、奥から溢れ出す「ハモの淡雪のような口溶け」の衝撃に、全員が顔を真っ赤にして、目から大粒の涙をぽろぽろとこぼした。
「な、何これえええええええっ!? 衣がサクサクなのに、中のハモが信じられないくらいフワフワで、お口の中でトローッて溶けちゃう……っ! 噛んだ瞬間に、大葉の爽やかな香りと梅肉のキュンとした酸味が弾けて、疲れが全部吹き飛んでいくよぉ……っ!」
「信じられない……っ! 濃厚なハモの旨味があるのに、梅の酸味のおかげで、この時間でもサラサラと無限に白米が食べられちゃう……っ! 創さん、私の張り詰めていた署長としての重圧が、この優しさで全部洗い流されていくみたい……っっ!」
凛も署長も、都会の冷徹な仮面や社畜の悲哀を完全に剥ぎ取られ、少女のようにお椀を抱え込み、熱々のハモ天をご飯にバウンドさせ、夢中で白米をかき込んでいく。
自分たちは見捨てられていなかった。どんなに高い場所へ行っても、創はこの夜の原点の居場所を、自分たちの好みを、絶対に忘れていなかった。その確信が、二人の心を芯から救い上げていく。
「美味すぎるよ、創さん……っ! 私、やっぱり創さんが世界で一番大好き……っ!」
「ずるいです創さん……こんなに優しくされたら、もう署に戻りたくなくなっちゃいます……っ!」
二人が涙目でカウンター越しに創の調理服の袖をぎゅっと、だけど一途に握りしめたその時――。
「ちょっと待ちなさい!! 私のいない間に、夜の隠れ家でそんなずるい新作を出してるなんて聞いてないわよ!!」
「創! 私たちだって毎日必死に戦ってるんだから、そのハモ天、私たちの分も残しておきなさいよね!」
なぜか夜勤明けや深夜の見回りと称して猛烈な勢いで乱入してきた千草と一ノ瀬さんが、目を血走らせて引き戸を破らんばかりに割り込んできた!
「あはは……。皆さんおかえりなさい。ほら、夜は静かに。喧嘩しないでくださいね。皆さんの分のハモも、ちゃんと冷やして用意してありますから」
俺がいつものように優しく微笑みながら、新しいお皿を取り出すと、社畜も署長も大人の猛獣たちも、全員が「あ、あの包み込むような旦那力……やっぱり一生敵わない……っ!」と、顔を真っ赤にして悶絶し、幸せそうに夜のカウンターに並ぶのだった。
どんなに高い場所へ行っても、路地裏の始まりの絆を絶対に忘れない孤高の職人。
『食事処 藤』の夜は、サクふわのハモ天のように温かく、そしてどこまでも深い愛に満ち溢れながら、静かに更けていくのだった。
創流・サクふわハモの大葉梅肉天ぷら(2人前)
材 料
【サクふわ! ハモの梅シソ巻き天ぷら】
ハモの切り身(生の開いたもの、または骨切り済みのもの):2枚(約200g)
※手に入らない場合は、新鮮な「アナゴ」や「太刀魚」でも最高に美味しく作れます!
大葉:8〜10枚
梅干し(できれば塩分控えめの紀州南高梅など、大ぶりのもの):2〜3個
小麦粉(薄力粉・衣用):100g
キンキンに冷えた炭酸水(無糖・衣用):150ml(★サクサクを仕込む足し算!)
揚げ油:適量
作り方
1. 職人の「梅肉ダレ」仕込み
1. 梅干しは種を取り除き、包丁の刃先でペースト状になるまで叩きます。
2. 酸味が強すぎる場合は、みりんをほんの数滴(分量外)混ぜて、まろやかに調和させておきます。
2. ハモの下処理(フワホロ食感のための引き算)
1. 生のハモを使う場合は、皮目を下にしてまな板に置き、1ミリ幅で皮を切らないギリギリまで細かく包丁を入れて『骨切り』をします。
※スーパーの「骨切り済み」のハモを使う場合は、この工程を飛ばして、余分な水分をキッチンペーパーで完璧に拭き取るだけでOKです。
2. ハモの身を、大葉の幅に合わせた食べやすい大きさ(約4〜5cm幅)に切り分けます。
3. 切り分けたハモの身側に、1の梅肉ペーストを薄く均一に塗ります。
4. その上に大葉を1枚ずつ重ね、ハモの身でくるりと巻き込むか、大葉を挟むようにして半分に折り畳みます。
3. 炭酸水衣の魔法(冷たさと気泡の足し算)
1. ボウルに薄力粉を入れます。
2. そこへ、冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた炭酸水を一気に注ぎます。
3. 箸で絶対に練らないように「さっくりと数回混ぜるだけ」にします。粉っぽさが残り、ダマがあるくらいでストップするのが職人技です。
★職人の技術ポイント
凛さんたちが「衣が羽毛みたい!」って驚いてた秘密さ。炭酸水を使うことで、油に入れた瞬間に炭酸ガスが激しく弾けて、衣の中に無数の細かい空気の層ができる。これが、夜遅くに食べても胃にもたれない、サクサクで軽い食感を生むんだよ。
4. 運命の深夜火入れ
1. 揚げ油を180℃(衣を落とすと、中ほどまで沈んですぐにパッと浮き上がる温度)に熱します。
2. 梅と大葉を巻き込んだハモに、薄く小麦粉(分量外)を全体に叩いてから、3の炭酸水衣をたっぷりと潜らせ、油へ静かに滑り込ませます。
3. 最初の1分は衣が固まるまで触らず、その後ひっくり返しながら、全体で2分〜2分半、衣がカラッと軽くなるまで揚げます。
4. ザルに上げてしっかり油を切り、余熱で1分間置いて中に熱を通します。これでハモの身が信じられないくらいふっくらと仕上がります。
店主(創)からのワンポイントアドバイス
「夜の居場所を守るための『極上ハモ天』さ!
天つゆや塩は要らないぜ。まずは熱いうちにそのままガブッといってくれ。
サクッとした瞬間に、大葉の爽やかな香りと梅の酸味が弾けて、その奥からハモのフワッフワな白身の旨味がトローッとお口の中で溶けていくはずだ。
凛さんも署長も、昼間のプレッシャーを全部引き算して、一瞬で少女みたいな笑顔になってくれたからね。
毎日都会の最前線で戦って、クタクタになった夜は、この優しい天ぷらを食べて、心も体もホッとほどいていってくれよな!」




