3.意外なお誘い
王子妃教育は週に三度。
学園の授業が終わった後、そのまま王宮に向かう。
王家が選んだ教師たちの授業を受け、終われば帰宅。
王妃様や王子妃様とのお茶会もなく、
陛下や王子たちに会うこともない。
八歳からの十年間、
ただ王子妃教育を受けに通っているだけだった。
帰り道、ふと前方から使用人がこちらへ走って来る。
王宮の使用人でも王族の目に入る場所にいられるのは一握り。
そのため王族が移動する時は先に使用人が知らせに走ることになっている。
私は隠れることはできず、頭をさげて王族が通るのを待つ。
こんな時間にこの場所を通るのはどなただろう。
「おや、そこにいるのはナディアだよね。
顔をあげてくれ」
「あ……マルセル様。お久しぶりです」
「ああ、結婚式以来かな。元気だったか?」
「はい」
第一王子のマルセル様は、目はロドルフ様と同じ青でも、
髪が薄茶色のせいか少し柔らかい印象を受ける。
それだけじゃなく口調が穏やかだからか、マルセル様のことは嫌いじゃなかった。
学園が一緒だったのは一年だけ。
何度かすれ違っただけだけど、その度にこうして声をかけてくれた。
ロドルフ様に冷たくされてもマルセル様に声をかけてもらえることで、
周囲の学生たちも今ほど冷たくなかったような気がする。
「王子妃教育の帰り?」
「はい」
「十年間も大変だったよね……」
「……はい」
大変は大変だった。
王子妃の実務を覚えるのはそれほど嫌じゃなかったけれど、
同盟国の分だけ言葉や文化、礼儀を覚えるのは大変だった。
王子も同じように学んでいると聞いたので、
マルセル様も同じように苦労したに違いない。
「本当に……もったいないなぁ」
「え?」
「もし、ロドルフとの婚約が解消されたら、
僕のところに来ないか?」
「マルセル様のところというのは?」
女官として仕えよということなのだろうか?
魔力なしでも王族の許可があれば特例で許されるとか?
「うん、側妃として僕のところに来ればいいと思って」
「側妃……ですか?」
「ロドルフがレベッカと結婚したとしても、立場は弱くなる。
父上の命令に逆らったということになるからね。
そうなれば王太子になるのは僕だ。
父上と違って、側妃を持ってはいけない制限もない」
「……」
「まぁ、ゆっくり考えておいて。
婚約が解消されたら使いを送るよ」
本気なのか……マルセル様はにっこり笑って去って行った。
まさか側妃にと言われるとは思わなかった。
陛下には側妃はいないが、その前の国王までは側妃がいた。
今の王妃が嫁いできたのは隣国との戦争を避けるためだった。
同盟のための婚姻のため、側妃は娶らないという条件がついていた。
当時の王太子の婚約者だったモフロワ公爵家のミザリー様は婚約解消され、
バラチエ侯爵家に嫁いでレベッカ様を産んだ。
陛下とミザリー様の仲は家族愛のようなものだったらしく、
同盟のための婚約解消だったこともあって、すんなり解消できたそうだ。
その上、嫁いできた王妃様をミザリー様が支えたこともあって、
王家とモフロワ公爵家、バラチエ侯爵家の仲はいい。
私との婚約解消はロドルフ様にとっても傷になると思うが、
相手がレベッカ様なら王太子になるのに問題ないと思っていた。
だけど、考えてみればレベッカ様は王子妃教育を受けていない。
おそらく同盟国の言葉すべてを話すことはできない。
そうなれば王妃にするのは難しい。
私と結婚してもしなくても、ロドルフ様は王太子にはなれない。
その事実が重くのしかかる。
ロドルフ様が悪いのではないのに。
最初からレベッカ様が婚約者だったのなら、
すんなりと王家の色を持つロドルフ様が王太子に選ばれていた。
それがこんなことになるなんて。
屋敷に帰って自分の部屋に戻り、一人きりで考える。
マルセル様が王太子になることが衝撃でぼんやりしていたけれど、
本当に私が側妃になんてなれるのだろうか。
そもそも側妃とは子が生まれない時に娶るものでは?
まだ結婚して半年のマルセル様が言うことではない気がする。
もし王太子妃様が知ったらどんな気持ちになるか。
断れるような立場でないのは知っているけれど、できることなら断りたい。
また邪魔もの扱いされるのは嫌だった。
平民になればとも思うけれど、何もできない私がどうやって生きていけるんだろう。
考えれば考えるほどわからなくなっていく。
夜会まであと三日となった時、それは起きた。
魔術演習の授業は受けられないため、一人図書室に向かう。
廊下を歩いていると、ドンっと背中を押された。
「っ!!」
突然だったため抵抗できずにそのまま前に倒れた。
立ち上がろうとしたら、ぶつけた右ひざが強く痛む。
……今のは誰が?
後ろを見たら、遠くに走り去る人影が見えた。
あの服装は……ロドルフ様の侍従?
どうしてロドルフ様の侍従がこんなことを。
学園では待機室にいるはずなのに、なぜここに。
なんとか立ち上がって救護室へ向かう。
女性の医術師に診てもらうと、右ひざがはれあがっていた。
「かなり強くぶつけたのね。
治療してもすぐには治らないわ」
「そうですか」
すぐには治らなくても治療してもらって、少しは楽になった。
歩くぐらいなら問題なさそうだ。
「ああ、残念だけど夜会で踊るのはやめておいた方がいいわ」
「え?あ、そうですね」
夜会で踊る予定はなかったからいいけれど、
医術師には気の毒そうな顔をしている。
結局、治療してもらっているうちに授業時間は終わり、
図書室には行かずに教室に戻ることになった。
教室に戻った時にロドルフ様を見たが、こちらを気にする様子はない。
侍従がしたことを確認したい気持ちもあったけれど、
言っても無駄だと思って言わないことにした。
夜会の当日、お義母様とジネットの準備のために騒がしい屋敷を出て、
私は早めに王宮に向かう。
王宮で与えられた部屋でドレスに着替え、呼ばれるのを待つ。
鏡を見ると、どう見ても太りすぎな私がいた。
銀色の髪と上等なドレスだけが綺麗でも意味がない。
どれだけいいものを着たとしても中身がみっともない。
入場だけで済んでよかったかもしれない。
機嫌が悪そうなロドルフ様とファーストダンスを踊っていたら、
笑われる時間が長くなるだけだっただろうから。
「ナディア様、お時間です」
「わかったわ」
控室までロドルフ様は迎えに来てくれなかった。
大広間の扉の前で待つと、王族の方たちがこちらへ向かって来る。
頭をさげて待つと、ロドルフ様は私の隣に来たが、声はかけられない。
「ロドルフ……」
「……はい、父上。ナディア、顔をあげろ。入場したら俺から離れろよ」
「わかりました」
よほど嫌だったのか、陛下から注意をされてようやく私に声をかけた。
こうしてロドルフ様の婚約者として入場するのも最後かもしれない。