7.引っ越し
「午後の授業は魔術演習だけだろう?
まだ授業できるほど魔力は安定していないから、
今日の授業は休みだ。引っ越しをしておけ」
「引っ越し?私のですか?」
「そうだ。アンペール侯爵家の籍を抜けたのだから、
もう今の屋敷で暮らすのは難しいだろ?」
「!!」
言われてみればその通りだ。
もともとお義母様とジネットにはいらないもの扱いされていた。
アンペール侯爵家の籍を抜けたと知られたら、すぐにでも追い出される。
「クラデル侯爵家の籍に入ったのだから、
本来ならクラデル侯爵家の屋敷に住めばいいのだが、一つ問題があるんだ」
「問題ですか?」
「今のクラデル侯爵家の当主は独身だ。
ついでに一緒に住んでいる養子の次期当主も独身で婚約者もいない。
未婚のナディアを一緒に住ませるのは難しいと言われた」
「ああ、それはそうでしょうね」
しかも第二王子の元婚約者で良い評判のない令嬢。
養女にしてもらえただけで奇跡のようなものなのに、
一緒に住むとなったら迷惑なのだろう。
「当主と次期当主はどこにでも住めるから屋敷をお前に渡すと言い出したが、
さすがに学生に屋敷を管理させるのは無理だと断った。
クラデル侯爵家の屋敷に住んでみたかったか?」
「いえ!無理です!絶対に無理です!」
「だよな」
よかった。まさか私に屋敷を任せると言い出すなんて。
魔術のことにしか興味がない一族って本当のことかもしれない……。
よけいなことは言わないようにしておこう。
「それでは、私はどこに引っ越せばいいのでしょうか?」
「この学園は寮があるだろう?」
「ああ、なるほど」
王都に屋敷を持っている高位貴族は利用しないが、
地方から来ている下位貴族の令息令嬢は寮に入ると聞いたことがある。
学園の敷地内の奥の方にあるらしいけど、行ったことはない。
高位貴族は利用してはいけないという規定はなさそうだし、
こういう事情があるのであれば学園長も認めてくれそうな気がする。
「では、アンペール侯爵家の屋敷に戻って荷物を取って来ます。
寮の手続きは事務局ですればいいですよね?」
「ああ、荷物を取りに行くのなら俺も行こう」
「え?たいした物はないので一人でも大丈夫ですよ?」
「そうは言うが、乗ってきているのは王家の馬車だろう?
第二王子の婚約者でなくなったのなら使えなくなる。
俺の馬車を使えばいい」
「あぁ……はい、そうですね」
もうロドルフ様の婚約者ではないのだから、王家の馬車は返さなくてはいけない。
お願いしたらアンペール侯爵家まで乗せて行ってくれるかもしれないけれど、
その後でアンペール侯爵家の馬車は使わせてもらえないと思う。
アンペール侯爵家の籍を抜けたと知れば、
お義母様とジネットは私を身一つで追い出すに違いないから。
シリウス様に申し訳ないと思いながらも、ありがたくついてきてもらうことにする。
事務局に行って寮の申請をすると、前もって学園長が手配してくれていたらしく、
許可はすんなりと下りて部屋の鍵を渡される。
シリウス様は王家の馬車は王宮に戻るように指示をして、
クラデル侯爵家の馬車を出してくれた。
王家の馬車よりも一回り大きな馬車は揺れも少ない。
弾力のある椅子に余裕がある天井。
シリウス様と一緒の馬車に乗るという緊張はあるものの、
屋敷に着くまで快適な時間を過ごせた。
屋敷の門をくぐる時、門番に止められたので窓から顔を出して私だと声をかける。
王家の馬車ではないことに驚いていたけれど、門番は礼をして開けてくれる。
玄関前に馬車が止まる。
シリウス様は一緒に降りようとしたけれど、遠慮しておいた。
「一人で行って、もめたらどうするんだ?」
「ですが、シリウス様が行けば大騒ぎになります。
義母と義妹に会ってしまえば、シリウス様を歓待しようとするでしょう。
シリウス様はそういうのはお嫌なのでは?」
夜会が始まってすぐに休憩室にいたくらいだから、
よほど社交嫌いなのだと思っていた。
あの騒がしいお義母様やジネットに会わせるのはやめておいた方が良い気がする。
「……わかった。では、ここで待っていよう。
中でもめるようであれば出て行く」
「わかりました。誰にも会わないように荷物を取って来ます」
まだ昼過ぎの時間。
昨日の夜会で疲れているお義母様とジネットは寝ているはずだ。
こっそり屋敷の中に入ると、使用人たちとすれ違う。
普段なら私がいない時間だから、帰って来たことで不思議そうな顔をしている。
それを無視して離れの部屋へと急ぐ。
持って行かなければいけないものは少ない。
ドレスは王家からの贈り物だから婚約解消になれば返却したほうがいいだろう。
普段着るようなワンピースを三枚と下着、日記とお母様の形見のハンカチ。
少し大きめの鞄一つに収まってしまうほどの私物。
忘れ物はないかと部屋を見回す。
本当に物が少ない部屋……こんなところに何年も閉じ込められていたんだ。
さあ、ここを出て、新しい自分になるんだ。
浮かれそうな自分を抑えるようにして部屋を出る。
屋敷の中を通って玄関まで戻ろうとしたら、
夜着にガウンを羽織っただけのジネットが待ち構えていた。
「ちょっと!あんたのせいで私が怒られちゃったじゃない!!」
「……はぁ」
会わないで出て行きたかったのにな。
もしかしたら使用人が知らせてしまったのだろうか。
さっきすれ違った使用人が少し離れたところからこちらを見ている。
にやにやしているのを見る限り、あえてジネットに知らせたのだと思う。
「私が部屋を間違えるわけないのに、あんたが何かしたんでしょう!」