あの日
運命の残酷さに泣けてくる。
私は、世界一大切だった気持ちを手放そうとしている。
「お腹痛い……」
ーー赤ちゃん。
違う、違う。
そんなはずない。
だから、この痛みは刺された傷?
いや。
違う。
何となくだけど、わかる。
もうすぐあいつがくるんだ。
あいつってのは、女性なら誰もがやってくる悩ましい存在。
私は、あいつがくる2、3日前からお腹がズキズキとすることがある。
病院に検査に行ったけど異常はなかった。
あいつは、人それぞれで。
比べることが出来ない。
だけど、なかったら。
赤ちゃんは産めないわけで。
「なくなったっていいのに」
四月との赤ちゃんを産めないなら必要ないじゃない。
でも。
こんな気持ちで、本当に産めなくなっちゃったら?
きっと、私。
後悔するよね。
《《友達》》
たった2文字が、こんなにも胸を締め付けるぐらいなら。
私は、あのまま。
ーーガラガラ
「五月、大丈夫なの?」
「お母さん!?生きてる……」
「何言ってんのよ!!それは、こっちの台詞よ」
そうだった。
この時代のお母さんは、何も知らないんだ。
「仕事は?」
「そんなの投げ出してきたわよ」
「でも……何で?」
「六月君が来てくれて。それで、自分のせいでごめんなさいって何度も謝るから」
「六月が……」
「お母さんの連絡先知らなくて警察に話せなかったからって。あっ、それと学校にも六月君が言ってくれたみたいでね。お母さん何も知らなかったから慌てちゃったんだけど。六月君のお陰で助かったわ」
「それなら、良かった」
「今の話、まずかった?」
「ううん。そんな事ないよ」
「そう、それならいいんだけど。あっ、そうだ。これ渡されたの」
いつもながら旅行にでも行くような大きな鞄から、お母さんは分厚い本を取り出した。
「重たかったわよ」
「これは……?!」
「入院生活、暇かも知れないから渡して欲しいってね」
「待って、待って。これを六月が渡したの?」
「そうよ。こんなの好きなのねーー。お母さん、初めて知ったわ」
運命ってのが本当にあるのだとしたら。
「お母さんだったら選ばないけど。よくこんな本を選んできたなーーって感心しちゃった」
「私が好きだってお母さんは知らなかった?」
「知らなかったわよ。お母さんが知らないことを、友達が知ってる。そんな年齢になったのよね、五月も……」
「悲しい?」
「悲しいとは違うかな。寂しいとも違って、何だろう複雑かなーー。でもね、そういうのも嬉しいのよ。五月も大人になったんだって感じられて」
「そうなんだね……」
お母さんが、今の状況を知っていたら何て言う?
六月と幸せになるべきだって言う?
「お母さん戻らなきゃ。五月、1人でも大丈夫?」
「1人じゃないよ、病院だから」
「そうだったわね。じゃあ、仕事頑張ってくるわね」
「うん、ありがとう」
「じゃあね」
お母さんが出て行くのを見届けてから、目の前の分厚い本に触れる。
もしも。
運命があるのだとしたら。
ううん。
運命はあるんだと確信した。
だって。
そうじゃなきゃ。
どうして。
六月が……。
「そんなの読めるの?」
「頑張って読むしかないでしょ!」
「頑張らなきゃダメなぐらいの本ってどうなのって感じだね」
「これ読んだら魔法使いになれる気がしない?」
「まあ、魔法の話だろうとは想像できるよ。タイトルで」
「そうだけど。いや、そうじゃなくて」
「これ古いよな。高校の頃ぐらい?」
「そう。それで高くてね、万引きしようかと思ちゃったの」
「えっ?万引き」
「未遂で終わったよ。お母さんの顔とか浮かんだから」
「確かに。定価3980円は高いよな。払えない訳じゃないけど。これに使ったら1ヶ月ほとんど何も出来ないよな」
運命ってのは、残酷だ。
「見られてたってこと?」
恥ずかしくて、本を床にわざと落とす。
「大丈夫ですか?」
「お腹痛い」
無理な力が入ったせいで、刺された部分が痛む。
「本、取りたかったら読んでくれたらよかったのに」
看護師さんが本を持ち上げた瞬間。
パサッと何かが床に落ちた。
「どうぞ。あっ、これもね」
手紙……?
「痛み止め、飲めるか先生に聞いてこようか?」
「あっ、はい。お願いします」
「無茶はしちゃ駄目だよ」
看護師さんが出て行くのを見届けながら、差し出された手紙を開く。
ーーな、何で……。
やっぱり。
運命は、残酷だ。




