第3話:淑女の皮を脱ぎ捨てて
続きは夜くらいにー
地響きのような轟音と共に、避難塔の一階が爆ぜた。
厚さ五十センチはあるはずの石壁が、まるでお菓子のウェハースのように粉砕され、その隙間から「死」そのものが侵入してくる。
ギィィィィィィィィィン……ッ!
耳を劈くのは、サメの歯が石を削り、鉄の扉を歪ませる金属音に近い摩擦音。
魔法の介在しないこの世界において、物理的な破壊力こそが唯一絶対の真理だ。そして今、その真理は「伝説のサメ」という形で、私たちの命を等しく噛み砕こうとしていた。
「あ、あああ……嫌、嫌あああ!」
ニッコラが、剥き出しになったサメの巨大な瞳を見て失禁し、這いつくばったまま後退りする。
アンジェロは、既に言葉にならない悲鳴を上げながら、私のドレスの裾に縋り付こうとしていた。
「クリスティア、君はスピネルリ公爵家の娘だろう!? 何か、何か代々伝わる秘策があるはずだ! あいつを……あのバケモノをどうにかしろ!」
「ええ、ありますわよ、殿下。スピネルリ家には『無能とは関わるな』という家訓がございますの」
私は縋り付くアンジェロの手を、ヒールの先で冷酷に振り払った。
浸水は既に膝の高さまで達している。
海水に混じった砂が、私の高価なシルクの靴を汚していくが、そんなことはもうどうでもよかった。
「フェデリ、階段へ! マウロ、あなたも食われたくなければ動きなさい!」
私の叱咤に、呆然としていたマウロが弾かれたように動き出した。
彼は狡猾な男だ。王太子がもはや盾にもならないと判断した瞬間、彼はアンジェロを追い抜き、我先にと二階への螺旋階段を駆け上がり始めた。
「待て、マウロ! 僕を置いていくな! 僕が王太子だぞ!」
アンジェロが惨めに叫ぶが、マウロは振り返りもしない。
これが、彼らが築き上げてきた友情の正体。サメが一口噛み砕くよりも脆い、利害関係だけの砂上の楼閣。
私たちは、崩落し続ける階段を必死に駆け上がった。
一階では、サメがさらに深く塔の土台に食らいついている。
塔全体が、まるでもがく生き物のように不気味に傾斜し始めた。
「クリスティア様、屋上です! ですが、崖までは……!」
二階を通り抜け、屋上へ飛び出したフェデリが絶望の声を上げた。
避難塔の屋上から隣接する断崖絶壁までは、ゆうに三メートル以上の距離がある。
足元は荒れ狂う海。
そして、塔の直下には、獲物が上へと逃げたことを理解したサメが、執拗に土台を破壊しながら、こちらを見上げるように水面を叩いている。
右ヒレの古傷が、月の光を反射して銀色に光る。
そのサメの瞳は、まるですべてを見透かしているかのようだった。
逃げ場などない。
あとは塔が倒壊するのを待って、水に落ちた「果実」を拾うだけ。
サメの動きには、そんな余裕さえ感じられた。
「……フェデリ。まずは、あなたが飛びなさい」
「なっ、何を仰るんですか! 女性を置いて先に飛べるわけが――」
「黙りなさい。あなたは宰相の息子でしょう。状況を冷静に分析して。今のままの私では、あそこまで届かない。物理的に無理なのよ。この『呪い』のせいでね」
私は、自分の身を包む豪華絢爛なドレスを見下ろした。
十数層にも重ねられたペチコート。
クジラの髭で固められた、呼吸さえままならないコルセット。
移動を阻害するためだけに作られたような、重厚なトレーン。
これこそが、私が「悪役令嬢」として縛り付けられてきた、淑女という名の鎖だ。
「マウロ、あなたも先に飛びなさい。王太子は……まあ、適当にやって」
「わ、分かった! 死んでたまるか!」
マウロは躊躇いなく助走をつけ、死に物狂いで崖へと跳躍した。
彼はギリギリで崖の縁を掴み、泥だらけになりながら這い上がっていく。
「フェデリ、早く!」
「……クリスティア様。必ず、向こう側で受け止めます。必ず!」
フェデリは悲壮な決意を瞳に宿し、崖へと飛んだ。
彼は見事に着地し、こちらを振り返って叫ぶ。
「さあ、クリスティア様! 手を!」
「……ええ。でも、その前に」
塔が大きく揺れた。
土台が完全に破壊されたのだ。
ゆっくりと、塔が海の方へと傾いていく。
背後では、アンジェロとニッコラが「無理だ、飛べない!」「嫌あああ!」と抱き合って震えている。
私は、二人の方を向き、不敵に微笑んだ。
「殿下、ニッコラ様。……淑女の嗜みとして、一つお教えして差し上げますわ」
私は、ドレスの胸元にある隠しフックに指をかけた。
「――本当に恐ろしいのは、姿の見えない怪物ではなく。失うものがなくなった『女』ですのよ」
ブチィィィィィィィィン……ッ!!!
凄まじい音を立てて、私はドレスの合わせ目を引き裂いた。
刺繍が施された絹の生地が、夜風に舞う。
続いて、背中のコルセットの紐を、隠し持っていた小刀で一気に断ち切った。
「な、何を……!?」
アンジェロの驚愕の視線をよそに、私は重苦しい「公爵令嬢の皮」を、塔の崩落と共に脱ぎ捨てた。
何層ものスカートが足元に崩れ落ち、私の姿は、下着代わりの簡素なシュミーズと、動きを制限しないドロワーズだけになった。
細身ながらも、日々の修練で鍛えられたしなやかな肢体が、月光の下で露わになる。
肩を縛っていた重圧が消え、酸素が肺の奥深くまで流れ込んでくる。
「ああ……なんて軽いの」
私は、引き裂いたドレスの一部を、即座に両手に巻き付けた。滑り止めだ。
傾斜する塔。
崩れる足場。
目の前には、暗黒の海と、三メートル先の崖。
「……クリスティア、お前…」
アンジェロが呆然と私を見ている。
その瞳に映っているのは、もはや彼の所有物であった「婚約者」ではない。
牙を剥いた、一匹の美しい獣だ。
「さようなら、無能な殿下。後はそのサメと、愛の分類についてでも語り合っていらして」
私は助走を開始した。
塔が倒れる瞬間。
重力から解放される、その一瞬の静寂。
弾丸のような跳躍。私は夜空を舞った。
眼下では、サメが「獲物が飛んだ」ことを察知し、その巨大な体で水面から跳ね上がってくるのが見えた。
開かれる、暗黒の顎。
私の足首を掠めるように、サメの歯が空を切る。
「……っ!」
衝撃。
崖の岩肌が、私の肌を削る。
だが、私の腕は、誰よりも早く差し出されていたフェデリの手によって、力強く引き上げられた。
「……確保しました! クリスティア様!」
フェデリの腕の中で、私は荒い息をつきながら、崩落した避難塔を振り返った。
ドォォォォォォンッ!!!
避難塔が、海へと没した。
水飛沫の中に消えていく、アンジェロとニッコラの悲鳴。
そして、それらを一飲みにせんと、巨大なサメが夜の海に躍り出る。
バシャアン! という巨大な音の後、海は、不気味なほど静かになった。
ただ、水面に浮かぶ「豪華だったドレス」の残骸だけが、かつての虚飾の終わりを告げている。
「……クリスティア様、お怪我は」
フェデリが、シュミーズ姿の私に、慌てて自分の上着をかけようとする。
私はその上着を断り、冷たい夜風を全身に浴びながら、暗い海を睨みつけた。
「いいえ。今、最高に気分がいいわ」
海面には、まだ「影」が潜んでいる。
あのサメ――バッドボーイは、まだ諦めていない。
あいつは、王太子のような『ついで』の獲物ではなく、私という「強敵」の味を覚えたのだ。
「……次はこちらの番よ。覚えておきなさい、海の王様」
月明かりの下、ドレスを捨て、誇りを取り戻した「悪役令嬢」が、静かに宣戦布告する。
ここから生き残りをかけた、知略と暴力の逆襲劇が幕を開ける。
サメの愛の分類はマニアあたり(適当)
ギリシャ時代から続く愛の分類をテーマに中編を投稿しております
完結済みなのでサクッと読めますよ
暇つぶしに「ざまぁ」はいかがですか?
『「愛が無い関係」なんて誰が決めたのですか?』
https://ncode.syosetu.com/n9668li/
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