督姫の再婚
阿茶は忙しい合間を縫って、お加代さまに京へ来たことを報せる文を書いた。また、松木五兵衛にも伏見の徳川屋敷に滞在していることを、使いを遣って報せた。
督姫さまと池田さまの婚約は八月とほぼ決まったので、取り交わす結納の品など、西郡の方さまと督姫さまに取り次いだりしていたところ、義弟の松木五兵衛から、「一日、もしくは半日でいいから出られないか」という文が届いた。
義弟からのこんな要請はめったにないことなので、「親族に会うため」と休みを一日申請し、松木家の京における宿へ駕籠で出掛けた。神尾家の者とは別に、阿茶はお愛の方さまから引き継いだ侍女と小者を数名、召し使っている。その者たちを供とした。
昼前に松木家の宿へ着き、奥へ通されると、そこには義弟の他に袖なし羽織を着た壮年の男がそこにいた。
上座へ阿茶を導いた松木五兵衛が、その男と並んで阿茶に相対する。
供としてついてきた幸が部屋の隅に控えた。
「急なことで申し訳ない。姉さま、以前話していた大名家に詳しいお人です。亀屋栄任さまと申されます。姉さまと一度、話がしたいとおっしゃっていたので、お連れいたしました」
「亀屋栄任でございます。阿茶局さまとは、初めてお会いいたします」
「こちらこそ。亀屋どののお名は聞いておりますが、初めてお目にかかりますね。わたくしに用とは、いかがなことでしょう?」
阿茶は目を細めた。徳川家の奥を管轄する役女としての顔をする。
亀屋栄任は丹後の地侍の子で、京へ出て呉服商となった者。主に寺社との取引をしている。殿の伊賀越えの危難の際にはその場に居合わせ、茶屋四郎次郎と共に金銭面で殿を支えた。その縁から、徳川家では神社や寺院の再建や修復のときには旗鉾などの布製品や道具類を亀屋に注文していた。
しかし御奥にいる阿茶は、付き合いの長い茶屋家であっても当主と会ったことはない。手代くらいだ。ましてや寺社関係とは縁がなかったので、亀屋栄任の名を知っているだけだった。
そのお人が何故、私に会いたがる?
「松木五兵衛忠成がわたくしの義弟と知って、接触しましたか?」
「もちろんでございます。松木家と阿茶局さまの繋がりは、京の商人ならば知っておりましょう」
「では、用件とは? わたくしは気の長い京者ではありませぬ。東女なれば、手身近に願います」
「心得まして」
亀屋は胡散臭い笑みを浮かべた。
「実は、哀れな女とその子を徳川さまの御奥で引き取っていただきたいのでございます。たしか徳川さまでは子連れの女でも奥勤めができるとお聞きしましたので」
「そうです。わたくしもご奉公をしながら息子を育てました。これも殿が情け深かったからです」
「そのお情けにすがろうと」
「誰です? 奥向きに入れたい者は」
「手前どもご贔屓筋の石清水八幡宮、の社家――といっても修行者の志水宗清の娘・亀でございます。当年、二十二歳。年の初めに子を産んだばかりでして、婚家から追い出されました」
聞けば、志水亀は秋田城之助という者に仕えていた竹腰定右衛門正時に嫁ぎ、伝次郎(正信)をもうけるが、ゆえあって夫は切腹して果てた。その後、子を婚家に置いて、豊臣家五万石の大名、美濃国金山城の主・石川光行の奥向きへ奉公に出、手がついて側女となった。男児を産んだが、そのすぐあとに正室も男児を産み、御家騒動になりかけたので石川家を出されたという。
(不運な女じゃ)
しかし、源氏の氏神・石清水八幡宮に縁があって、子持ちの後家。殿が気に入りそうな予感がした。
「わたくしは殿さえ良ければ、受け入れますよ」
「それは良い。亀さまも救われる。よいお返事をいただきました」
ほう、と亀屋は息を吐いた。
「そしてもう一つ。これなのですが」
と、亀屋は自身の後ろに置いてあった布包みを前に置き、それを開いた。
染めの色が目に鮮やかに映る小袖だった。桜と流水が絞り染めと刺繍で描かれている。
「辻が花模様の小袖でございます」
『辻が花』『辻が花染め』――この時期にのみ用いられた縫締による絞り染めで、染め残された白い部分に墨や朱の描絵を加えたり、金銀箔の摺箔、刺繍などを施した。この技法は江戸期になって染色は友禅染めに、他は疋田絞や鹿子絞へと受け継がれていく。
「これは春の景色……春の女神・佐保姫の小袖ですね」
「なんと。うるわしいお言葉をいただきました」
おべっかが過ぎる、この男。それだけ必死なのかもしれない。茶屋家ほど徳川での売り上げがよくないからな。私に取り入ろうと?
そんな考えが過ったが、目の前の小袖の美しさにそんなものは消えてしまった。
「志水亀を徳川さまに会わせる際、これを手土産にと思いまして。しかし徳川さまは派手なものをお嫌い遊ばすと聞きまして、お衣装を選ばれる阿茶局さまに一度見ていただこうと持参したしました」
「派手すぎず、美しく品が良い。これは殿のお気に入るでしょう。これが春なら、秋はいかが? 秋の女神・竜田姫も欲しいものです」
「古裂を幡[寺院で法要の場を飾る旗]に仕立て直すこともいたしまゆえ、取り扱い量なら、うちが一番でしょう。ご要望なら、秋も作りましょう。では、それを献上するとして、この春の衣は阿茶局さまに」
「まあ、うれしいこと。でも、春の女神は若く美しい姫にこそ相応しい。わたくしなどでなく、これは督姫さまへ献上してください」
「そうおっしゃるなら、お言葉の通りに。しかし阿茶局さま、お歳のことなど分からぬほど美しゅうございますぞ。なんとなれば、徳川さまの寵姫の一人として長くその名を世間に知られておりますからの」
「あらあら。もう媼でございますよ。亀屋どのは、お上手ですこと」
ふふふ、あはは、と笑い合う阿茶と亀屋栄任の間で、松木五兵衛が口元を引きつらせている。
阿茶が「まだ公になっていませんけど」と前置きして、督姫の輿入れのことを話し、「殿がお気に入られたら、姫さまの嫁入り衣装に辻が花を持たせてさしあげたい。まだ、妹君の振姫さまもおいでになりますしね」と、今後の取引をにおわせたら、亀屋は分かりやすく喜色満面となった。
(献上するのは小袖か、女か。両方であろうな)
にこやかに応対しながら、阿茶は亀屋を冷静に見ていた。
そして話が終わり、松木五兵衛が亀屋栄任を玄関まで送ってから戻って来ると言った。
「姉さまの度胸がいいのは知っとりましたが、実際に目の前で京の豪商と渡り合うのを見て、鳥肌が立ちました」
「そう? そうかもしれませんね。飯田須和なら、こんなことは出来ませんけど、阿茶局ならそれくらいせねばなりません。徳川家の奥向きを担っているのですもの」
笑顔で答え、阿茶は義弟が用意した軽食を摂ってから屋敷へ戻っていった。
後日、出先で承知法印という高僧の屋敷に立ち寄り、休息した殿は給仕に出た志水亀を見初め、連れ帰った。――という体にして亀屋が殿に引き合わせたのだった。
伏見屋敷の奥に連れて来られた志水亀は、色白で目じりが垂れており、可愛らしい感じの女性だった。乳飲み子を胸に抱いている。
「殿が奥で召し使うようにと仰せです。わたくしは阿茶局と申します。お亀さまとお呼びしてもよろしいですか?」
「はい。どうかよしなにお願いいたします」
京言葉で答え、お亀が一礼すると抱かれた子が「ふみゃあ」と泣く。
「乳母はおりませんか?」
「はい、わたくしの乳で生まれたときから育てております」
「そうですか。幼い子連れの女は、簡単な仕事を。まずおもの(食事)の係から始めてもらいます。仕事をしている間は、誰かが子の面倒を見ておりますから安心なさい。他家で奉公の経験がおありとか。奥向きでの行儀作法はご存知ですか?」
「はい、そちらの御家でのことは」
「家風によって微妙に違いはあるでしょう。乳母と指導する者をつけます。読み書きなどはいかが?」
「算術を少々と仮名の読み書きができます。それと、真名も少しは読めます。父が祭文を読むのを幼い頃から見聞きしておりましたので」
ほう、と阿茶は感心した。
(これほどの逸材を側女になどした男は阿呆じゃな。いや、武家でもない修験者の娘ではそうするしかなかったか)
「では、慣れたらわたくしを手伝ってくださいね」
にっこりした阿茶は、すぐに殿に呆れる。徳川家に慣れる間もなく、志水亀を閨の相手に所望し、寵愛したのだ。
家中では、殿お気に入りの三人衆として、「お亀さま、お万さま、お梶さま」と言われるようになった。
(そんな気はしていたのだけどね)
と、阿茶は溜め息をついた。
お亀の奉公と辻が花の小袖の献上がうまくいって気をよくしたのか、松木五兵衛が話したようで、亀屋栄任は豊臣家大名の池田輝政についての情報を松木五兵衛経由でくれた。
阿茶は、西郡の方さまの部屋で督姫さまへそれを報告した。
「吉田侍従さまのお人柄は、剛直で下の者には寛容。細かいことにこだわらないご性格とか。中川家から来た正室の糸姫さまが産んだご嫡男はすでに元服され、利隆と名乗っておられます。側室数人の腹に五人男子がおり、うち二人は夭折しております。他に女子が一人おいでです」
「三十歳で、なんて子だくさん」
西郡の方さまが目を丸くする。
(うちの殿も似たようなものですが)
阿茶は心の中で答えた。
「それなら……わたくしが子を産まなくても、大丈夫ですね」
感情が欠落した顔でつぶやいた督姫のさまに、西郡の方さまと阿茶はかける言葉もなかった。
八月に池田家と督姫の婚約の儀をすることが決まっており、注文した結納の品が屋敷に届く。
それらを検分し、表役人や輿入れ担当の奉行と打ち合わせているとき、出羽国の大名・最上義光の次男・太郎四郎義親の到着があった。
小牧・長久手の役の前に徳川家康が各地の大名と連絡をとったとき、最上義光にも接触した。天正十六年に越後の上杉景勝が庄内侵攻をした際には家康を取次として豊臣秀吉に交渉するが、このときは上杉氏に負け、最上義光は庄内地方を取られた。しかし、小田原合戦の際、直前に没した父の葬儀のため、甥の伊達政宗より遅参したが、事前に家康と話を通していた成果で、秀吉に領地を没収されることはなかった。そのとき、最上義光は次男を家康に仕えさせることを約束した。
十三歳になり、元服した義親は近侍するにあたって、家康から偏諱を受けて家親と改名した。
「阿茶よ、最上のせがれをどう見る?」
引見したとき、殿の後方でその様子を見ていた阿茶に、最上家親が辞去したあと、質問が投げかけられた。
「暗愚ではなさそうです。今後、よく見極めねばなりませぬが」
「来年になって秀忠が上洛した際には、家親をつけようと思う。あれは人質のようであって、そうではない。左様心得よ」
「御意」
阿茶は頭を下げた。
人質の世話をするのは阿茶の仕事のうちだ。人質でも、女と子どもが主だった。成人した者は担当する家臣が見る。元服が済んで、年明けから秀忠付きと決まった最上太郎四郎家親は、阿茶の管轄ではない、ということだ。
八朔の贈答の準備をし、八月一日にそれを各方面に届け、次は八月十五日に池田家との結納。慌ただしく日々を送っていると、お久さま付きの侍女が報告に来た。
「お久の方さまが懐妊されました」
「まあ。おめでたいことです。ところで、子が宿ってから幾月ほど経ちますか?」
「御方さまのつわりが軽かったせいか、側付きのわたくしどもも気づきませんで……もう、お腹が大きくなっております。御子が生まれるのは、年明けかと存じます」
阿茶は子が生まれるお久さまのために局を用意し、側付きの侍女を増員した。
そんなことをしている内に、九月九日の重陽の節供に太閤が徳川家の伏見屋敷を訪ねて来ると殿から聞く。宴に侍女が出ることはないので、奥向きではすることもないが、やはり緊張する。
結果、太閤は徳川家三女の振姫さまの縁談を持ち込んだ。お相手は、奥羽の抑え、会津の蒲生氏郷さまの嫡男・鶴千代君である。婿君嫁君ともに幼いので、婚儀は数年後になるが、婚約は年明けにもしたいとのことだった。
「松阪少将(蒲生氏郷)の容態が悪いようなのだ。太閤は少将亡き後、奥羽が荒れることを危惧しておられる。何かあったとき、幼い嫡男の後ろ盾にわしがつくように、とのことだろう」
と、殿は太閤が去ったあと、阿茶に告げた。
肥前名護屋の陣中で体調を崩した蒲生氏郷は、一時会津に帰国したのだが、この春、養生のために上洛していた。
「では、江戸へは婚約のことだけ報せればよいのですね」
「秀忠には、こちらに来てから、説明しよう」
微妙なことなので、文よりも直接話した方がよいだろう。
と言うことで、江戸にいるお竹の方さまにも婚約のことのみを報せた。
帰ってきた使者が告げるのには、大変喜んでおられたそうだ。
そのすぐあと、お亀さまが阿茶の許へやってきた。
「どうやら、殿の御子を身ごもったようです。このところ、つわりのようで体調が悪く、どうしたらいいか……」
阿茶はすぐさま、お久さまの様子を診てくれている産婆を呼んで、お亀さまをも見てもらった。
「ご懐妊でございます」
そう告げて、産婆は平伏した。
「産み月はいつになるでしょうか?」
「来年の花の頃には」
との産婆の答えを聞いて、急いで殿へ報告し、お亀さまのために局を整え、専任の侍女をつけ、と阿茶は奥にいる侍女たちへ指示を出して大忙しだった。
来年、徳川家では出産が続くようだ。
やがて師走となり、十二月二十七日、池田輝政さまと督姫さまの婚儀が無事、執り行われた。督姫さまは、「新しく生まれ変わった心持ちで」と、名を富子と改められた。
婚礼の儀が終わった翌日、御礼のため伏見の徳川屋敷を訪れた池田輝政さまは、長久手の役で父を討った永井直勝どのを召し出し、その最後を語らせた。けれども、直勝どのが五千石だと知ると、たちまち不機嫌になった。
「我が父の首は、たったの五千石か」
と、つぶやいた輝政さまは岳父となった殿に加増を言上した。
それで、永井直勝どのは一万石の大名になった。
概して徳川家では家臣の知行石高が他家に比べると少ない。家康が吝嗇、と言われるのは、この点にもあるのだが、家臣の三河者たちも主君に文句を言うことはなかった。
年が明けて文禄四年(一五九五)。
二月の初めにお久の方さまが女児を産み、殿はお七夜が済むと赤子の顔を見に行き、「松」と名づけた。
同じ二月に振姫さまの婚約が正式に整い、江戸を発った十七歳の秀忠さまが三月五日に伏見へ到着され、久しぶりに父子の対面となった。
伏見では秀忠さまのための新居の御殿造りが始まっていた。婚礼は九月とのこと。
そして秀忠さまは休息されたのち、京の聚楽第の徳川屋敷へ八日に到着。
三月十三日に、お亀の方さまが殿の八男となる男児を産み、御子は「仙千代」と名づけられた。
このように徳川家では慶事が続いたのだが、療養の甲斐もなく二月七日に会津若松城の城主・蒲生氏郷が死去したことをきっかけに、拾君が生まれたことで微妙な関係になっていた太閤秀吉と、甥で関白の秀次の関係が決裂して、やがて惨劇が起きるのだった。




