8.悪意のかたまり
「私が部屋を間違えるわけないのに、あんたが何かしたんでしょう!」
「……部屋を間違える、ね」
シリウス様が部屋を誤認させる魔術をジネットに使って、
わざと自分の休憩室に呼んだのは知っている。
だけど、それを説明するのは嫌だな。
それよりもジネットに聞きたいことがあった。
「ねぇ、部屋を間違えなかったら私はどうなっていたの?」
「は?」
「令息たちに何をさせようとしていたの?」
「!!やっぱり、あんたが何かしたのね!?」
「反省もしないのね」
「あんたはおとなしく従っていればよかったのよ!
ロドルフ様とレベッカ様の仲を引き裂いたくせに!」
もしかしたらジネットは私を呼んでくるように命じられただけなのかもと思っていた。
だけど、令息たちのことを出してもジネットは私が悪いと言った。
……私がどんな目に遭わされるのかをわかって部屋に連れて行ったんだ。
性格が悪いと思っていたけれど、ここまでだったとは。
「ねぇ、その作戦は誰が考えたの?
ロドルフ様?レベッカ様?それともジネットなの?」
「そんなの誰でもいいじゃない。ねぇ、わかっているの?
次の夜会でも、どこかのお茶会でも、これから狙われ続けるのよ?
早く泣いて降参して、陛下にもう婚約解消させてくださいって言いなさい」
「半ば王命だった婚約を解消したら、私がどうなるかわかっているのよね?」
「ええ、もちろん。あんたが責任をとって平民になれば解決するわ」
想い合っているのは知っているけれど、
それなら自分で陛下に訴えればいいのに。
陛下だって、私とロドルフ様の婚約を継続させるのは難しいってわかってる。
お咎めはあるだろうけど、私を犠牲にするよりすんなりいくと思う。
ああ、でも。もうそんなことする必要はないんだった。
「そう……いいこと教えてあげる。
もうすでにロドルフ様と私の婚約は解消されているわ」
「え?」
「ついでに私はアンペール侯爵家の籍も抜けたの。
この荷物は引っ越しするための荷物よ。
もうここには帰って来ないから安心して」
「本当なの……?そう、いなくなるの!
よかったわ!もう顔を見なくてすむのね?」
それはどうだろうか。学園にいるかぎり、どこかで会いそうな気がする。
それでも何も言わずに出て行くことにした。
よけいなことを言えば話が長くなりそうだし、
シリウス様を待たせているから早く出て行こう。
「……ちょっと待ちなさいよ」
「まだ何かあるの?」
「その荷物はアンペール侯爵家の物でしょう?
全部置いて出て行きなさい」
「!!」
こんなほとんど価値のないものでも持ち出させないつもりなのか。
貴族の籍を抜けて平民になると思っている私に、
たったこれだけの物ですら与えたくないと。
本当なら長子の私がアンペール侯爵家を継ぐはずだったのに。
荷物一つすら私の物にできないなんて、さすがに腹が立ってきた。
「……嫌よ。もうジネットの命令は聞かないわ」
「なんですって?平民になったくせに生意気な」
無理やり私から荷物を奪おうとするジネットに、
奪われてたまるものかと引っ張り返す。
「お嬢様、手伝いましょうか?」
「ええ、こいつから荷物を奪って。
アンペール侯爵家に入った泥棒よ!」
こちらをうかがっていた使用人がジネットに代わって荷物を奪おうとする。
さすがに使用人の力が強くて手放してしまいそうになる。
「ナディアに何をしているんだ」
「え?」
低い声が聞こえたと思ったら、使用人の手が離れる。
見れば、シリウス様の魔術なのか使用人の両腕が凍り付いている。
「この男は誰なのよ!?」
「昨日の夜会で陛下に紹介されたのを聞いていなかったのか?
シリウス・クラデルだ」
「……え?あ、あの、シリウス様?本当に?」
かぶったままだったローブのフードを下ろすと、シリウス様の美しい顔が現れる。
昨日、夜会の壇上にいた姿を思い出したのかジネットが真っ赤になった。
「え……どうしてシリウス様がうちに?
もしかして私に会いに?」
何か見当違いなことを言い始めたようだけど、
シリウス様はジネットには関わらずに私の荷物をつかんだ。
「もめているようだったから迎えに来た。
荷物はこれだけでいいのか?」
「はい。必要な物だけ持ってきました」
「よし、では行こう」
シリウス様と屋敷を出て行こうとすると、後ろから引き留められる。
「ちょっと!なんであんたがシリウス様と話しているのよ!
平民のくせに不敬よ!どいていなさい!」
「あー、勘違いしているようだから言っておくね。
私は平民になったわけじゃないから」
「は?」
「クラデル侯爵家の養女になったの」
「はぁ!?」
淑女らしからぬ声で驚いているけれど、説明するのがめんどう。
無視して馬車へ向かおうとすると、ジネットは私の服をつかんで引き留める。
「なんであんたがっ!クラデル侯爵家なんて名家に!」
「当主の姪だからじゃない?」
「!?」
そのくらい知っていただろうに、どうして今さら驚くんだろう。
もう出て行きたいのに、ジネットは私の服を放そうとしない。
仕方なくジネットの耳元でささやく。
「ねぇ、その恰好でシリウス様の前に出て、いいの?
服もそうだけど、化粧もしていないのに大丈夫?」
「ひっ!」
いつもしっかり化粧をしているジネットにとって、
一番見てほしくない姿ではないだろうか。
昨日の夜会で夜更かしたのか、化粧をしていないだけでなく肌が疲れている。
夜着にダウンを羽織っただけの姿はみすぼらしく見える。
さすがにみっともない姿だというのが理解できたのか、
半泣きになったジネットは顔を隠すようにして部屋に戻って行った。
「……どんな姿であろうと、興味はないのだが」