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第8話:泥濘の処刑場、阿鼻叫喚の再会

続きは明日の夜にー

 月光の下、鈍い光を放つ沼地は、巨大な怪物の口のようにも見えた。

 一歩踏み込めば、(ねば)りつくような黒い腐泥(ふでい)が足首を(とら)え、腐敗(ふはい)した有機物(ゆうきぶつ)の鼻を突く臭いが立ち込める。だが、今の私にとっては、どんな香水よりも頼もしい勝利の香りに感じられた。


「フェデリ、急ぐわよ。あいつが戻ってくるまで、おそらく数分もないわ」


 私は革ベストのポケットから、小屋で見つけた強靭(きょうじん)な鉄線を取り出し、フェデリに(はし)を投げた。


「このワイヤーを沼の入り口の樹木に張り巡らせなさい。高さは奴の胸ビレの付け根あたりを狙って。あいつの突進の勢いを利用して、泥の深みに強引に引き()り込むのよ」


「了解しました! 沼の(ふち)の倒木も使いましょう。あいつの重みがかかれば、シーソーのように泥を跳ね上げ、奴の目を(ふさ)ぐはずです」


 フェデリは泥にまみれながらも、驚くほど機敏(きびん)に動いた。

 私たちは言葉を交わさずとも、互いの意図(いと)()み取り、死の罠を構築(こうちく)していく。私は油の袋を切り裂き、沼の表面に薄く(まく)を張った。火を放てば、泥の沼は一瞬で灼熱(しゃくねつ)(おり)へと変わる。


 これこそが、知略による暴力への対抗(たいこう)

 二十メートルの巨躯(きょく)も、物理法則という(かせ)からは逃れられない。


 だが、その完璧な処刑場が完成しようとした瞬間――。

 森の奥から、平穏をぶち壊すような、おぞましい振動と絶叫が近づいてきた。



「助けて! クリスティア! フェデリ! どこにいるんだ!」


「アンジェロ様、私を置いていかないで! ひっ、来た、後ろにいるわあああ!」



 バキバキバキッ!!と、(すさ)まじい音を立てて木々が(はじ)け飛ぶ。

 現れたのは、もはや人間としての形を失ったかのように泥と涙でぐちゃぐちゃになった、アンジェロとニッコラだった。


「……最悪のタイミングね」


 私はワイヤーを固定する手を止め、冷徹(れいてつ)な視線を向けた。

 彼らは私たちの姿を見つけるなり、救い主を見つけた聖徒のような顔をして、無謀(むぼう)にも沼地へと突っ込んできた。


「おお、クリスティア! 生きていたか! 早く、早くあいつをどうにかしろ! 僕を、僕を守るんだ!」


「止まりなさい、馬鹿者共! そこには罠が――!」


 私の警告は、地響きのような(うな)り声によってかき消された。

 彼らのすぐ後ろ、森の闇を切り裂いて、二十メートルの「絶望」が姿を現した。


 ドォォォォォォンッ!!


 サメは、もはや獲物を追う動物ではない。突き進む災害そのものだった。

 焼け(ただ)れた口から黒い煙を吐き出しながら、奴は胸ビレで地面を爆砕(ばくさい)し、戦車のような速度でアンジェロたちを追い詰めていく。


「ひ、ひいいいっ!」


 アンジェロが、私が張り巡らせたワイヤーに足を引っ掛け、無様(ぶざま)に泥の中へと転がった。  続いてニッコラが、仕掛けていたシーソー状の倒木の上に倒れ込む。


「ちょ、ちょっと、何よこれ! 何を仕掛けてるのよ!」


「壊すなと言っているのよ、この無能共が!」


 私が叫ぶ間もなく、サメの巨躯(きょく)が沼の入り口に到達した。

 奴は転がっているアンジェロを視界に捉え、さらに加速する。

 だが、アンジェロがワイヤーをぐちゃぐちゃに絡ませたせいで、本来サメを沼の深みへ誘導するはずだった支点が外れた。


 ギィィィィィィィィン!!


 張り詰めすぎたワイヤーが、サメの皮膚を裂く前に、固定されていた樹木ごと引き抜かれた。

 その跳ね返ったワイヤーが、よりにもよってフェデリの肩を(かす)める。


「うっ……!」


「フェデリ!」


 衝撃でフェデリが泥の中に倒れ込む。

 そして罠が狂ったことで、サメは当初の予測ルートを外れ、アンジェロごと沼の浅瀬(あさせ)を強引に突き進む形になった。


「助けて! クリスティア、助けてくれぇ!」


 アンジェロが、サメの鼻先に(はじ)き飛ばされ、私の足元まで転がってくる。

 彼は私のシュミーズの裾を(つか)み、盾にするように自分を隠そうとした。


「離しなさい、この寄生虫が!」


 私はアンジェロの顔面を思い切り蹴りつけた。

 だが、時(すで)に遅し。

 罠を突破――というより物理的に破壊したサメは、泥を跳ね上げながら、文字通り「私たちの鼻先」まで滑り込んできた。


 目前には、二十メートルの魚体が放つ、圧倒的な威圧感。

 奴の巨大な瞳が、今、私とフェデリを見据えた。

 アンジェロやニッコラのような小物ではなく、自分に火をつけた主犯が誰であるかを、奴は理解している。


「あ、ああ…終わり……終わりですわ…」


 ニッコラが腰を抜かして泥の中に座り込む。

 サメは喉の奥から蒸気を吐き出し、ゆっくりと顎を開いた。

 罠は壊された。フェデリは負傷した。

 目の前には、伝説の怪物。


 絶体絶命。

 だが私は、泥にまみれた右手に隠し持っていた、最後の一袋――油に高純度のアルコールを混ぜた特製の発火袋を、強く握りしめた。


「フェデリ、立てるわね?」


「…ええ。死んでも、あなたを食わせはしません」


 フェデリが肩から血を流しながらも立ち上がる。私は、震えるアンジェロの頭を踏み台にするように一歩前へ出た。


「いいわ、バッドボーイ。罠が効かないなら、直接その脳天を焼いてあげる」


 沼地は、もはや静かな墓場ではなかった。

 四人の人間と、一匹の怪物の、最も(みにく)く、最も熱い生存競争の火蓋(ひぶた)が切られた。


 サメが、咆哮(ほうこう)のような水音を上げ、泥の海を割って跳躍(ちょうやく)する。

 ターゲットは、私。


アンジェロとニッコラが現れた瞬間に「止まれ!」と叫んだら罠が壊されなかったのかもしれない

そう思ったけどこの二人が人の言うことを聞くはずもなく…

つまり現れた時点で作戦の崩壊は決定していた


「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


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